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自動車の積み出し港として知られる三河港に、埋立とともに敷設された東三河臨海道路。この道路とその東に並行する国道を結ぶために、海上にダイナミックな全Y型のジャンクションがある。残念ながら上から眺めることができる場所はないのだが、港湾事務所のあたりから眺めた。



 
足場が限られる上に規模が大きいので全然ダイナミックな感じで写せていないが、このように、桁は自由にカーブを描いて海上を舞っている。桁は、ルートによって青、赤、黄、緑に塗り分けられている。

このように、3径間くらいの曲線の箱桁が連続する。この青い桁は1車線で、豊橋バイパス豊橋港インター→神野埠頭というルートだ(逆方向も青の1車線)。黄色はメインルートたる2車線の海軍橋←→神野埠頭、赤は海軍橋→豊橋港インター(逆方向も赤の1車線)。

神野埠頭側の基部は、1車線の桁にはPC桁がつき、2車線の桁には緑の桁がつながっている。奥の「緑・黄」には銘板がある。

 
P-11 橋脚
1988年3月
事業主体 愛知県
施工 青山建設(株)

 
1988年3月
愛知県建造
道示(1980) 一等橋
使用鋼材:SM53 SS41 SM50Y
製作:東海鋼材工業株式会社

塗装表記は主要部分のみを。

塗装年月 1988年3月
下塗 東海鋼材工業(株)
中上塗 (株)第一塗装店

 
1989年3月
愛知県建造
道示(1980) 一等橋
使用鋼材:SM50Y、SS41
製作:トピー工業株式会社

塗装年月 1989年3月
工場塗装 トピー工業株式会社
施工者 墨田塗装工業株式会社


トピー工業の豊橋製作所(のうち、現在の日鉄トピーブリッジだろう)は、この港大橋のすぐそばである。これだけの桁の本数であるからそこに一括発注はしないだろうが、こうして地元の企業から調達している橋を見ると、なんだか嬉しくなる。

この港大橋、「黄色の2車線桁」には歩道があるが、なかなか全貌を見渡すことはできないようだ。





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近年、急速に国土地理院の空中写真をWEBで閲覧できる環境が整ってきている。元来、空中写真は測量のために真俯瞰で少しずつ隣接する図郭と重ねながら撮られたもので、当然、遠近感のために四角に行くほど建物が外側に倒れ込む。それを「うまく」つなぎあわせ、連続した一枚のばかでかい写真のように扱えるような加工が進んでいる。国土地理院のものは「タイルマップ」と呼ばれる方法で作られている。

これはWEBブラウザでももちろん見ることができるが、個人的にはKasimir3Dの「タイルマッププラグイン」で閲覧すれば、現在の地図や他の時代の空中写真と半透明にして重ねたり、標高データ等と重ねたりして閲覧できるので、これを強くお薦めする(冒頭写真)。


 
2014年7月、『空から見る戦後の東京 60年のおもかげ』という本を、竹内正浩さんに作っていただいた。空中写真は、1948年(上写真)、1975年前後、2009年のものが東京区部を全網羅しているので、その3時代の変遷を見るという趣向だ。2009年のものは、写っている建物もおよそ見当が付くが、住宅地図の掲載物件データは著作権の関係で使えないため(許可申請したが、最新データ以外は使用不可だった)、竹内さんがさまざまな手を尽くしてプロットした。1948年となるとさらに同定が困難だが、それを丹念に作り上げた竹内さんには感謝の念しかない。

その後、竹内さんは『地図で読み解く東京五輪』(竹内正浩著/ベスト新書)を上梓し、そして今回、『写真と地図でめぐる軍都・東京』を完成させた。著者いわく「大戦前後の東京をテーマにした三部作」。この3冊は、末永く、貴重な資料として残るに違いない。ただ、2冊は新書であり、書店に長期在庫したり、古書店で大切に扱われる体裁ではないので、いまのうちに、全国の図書館はすべて入手しておくべきだと思う。



さて、本題に入る。本書『写真と地図でめぐる軍都・東京』は、『空から見る戦後の東京 60年のおもかげ』で掲載した「1948年の空中写真」よりさらに前、主として1945年前半に撮影された、戦中の空中写真を読み解く。空襲の跡や建物疎開は1948年のものよりも生々しく、そこに記録された瞬間は、1948年の瞬間と見比べることでも、また非常に興味をそそる。なにしろ、1948年の空中写真には、軍の施設は名称としては存在せず、かわりに在日連合軍の施設があったり、すでに新たな施設ができているのである。

残念ながら、版元のサイトには内容紹介の写真がないので、竹内さんがアップしたものをリンクする。



 
個人的に興味深いのは、都心部ではなく辺縁部。中野、立川、相模原、横須賀、津田沼だ。横須賀の空中写真には、他の物件と同化して気づきづらいが「戦艦長門」がプロットしてある。空中写真が「瞬間の切り取り」であるのは2015年2月の『空モノナイト』で私も話したが、つまりはこういうことだ。

個人的には軍の施設の遺構にはあまり関心を持っていないのだが、それでもこれだけのものが現在も何食わぬ顔で街中に潜んでいるということに驚く。そしてそれは、たぶん、若い頃の知見ではまったく重みを理解できず、ある程度年齢を重ね、知識を蓄積してこそ、興味を向け、さらに読者が自分の知見を重ねることができるものでもあると思う。そういう意味で、もし若い方が本書を読んだら、10年後、20年後に、それぞれ読み返してみるといい。きっと、「こんなことが書いてあったのか!」と、一度読んだものにも関わらず、新たな発見がたくさんあるだろう。また、本筋ではないのだが、軍需くらいの市町村合併があったことは、本書で初めて知った。こういう知見も、トータルで全国を知っていないと気づかないものだと思う。

私が驚いた点を書いてしまうとネタバレになり、本書を読まなくてもいいや…と思われてしまうと困るので、それは控えておくが、とにかく著者の膨大な知識による観点と、著者ならではの発見が、簡潔にまとめられている。

本書を傍らに、カシミール3D(冒頭)で「空中写真(1945)」(とはいえ1948年前後の終戦後の写真)を閲覧すると、本書に収録されている以外(「収録できなかった」というべきか)の、自分なりの発見が多数あることだろう。



 
新しめの隧道の横に旧道がある場合、GPSログを途切れさせたくないという目的と、古い標識や路面のペイントが残っていることがあるので、旧道に入ることがある。ここ国道420号段戸トンネルの旧道も、最初は順調だったのだが…

トンネルがあるはずの場所が、通行止めになっていた。地図に寄れば、真正面に隧道の坑口があるはずだが…。

ないですねえ。左の窪地あたりにあったように、地図上では見える。正面を登ってみると…

なにもない。そしてここで、隧道を出る人に向けて「下山村」という市町村境の看板が断っていたと知った。

反対側は、旧道に入るとすぐゲートがあったので入らなかった。


GoogleMapsを見ていたら、なんだか不思議な道があった。


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三河湾、豊橋港の北に、会場に張り出す形で道路がある。しかもコーナーは直角だ。これはまるで沖縄本島の海中道路か福岡の海の中道のようではないか…ということでクルマで向かった。

ところが、すべて通行止めだった。見ると、どうやら嵩上げしているようだ。

幸いにも、ここをオーバーパスする橋があるのでその上から眺めた。

元の道路の形はわからないが、オフセットする形でコンクリートが盛り上げられ、横には養生の鉄板が敷いてある。

最初は単なる嵩上げかと思ったが、たった数十cmの嵩上げのために数年間も通行止めにはしないだろう。幸い、現地に説明があった。それによれば、これは耐震工事だ。まずは、いま鉄板が敷いてある部分を横方向に拡大する。次いで鋼矢板を鉛直方向に打ち込み、追ってその周辺および天をコンクリートで覆うという工事だ。まだ当分、通行止めのようだ。


国道や都道府県道の標識には定型があるが、市町村道にそれがないのは『大研究 日本の道路120万キロ』(平沼義之著)にもあるとおり。先日、愛知・長野方面に行った際にいくつか見かけた。


●町道114号 タキノクチ山之神線(愛知県設楽町)
 
県道標識を流用したか。

設楽町は、国道の屈曲部が改良された旧道などにも、すべて律儀にこの標識をたてている。

●町道上郷線(豊田市)
 

豊田市なのに「町道」とあるのは、ここが旧稲武町であり、その表記が残ってしまっているのだろう。形状はありがちな長方形。

●村道3-211号線 智里東・奥富士(長野県阿智村)
 
「村道○○線 地名A・地名B」というパターン。「線」は数字の整理番号につく。

●村道19 大沢線(愛知県豊根村)
 
ヘキサならぬオクト、とでも言おうか、八角形の標識。


* * *

以下、おまけ。
●村道2-8号 開田村(長野県開田村)
  こちらは国道標識を流用。補助標識(→)も、色が違う。


●町道茂足寄上螺湾線(北海道)

1996年夏の北海道で見た、町道茂足寄上螺湾線。バイクは半年後に盗まれてしまった1台目のスーパーテネレ。


* * *


奥三河は、比較的、市町村道の表記に熱心なのかもしれない。




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