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渡良瀬川橋梁(東武佐野線)その1

渡良瀬川橋梁(東武佐野線)その1

橋梁(アメリカン・ブリッジ)



20110601_000.jpg久しぶりにアメリカン・ブリッジ製200フィートピントラスを見に行った。東武佐野線の渡良瀬川橋梁。全18連、うち第15・16連が、クーパートラスである。他の桁はすべて東京石川島製で、スパン等は不明である。写真は上流(西側)から。

20110601_001.JPG美しい。9径間の、典型的なクーパートラス。極めて華奢に見える。それがいい。

20110601_002.JPG大きさ比較用。電車が1両20m、よってちょうど4両編成が1スパンにおさまる。

反対側から。
20110601_004.JPG上流川は点検通路があるので、下流川から見たほうがスッキリしている。

20110601_009.JPG上流側から。


アイバーのディテールなど。

20110601_010.JPG20110601_011.JPG20110601_012.JPG20110601_013.JPG
20110601_014.JPG桁の裏。

20110601_015.JPG橋脚。

桁の幅と橋脚については次回。

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『チェルノブイリ 春』(中筋純)

『チェルノブイリ 春』(中筋純)

土木・地図の本

P5314639.JPG写真家・中筋純さんの新作『チェルノブイリ 春』(二見書房)をご恵送いただいた。

中筋さんは、1990年代より廃虚の写真を雑誌に発表したり本としてまとめている方だが、私にとってはバイクでのつながりである。初めてお目にかかったときは、雑誌『アウトライダー』の編集者を辞め、カメラマンとして独立した頃だったと思う。いまから思えばまだ30歳そこそこか…。

2009年、銀座キヤノンサロンで、中筋さんの写真展『黙示録チェルノブイリ』が開催された。元となった写真集はいま友人に貸しているので手元にないのだが、取材は秋で、無人の団地に、それを凌駕する高さに伸び伸びと育っているポプラがとても印象的な写真集だ。植物の持つ生命力が、これでもかと出てくる。廃虚は刺身のつまだ。

その写真展の時には合間に撮影に行ったなどということは聞かなかったような気がするのだが、その時期に撮影した作品が、本書『チェルノブイリ 春』である。

* * *

圧倒的な植物の力から始まる。芽吹きと、朝の光。『黙示録~』が、秋と夕景だとすれば、本書は春の朝だ。無人のコンクリートの街を、好き放題に伸びる植物。『黙示録』ではオレンジ色に輝いていたポプラも鮮やかな緑だ。ややあって、展開は断絶する。建物の中へ。人々が置いていった玩具や本、のちに盗賊が破壊したピアノなどが乱れている。そこには光ではなく影が描かれる。外に出る。再び陽光が差す。老いた男性がいる。今度は、植物が展開するのは人の存在が感じられる場所。かつては人が跨っていた、バイクの残骸。民家。教会・墓地。そして、「石棺」と、放射線マーク看板の乱立。

そこからは乱れてくる。植物の繁茂もあれば、ガスマスクもある。窓から差し込む明るい光を受けて室内に伸び始めた木もあれば、川に沈みつつある大型船もある。有刺鉄線。篠突く雨。放射線マーク。うっかり、そこが汚染地帯だということを忘れて浮かれてしまった気持ちを、ここがどこだか忘れてはならぬ、と冷たく諭すような展開。


本書の作品を元にした写真展は、この4月にニコンサロンで開催された。あいにく私が行った日のみ中筋さんは不在で、話を聞くことができなかった。会場にいた奥様にお話をうかがうと、写真集は写真展に合わせて完成するはずだったが、東日本大震災の影響で間に合わなくなったとのこと。また、写真展会場には、福島第一原発の事故が起きたことにより、写真展そのものをどうするか迷った旨の掲示もあった。それらのさまざまな判断を部外者の私がどうこう言うことはできない。展示された作品に込められた思いを、ただ受け取り、自分なりに鑑賞するのみである。

デジカメウオッチのサイトで、作品や写真展の様子を見ることができる→こちら


『地図で読む戦争の時代』(今尾恵介)

『地図で読む戦争の時代』(今尾恵介)

土木・地図の本

20110531.jpg失礼ながら、最初は期待していなかった。今尾氏の本はいままでいくつか読んでいて、そのどれもがそこそこの内容ではあるのだけれど、雑学本のような、テーマのぼんやりしている散漫な内容である、という印象を持っていた。『生まれる地名 消える地名』では、平成の大合併で誕生した新地名に苦言を呈する割には自分で考え出した新地名を披露して「こうすればよかった」というような記述が多々あり、なんだこれは、と呆れた記憶がある。

ただし、それは物書きとしての姿であって、地図収集者としての今尾氏のすごさは他社の追随を許さないと思っている。とはいえ、それにも限界はあって、新潮社の『日本鉄道旅行地図帳』シリーズに、多々不備があることは巷間指摘されているとおりだ。地形図刊行の狭間で敷設され、消えていった軌道は多いし、すべてが記載されているわけでもない。地形図は、資料を基に加筆するけれど、すべてを加筆するわけじゃないだろうし、資料がすべてそろっているわけでもないだろう。仕方のないことだと思う。

さて、『地図で読む戦争の時代』。版元である白水社のサイトに連載していたものをまとめたもので、連載そのものはすべてではないにしろ読んだことはあった。しかし、あまり身に入らなかった。なぜかはわからないが、「紙媒体的なもの」は、そのままモニタで見てもダメなんだと思う。モニタで見るなら、モニタで見るなりの構成がなければならない。

(1)神社と寺

本書で最初に「お」と思ったのは78ページ。朝鮮の地図を日本の陸地測量部が作ったことについて書かれたあと、「日本人が住み着けばまず最初に神社が建てられるというのは、今よりはるかに『お宮』が生活に密接だったこの時代、国策以前に自然なことだったのだろう」という記述。そうだ。それはいろいろなところで見かける。実際、明治時代の地形図を見るとき、まっさきに探すのは神社や寺だ。私の住む地域は、昭和50年代になってからようやく宅地化が進んだ場所なので、古い地形図や航空写真では、畑ばかり。道路もいまとまったく別のルートを描いている。そこで、神社と寺を頼りにいろいろと見比べている。

(2)ステレオタイプの歴史観への警鐘

次いで、「歴史の見方」を諭しているのが90ページ。「戦前の警官はみんなオイコラと威張っていた、などという紋切り型の理解では歴史はわからない。かといって『台湾人はみんな親日的』などと無邪気に思い込むのはもっと愚かであるが」と書く。そうだ。私が嫌いな言動の一つに、官僚叩きがある。十把一絡げにするな、と。そういう考え方を「愚かだ」という。まことに同意する。

同様の記述が101ページにある。これは私も本書で初めて知ったことで、松岡洋右が国際連盟を脱退したときの様子は、その新聞記事を「資料」として高校時代に習った記憶がある。そこには「聯盟よさらば!遂に協力の方途盡(尽)く」「和が代表堂々退場す」という見出しが躍っている。これについて、本書では本題とズレながらも「(松岡を)勝手に『英雄』にしたのは例によってマスコミであり、本人は外相に向けて、潔癖すぎる対応で連盟を脱退することのないよう意見具申までしている」と書いている。その筋で検索すると、これが事実のようだ。

(3)地図を見る姿勢

これが、本書のテーマだと思っている。190ページ。戦時改描された地図を見て、後世がそれを「史実」として扱ってしまうことへの懸念がある。とくに地図に限ったことではなく、たとえば明治期に辞書に意味を誤記された単語が、延々と孫引きされて数十年間流通してしまった話(井上ひさしの何かの著作で読んだ記憶がある)や、鉄道趣味誌で表組みが誤っていたためにやはりそれが延々と孫引きされ…というような話だ。身につまされる。



いままで私が見た今尾氏の著作とは明らかに違う。いままで見たものがよくなかったのか、それとも今回、突き抜けたのか。それはわからないが、内容はとても素晴らしいものであったことをここに明記する。

惜しむらくは価格か。四六判268ページで1890円。この体裁なら1365円~1470円くらいであってほしい。カバーと同化してしまっている帯などいらないから。

ひとつだけ、誤記の指摘を。
P48後ろから5行目、「垂井駅が下り上り専用」。誤記しているので文脈がおかしい。


和村橋(長野県大桑村)

和村橋(長野県大桑村)

吊り橋



阿寺川橋 顛末/『トラック野郎 熱風5000キロ』に捧ぐなどに関連して。

20110529-999.jpg
『大桑村 写真で見る100年』を見に行ったときのこと。それがある、大桑スポーツ公園に行く途中に、木曽川を渡る廃橋があった。例によって吊橋は主塔だけが残されている。

20110529_001.JPGこの主塔につながるべき道はすでにない。堤防の内側は完全に撤去され、住宅がある。

1947年の航空写真はこちら


さてこの主塔。見れば、所在げに銘板がついている。

20110529_002.JPG.

左。
20110529_003.jpg.

右。
20110529_004.jpg昭和35年竣功。意外に新しい。後述するが、14年ほどしか使われなかった。

20110529_005.JPG対岸にも主塔がある。なぜ吊橋は主塔だけ残すのだろう?

この和村橋(旧)が賭けられた当時の写真が、前述の本にある。
20110529_000.jpg
補剛桁の材質はわからないが、対岸への重要な交通路だったはずなので、自動車も通れる規格だったろう。


さて現在、この吊橋に変わる(新)和村橋が架かっている。

20110529_006.JPG20110529_007.JPGうっかり親柱しか撮ってない。それだけでなく、箱桁なのかプレートガーダーなのか、そんな確認もしていない。


昭和49年5月竣工。この時点で、吊橋の和村橋の役目は新橋に取って代わったはずだ。旧橋はいつまであったのか。少なくとも1985年までは、補剛桁もあることが、航空写真からわかった。

20110529-997.JPG
国土変遷アーカイブより)
左が新橋、右が旧橋。

ものごとのはじまりは記録されるが、終わりは記録されることが少ない。航空写真のアーカイブはそれを解決してくれるものではないが、いくらかのヒントはくれる。もっと解像度を高くしたものだとなおいいのだが。




枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.3

枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.3

独言・日記

歌人・枡野浩一さんプロデュースによる丸田祥三さんとのトークライブ、第3回。今回は、阿佐ヶ谷の「よるのひるね」で開催された。16時開場だったので16時にいったら、即、満席になった。ふつう、この手のトークイベントというのは、開場から開演まで30分とか1時間あるので、その間にパラパラ来るのだが…そんな感じでわりとすぐに始まった。

ゲストは、作家・中村うさぎさん、漫画化の古泉智浩さん。会場の後ろのほうで、切通理作さんもいらっしゃった。

(関連記事)
枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.1
「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」
「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」続き

(USTアーカイブ)
http://www.ustream.tv/channel/masunoshoten


20110530_000.JPG(左から古泉さん、枡野さん、丸田さん、中村さん。許可を得て撮影)

会場では、丸田さんの作品をスライドショーでずっと流しつつ、トークが進行した。

まずは、丸田さんによる、5月10日の知財高裁による判決のお話。

昨年12月21日に出された風景剽窃裁判での判決に控訴した丸田さん。この5月10日、突然、知財高裁の判決が出たという。当日、弁護士事務所に知財高裁から連絡が入ったが、弁護士事務所から弁護士に連絡がつかず、結果、丸田さんにも連絡がいかず、原告である丸田さんはネットのニュースで判決を知るということになってしまった。これについては、それぞれの事情があったのだろうし、外野の私がどうこう言う話ではないのでここではおいておく。

丸田さんは、最高裁への上告を決めた。その決意は、USTをご覧いただくほうがいいと思うし、書けば私の解釈になってしまうといけないので、これもここでおく。

そして、話題は「盗作とは何か?」という点へ。枡野さんは「短歌や俳句では、偶然似た作品ができてしまうことがある。しかし、それは似た作品を作ってしまった人が先例を知らないという点で、作品を取り下げなくてはならないこともある」という。対してうさぎさんは、「文芸ではそんなの無理。先人の書いたものすべて知るなど無理。個人のブログまでチェックしてたら際限がない」。丸田さんは「自分の作品を参考にして、自分の作品より優れたものを生み出すのであれば、まだいいのだけれど」。対して、UST視聴者「いや、盗作は盗作であって、盗作した結果いい作品となっていても、それは別問題」。

どこから盗作でどこまではいいか、この場での結論は出づらいことだが、それを話すことによって、おぼろげに輪郭や問題点が出てくる。この点は過去のトークでも何度か積み重ねられて、発展してきている。そして、これに関連して、トーク終了後の二次会(?)の席で、とてもすごい話に発展した。



「嘘」について。

小林氏は、丸田さんの作品を参考にしたかどうか「わからない」、キャプションの誤記をそのまま自著に掲載していることも「弟子がやった。弟子の名前は覚えていない」と言っている(丸田さんは「誤植」と一瞬言って「誤記」と言い直した。誤植と誤記は混同されるけれど、全然違うもので、この言い直しはとても重要で、丸田さんの誠意を感じる)。自分が「小学生の時から地図帖片手に…」と言いながら提出した資料は平成になってからの刊行。これは、自分のやったことを正当化するために、嘘を塗り重ねているようにしか見えないのだが、そういうことをする人が少なからずいる、という話になった。

まず挙がったのが、新潮社と赤報隊のこと。被害者である朝日新聞が記事を検証し、週刊新潮が謝罪している。この「手記」を書いた人の虚言に多くの人が騙されてしまった。(その人は約1年前に亡くなった)

次いで、中村うさぎさんが知る、とある人について。徹底して自分が加わるために他人(うさぎさん含む)をあることないこと言い散らかす。その内容が結局、うさぎさんに伝わるのだが、言われた本人が驚くような内容。枡野さんも、とある人のあまりの嘘つきっぷりに、一瞬、信じたことがある話を。その人は「私は漫画家で、ペンネームは○○(著名人)」であると言い続け、実際に仕事を発注してしまった人がいたらしい。古泉さんも、とある人の虚言というか盛りっぷりに、ちょっと思うところがあるという。

なにが真実か、見えなくなる。恐ろしいことだ。しかし、現実に、虚言で固めた人は存在し、言ってる本人は虚言だと思っていない、盛ってると思ってなかったりする。それは、私も実際に体験している、というか迷惑を被っている。そんな人を相手にするには、相当にこちらがタフでなければならない。丸田さんの裁判の弁護士はタフだろうか。

(追記)
ここで書こうと思っていたことを、まったく書いてなくて愕然とした。虚言癖の人は、つまり、平気で他人の功績を横取りして「自分のもの」にしてしまう。そのことを書きたかったのに書いてないから、単なる笑い話のようになってしまった。お詫び申し上げたい。


また、いろいろ考えているうちに、なぜアイディア(小説のテーマなど)が保護されずに、アイディアを用いて具現化したもの(小説など)が保護されるのかがわかってきたのは、自分にとっては大きな収穫だった。




話を戻して、トークの流れはゲストがうさぎさん・古泉さんだったこともあって結婚ネタや恋愛ネタの展開となった。それらは、枡野さんや切通さん、うさぎさんの得意とするジャンルの話だ。こうした恋愛論も丸田さんの作品への理解を深めるためには必要だと思うけれど、もう少し、作品と関連づけてのお話になったらもっとよかった。

また、雑誌『東京人』のために丸田さんが枡野さんを撮影したときのお話も披露。枡野さんがあまりによく動くのでぶれてしまっていたという。それは、丸田さんにとって初めてのできごとで、けっこう動揺したらしい。丸田さんは「そのまま、そこにいてね!」というつもりで「その姿勢、いいですね」などというと、枡野さんはもっとよくしたいと思って動いてしまう。丸田さんが改めてカメラを構えると、もうそこに枡野さんはいない。そんな屈託のないお二人の撮影現場はどんなだろう…?

次回もそうした作品づくりに関する話題を期待しています。


(追記)
トークの中で池谷裕二氏が語ったことが話題になった。「右手の薬指が人差し指より長いひとは…」。その原因と、どういう性格になるかは分析が進んでいるそうだ。私の薬指は、人差し指よりもツメ3/4くらい長い。帰宅後検索したら、どうも日本人にはそのほうが多いようだ。

旅足橋(岐阜県)

旅足橋(岐阜県)

吊り橋



岐阜県の八百津町にはいろいろな珍しいものがある。丸山ダムはダム好きの人たちの間で相当に有名で、その「珍しいもの」も、ダムに由来するものも多い。この旅足橋(たびそこはし)も、そのひとつである。

20110528_020.JPGすごくさりげないので、一見、「ふつうの吊橋とどこが違うの?」と思うかもしれない。

通常、吊橋が吊っているのは床版ないし補剛桁である。その場合、ケーブルから垂直に垂れ下がるハンガーロープが補剛桁を吊るのだが、この旅足橋はケーブルが補剛桁の上弦を兼ねている部分がある。この構造は、アメリカの橋梁エンジニア、デビッド・バーナード・スタインマンDavid Bernard Steinman)が考案したもので、「Florianopolis型」(フロリアーノポリス型。「Florianpolis橋」と誤記されていることもあるので注意、元はブラジルの地名である)という。目的は、タコマ橋崩壊に鑑みた耐風性の向上らしい(未確認)。

さて、先に側面を見せたが、まずは西から。
20110528_000.JPGこれでも国道418号である。細い。主塔は鋼製。

20110528_001.JPGちょっと進む。補剛桁上弦とメインケーブルの関係が見えてくる。

20110528_002.JPG主塔のあたりから見ると、ハンガーロープに視線が行く。

20110528_003.JPG銘板その1。「たびそこはし」。「~ばし」とは濁らない。

20110528_004.JPG銘板その2。「旅足川」。


では、補剛桁とメインケーブル、ハンガーロープの関係を見ていく。
20110528_005.JPG端部。この補剛桁のトラス、メインケーブルと一体化しているんだから相当にぐにゃりぐにゃりと曲がるような気がするのだが、このようにガセット結合となっている。

20110528_006.JPGトラスの上弦がなくなる部分。

メインケーブルとはピンで結合されているように見える。この構造は後述する。

20110528_007.JPGこのような形で、メインケーブルが補剛桁と一体化している。

20110528_008.JPG独立した垂直材。トラス部分だけを見ると、上に向けて\|/という形になった真ん中の部分。どうやってケーブルと接続されているかというと…

20110528_009.JPG
このように、ガッチリとクランプで留めている。

20110528_010.JPG別角度。


別角度。
20110528_011.JPG



こんどは/|\型の部分。

20110528_014.JPG
20110528_015.JPG20110528_013.JPG根元。
20110528_012.JPGこう見ると、メインケーブルなどほとんど動かないのではないかとおもうほどの剛結っぷりだ。

20110528_016.JPG銘板3。「昭和二十九年四月二十九日竣工」。天皇誕生日を指定したか。

20110528_017.JPG銘板4。「旅足橋」。

20110528_018.JPG東側主塔。

20110528_019.JPG補剛桁東側の端柱にあった製造銘板。


昭和29年(1954)
岐阜県建造
内示(昭和14年)二等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所


『横河橋梁八十年史』にも、写真が載っている旅足橋。それでも、どういう構造だったかなどは「きわめて珍しい補剛トラスをもった吊橋」という程度なのがすごく残念だ。


旅足橋。見ると意外に(?)衝撃的だった。ダムマニアのみなさんもぜひ。


日本水準原点 一般公開

日本水準原点 一般公開

地図・航空写真・分水嶺

5月27日(金)、永田町の憲政記念館の敷地内にある日本水準原点が公開されるというので行ってきた。

入るなりこれ。
20110527_000.JPGんー…。6月3日が測量の日なのはわかるんだけど、でも今日は5月27日で、6月3日には公開してないんだ…。

20110527_006.JPGこんな感じで、大日本帝国水準原点を収めた建物(標庫)の前にはテントが張られ、国交省関東地方測量部の方々が説明のために何人かいた。

私が行ったのは仕事の打ち合わせが済んだ13時頃。まあ、お昼休みの間だ。けっこう、人はひっきりなしに来ていて、常時5人くらいは見学していた感じだ。

20110527_002.JPG日本水準原点についての説明。

20110527_001.JPG隣接して、こちらはそれを収める建物(標庫)の説明。

20110527_003.JPGこれが標庫だ。石造に見えるが、後述のとおり、内側は煉瓦のようだ。それをコンクリートで塗り固めているように見えた。

さて、ご本尊。
20110527_012.JPGこのように、扉を手前に倒して開けると、中に水準原点がある(扉は開いている)。縦長の透明のもの(白く写っているもの)が原点の目盛りであり、水晶でできている。

20110527_011.JPGその前にはコレが置かれていて、覗くと
20110527_009.JPGこう見える。水準測量の例なんだろうと思い込んでいたが、なんのために、どうやって使うのかの説明をしてもらえばよかった。

真裏に回る。
20110527_005.jpg裏側には、表側よりも大きな扉がついている。先の、水晶が埋め込まれた石は舟形をしていて、そのお尻の部分に「明治二十四年辛卯五月建立 陸地測量部」とある。説明員は「辛卯」を読めないし説明できなかったのだが、それじゃいかんだろう。1891年(明治24年)の干支だ。

この「明治245月」が重要。それにちなんで、水準点が24.5mに設定されている。しかし、関東大震災で地盤が沈下したため、先の水晶の目盛り「0」の位置が24.414mになってしまった。現在は、ここから水準測量で各地の水準点の高さを定めている。建前では。

今回、私が滞在していた20分くらいの間で「東日本大震災の影響で、この水準原点が動いたりしなかったのですか?」という質問を5回は聞いた。「まだ精密な測量をしていない。すべてはっきるするのは9月頃になるのではないか」ということだ。同じことを繰り返し説明しなければならない説明員にちょっと同情する。


20110527_004.jpgこの水準原点が、どのように地盤に固定されているかを図解したもの。煉瓦積みなんだ…。































20110527_010.JPGさて、テント内には関連した掲示がいくつかある。ここで、「標高」について説明していた説明員が、しれっと「ジオイド」という単語を発していたが、ふつうの人は理解できないでしょ…。

20110527_008.JPG陸地測量部。映画『剣岳 点の記』の原作を読む際には必要かも…。

20110527_007.JPG「今に伝わる明治の測量標識」」。へー。。。



いままで何度か機会があったが、「こういうものがある」と知っていればそれでいいとも思っているので、スルーしていた。でも、GPSを使い始めてから、見るのは義務であるような気がしていた。おもしろいものだ。

見たからどうだということはないけれど、「見たことがある」と言えるようになった。ついでに、憲政記念館前の道、いつもバイクや自転車で通っている道を歩いたということが嬉しかった。






カリマー ZOOM コーティングの劣化と破損

カリマー ZOOM コーティングの劣化と破損

独言・日記

20110525_000.JPG

以前、ザックのカビという記事を書いた。これは、もう15年ほどもプラケース内で保管していたものだったので、こうなるのもむべなるかなと思うのだが、そこそこ日常的に使っていたKARRIMORのZOOMというウエストバッグも似た症状となり、しかも底が裂けてしまった。

このウエストバッグはデイパックに変形するもので、上の写真の上面のファスナーを開けると容積が拡大される。
20110525_001.JPGこのように。

このウエストバッグを先の週末の氷見ツーリング(帰りは土砂降り)で使ったのだが、帰宅して見ると、中に入れていたビニール袋に消しゴムのカスみたいなのがたくさんついている。もしや…

20110525_003.JPGやはり。内側のコーティングが剥げていた。水色の部分も、黒い部分(厚い)も。

汚れてしまったこともあり、風呂場でバッグ全体の洗浄を兼ねて、この部分を洗い流す。すると、縫合部が裂けてしまった。上の写真でも写っている。

20110525_002.JPGこんな。

カリマーよ。。。

いつどこで購入したかは覚えてないが、2001年から2004年の間であることは間違いない。基本的に街中でしか使っていないのに、10年ももたずにこんなになるのか。

縫い合わせることもできるが、寄りによって裂けたのは底なので、ちょっと怖い。どうしようか考えあぐねている。


No Image

オリジナルへの敬意

独言・日記

『雑誌の写真を出典なしでネットに』というまとめがある。これについて書く。

ざっと読んでいただきたいが、簡単に言うと
・福井氏が何の気なしに、週刊新潮に掲載されていた写真をtwitpicにアップ
・新潮社なかしまさんが「出典を入れて」と要請
・外野が「出典入れろ? こんなものはフリーで流通させるべき!さすが出版社、古すぎる!」と暴れ出す
・なぜか、博士号まで持ってる人や東大教授が出てきて外野の見方となっていく
という流れ。

私が問題と考える点は三つ。
(1)F氏および外野は、オリジナルに対する敬意が微塵もないこと
(2)明確な「公衆送信権の侵害」であること
(3)そもそもの「写真」がどういうものであったかが、蚊帳の外になっていること



(1)は、丸田祥三氏の風景剽窃裁判に関することで、何度も書いてきたことだ。文章にしろ写真にしろ、あらゆるものは、先駆者の成果を踏み台にしてできている。だからこそ、先駆者へのリスペクトは忘れてはならないと考えている。

(2)を「違う」と考える人は、それなりの数がいる。そして、それを「侵害である」という意見を「古い」「いまのネットの世界では、そんなことはない」というような理屈で塗り固めてしまう。恐ろしい勘違いだ。
「宣伝効果があるから、13万ビューもあれば売上にも貢献したはずだろうから、いいじゃないか」という、一見、正しそうな理屈がある。でも、全然関係ないよ。考え方が新しい/古いも関係がない。パブリック・ドメインにして放流するかどうかは、著作者だけが決めることができる。

(3)が本質的な問題かもしれない。

私にとっては気持ちが悪い「外野の意見」、すなわち「価値があれば、必ずリファーされます」(理化学研究所・藤井直敬氏の言葉、削除済み)、「新しいメディアと消え行くメディアの違いですね。」(東京大学教授・池上高志氏の言葉)という話にすり替わった時点で、元の写真は、相当に不幸だった。写真の価値、記事の価値はまったく文脈に登ってこなかった。

これは、丸田氏の風景剽窃裁判を、「同じ場所で撮ったらダメなのか」という文脈で捉えてしまうのと極めて同じ構造だと考える。週刊新潮も、丸田さんの裁判も、そんなことは言ってないし、本質ではない。ただし、丸田さんの裁判では、幸いなことに常に丸田さんの作品と小林氏の写真が参照されている。裁判には否定的な見方をする人でさえ「作品にしろ話の筋にしろ、オリジナルである丸田氏のほうが圧倒的に素晴らしい」という感想を持つほどに、参照されている。だから、本質を見誤る人は、週刊新潮よりも相当に少ないと思う(とはいえ私の印象では過半数は見誤っている)。


一連のやりとりで、素晴らしかったのは、新潮社なかしま氏の最初の一言だ。

お読み下さりありがとうございます。できましたら出典を明記してくださいましたらばなおありがたかったです。

これは、上記のような問題、メディア新旧論やネットで話題になるなら宣伝になるだろ論、そうしたことすべてひっくるめて、ここを落としどころとする判断だったのだと思う。この素晴らしい落としどころは、しかし、アップした本人にも「外野」にも、まったく伝わらなかった。大変に不幸なことだ。

ここで、アップした当人・福井氏がそれに応じ、新潮社に対してコメント(詫び)をし、新たに記事に対する感想を書き始めたら、そこに成立するのはプチ炎上ではなく美談である。嫌いな言葉でいえば、ウイン-ウインになったはずである。


ああ、ああ。この問題の根深いところは、(3)について書いているつもりが、すぐに別の話題にすり替わってしまうことだ。結局、オリジナルの写真および記事がなんなのかの議論はトゥギャッターのコメント欄にもない。トゥギャッターは恣意的なまとめだから、ここに転載されている人たちも、別の場所ではツイートしているのかもしれない(実例は知っている)。願わくば、このトゥギャッターがきっかけで、オリジナル(週刊新潮)がリファーされんことを。




玉蔵橋(岐阜県中津川市)

玉蔵橋(岐阜県中津川市)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



20110525.jpg
木曽川にかかる玉蔵橋を上流右岸から。

この橋を目的に行ったのではない。向こう側に見えている、
北恵那鉄道 木曾川橋梁を見に行ったのだ。そしたらたまたまあった、というだけの橋だ。

上路カンチレバートラス。国道20号大月橋(山梨県大月市)ゲルバートラス桁と同じ形式であるが、なぜかまったく萌えない。なぜなんだ。まったく分析できないので、なにも書けない。写真も、木曽川橋梁最優先だったのと、時間がなかったこともあり、これしか撮っていない。



帰宅後、ちょっとググったら、この橋の旧橋を紹介しているサイトがあった。

「中津川市 その周辺の自然と文化」

上記サイトによれば、なんと旧橋は「連続補剛桁」とでもいおうか、吊橋の補剛桁を中間で受ける橋脚を持つ、異様なスタイルのものだったという。すばらしい発見。こんな吊橋、他の例はないのだろうか?

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