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身延線 笛吹川橋梁

身延線 笛吹川橋梁

プラットトラス

国道140号旧道(多分/山梨県市川三郷町)の続き。身延線の笛吹川橋梁について。場所はここ。


20101207-09.JPG前記記事の場所で全景を写すとこうなる。画面左が甲府、右が身延・富士。富士側から62フィート10インチの鈑桁3連、154フィートのトラス桁4連。

身延線は全線、富士身延鉄道が開通させたもので、この区間は最後の開通区間となる。市川大門から甲府間の開通を以て、現在の身延線が全通したのだ。身延以北は政府が建設するとの話もあったことからか、規格は国鉄(当時は鉄道院)のもので建設され、この笛吹川橋梁も、設計は鉄道院の規格のようである(『歴史的鋼橋集覧』にそのような推定がある)。

笛吹川は富士川の支流。山梨市駅真北の国師ヶ岳の東面に発し、国道140号秩父往還に沿って南下、石和で他の支流とあわさって甲府市外の南を西流し、この 笛吹川橋梁をくぐってしばらく行くと、長野・山梨県境に発して中央本線沿いに東南に流れる釜無川と合流する。釜無川は富士川の本流だが、地形図ではこの合 流地点から下流を富士川と表記している。


20101207-02.JPG近寄る。トラス桁はカクカクした印象。実は、剛結されたプラットトラスは好きではない。なんというか、くどいというか、太すぎるのだ、感覚的に。

20101207-01.JPG真横から。7パネル。なにが気にくわないのだろう、斜材の角度だろうか。60度くらいならば、また違って見えるのかもしれない。

20101207-08.JPG銘板はきちんとついている。
東京
株式会社
桜田機械製造所
昭和二年製作

とかすかに読める(すべて右書き)。

鈑桁を見てみる。

20101207-06.JPG
対傾構の、向かって右上の剛結部分が少し不思議。どうなっているのかを読み取れない。

20101207-07.JPG塗装標記。

また、下部には部材が付加されている。落橋防止の部材にしては心許ない。なんだろう?

20101207-04.jpg銘板。

20101207-05.JPG第1連と第2連との間には、主桁同士をつなぐ部材が付加されている。他の部分がすべてリベット留めなのに対し、この部材はボルト留め。いちいち検証するまでもないとも思うが、この部材は近年の付加であり、おそらく地震対策だと思う。





















最後に、この橋から見える山を紹介する。

20101207-11.jpg山梨県を代表する山がいくつも見える。列車に乗っていると、山が見えても「あの山は何?」と調べることなどは誰もしないだろう。それは、乗車中に調べる術がないからなのだが、今後、そういうものを調べる術が発達してくることは容易に想像できる。私も、現地で「北岳と鳳凰三山だろう」という推測だけはできるが、確信は持てなかったので、帰宅後、調べてみた。早く、現地でこういうことができるようになってほしいと期待している。


本当に最後になったが、この地は、廃道探索のついでに、丸田祥三さんにわざわざ私のために立ち寄っていただいた。感謝申し上げます。

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京葉臨海鉄道 浜野川橋梁

京葉臨海鉄道 浜野川橋梁

ポニーワーレントラス

先に紹介した京葉臨海鉄道 白旗川橋梁と同型の桁がある。


この区間は複線になっており、下り線がポニーワーレントラスになっている。

20101207-99.jpg橋の東側、国道357号の「塩田第一歩道橋」から西を見ると、浜野水門ごしにポニーワーレントラスが見える。それだ。

このトラス桁には近づくことはできない。歴史的鋼橋集覧において、白旗川橋梁と同じように「信越本線犀川橋梁上り線から撤去した鉄道院設計の桁を架設した」ということと、同じスペックが記載されている。

おもしろいのは、その犀川橋梁上り線はこのトラス桁を撤去後、もちろん新しい桁を架けたのだが、その新しい桁も歴史的鋼橋集覧に収録されていることだ。現地の開通は1888年(明治21年)8月15日であり、転用されたポニーワーレントラスは1919年(大正8年)石川島造船所製だ。ということは、このポニーワーレントラスは二代目(以降?)の桁で、いまあるのが三代目(以降?)ということになる。初代の桁がどういうものかはわからないが、おそらく信越本線の史書や絵葉書等に残っているだろう。探してみようと思う。

国道140号旧道(多分/山梨県市川三郷町)

国道140号旧道(多分/山梨県市川三郷町)

廃道



丸田祥三さんと廃道取材に行った際、身延線の笛吹川橋梁に立ち寄っていただいた。橋梁については後日書くが、西側から撮ろうとして堤防に上がって驚いた。ここは旧道ではないか。

20101206-1.jpgアスファルトが敷かれ、その上には「40高中」の文字。しかも、頭を突き合わせて点対称にふたつある。写真で言えば、左下にひとつ。右上に、向こう側から読む形でもうひとつある。

しかし、この道に一般車は入れない。このまま西に進むと現在の国道140号と合流するが、この堤防道への進入口には車止めがある。そして、この先(東)、身延線との交差点は柵がしてある。この堤防道が、直接国道140号だったのかどうかは未詳。「県道」と表現しているサイトもある。

柵はこのような感じ。
20101206-2.jpgどうやら踏切だったようだ。

「山梨の林道事典」という素晴らしいサイトがあるのだが、その中で、ここが踏切だった当時の写真が掲載されている。こちら。この踏切は「今川踏切」というとのこと。また、その記事掲載時点では「橋梁塗り替え中」だった。笛吹川橋梁の塗装標記から、リンク先が撮影されたのは2005年6月前後ではないか。

幸い、1975年撮影の航空写真がある。元画像はこちら
20101206map.jpg見事に堤防の上を走っている。真ん中の緑の4連トラス橋が笛吹川橋梁で、その左岸(画面下側)の東西に、それぞれ田んぼの中に下りる逆三角形に見える道がある。そして、田んぼの中に、現在の国道140号の姿はない。


偶然しった旧道だが、なかなかに不思議な情景だった。もっと撮っておくべきだった。


廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋>

廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋>

廃道

20101205-01.JPG山梨県早川町、井川雨畑林道から見える稲又川橋(仮)に、丸田祥三さんと行ってきた。丸田さんはすでに3回目、私は初めて。私が見たいと言っていたら、連れて行ってくださった。ありがたくご厚意に甘えて丸田号の助手席に収まる。名称を「(仮)」とするのは、文末に掲げた報告から考えて、もしかするとここにはのべ三つの橋が架かっていたかもしれない、などと思ったからである。

この稲又川橋(仮)。丸田さんが「ぜひ見てほしい」と仰っていただけのことはある。「山行が」と丸田さんの作品で、橋の概要は知っていたつもりだったが、自分の目で立体的に見て驚いた。怖気が走ったと言っていい。怖い。真下をくぐったり、見上げたりするのはもっと怖い。


この橋は、mixiの「山行がコミュ」で存在が明らかになったものだという。詳細はよっきれん氏のレポートをご覧いただきたい。<前編><後編> 同時に、発見者である「明日、本栖湖集合!」さんに感謝申し上げる。

蛇足になるかもしれないが、「丸田祥三氏は、自分が撮った場所と同じ場所で撮った他の人を訴えた」という大きな誤解がなされてる。事実はその逆で、丸田氏はデビュー当時から、電話や手紙で聞かれるがままに読者に撮影場所を無数に教えている。訴えた内容は、「同じ場所で撮るな」ではない。詳細はこちらをご覧いただきたい。

このレポは発表されたときに拝読し、その後何回か拝見したが、今日行く前にはチェックしなかった。それでも、帰宅後に自分の撮った写真と見比べると同じところを狙ったカットが多いのがおもしろい。

場所はここだ。







対岸からは、冒頭のように見える。見るからに危うい。

20101205-02.JPG隣接する、数段高い新橋の上から見下ろす。鈑桁は外側にはスティッフナーがなく、内側のみである。

20101205-12.JPG袂まで下りる。道中、路面は、つい先日まで川底であったかのようにグズグズだ。

桁のよじれっぷりがわかるだろう
。写真左手が稲又川の上流、右手が下流である。稲又川は雨畑川に合流し、早川に合流し、富士川に合流して太平洋に注いでいる川だ。

左右の主桁上部には、コンクリートを固定していた痕跡がある。そして、主桁のフランジ部分には多数の岩礫が乗っかっている。そして、桁の左側には、対岸の廃橋脚が見えている。

20101205-13.JPG対傾構も歪んでいる。よほど強い力が加わったか。この高さまで水かさが増せば、浮力で桁が浮き上がり、そこに水圧が加われば、通常は橋脚に「乗っかっているだけ」の桁など移動してしまうだろう。

20101205-07.JPG河原まで下りて、対岸の橋脚を見る。左上に見えるトラス橋は、1983年8月日本鋼管製の稲又川橋(現在線)である。

20101205-11.JPG河川敷から、突端。「ひっかかっているだけ」感がすごい。桁の下にいると、ものすごい圧迫感がある。

20101205-10.JPG主桁。これが曲がっているのだ…。

20101205-08.JPG反対に、突端側から。

20101205-09.JPG橋脚の袂には、林鉄用とおぼしきレールが引っかかっていた。


このような稲又川橋(仮)だが、どうしてこうなったのか。私なりにググった結果はこう。

●1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で、ここは10mの土砂に埋め尽くされた。(出典:ADAMSさんのページ
●1982年(昭和57年)~1985年(昭和60年)の間に破損した橋梁のリストには、「稲又」に類する名称の橋はない。(出典:国交省甲府河川国道事務所の資料
しかし、
●1982年(昭和57年)の台風10号、18号、1983年(昭和58年)の台風5号により、雨畑川では、台風10号の総降雨量603㎜最大時間雨量49㎜、また、台風18号において総降雨量468㎜最大時間雨量31㎜となり、1982年には約160万立米、1983年には約180万立米という大量の土砂が流出した。この土砂の流出により、当該事業付近においては 河床が10mも上昇し、上流集落の唯一の生活道である県林道の稲又橋を埋没させるという状況が発生した。(出典:国土交通省関東地方整備局富士川砂防工事事務所による稲又第三砂防堰堤工事報告を要約)
●この廃橋の下流に、平行する3本の鉄骨が刺さったコンクリートの塊が放置されていた。それがこの廃橋の桁でないことは明白だったので、撮影しなかったのが本当に悔やまれるのだが、どうやらそれが「稲又川橋」の橋脚だったらしい。(出典:山梨河川研究会の写真


疑問をまとめる。
・「稲又橋」「稲又川橋」という二通りの表記があるが、これは単なる誤記なのか、それとも別々の橋なのか。
・現在の橋は「稲又川橋」・
・稲又川橋(仮)下流に横たわっている鉄骨橋脚は、果たしてどの橋の橋脚なのか。

不可解な点が多い。よって、表題を「(仮)」とした。他意はない。航空写真が1/15000であり、不鮮明であるのが非常にもどかしい。

冒頭のとおり、丸田さんは今回三度目の探訪。そして、二度目の探訪時にものすごいカットをものにしている。同じものを撮れと言われても無理。ありえな い。同じレンズ使ってもできない。ものすごい。写真集に掲載するのはそのカットになると思うので、今回はヨッキれんさんと同じカットにせよ、私は私 が撮ったものとしてアップする。レポートとしては丸田さんが出てこなくて恐縮だが、いっしょに河川敷で撮影を重ねた。

また、今回、これ以外に廃隧道1件とかつて車道だった堤を取材した。

京葉臨海鉄道 白旗川橋梁

京葉臨海鉄道 白旗川橋梁

ポニーワーレントラス

20101202-09.JPG

京葉臨海鉄道には、歴史的鋼橋集覧に掲載されているポニーワーレントラスが2連ある。そのうちのひとつがこれ、白旗川橋梁だ。場所はここ。


この桁は、信越本線犀川橋梁下り線の桁を転用したもので、同じ桁は同じく京葉臨海鉄道の浜野川橋梁(後日書く)にも転用されている。犀川は、上高地から松本に抜ける梓川の下流にして千曲川に合流するまでの名称で、長野県を象徴する河川名のひとつだ。

国道から眺めることができる。

20101202-01.JPG手前(画面下)のは水道橋。そして、この区間の国道の橋は「汐見橋」という。

約100フィートの4パネルのポニープラットトラス。1919年、石川島造船所製。桁下の白旗川はこのすぐ南(上流)で別れ、やがてどちらも暗渠になる。

20101202-02.JPG東側から見る。西側へは立ち入れない。

向こう側に見えるのは、白旗水門。基本的に空いているようだ。

近づいて見る。

20101202-04.JPG支承。

20101202-05.JPG斜材と垂直材は、すべて共通のようだ。100フィートクラスのピン結合ポニーワーレントラスでは、端部と中央部では部材の強度が異なっている(補強の入れ方が異なる)が、この白旗川橋梁では同じのようだ。

注目したいのは横桁の付き方。垂直材とガッチリ結合されている。垂直材から横桁に対しては、三角形のアングル材で結合されている。

20101202-07.JPG画像の上は縦桁、下は下弦材。村田川橋梁と同じく、一部のリベットがボルト留めに置き換えられている。なぜ一部なのかは不明。

20101202-06.JPG少し引いてみる。縦桁。枕木も見て欲しい。村田川橋梁と同じく、凹型を天地逆さまにしたような形状をしており、その下にスペーサー的に木材が挟まっている。木材は圧縮には強い。枕木のような役割にはぴったりだ。

20101202-08.JPG桁の裏にもぐる…のはかなりつらいので、カメラだけ突っ込んで撮影。横桁の存在感というか、この橋の主役は横桁であることがよくわかる。

最後に、東側の踏切から。
20101202-03.JPG

この踏切には警報機はない。信号で交通を遮断する。
20101202-10.JPG


これだけ近くで貨物列車を見ることができるのは幸せだ。

村田川橋梁(京葉臨海鉄道)アメリカン・ブリッジ

村田川橋梁(京葉臨海鉄道)アメリカン・ブリッジ

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

20101201-06.JPG都心からもっとも手軽に行ける、アメリカン・ブリッジ製200フィート下路ピントラスが、この村田川橋梁ではないか。

歴史的鋼橋集覧のページはこちら


場所はここ。



ここは川沿いに歩くことができるので(釣りをしている人がいるくらい)、至近距離で眺めることができる。さわることもできる。一見華奢なアイバー(下弦を構成する、◎==◎型の部材)が実は分厚い鋼鉄であるのを確認できる。

さてと。
20101201-01.JPG道路が平行しているので、好きなように撮れる。だが、道路から見て西側にあるため、午後になると逆光になる。

上の写真は道路から撮ったもので、画面奥が蘇我側、左が市原側。蘇我側に踏切があるので、列車が近づくとすぐわかる。また、どこで入換をしているのか、ホイッスルもよく聞こえる。

この村田川橋梁は、典型的なアメリカン・ブリッジ製の200フィートプラットトラス。9パネルのうち中央3パネルの上弦が下弦と平行になっている。縦桁(枕木が乗る、長手方向の部材)が目立つが、いままで見てきた同型のトラスよりも目立つ感じがするのはなぜだろう。普通は見上げるのでアイバーに隠れて目立たなかったり、点検用の通路があるために目立たなかったところ、ここでは見下ろすので目立ってしまう…というところだろうか。

比較1><比較2

20101201-02.JPG南側の支承と端部。八幡運河橋梁でも書いたとおり、元々は東海道本線の大井川橋梁上り線として1958年頃まで使われいたトラス桁を転用し、1963年にこの地で開通させたものである。よって、桁そのものの作りと橋台がマッチしていない。

端梁から端柱に延びる部材や、ピンに記したマーキングが気になる。ピンは塗装で塗り固められている。

20101201-10.JPGさらに寄る。枕木の下部が縦桁にあわせて切り取られているのがわかる。逆凹型。橋台のレール受け部も凹型になっている。

20101201-09.JPGそのまま端柱を見上げると、「ょ」のあたりに不自然にザラついた部分がある。ボルトの位置からしても、以前はここに銘板があったのだろう。対岸にも銘板はないが、どこへ行ったのやら。

ん? その銘板を留めていたボルト下部の左右にあるはずのリベットが、ボルトになってる?

20101201-05.JPG目を降ろして端梁をふたたび。画像右下、縦桁下部のアングル材が、ほとんどボルト留めに交換されている。

20101201-04.JPG真横から見るとこんな感じ。どうせなら全部交換すればいいじゃん…と思うが、リベットを撤去する作業がかなり大変だからか。

20101201-03.JPGピン結合部を見る。まずは第1パネルと第2パネルの間。下弦となるアイバーだけしかない部分だ。横桁がピンを避けている部分のカーブが美しい。

20101201-08.JPG斜材がある部分はこうだ。1組の下弦材のアイバーの内側に、斜材が入る形になっている。ここで下弦だけの部分を見返すと、斜材が入るスペースにはスペーサーがかましてある。

20101201-13.JPG横から見るとこう。ピンにはマーキングがある。

20101201-07.JPG裏側に潜ってみる。こうしてみると、ピントラスの主役は断面方向の横桁であり、縦桁は横桁に接続されるサブキャラだというのがよくわかる。

20101201-12.JPG西側から全体を。

20101201-11.JPG塗装標記。


日暮れが心配だというのに30分もいてしまった。ピントラス万歳。


No Image

物忘れ

独言・日記

書こうとしていたネタがあったのに、風呂に入ったら忘れてしまった。そういうときは、「ニンニク!」と言いながら頭を叩くといい、と14時間ほど前に聞いたのだが、無理!

しょうがないので、いま調査中の「おでんにニンジン入れるか」という件のメモとする。本当は、答えてくれた人のルーツまで見ないといけないのだが、そこまでのものでなし、このまま調査継続する。

(入れる)青森・東京・横須賀・神戸
(入れない)青森・宮城・山形2・埼玉2・東京3・千葉・新潟・長野・京都・大阪2・奈良・佐賀


土木コレクション2010 HANDS + EYES

土木コレクション2010 HANDS + EYES

土木一般

20101129-01.JPG

東京駅の丸の内側、行幸地下ギャラリーで開催されている『土木コレクション2010 HANDS + EYES』を見てきた。先週は新宿駅の西口イベント広場で開催されていて、そちらに行った方から「行幸ギャラリーはガラス越しになるので、新宿のほうがいいよ」と言われていたのだが、あいにく都合がつかず、東京駅に行った。ガラス越し、とはこんな感じだ。

20101129-02.JPG
幸か不幸か、この時持っていったE-P1+20mmだと、ガラスにレンズ前端を押しつけると、ちょうど図面1枚が画角に収まる、というサイズのものが多かった。

この場所八重洲地下街に連なると思って銀座から歩いて行ったら、まず八重洲側を北口まで行き、連絡通路で丸の内に出てさらに折り返すという恐ろしいルートになってしまった。

この展示のタイトルはこうだ。
DOBOKU COLLECTION 2010
2014 JSCE 100th ANNIVERSARY
HANDS
CIVIL ENGINEER`S DRAWING EXHIBITION
+
EYES
CIVIL ENGINEER`S NOUVEAU EXHIBITION

つまり、土木技術者の図面と新しい視点の展示会。ということで、メインは図面の展示、それにその解説や建設時の写真が付されるというパターンとなる。紹介されているのはこちら。

(HANDS)
・小樽港築港事業  
・函館築港改良工事 
・稚内港北防波堤ドーム  
・奥沢水源池水道施設  
・石狩川生振捷水路  
・旭橋  
・旧士幌線鉄道橋梁群  
・深川林地  
・札幌市都市計画 
・帯広市都市計画  
・青函トンネル

(NOUVEAU)
・モエレ沼公園 
・東京駅復原プロジェクト  
・石井樋歴史的水利施設の復元(佐賀) 
・アザメの瀬自然再生事業(佐賀)

これら全部に興味があるわけではないので、必要そうな部分だけ撮影してきた。たとえばこれ。
20101129-07.JPG.

20101129-08.JPG.

20101129-04.JPG.

20101129-03.JPG稚内港の旧防波堤ドーム。何度かここで寝たことがある。


写真は2001年のもの。もう9年前か。なんてことはどうでもいい。

このように、図面と、解説と、関連写真が1組になって展示されている。

うれしかったのはこれだ。
20101129-06.JPG展示のタイトルが「増田淳 橋梁図面」。なぜかこれは、上述した展示物リストには入っていない。

ここでは、増田淳について、いろいろなことがしれっと書いてある。

20101129-05.JPGこの長浜大橋の図面は大きすぎたので4分割して撮影した。

.
こんな感じで眺めていたのだが、ふと見ると図録を頒布していない。「アンケート」を載せた机があったので見てみると「係員が平日16~18時まで云々」とある。出直しか…と思いながら一周して戻ってきたら、お姉さんがその場にいた。そして、アンケートを書き、みごと図録を入手した。

20101129-09.JPG.


12月20日までだっけな、四谷の土木学会でも頒布を受けることができる。図面は小さすぎてまったく読めないのだが、どうせ写真撮っておいたからいいや。

長浜大橋(愛媛県)行きたい。


廃道取材(6)奥多摩

廃道取材(6)奥多摩

廃道

丸田祥三さんの取材にくっついて、奥多摩某所に行ってきた。かねてから行きたかった場所があり、風邪やら天気やら地面の状態やらで何度も延期になっていた。先日、ようやく行けたのだが、1時間半ほど歩いたところで道の状態が悪くて撤退。今日改めて別ルートで行ったところ、徒歩1時間ほどで目的地についた。その前後にもいくつか撮影したので、時系列で書く。



青梅方面から国道411号を西に向かう。国道411号沿いには「黒川通り」という廃道がある。ヨッキれん氏が『日本の廃道』に詳細をレポートしているし、『廃道本』でも掲載、また現地を訪ねるツアーも開催された。上記地図の地点に至るまでにもいくつか旧道はちらほらしていたが、「道の駅たばやま」の前、JOMOの東側に「できたての廃道」があった。

20101128-01.JPG左が旧道、右が新道。右の橋は「丹波山温泉大橋」といい、2009年9月の竣工。供用開始は不明だが、2010年6月27日に開通記念イベントがあったので、今年に入ってからなのかもしれない。名称は、道の駅に接続する温泉にちなむ。

新道を歩いている黒い犬は、どうやら飼い犬のようで首輪をしていた。この犬が、我々のほうに寄ってきて、ハァハァクンクンする。大型犬なので、ちょっとこわいよ…。犬を放し飼いにしないでよ…(うちには犬がいるし、リード付きの犬ならかわいがったりもするので、犬を嫌いだというわけではない)。

この旧道、上記写真のとおり、山肌に沿ったカーブを、ひとつの大きな橋で短絡したもの。新道のほうが法面が低く、旧道と高さの差が大きい。隣接するJOMOの出入り口も、かなり無理な勾配になっている。そして、旧道は、新道に欠き取られた形になっている。欠き取られた部分は舗装がはがされて砂利になっている。砂利は非常に強く突き固められている。

20101128-03.JPG一部残されているのは、ここに下水管が埋まっていることと、電柱があるからではないかと思う。この砂利部分にマンホールが三つある。下水管ごと新道に移設するのはやめた、ということではないだろうか。

写真の電柱の右で石垣のパターンが異なっている。向こう側は切石の谷積み…というには目地が通り過ぎている積み方で、手前(電柱の左)は石を積んで目地を固めた練り積み。

20101128-02.JPG旧道を歩く。風が吹くたび、落ち葉が地面を走っていく。それを流し撮りしたかったのだが、無理!画面奥が丸田さん。


場面を変えて、余慶橋。うわ、「よけい」で一発変換したよ。意味があるらしい(Yahoo!辞書)。知らなかったよ。ここも、旧道を新道が橋で短絡していた。旧橋で撮影。

20101128-05.JPG見ての通り、旧道は瓦礫で埋め立てられている。撮影していると、カメラをもった男性が近づいてきて「紅葉、終わってますね」。僕たちは「そうですね」などと返事をしたが、紅葉を撮っているわけではないので、つれない返事に聞こえたかもしれない。新橋は1992年6月竣工。


以降も気になる旧道がたくさんあったが、とりあえず通過。メインディッシュに急ぐ。

国道を反れ、とある集落に入る。無人らしく、そこそこ新しく見える家にも人影はない。生活感のある家はあるため、特定の期日だけここに通ってくる人がいるのかもしれない。そんな集落を通り過ぎ、砂利道をたどってクルマの終点到着。12時15分。準備の後出発。

20101128-06.JPGおそらく車道として使われていた道を歩く。しかし、3~4ヶ所、このような木橋がある。ここが車道だったころ、どんな橋がかかっていたのだろうか? 当然、木橋だとは思うのだが。

最初は車道の幅があったが、沢を遡る形で歩いて行くと徐々に狭くなる。それでも沢側には低い石垣があったりして、車道を感じさせる。しかし、やがてGPSは地形図の破線とは別の地点を指し出す。地形図が誤っているのか、現在の通行路が地形図と異なるだけなのか。

20101128-07.JPGずっと青空だったのだが、目的地が近づくにつれ、ちょっとかげり始める。山を埋め尽くす樹木には杉以外は葉がほとんどなく、そのすべては僕等の足下にふかふかに積もっている。

20101128-99.jpg目的地到着。
よく見えないと思いますが、すみません、諸事情により見せてません、御容赦ください。

とあるスジには有名な場所で、地名で検索すると画像もたくさんでてくるのだが、あまりにもすてきなので、丸田さんとヨッキれんさんの共著の写真集(タイトル未定)をご覧いただきたい。なかなか感動的な出会いだった。




これを撮影していたときのGPSログ。
20101128-12.jpg場所を推定したい方はgsiの2.5万図と見比べてくださいませ。

この地点で1時間以上撮影した。

行きが1時間なら帰りはその半分かと思うと気も楽で、ふたりで雑談しながら下る。たまに撮影。

20101128-08.JPGこれは、歩いたルートから見えた木橋。ここはオンルートではない。木橋の橋台として石垣が残っていたので撮影した。


この山に入って3時間半。日も蔭ってきたので、もう一つのメインに向かったのだが、場所を特定できず。そのかわり、またたくさんの「新しい廃道」を見た。

20101128-09.JPG柳沢峠から南に下った地点が、長い範囲で付け替えられていた。これは塩山方向を見ている。右端、ガードレールの向こうが新道。手前の、センターラインが色の道が旧道(暫定的に使用された形跡あり)。左側が旧々道。でももうかなり暗かったので、撤収した。

20101128-10.JPGそこにはこんな標識が転がっていた。なんだか無念。



国道411号は、近年の改良がすごい気がした。バイクで走っても、走ることばかりに気を取られるためにちゃんと見ていなかったが、再訪したいと思う。似たような換線ばっかりかもしれないけれど、意外な発見があるかもしれない。


八幡運河橋梁(名称不詳。京葉臨海鉄道)

八幡運河橋梁(名称不詳。京葉臨海鉄道)

鈑桁(プレートガーダー)

ちょっと変わった外見のプレートガーダー橋。3連。橋梁の名称は不明である。場所はここ。八幡運河に架かる。


20101126-01.JPGなんかおかしい…と感じませんか? その違和感は、上面にも側面にもある。

通常、プレートガーターの上面は、左右の主桁をつなぐ横構があるだけで、スカスカだ。また、側面は、主桁を補強する保護ウザイ補剛材(スティッフナー)がある。この橋は、それらがない。ツルペタだ。

20101126-05.JPG桁の中間に添接板がある。この桁の場合、上面もプレートなので、上面にもきれいな帯状に添接板が留められている。ボルトはトルシア型高力ボルト。

また、側面を見ると、うっすらと、ミミズ腫れのようなスジが浮き出ている。これはきっと、スティッフナーが内側にあるのだろう。と思って裏側へ。

20101126-03.JPGおお。裏から見れば、左右の桁をつなぐ横構も、桁の補強材であるスティッフナーもきちんとある。しかもそれらがΠ字型に剛結されている。

横構に丸い孔があき、ワイヤーのようなものが通っているようにも見えるが、さにあらず。天板側から、半円と円がひとつずつあき、その部分に長手方向の補剛材が溶接されている。そして、その補剛材にも孔があき、半円と円の間の鼓型の部分を逃がしている。なかなか立体的な造形をしているのだ。

この画像は桁の裏側を写すために、下部構造が飛んでいる。下部はこう。
20101126-04.JPGなんだか不自然な形をしているなあ。橋脚左側にある犬走りみたいなのはなんだ。

そう思ってこの桁の銘板を見るとこうだ。
20101126-07.JPG(上)
京葉臨海鉄道株式会社
1993年1月
KS16 支間22.650m
28.014T 382M^3
株式会社宮地鐵工所

(下)
材料
9.10.14.16. SM41A 新日鐵
22.25. SM41B 新日鐵
36.48. SM41C 新日鐵
9.10.16. SM41A 新日鐵
22. SM41B 新日鐵

1993年に架け替えられている。

では、架け替え前の橋はどうだろう? 1974年の航空写真で見てみる。
20101126map.jpgトラス橋がかかっている。おそらく、この新橋は橋長約60mで、古い橋は200フィートクラス(約60m)に違いない。

例によって、『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁・その2』(小西純一・西野保行・淵上龍雄)を参照すると、あった。

旧橋の名称は八幡運河橋梁(であるので、ここに紹介するのも同じ名称だろう)。1911年アメリカン・ブリッジ製200フィート単線プラットトラスで、元々は東海道本線の大井川橋梁上り線として1958年頃まで使われいたものを転用し、1963年にこの地で開通させたものだった。なお、京葉臨海鉄道には同様の経歴を辿る村田川橋梁があり、そちらには、きちんとその桁が残っている。後日書くつもりだ。

このトラス橋が八幡運河を一またぎしていたのだから、先の橋脚は新桁設置と同時に設置されたものだろう。ますます、左側の犬走り状の部分の意味がわからない。では、橋台部分はどうだろう。

20101126-02.JPGん…。トラス橋時代の橋台がどうだったかがわからないので比較しようがないな。では、旧橋と同系の桁である、京葉臨海鉄道村田川橋梁の橋台を見る。
20101126-99.jpgおお、新桁と同じくらいの深さはありそうだ。といっても採寸したわけでないため、あてずっぽうだ。「ずっぽう」ってなんだろう?

図らずも旧桁に話が飛んだが、銘板に戻る。銘板付近はこうなっている。
20101126-06.JPG気になるのは、桁を結ぶ落橋防止プレートである。ばかでかいコッタピン。

また、実は斜橋だ。両端の橋台はそうではないので、橋の架け替え時に新たな橋脚を立てる際に、流れを妨げないように、橋脚を斜めに設置する必要があったのかもしれない。

また、桁の端部を見ると、そこだえスティッフナーが外に(も?)ついていたり、フランジ(主桁の下側。断面:エの字の下の横棒に相当)の横幅が広くなっていたりする。

この橋は、平行する道路橋からじっくり観察できる。今後数回、千葉ネタを書くつもりだ。



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