![]() 坑門は下見板張りのような意匠がコンクリートで作られており、天には笠石のような意匠もある。アーチには要石はない。「新段嶺トンネル」は、見れば見るほど、教科書的な「撥ねてはいけない場所」が撥ねてたり、「ト」のタイル内の位置が微妙におかしかったりする。 そして、その南側に… ![]() ![]() ![]() 坑門はコンクリート。アーチの意匠はない。扁額はすごく小さく、右書きで「段嶺隧道」と書いてある(のだろう、達筆すぎて読めない)。 ![]() ![]() 気になったので、渥美半島に行ったときに、一カ所、近づきやすい場所で覗いてみたところ、上の写真のように豊かな水量だった。用水の両岸には、盛りを過ぎた桜。さぞかし観桜の適地と思いきや、どうもそういうことが行われている雰囲気はない。なんともったいないことか。用水の中には、体長50mを超す太い鯉が、悠々と泳いでいた。 写真の「奥」に、水路隧道が見える。 ![]() 豊川用水東部幹線水路 長沢第二トンネル とある。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() * * *
豊川用水についてはあまり優先順位を高くせずに行ったのだが、帰ってきて5mメッシュ標高データで渥美半島を見ると、大失敗だということがわかった。見所はこんなところではないのだ。 ![]() 右の「山」と左の「山」を結ぶ形で、水色の点線がある。それが豊川用水だ。山裾では開水路となっていて、平野に下りると水路隧道となる。…あれ? 逆ならわかるのだが。 豊川用水は、「谷」に相当する部分は地中に潜り、サイフォンの原理で「対岸」に吹き出してまた開水路となっていたのだ。これは気づかなかった。現地に行く前に25000地図は見ていたのに、「等高線をなぞっているのだろう」と高をくくり、きちんと見ていなかった。 これは、サイフォン構造を見に行くしかあるまい。次回はいつ行けるだろうか? なお、革洋同さんより、豊川用水は世界銀行の融資を受けるような国家的事業だったとご教示いただいた。 wikipedia:豊川用水 大きな地図で見る 自動車の積み出し港として知られる三河港に、埋立とともに敷設された東三河臨海道路。この道路とその東に並行する国道を結ぶために、海上にダイナミックな全Y型のジャンクションがある。残念ながら上から眺めることができる場所はないのだが、港湾事務所のあたりから眺めた。 ![]() ![]() ![]() 足場が限られる上に規模が大きいので全然ダイナミックな感じで写せていないが、このように、桁は自由にカーブを描いて海上を舞っている。桁は、ルートによって青、赤、黄、緑に塗り分けられている。 ![]() ![]() ![]() P-11 橋脚 1988年3月 事業主体 愛知県 施工 青山建設(株) ![]() 1988年3月 愛知県建造 道示(1980) 一等橋 使用鋼材:SM53 SS41 SM50Y 製作:東海鋼材工業株式会社 塗装表記は主要部分のみを。 塗装年月 1988年3月 下塗 東海鋼材工業(株) 中上塗 (株)第一塗装店 ![]() 1989年3月 愛知県建造 道示(1980) 一等橋 使用鋼材:SM50Y、SS41 製作:トピー工業株式会社 塗装年月 1989年3月 工場塗装 トピー工業株式会社 施工者 墨田塗装工業株式会社 トピー工業の豊橋製作所(のうち、現在の日鉄トピーブリッジだろう)は、この港大橋のすぐそばである。これだけの桁の本数であるからそこに一括発注はしないだろうが、こうして地元の企業から調達している橋を見ると、なんだか嬉しくなる。 この港大橋、「黄色の2車線桁」には歩道があるが、なかなか全貌を見渡すことはできないようだ。 ![]() 近年、急速に国土地理院の空中写真をWEBで閲覧できる環境が整ってきている。元来、空中写真は測量のために真俯瞰で少しずつ隣接する図郭と重ねながら撮られたもので、当然、遠近感のために四角に行くほど建物が外側に倒れ込む。それを「うまく」つなぎあわせ、連続した一枚のばかでかい写真のように扱えるような加工が進んでいる。国土地理院のものは「タイルマップ」と呼ばれる方法で作られている。 これはWEBブラウザでももちろん見ることができるが、個人的にはKasimir3Dの「タイルマッププラグイン」で閲覧すれば、現在の地図や他の時代の空中写真と半透明にして重ねたり、標高データ等と重ねたりして閲覧できるので、これを強くお薦めする(冒頭写真)。 ![]() ![]() その後、竹内さんは『地図で読み解く東京五輪』(竹内正浩著/ベスト新書)を上梓し、そして今回、『写真と地図でめぐる軍都・東京』を完成させた。著者いわく「大戦前後の東京をテーマにした三部作」。この3冊は、末永く、貴重な資料として残るに違いない。ただ、2冊は新書であり、書店に長期在庫したり、古書店で大切に扱われる体裁ではないので、いまのうちに、全国の図書館はすべて入手しておくべきだと思う。 ![]() さて、本題に入る。本書『写真と地図でめぐる軍都・東京』は、『空から見る戦後の東京 60年のおもかげ』で掲載した「1948年の空中写真」よりさらに前、主として1945年前半に撮影された、戦中の空中写真を読み解く。空襲の跡や建物疎開は1948年のものよりも生々しく、そこに記録された瞬間は、1948年の瞬間と見比べることでも、また非常に興味をそそる。なにしろ、1948年の空中写真には、軍の施設は名称としては存在せず、かわりに在日連合軍の施設があったり、すでに新たな施設ができているのである。 残念ながら、版元のサイトには内容紹介の写真がないので、竹内さんがアップしたものをリンクする。
個人的に興味深いのは、都心部ではなく辺縁部。中野、立川、相模原、横須賀、津田沼だ。横須賀の空中写真には、他の物件と同化して気づきづらいが「戦艦長門」がプロットしてある。空中写真が「瞬間の切り取り」であるのは2015年2月の『空モノナイト』で私も話したが、つまりはこういうことだ。 個人的には軍の施設の遺構にはあまり関心を持っていないのだが、それでもこれだけのものが現在も何食わぬ顔で街中に潜んでいるということに驚く。そしてそれは、たぶん、若い頃の知見ではまったく重みを理解できず、ある程度年齢を重ね、知識を蓄積してこそ、興味を向け、さらに読者が自分の知見を重ねることができるものでもあると思う。そういう意味で、もし若い方が本書を読んだら、10年後、20年後に、それぞれ読み返してみるといい。きっと、「こんなことが書いてあったのか!」と、一度読んだものにも関わらず、新たな発見がたくさんあるだろう。また、本筋ではないのだが、軍需くらいの市町村合併があったことは、本書で初めて知った。こういう知見も、トータルで全国を知っていないと気づかないものだと思う。 私が驚いた点を書いてしまうとネタバレになり、本書を読まなくてもいいや…と思われてしまうと困るので、それは控えておくが、とにかく著者の膨大な知識による観点と、著者ならではの発見が、簡潔にまとめられている。 本書を傍らに、カシミール3D(冒頭)で「空中写真(1945)」(とはいえ1948年前後の終戦後の写真)を閲覧すると、本書に収録されている以外(「収録できなかった」というべきか)の、自分なりの発見が多数あることだろう。 |
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