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『五千分一東京図測量原図』など明治以降の地図のアーカイブ

アーカイブ/資料/自分用メモ

偶然、国際日本文化研究センターのサイトにおいてある、所蔵地図データベースを見つけて驚いた。陸地測量部が明治初期に東京都新を測量して作製した5000分の1地図があったりするのだ。

例えば、早稲田周辺。この図は明治16年測量。

(例)五千分一東京図測量原図(東京府武蔵国北豊嶋郡高田村近傍)

都の西北早稲田の杜には、開校したばかりの東京専門学校がある。その隣には大隈邸。江戸川公園にも永青文庫はなく、細川邸しかない。細川邸の東、現在の椿山荘の位置には山縣邸がある(椿山荘は山縣有朋が作ったものであるから、当たり前)。神田川は江戸川である(この区間が「神田川」となったのは1964年)。

…というような気づきが山ほど出てきて時の経つのを忘れてしまう。


個人的に重要なのは、陸地測量部の5000図と5万図。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/rikuchi.html

人によっては吉田初三郎の鳥瞰図のほうがうれしいかもしれない。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/yoshida.html

いろいろな検索ができるので、ぜひご覧いただきたい。


この日文研にあるのは、地図データベースだけではない。さまざまなものが統合されてオンラインで提供されている。

http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/database.html

これらの中で、『近世畸人伝(正・続)』にひかれた。これはいまから30年ほど前、読売新聞日曜版に、この書を元にした奇人伝が連載されていたことで記憶していた書名。もっとも、いま、いちいち読む気はない。上記の地図のほうがはるかに楽しい。


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中央本線須原駅 災害用桁(ポーナル桁)

中央本線須原駅 災害用桁(ポーナル桁)

鈑桁(プレートガーダー)

中央本線須原駅のポーナル桁の続き。

2010年1月、中央西線に乗った際に見つけた須原駅の予備桁。

20090113.jpg(そのとき、列車内から撮影)

それを間近で見てみた。
20110519_004.JPG駅前から見ると、こんな感じ。
プレートガーダーとしては小さなものだけれど、手前の軽自動車と比べればかなり長い、大型トラックに1本、載るかどうかという大きさではないだろうか。

奥に保線用車両が見えることから、ここ須原はそうしたベースなのだろう。

20110519_003.JPG別角度。桁は、古くなったPC枕木に載せられている。

20110519_000.JPGプレートガーダーのシチサン写真なんて、なかなか撮れるもんじゃない。とはいえ、桁は高い位置に置いてあるので、見上げたような形になってしまう。

20110519_001.JPG断面。左右の主桁をつないでいるのは□型のブラケット! これは小野田滋氏の『鉄道構造物探見』で見たことがある方も多いのではなかろうか(掲載されているのは別の橋梁)。

同書によれば、これは作錬式というもので、日本で初めての標準桁(当時は「定規」と言った)である。材料は錬鉄。

この□型ブラケットのコーナーを拡大する。
20110519-999.jpg水平部分と垂直部分、そしてそれを結ぶコーナー部は、一枚の鉄板をくりぬいたものではなく、帯材を溶接したものに見える。そして、主桁内側は、□型ブラケットと、垂直の補剛材(スティッフナー)が交互に設置されている。

外側もそれに近い。
20110519-998.jpgスティッフナー両側にリベットがあるものと、片側にしかないものが交互にある。

このスティッフナーは、ポーナル桁の特徴である〔型をしている。

20110519_002.JPG塗装標記。真正面から撮っていないのは、敷地に入ってしまうから。

(右側)
1.記号番号 名災-10
2.所在 木曽福島工務区
3.支間 12M8
4.強度 KS-11.4
5.重量 7t555

記号番号から、こうした桁が名古屋の管理下で最低でも10本、あることになる。また、強度(活荷重だろう)がKS-11.4と、国鉄制式からはずれているのが、おそらくヤード・ポンド法の時代の名残と見え、年代を感じさせる。

(左側)
塗装年月 2004年8月
塗装回数 3回塗
塗装種別 下塗 シアナミド鉛さび止めペイント
及び塗料名 中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料メーカー 大日本塗料株式会社
施工者 株式会社 鈴木塗装工務店

こうした桁も、塗装をして維持しているということに、まあ考えてみれば当然なのだが、驚いた。


この桁の「向こう側」は駅の敷地内、というよりも業務用エリアなため、立ち入っていない。そのため、銘板がついているかどうかは不明であるが、前回の記事の写真を見る限り、銘板はなさそうだ。


川跡からたどる東京・江戸案内(菅原健二)

川跡からたどる東京・江戸案内(菅原健二)

土木・地図の本

20110517_000.JPG『東京ぶらり暗渠探検』を刊行した洋泉社から刊行された『川跡からたどる江戸・東京案内』。編著者は菅原健二氏、『川の地図辞典』の著者だ。クレジットを見ると、もう一人長田ゆき氏という著者がいて、ともに東京都中央区立京橋図書館に勤務している。会社の近くだ、というか何度も利用している。

私は大きな勘違いをしていた。この本は、埋め立てられてしまった河川を土木的な観点で解説するものではない。ここにこう水路があって、それがいまはこうなって…というものではない。タイトル通り、「江戸・東京案内」なのである。内容は、何年に誰が何をした、何年にはこうなった、当時の様子はこうだった、と文章で書き連ねてある。


私の勘違いは勘違いとして、私の観点で書く。

この本、明治時代の地図が適当に載ってて、すでに埋め立てられてしまった河川について載ってそうだから買ったのだが…あまりに図版が少なすぎる。著者は地図を見ながら文章を書いているのだろうが、その地図を読者にも見せてよ。

一体、この本に書かれている内容を、地図を見ずに位置関係を把握できる人間が何人いるのだろう? 現存していない地名を羅列するのであれば、図版としては、「現在の地図」と「現存しない地名が書かれた地図」を併載し、さらにそこに川の跡をプロットするのが筋だろう。そういう地図がないわけではないが、それがあまりにいい加減な地図なのである。明治13年測量の地図などもあるのだが、縮小しすぎて読めない。現在の道路や地名との比較がないので、それとわからない。地図はほぼすべて「京橋図書館蔵」なので、そうやってコストを節約したのではないか。

では、と自分で記載事項を頼りに地形図に川跡をプロットしようとしても、現在の地形や地名とは大きくことなっているので、どこにプロットしていいかわからない。やはり、当時の地形図が掲載されていることが重要なのである。本書は、東京の消えた地名まで完璧に把握した人物を読者として想定している本になってしまっている。

単価が数百円あがってもいいから、きちんと図版を入れて欲しかった。それにつきる。


また、明治時代の地図に付された注記が解せない。
「明治13年測量の…」とあるのだが、そこには、当時開通していないはずの鉄道や駅があり、当時はないはずの市街地がある。測量と編集は、完全に分けなければならない。測量など、とくに古い時代はしょっちゅうするものではない。一度測量した結果を延々何十年も使って、そこに「編集」として資料や現地調査から地図を作り上げていく。だから、昭和も50年代になっても、山間部などは明治時代に測量したものをベースにした地図しかなかったりするのだ。ここは「測量年」ではなく「編集年」を記載すべきだ。



一方、先日、白水社から刊行された今尾恵介氏の『地図で読む戦争の時代』を入手した。今尾氏の著作は主観で自分の意見を述べるものもあるのであまり期待していなかったのだが、さにあらず。いま読んでいるのだが、地図の本ではなく、地図を見続けた人ゆえの思想を語る本のような気がしている。レポートはいずれ。

日本石油が染みこんだ壁

日本石油が染みこんだ壁

ENEOS/日本石油

先日、土砂降りの中、クルマで北陸道福井北ICから国道416号を東へと走っていた。目的地はえちぜん鉄道永平寺口駅。ふと、左手に廃ガソリンスタンドがあった。

といっても計量器はすでになく、防火壁があるのみ。しかも、一面だけ。

20110516_000.JPG
場所は記憶にないが、タイムスタンプからすると、えちぜん鉄道小舟渡駅よりも5分ほど西側のはずだ。背後は川ではなく泥田。

この壁。モザイクがすてきだ。そこに紅一点、日本石油のライジングサン。

逆から。
20110516_001.JPGこの、唐突に壊されたような印象の壁が雨に濡れそぼっており、重みがあった。壁にものが掛けてあった跡や壁の前にものを置いていた跡に、この壁が重ねた年月を感じる。

振り向くと、こんなだ。
20110516_002.JPGこの温室のようなものはなんだろう。そういえば、給油所には、こうした温室があるなあ。

この写真でいう温室の左側、おそらくそこにもかつては防火壁があったのだろう。ここから先は推測だが、営業中は窓を開けても防火壁の裏側しか見えなかった隣家が、給油所が休業するにあたり、懸案事項であった日当たりを解決するために、この部分の防火壁のみ、取り払ったのではなかろうか。そして、壁の断面をよく見ると、コンクリートブロックが覗いている…。

その手前の三和土のような部分はなんだろう? 以前はサービスルームがあったのだろうか。いずれにしろ、いまはすべて過去の形となっている。入口にロープを張ったりしてないので、じっくりと観察できる。これがいちばんの魅力かもしれない。



大木茂『汽罐車』

大木茂『汽罐車』

鉄道の本

20110515-999.JPG気になっていた、大木茂氏の写真集『汽罐車』を買った。本の詳細はこちら

この写真集を知ったのはどこだったか。どなたかのツイートだったと思う。まだ刊行前の頃だ。この写真を見て、吸い込まれた。買う!


ビニールにくるまれていた本を、深夜、心してテーブルの上で開封する。まずはカバー回りをなめるように見る。美しい。帯には、多くの作品を共にした、俳優・香川照之氏の言葉がある。まず、その帯を外してみる。
20110515_001.JPG.

そして、カバーをはずし、本体表紙。
20110515_003.JPG本体表紙は、もっとも自由奔放なページだ。商業的なもくろみもなく、デザイナーがいちばん遊べるページ。本体表紙については、かつてこちらに書いた。→丸田祥三『棄景V』『棄景origin』


カバーを戻し、表紙をめくる。そこには見返し。見返しは手触りを楽しむ。本扉は…前述のリンク先。この本扉だけでもうお腹いっぱいになる。氏、23歳のときの作品。

ページをめくる。いちいち、次のページに行くのに躊躇する。なんというか、次々にページを繰ることが、作品を消費してしまうような気がしてためらうのだ。次にどんなすごい作品が来るのか、どう裏切られるのか。

写真は144ページ、153点。私が見入る作品の傾向は、黒が美しいもの。撮影した時代が感じられるもの。これを、香川氏は「匂う」と表現している。的確だと思う。なので、C62重連ニセコの銀山峠などは、失礼ながら、あまり興味をそそられない。


もっとも美しいと思った作品は、128番浜小清水の流氷の朝。これは、本文(モノクロ20ページ)で大木氏自身の印象も強いそうで、私の、作品を見る目もそう変な方向を向いているわけではないと思う。

もっとも匂いを感じた作品は、49番野辺山。C56が未舗装の道路をバックで横切る作品(←リンク先の3枚目)。未舗装の道路が若い時代の光景のひとつだった私にとっては、こうした作品にグッと来る。なにより、夏の匂いを感じる。広田尚敬氏の作品にも、9600が北海道の未舗装路(遮断機なし)を横切る作品があるが、それも好きだ。

もっとも旅情を書き立てられた作品は、67番の抜海。

明るさと広さを感じた作品は、82番の香月と、133番沼ノ端。

人物を主題とした作品も多いが、あまりに完成されすぎていて、別の言い方をすれば本当に映画のスチル写真なんじゃないかと思うほど完璧なので、私の「引き込まれる度」でいえば上の作品たちに一歩譲る。



いま、「映画のスチル写真なんじゃないか」と書いたが、大木氏はスチル写真家である。とはいえ、大木氏のお名前はほうぼうで目にしてはいたが、映画のキャメラマン・木村大作氏と組むスチル・キャメラマンだとは知らなかった。目にしていたのは、こうした写真だ。
20110515_000.JPG(RailMagazine1991年6月号表紙)

大木氏といえば、この「ズーム流し」。露光中にズーミングする手法で、大木氏オリジナルとのこと。被写体が止まっているものに対する露光間ズームとは違い、走行中の列車に対してズーミングすることで流し撮りに見せるわけだ。もっとも、偶然にも広田尚敬氏も、広田泉氏も、それぞれ独自にその手法を使っていたというから、機材に対する研究心の塊のような人ならば到達する技術なのかもしれない。

また、この写真集に収録された作品は、1963年から1972年の間に撮影されたもの。大木氏は1947年生まれなので、16歳から25歳の間に撮影されたものだ。その撮影行は本文に詳しく紹介されているが、若くしてこの作品はほんとうにすごいと思う。



これだけの写真集が、3990円。鑑賞後、感じたのは「安い」。買うべし。

ステンレスとグラインダー

ステンレスとグラインダー

スーパーテネレ・テネレ700

約1年前にオーバーホールしてから、結局1000マイルも乗ってない。やっと今日、オイル交換をした。ついでに、懸案事項だった、ゆがんだままのシフトペダルを交換した。

ペダルの交換は、以前もしてみたことがある。しかし、新品のペダルはアンダーガードに干渉してしまう。これは、アンダーガードをワンオフで作ってもらうとき、ゆがんだペダルをつけたままバイク本体を預けたためで、ゆがんだものを基準に完成してしまったからだ。

作ってもらったのは千歳烏山の清水工業所。オーナーの清水さんもバイク好きで、バイク雑誌に関わっていたときに随分とお世話になった方だ。そこで、個人的に作っていただいたのがアンダーガードだ。製品サンプルのページにある。4mm厚のステンレス製だ。



かれこれ7~8年、ゆがんだペダルのままでバイクに乗っていたのだが、シフトチェンジもしづらいので交換することにした。純正のアンダーガードは、シフトペダルとクランクケースの間には入っていないのだが、このワンオフものは入っている。
20110513.jpg対処としては、アンダーガードを削ればなんとかなると思っていた。いろいろ削ってみた。しかし、まったく埒があかない。そのため、アンダーガードを切り取ることにした。

297982012.jpgアンダーガードを取り外して改めて気がついたのだが、ノーマルのアンダーガードはペダルとクランクケースとの間には入り込まない。忘れていた。その証拠として、ペダルがクランクケースと擦れた跡が無数にある。

297995757.jpg297980696.jpg下2枚の写真のように切り取った。これでストレスなくシフトチェンジができるようになった。勝手に切り取ってごめんなさい、清水さん。



『日本初の私鉄「日本鉄道」の野望』中村建治(交通新聞社))

『日本初の私鉄「日本鉄道」の野望』中村建治(交通新聞社))

鉄道の本

交通新聞社新書の『日本初の私鉄「日本鉄道」の野望』(中村建治著)を読んだ。私のTL上では概ね好評か、好意的に迎えられているようだ。

20110510.jpg

私としては、本の完成度がとても低いと感じた。素材はとてもいいはずなのに。

内容、エピソードのひとつひとつはきっちりと検証している。登場人物も、そのとき何歳でどういう経歴の人かをきちんと書いているから、とてもわかりやすい。でも、単にそうしたエピソードを箇条書きに羅列しているだけ。挙げ句の果てに、下手くそな小説仕立てにしてしまっているため、おそらく膨大な資料を参照して検証された事実が、フィクションであるかのように見えてしまう。「ダイヤ作成の秘話」でお馴染みのお雇い外国人・ページのエピソードも入っていて、私はそれが誤りだと検証されているものを読んでしまっているのでますますいい加減な本に見えてしまう。(『日本の鉄道をつくった人たち』(悠書館)参照)

本書の書き出しは、青森までの全通から始まっている。小説仕立てで、18ページ目(本文1ページ目)では主人公である二代目社長・奈良原繁が開通一番列車に乗っている。その後、会社設立の経緯、まずは熊谷までの開業、高崎、仙台、などと帰納法のように展開していき、青森までの全線開通は単なる時代の一点として通り過ぎ、鉄道国有化まで行ってしまう。196ページで、ようやく冒頭の数日前の描写になる。その後、わずかなページで現・常磐線や東北新幹線に触れ、本書は終わる。なんだこのジェットコースター展開は。

小説仕立てが下手くそで困ったのは、『余部鉄橋物語』(田村喜子著/新潮社)も同じだ。どちらも、書き手が小説家でないものだから、台詞がすべて単なる説明なのだ。また、伏線というか、物語のつながりがない。本書22ページで、仙台開通記念式典が冬になったことを「あのお方のせいだ」といい、その伏線を回収するのは166ページである。しかも描写は重複している。

また、著者が撮影したという写真があまりにも下手くそすぎる。いまどき、携帯で撮ってももっとうまく撮れるしシャープに写る。なぜピンボケ写真がたくさん掲載されているのか。もしかしたら、版元のせいかもしれないが。私が担当だったら、著者が撮った写真は使用せず、別に手配しただろう。



まだ買う前の方。wikipediaの日本鉄道の項目鉄道国有法の項目を読めば十分です。








野尻向橋の旧道?の橋跡(長野県)

野尻向橋の旧道?の橋跡(長野県)

吊り橋

野尻森林鉄道 木曽川橋梁(長野県)
野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)の続き。


現在、上記地図の中心点には「野尻向橋」がかかっている。下記写真で手前に見えている橋だ。
20110508_R000.JPG.

その橋に立つと、すぐ近く怪しげな痕跡が見える。

20110509_000.JPG(右に見えているのが野尻向橋)

いかにもここに橋がありました、という感じ。周囲は少し盛り土してあり、ここがT字路になっていた。対岸には、この橋跡と対になるような痕跡と、その左側に吊橋の主塔が見えた。
20110509_001.JPG.

となると、親柱が残っているのは旧橋、主塔が残っているのはさらにその旧橋ということになろうか。旧橋の橋台の左側には、川に降りる階段のようなものが見える。

20110509_002.JPG主塔をアップ。コンクリート製。阿寺橋の旧旧橋の主塔は木製だった。



対岸に渡る。
20110509_003.JPG対岸はこんな感じの広場が広がっている。その中に屹立する主塔。

20110509_004.JPG横から近づく。どうも、主塔の周囲だけ灌木が生い茂っているように見える。

20110509_005.JPGこのように、樹木を口にくわえたような格好で立っている。銘板類はないようだ。

20110509_006.JPG主塔の下から川際に出る。さきほどいた対岸が見える。しかし、吊橋の主塔は見えない。撤去されてしまったのだろうか。

20110509_007.JPGさて、もうひとつの怪しい橋。
床版と橋脚の隙間が吹き抜けになって折らず、シェルターのようになっている。

20110509_008.JPGその上に上がると、現在のクルマでは曲がれないのではないかと思えるくらいに床版がカクッと曲がっているのがわかる。なんだ、この線形は。



古い航空写真で確かめた。青い矢印は野尻森林鉄道の木曽川橋梁。

20110509_map2.JPG国土変遷アーカイブより1947年撮影)赤矢印の部分が、この吊橋だろう。野尻森林鉄道の線形がくっきりと見えているほか、右下の野尻駅、左下の謎のループ上の線形(これはいまもある)も明瞭だ。

20110509_map1.JPG国土変遷アーカイブより)
1977年となると、すでに吊橋ではない。いまは撤去された橋に移行している。

その吊橋の現役時代の姿が、やはり『写真で見る100年』にあった。

20110509_010.jpg「野尻向橋 大正10年頃」というキャプションがある。その向こう側では、何をしているのだろうか。

旧橋を建設中? この旧旧橋の主塔がコンクリート製であるということは、その建設はせいぜい大正時代に入ってからではないかと思うのだが、大正10年には早くも旧橋に架け替えに着手するというのはちょっと考えがたい。

となると、見えているのは建設中の橋ではなく、単に桟橋に荷物が積み上がっているだけではないか? 
旧橋は、その桟橋状のものを転用して架けられたのではないか。

階段が湖底に続いているようにも見えるが、なぜかこの階段は、現在残っているものよりも角度が相当にゆるい。現在残る階段が何のためのものなのかは不詳である。


野尻森林鉄道 木曽川橋梁(長野県)

野尻森林鉄道 木曽川橋梁(長野県)

プラットトラス

野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)の続き。

このIビーム桁が見える場所で逆方向を見ると、このような橋梁が鎮座している。
20110508_R000.JPG左岸(画面右)から上路ワーレントラス、下路プラットトラス、上路プレートガーダー×3。

20110508_R001.JPG近づくとこのように見えてくる。築堤は間違いなく林鉄のものだが、切り下げられ、橋梁だけが高みに取り残されている。

20110508_R006.JPG橋台だったものの裏側。本来ならば築堤の中に埋まっている部分なので、なかなか見る機会はあるまい。画面右側についている三角形のものは築堤の断面を押さえる翼壁。これも、本来委は土に接している面が露出している。

20110508_R005.JPG上路トラス全景を真横から撮った写真が手ぶれしていた…ので、別カットを。

この形は、同じ野尻森林鉄道の多の橋梁や木曽森林鉄道鬼淵橋梁でも見られる。当時、日本橋梁が作っていた規格品なのだろうか。

また、枕木が存置されているのがわかる。

20110508_R004.JPG上路トラスの真下。下横構を構成する、格点を対角線上に結ぶ部材が、向きによって格点の上、下それぞれにそろえられている。

20110508_R002.JPGトラス橋真正面。端正、かつ細い。直線的な印象が強い。


20110508_R007.jpg10パネルのプラットトラス。端部のパネルには、斜材のようなコリジョン・ストラットを備える。

全体的に華奢な印象。部材の細さはまるでアメリカ式のピントラスのようだ。これは設計活荷重が比較的小さいからか。

20110508_R003.jpgそして銘板。
大正十年四月
日本橋梁株式会社
製作
大阪

先の野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)と同じ形状をしている。


この橋梁については、他にすばらしい発表記事がいくつもあるので、そちらを参照された。


野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)

野尻森林鉄道 Iビーム桁橋(長野県)

Iビーム桁

20110507-02.JPG
近くには有名な野尻森林鉄道木曽川橋梁があるが、そこを目指して野尻駅から道を下ると左手にこのプレートガーダーが目に入る。場所はここ。


小さな架道橋である。いまは築堤に電柱が立ち、放置されている。道路から見えるくらいなので、近づくのは容易だ。

20110507-01.JPGこんな感じで電柱が立ち、それを支えるというかテンションをかけている索が2本。街中の道路にあるように、下部をトラ塗りのプラスチックカバーで律儀に覆っている。こんな場所をクルマで走る人はいるまいが、決まりなのだろう。

20110507-05.JPG角度を変えるとこんな。

20110507-03.JPGIビーム桁。2本のIビームを上面と下面に梁を渡して接合している。スパンは3mくらいか。

20110507-04.JPGきちんと銘板がついているのが嬉しかった。

大正十年四月
日本橋梁株式会社
製作
大阪

この銘板は形状がおもしろい。車名を囲む枠の底面が下に膨らんでいる。その台座は、上底が上に膨らみ、下底が上に向かって凹んでいる。ざっと検索すると、大正十三年製の銘板にはこの形状を確認できた。大正十四年製のものは長方形になっていた。この時代だけのものなのかもしれない。

サイズは小さい。Iビームの側面についているものなので、横幅20cmくらいのものか。よくぞ盗まれずにあったものだ。この銘板を撮影するには橋台ギリギリから体を乗り出さねばならない。高さは4~5mはありそうなので、ちょっと怖かった。


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