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廃道ナイト3!!! レポート

廃道ナイト3!!! レポート

廃道

20101017-03.JPG10月16日(土曜)、東京カルチャーカルチャーで『廃道ナイト3』が開催された。そこに売り子としてかませていただいた。『廃道本』をお買い上げいただいた皆様、既にお持ちの皆様に感謝しながら、けっこう「コアな人にしかわからない」ネタもそれなりにあったので、そのへんを補足しつつレポートする。

開場は17時30分だが、16時に会場入り。販売品などをセッティングしていると、ヨッキれん・ミリンダ細田・トリ各氏がご到着。すぐに準備を開始。し、同時に「特別メニュー」の名称も検討。

オレンジ色のカクテル、「三島の黄昏」は比較的スムーズに決まったが、対応する緑をどうするか。「○○隧道の苔」「対応しないなー」「三島に対応して藤村紫朗か」「マイナーすぐる」…。細田氏「グリーン(自粛)」ヨッキ氏「却下!」…。悩んだ末、「三島の青春」となった。副題に「和歌夫人」。これくらいのわけのわからなさがちょうどいい。

会場限定メニューはこんなの。「三島の黄昏」は撮り損ねた。。。
20101017-05.JPG 20101017-04.JPG


20101017-02.JPG物販コーナー。私が『廃道本』を、マニアパレル:バドンさん(@BAD_ON)が、廃道ナイト3を機会に制作した「危険 落ちたら死ぬ!!」タオルとTシャツを販売した。

Tシャツは完売、タオルは50本近く売れた。すごい。買い逃した方は、上記サイトをチェック。通販、あるいはジュンク堂新宿店などで販売されるかもしれない。


モチーフはこちら。有名な看板だ。バドンさんは数々の土木をモチーフにしたTシャツや手ぬぐいを作っておられ、私もいくつか持っている。

私は『廃道本』のほかに、現在、丸田祥三さん(@malta_shozo、ブログはこちら)と制作中の写真集の告知をした。ご来場いただいた方々にはチラシを配布させていただいた。丸田さんについては、このブログの他のエントリをご覧ください。

リハは着々と進行。出演する3名の着座位置は、私から提案してカルカルの横山店長とヨッキさんで、トリさんと細田さんを囲む形になった。そのほうが、両側に進行役がいたほうが、話を振りやすいと思ったからだ。リハ中、トリさんの廃道好きの説明をいろいろ展開しようとしていたが、結局お蔵入りしたようだ。



今回、チケットは早々にソールドアウト。そのため、入場は整理番号順になる。開場時刻の17時30分にはかなりの方がお見えになっていた。初めての方もけっこういらっしゃったようで、全席自由にとまどっていた方もおられた。

今回は「女性は500円引き」とした。その試みにはいろいろなもくろみがあったのだが、男性に連れてこられた女性もいらした一方、お一人でこられた女性も。

約1時間後の18時30分、スタート! 以下、ヨッキさん・トリさんの顔が隠れてしまっているカットが多いが、私が座っていた席の都合なので御容赦いただきたい。

20101017-06.JPG第一部は正装。トリさんは着物、細田さんは軍服(?。違ってたらすみません)。細田さんの服、13まんえん…。右腕の階級章は「中尉」とのこと。調べたら「飛行服用袖階級章」らしい。氏はヨッキ氏と夜な夜な長電話をしているらしいが、その内容が知りたい。

乾杯!

まずは自己紹介。この手のイベントは、出演者を知っているかどうかで楽しみ方も随分違うので、かなり重要。ヨッキさんの自己紹介動画(7分!)が音楽と非常にマッチしていて爆笑。そして、ついに廃道が海外で紹介されたという報告。

20101017-07.JPGこの記事はjapantimesのwebサイトにもあるので、じっくりご覧いただきたいのだが、記事中では廃道を「abandoned road」と表現している。「obsolete road」はORJの造語なので、当然と言えば当然。なお、廃線は、営業中止、廃線跡の放置状態、ともにwikipediaでは「abandoned rail」と表現される。


続いて「おぶろぐ」で募集した「私の道路萌えポイント」。全プレゼンを掲載するが、ネタ数は一部カットさせていただく。

(1)ナトリウムランプ萌え(すどきち氏)
20101017-08.JPG共感される方は多いだろう。隧道内、夜間照明ともにナトリウムランプ。最近は隧道内は白色の光も多く、夜間走行していると隧道内のほうが明るいということも多くなった。

すどきち氏は、ナトリウムランプが落ちてきて割れたりしているのに遭遇するとハァハァするらしい。

(2)道の真ん中の木(学生服のヤマダ氏)
20101017-09.JPG学生服のヤマダ氏は、四国在住の方で、いままあでヨッキさんやORJにたびたびものすごい情報をもたらしている方だ。

20101017-10.JPG写真が出ると、開場は「ああーー……」と感嘆が漏れる。

(3)50高(nogana氏
20101017-11.JPG観客としていらしていたnogana氏自身によるプレゼン(下写真右端)。

廃止された道路標示だ。高速車/中速車/低速車という区別あった時代のもの。こんなの。

20101017-12.JPG


簡単に補足する。

現在、速度制限のない道路での自動車の最高速度は60km/h(原付等30km/h)。1992年10月末までは、大型貨物・大型特殊・軽二輪などは50km/hとされており、それを「中速車」と呼んでいた。「50高」とは、「高速車」つまり乗用車、自動二輪なども50km制限ですよ、という表示である。「40高中」となれば、高速車も中速車も40km/h制限であるということ。その表示がいまだに残っているところや、表示する必要がないのに新規に描かれたりしている画像が展開された。

(4)都市部の未成道の風景(kubodi氏
20101017-14.JPGkubodi氏も自らプレゼン。

横山さん(ヨッキさんだったかも)が「都市計画道路が好きな人!」と会場に問うと「ハイ!」「ハイ!」「ハイ!」と、非常に多くの賛同者が現れた萌えポイント。数十年という単位で進行する都市計画道路。とりあえず用地買収だけしてあったり、一部で工事が途切れていたりする部分が好きという。みな共感。

上の画像は横浜市の道路の終端部に放置されていたリヤカー。荷台を竹が貫通しており、竹を切らないとリヤカーは動かせない。リヤカーがなくなるときは、ここが道路になるとき。「廃」と「未成」が同居しているような気がした。

ここで休憩。

再開。ここから第二部、トリ氏と細田氏は「探索時の正装」に着替えているのだが、コーナーが続いているためその説明がなかったので気がつかなかった人もいたかも…。細田氏は「いつものツナギ」で電車に乗っていらしている。

その細田氏のツナギにYUKI TORIIのタグがついていたのをある女性が発見。「でも学生のときに作業服屋で買ったんですよ」と細田氏。奥方がシャレで縫い付けた? でも廃道探索を嫌悪されてるようだしなあ…。YUKi TORII、私は男なのでよくわからず、検索したら「パリコレに毎年出てる」とか書いてあったようなブランドらしい。

(5)橋桁の床版(うさ★ネコサンド氏
20101017-15.JPGとくに中京圏の廃道・廃線などに関する綿密なサイトの管理者さん。このあたりの隧道や峠で検索するとまずトップに来る。ミリンダ細田さんが「私、毎日見てますよ!」というサイトだ。

20101017-16.JPGたとえばこれ。吊橋。足を載せる板が一人分しかない。これはよくあるが、よく見ると、脇に1枚、板が沿えてある部分がある。これがなにかというと「行きちがい用の待避所」。すごい。みすごしそうだ。

20101017-17.JPGそして描き下ろしのイラスト。横山さん「なんでこんなにクオリティーが高いんですか」。たしか本職さんのはず。

(6)旧型道路標識(マフラー巻き氏
20101017-19.JPGこちらも四国の大御所、マフラー巻きさん。いわゆる「白看」好きは多いけれど、それはそこそこ現存しているから。ここではその前の時代、さらにその前の時代の標識についてひとしきり発表があったあと、この写真が出てきたのだ。

大正時代に、日本で始めて制定された標識。運輸省の前身、内務省の制定によるものだ。その事実が、道路大鑑(だったかな)に基づいて語られると、会場内はどよめいた。

なおこの画像、私はマフラー巻きさんのサイトかどこかで見た記憶はあったのだが、どこだったか思い出せない。

追記:いしぐろさんのサイトでした。元情報はマフラー巻きさん。

(7)農業用水路橋(ミリンダ細田氏)
20101017-20.JPGそして出演者のポイント。細田氏は、仕事の合間に農業用水路橋をすべて撮影し、それをすべてヨッキ氏にメールで送りつけているという。ときには1日30通くらいメールが来るらしい。

20101017-21.JPG実際、水路橋を趣味対象にしている人はごく少ないだろう。コンクリートのU字溝を組み合わせた簡易なものから、他の鉄桁を転用したものまである。

横山さん「どこに魅力を感じますか?」
細田さん「え? 魅力ですか? どこに魅力って…どこでしょうね???」(会場爆笑)
細田さん「最初は嫌いだったんですよ。でも、たとえば中学1、2年で嫌いだった女子を、3年になったら突然好きになったりするじゃないですか。それですよ」

どうやら最初は森林鉄道の軌道跡と勘違いして巡っていたらしい。やがてそれが誤りだと気づいたのだが、そのときには既に毒されていたということらしい。嫌いだと思っていたものを意識し始めるとそれが好きになる。深い。

いくつかの農業用水路橋の例が掲示され、解説されていく。ボーストリングトラスのものもあった。これについては「古い形式」と流されてしまったので、補足したい。写真を撮り損ねたので他の橋の写真で説明しよう。題材は福島県の松齢橋だ。
20101017-98.jpgこれは道路橋の例だ。ボーストリングトラスとは、一見、タイドアーチに見えるかもしれないが、部材が負担する力を考えるとトラス橋の一種である。簡単に言うと、通常のタイドアーチは分度器の形をしていて、アーチは軸方向に圧縮力、タイ(下部の直線)は引張力を負担し、それらを結ぶ部材は単に路床を吊っているだけだったりするが、このボーストリングトラスは、トラス部分にも圧縮力・引張力がかかる。

ボーストリングとは、側面から見た形状を、ボウ(弓)とストリング(弦)に見立てての名称だ。この形式は、開口面積を確保するために橋門構(画像に赤い点線で示したような部材だとお考えいただいて大きくは違わない)を設置できないため、この部分の強度が低くなってしまうという欠点がある。そのため、明治以降、九州や福島県で局地的に使用された以外はほとんど採用例はないのだが、水路橋や水管橋のように、開口部が狭くてもいい場合には、ボーストリングトラスもそれほど不利でもないのかもしれない。このへんはあくまで素人考えなので、専門家がいらっしゃったらご指摘いただきたい。なお、新潟県にこの橋のさらに特殊な使い方をした廃道がある(国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷))。

そして、大物がきました。
20101017-22.JPGキングポストトラス!

同時に「六郷川にクイーンポストトラスが…」という解説もあったが、おそらくほとんどの方は意味がわからなかったに違いない。まあ、橋の構造を解説するイベントじゃないしな。ここで補足したい。

このキングポストトラスは、もっとも原始的なトラス橋だ。見ての通り、ひとつの三角形でできているので、短い橋でしか使いようがない。簡単に言うと、/\部分を横に2分する|が__部分を保持する構造だ。/\には圧縮力が、__には引張力がかかる。このプレゼン時にあった「日本で鉄道が開業したときには同類のクイーンポストトラスが…」という説明については、画像をご覧いただいたほうが早い。こちらのサイトが鮮明だ。トラスが/Π\型になる。

さらに補足すると、1972年に新橋から横浜まで鉄道が開通したとき、橋はすべて木製だった。多摩川を渡る橋ですらそうだったのである。その橋が、クイーンポストトラスだったのは上記リンク先のとおり、事実。『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の49ページに図面がある。
20101017-99.JPG斜橋(川を斜めに横切る)であるために、クイーンポストトラスに見えないかもしれない。鉄道の発展に伴い、早くも1875年には鉄製のワーレントラスに架け替えが決定され、1877年には2代目の橋が架けられた。わずか5年の命だった。2代目の錬鉄製の橋梁は明治村に保存されている(こちらを参照)。ハァハァ。3代目は樺島正義が作ったプレートとトラスの複合桁「牛の眠るような橋」、そして4代目がいまの桁だったと記憶する。ハァハァ。

ちなみにキングポストトラス、宮崎県の西米良村には、かりこぼうず大橋というスパン50mのキングポストトラスが2003年に架けられている。こちらに図面がある。こちらも参照。また兵庫県の六甲山にも、構造的には違うのかもしれないのだが、似たものがある。こちら。ハァハァ。


第三部。

実はこの時点で終了予定の21時だった、メインディッシュたる後述レポを外すわけにはいかない。急ぎ足で、でもそれゆえに高いテンションを保ったままスタート。栗生峠にまつわる話。画像では「数坂峠」になっているものもあるけれど、どちらも関わりがある話だ。
20101017-24.JPG20101017-25.JPG20101017-26.JPG20101017-27.JPGライブならではの後述レポは、ここにすべてを書くようなものではないので割愛させていただく。いずれORJなどで発表があろうが、畳みかけるようなトークに、会場の皆さんがぐいぐいと引き込まれていくのがわかる。固唾をのんで次の展開を見守る。決定的瞬間の前に、一度立ち止まってさらに説明し、じらすなど、これは山行がやORJでもあることだが、本当にうまい。そして最後、小林勘三郎翁のくだり、私は涙が出そうになった。「道への思い」がいかに強烈なものであったか……。同じように思った人は他にもおられるのではないだろうか。



終了後、サイン会。
20101017-28.JPGタオルにサインを、という方がおられて、その後はタオルへのサインが続いた。

20101017-29.JPG.

21時50分ころから二次会。本当は千葉のトークショーでやるはずだったレポをここで紹介した。
20101017-30.JPG

そして細田さん持参の「イソビタン」争奪じゃんけん大会を以て幕引きと鳴った。
20101017-31.JPG

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。もっといろいろな展開もあるかもしれません。そうなることを願いつつ、次回に期待しましょう!

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メレル・カメレオンの実用性の低さ

メレル・カメレオンの実用性の低さ

独言・日記

20101017m-02.JPG(写真は洗浄後)

メレルというメーカーがある。十数年前、モックで一世を風靡したメーカーで、ビビッドな色のモデルも魅力的だった。モックは非常に履き心地がよく、私は色違いで4足持っていたが、いつのまにかコピー品が氾濫し、おっさんおばさんまではき始めたため、はくのをやめた。

数年前に「カメレオン」というモデルが出た。形もすてきでカラーバリエーションは当時5色だったと思う。ゴアテックスを使用したアウトドア用の靴ということで、ブーツを代表とするごつい靴の流行もあり、かなり売れていた。色や形などいいと思いながらもいろいろ思うところがあって買わずにいたものを、結局買ってしまった。

非常に履き心地がいい。都心部の舗装路を何時間歩いても大丈夫。それまで10年間くらい好んではいていたパトリックは靴底の薄さもあって、そういうのが苦手な靴だった。だが、使うにつれて、これはアウトドア用の靴としておかしいんじゃないの、と思うことが目につくようになった。

まず、濡れてる路面で滑る。

そして、汚れが落ちづらい。

汚れを落とすと、アッパーがボロボロになる。

靴紐がすぐほどける。


どこがアウトドア用なんだろう? 野フェスで履いてる人がたくさんいるというが、みんなどうしてるんだろう?



汚れについて実例を挙げる。

ひっつきむしがついた。それをひっぱがしたら、こうなった。
20101017m-04.JPG(わかりやすいように暗めに撮影。実際にはもっと明るい黄色。次の写真も同じ)

かなりありえない。ご自慢の撥水ポリエステルメッシュとやらは、ひっつきむしより弱いのか。


そして、泥を洗浄する。こうなった。
20101017m-06.JPG歯ブラシでゴシゴシこすったら、これだ。もともと編み込みのようになっているので、汚れが詰まりやすいのだが、それがほつれてくる。この写真に挙げた以外にも、細かなほつれはたくさんある。


私は、汚れが落ちる/落ちないと、アッパーが傷む/傷まないは別物だと考える。洋服で考えるとわかりやすいが、シミをつけたら落ちないこともあるし、洗濯を繰り返せばヤレたり色落ちもする。しかし、洗濯したら糸がほつれてくるようなことは、よもやありえないだろう。

アウトドアユースなのだから、泥、草の汁、もろもろの頑固な汚れがつくはずだ。そうした場合は当然、汚れを落とす。その結果、ほつれるのは許せない。

もうメレル製品は買わない。

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THE NICEの『FIVE BRIDGES』ジャケット

ブレーストリブアーチ

ELPのキーボーディストとして有名なキース・エマーソンが、ELP結成前に率いていたバンドがTHE NICE。そのアルバム、その名も「FIVE BRIDGES」のジャケットがコレだ。

ブレーストリブアーチを魚眼レンズで撮影し、その写真の下半分を組み合わせて構成したものだ。この橋の正体がふと気になったのだが、答えはwikipediaの英語版に書いてあった。なんでも検索できる時代は素晴らしい。

この橋は、イギリスのタイン川にかかるタイン橋(Tyne Bridge)。wikipedia日本語版には「タイン川」も「タイン橋」も項目はないのだが、Yahoo!辞書で「tyne」を引くと、タイン橋の解説がある。辞書、すばらしい。

上の写真では長大な径間を擁する橋に見える。実際、橋長は389m、最大スパンは161.8m、桁下高さ26m。1928年の建造時は世界最長のアーチ橋だった。しかし、現在の様子はどうだろう。

File:Tyne Bridge.jpg
(この画像の取り扱いは Creative CommonsAttribution-Share Alike 3.0 Unported ライセンスによる)

大きさは変わらないのに、周囲に高層建造物が林立しているために、小さく見える。奥のドームや高層ビルのせいもあろう。なにより、桁下を通過する客船の大きさが、タイン橋を小さく見せている。


時は移り、現在、世界最大のアーチ橋は、2009年開通の中国の朝天門長江大橋である。橋長はタイン橋の約4.5倍の1741m、最大スパンは約3.4倍の552m。と聞くと、「さすが現代の橋梁技術!」などと思うだろう。しかし、このタイン橋が開通したわずか3年後、1931年には、アメリカのベイヨーン橋(Bayonne Bridge)が、橋長1762m、最大スパン511mで開通している。この、スパン511mと552mの差、41mがどれだけの重みを持つか、私にはわからないが、受ける印象としては「ほぼその時点で現在と一緒じゃないか」となると思う。架設開始は、タイン橋の開通と同じ1928年である(月日まで調べていない)。

なお、このタイン橋の所在地はここである。
大きな地図で見る

廃道の表情

廃道の表情

廃道

写真を撮るのは、早朝がいちばん楽しい。太陽が昇りきってしまうともう終了、でもいい。どうせ午後は雲が出てくるし。とはいえ廃道取材は移動も時間的制約もあるから、なかなかそんなふうにはいかない。「あそこに光があるけれど、1時間早かったらここに光が当たってたはずなのに!」という場面も少なくない。

そんななかで、美しい自然光が引き出す、廃道の表情をいくつかアップする。画像はサムネイルを拡大しているのでボケボケだが、画像をクリックすると別ウインドウでもっと大きな画像を閲覧できるのでぜひ。


20101013-01.JPG隧道周辺は、このように切通になっていることも多いため、なかなかその線形に沿って光が入ってきてくれたりはしない。だからこそ、廃道の舗装はやたら苔むして滑りそうだったりもするのだろう。

ここではやや右上からの光が路面、そして左側の壁面を照らしていた。

20101013-02.JPGその壁の一部。落石から道路交通を防護する金網の奥まで光が差し込んでいた。

20101013-03.JPG切り株が苔に覆われていた。まだエッジがあるので、それほど古い切り株ではなさそう。しかし、周囲は鬱蒼とした藪である。

20101013-05.JPG藪の向こうから我々はあるいて来た。振り返って眺めた先が、スポットライトをあてられたようになっていた。

20101013-04.JPGそして見上げて右を見るとあった木。枝は打ってあるが、はたしていつ打ったのだろうか。





廃道取材(4)中部・近畿

廃道取材(4)中部・近畿

廃道

3連休のいくつかを利用して、丸田祥三さんの廃道撮影の道案内をした。いずれも私は行ったことがある物件で、あとは時間があれば地図上で目星をつけておいたものや、道中、目についたものを撮影する、というスタンスで出発。往復1300kmの道程となった。

ひとつは、『廃道本』を制作する際にnagajis氏の写真に大変衝撃を受け、制作中に見に行ってしまった長野隧道。
20101011-01.JPG明治時代に掘られたもので、重厚な切石作りの坑門が見るものを圧倒する。しかも周辺の生えた、苔むした木々がこの坑門を神々しいまでに高める。…というものだったのだが、2年前に訪れたときと比べると、明らかに雰囲気が異なる。坑門が小さくなっている気がするのだ。というのも、土砂の流入が増え、以前は見えていた坑口が相当の深さまで見えなくなっている。すべて埋まることはないような気がするが、豪雨の影響というのはまったく予測できないので、今後を静かに見守りたい。

なお、この明治・長野隧道に至る道が整備されていた。また、昭和に掘られた長野隧道は、非常に残念なことになっていた。これらのことは、いずれここに記すつもりだ。


20101011-02.JPG時が止まったかに見える明治・長野隧道周辺。向かって左手の、葉っぱ一つつけていない木の枝に、若い葉が芽吹いていた。この木が生命力を絞っているのか、あるいはまったく別の種がここに芽吹いたのかはわからない。



とある国道の橋。走行中に「?」と思い、裏側に回ってみた。
20101011-03.JPG道路面は、「2車線+歩道」だが、裏側を見ると、明らかに架けた年代の異なる鈑桁(プレートガーダー)が並行して架けられている。

向かって左はカンチレバー・プレートガーダー。リベット結合なので、昭和30年代よりは古いと思う。銘板がないので諸元不明。向かって右は単純鈑桁で、I型鋼+ボルト留め(一部リベット)。1968年駒井鉄工所製。道路面は<写真集>をお楽しみに。



とある橋。個人的には昨夏に一度、訪ねている。
20101011-04.JPG奥の緑色の橋は、東海道本線。手前のクリーム色のが、今回の対象だ。ダブルワーレントラスという、本邦鉄道橋黎明期の形式を今に伝える。1886年、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリー製。この製作会社についてはこちらを参照。現存しない企業だが、日本には多数の橋梁が残されている(右カラムのカテゴリ参照;すべてではありません)。また、東海道本線の橋梁の変遷についてはこちらを参照。

いまは歩道橋となったこの橋に「幅員3.4m/重さ3.0t」という標識が立っている。かつては蒸気機関車が走っていたこの橋梁の重量制限が3tか…。





これも橋。とある国道の旧道で、廃道ではないが、立ち寄った。廃道・旧道、現役・廃止問わない。
20101011-07.JPGポニー
・ボーストリングトラスという形式で、現存するものは多くない。8パネルのプラットトラスだ。

1953年、横河橋梁製。鉄道橋としては列車荷重の増加に対応できないため早々に撤去されてしまったこの形式だが、戦後の一時期、道路橋としていくつか製造された。そのうちのひとつである。
(新潟県の例:ボーストリングトラス(ワーレントラス)で上路という、おそらく本邦唯一の例はこちら



これは、とある廃道。
20101011-05.JPGそこそこに整備されており、私のハイエースならばここに乗り入れることができるが、今回は丸田さんのクルマだったのでここは徒歩。とある尾根の突き出し部分の岩石を削り取って道をつけ、ぐるりと回り込んでいる。左端が丸田さん。


20101011-06.JPGその先の、とある石垣を撮影中。もう深い藪の中。

この先にあるものがあまりに美しく、結局、そこに1時間以上滞在した。


ほかにもいくつか回ったが、それは<写真集>あるいは丸田さんのブログでの発表をお待ちください。

廃道取材(3)都内周辺

廃道取材(3)都内周辺

廃道

10月8日(金)、丸田祥三さんによる都内近郊の廃道取材をナビゲート。今回は丸田さんのクルマで移動。座席のゆったりした大きなクルマのため、とても快適でした、ありがとうございました。

IMG_8413_R.JPGとある廃道で撮影中です。午前中は曇りだったので、こういうシチュエーションではフラットな光で、しっとしとした絵になります。最初の1本で相当じっくり撮影しました。

そのまま歩き、ゆるい右カーブを過ぎると空がこんな形になってます。森の袋小路。
IMG_8476_R.JPG地形としては、「谷の行き止まり」のような場所。だから、樹木が「両脇」から」「真正面」をつないでいます。

こういう、「もうこれ以上、坂道では登れない」という場所まで登り切って初めて、隧道(トンネル)が穿たれます。この写真の「下」にはもちろん隧道があります。埼玉県においては珍しい遺構として有名な物件です。

でも、向かって左手の斜面を見れば、あと2回折り返して真正面をトラバースすれば、隧道を掘らなくてもいい線形が見えているような気もします……。


そして、次の廃道に移動。

IMG_8537_R.JPGいろいろ思うところのある方も多いだろう、ふたつの廃道がある道に来た。この取材については「そうだ、遠くにイコウ!」あづさ2号さんのレポートを参考にさせていただいた。多謝。

次いで、別の廃道で撮影し、さらにここへ。

IMG_8732_R.JPG先日、ふと思い出した廃道だ。この道が廃道になる過程を、私はしばしば目にしていた。いまは路面の舗装も取り払われ、砂利道となっている。

この場所では、なかなかフォトジェニックな、とあるものに集中した。本が完成するのをお楽しみに!


なお、丸田祥三さんがブログを開設しました。こちらです。




田端の中里橋付近:謎の坑門?

田端の中里橋付近:謎の坑門?

隧道・廃隧道

10月4日(月)、休みだったので池袋から田端まで線路沿いに歩いた。いろいろ書きたいことはあるので、そのために写真を見返していたところ、気づいた。線路は山手線、向こうが駒込、手前は田端である。
20101007-1.jpg

なんぞこれ。

20101007-2.JPG
古い航空写真を見ると、なんとなくこの部分に道路があるように見えるのだが、それ以外、手がかりがつかめない。こんな場所の写真など、もしからしたらあるかもしれないが、「ここに載ってたな」と思って見つけ出せるようなものではない。

場所はここである。後日、改めて周辺を見てみようと思う。


より大きな地図で 田端付近(富士見橋)謎の坑門 を表示


(追記)
こちらのサイトに回答があった。すばらしい。

山手線が渡る橋・くぐる橋


No Image

大阪環状線岩崎運河橋梁・尻無川橋梁・境川橋梁(2)

ダブルワーレントラス

◆ご指摘から始まる机上の遊び

先の記事を書いた後、@fuzzy_studioさん(阿房列車ピクトリアル)から

「もともと単線の臨港貨物線用鉄橋でしたが、将来環状線として使用する為複線仕様にしていたのは素晴らしいと思います。」

とのコメントをいただいた。そんな経緯はつゆ知らず、まあ、乗ったことも一回しかないのに橋梁そのものへの興味で現地に行ったわけだが、改めてwikipediaの年表を見るとたしかにそのとおり。以下、そこから私が興味の赴くままに見たり調べたり検索したりして、自分の糧としたことを書く。

大阪環状線の大阪-天王寺間の経緯を簡単に記す。

・1898.4.5 西成鉄道として、大阪-西九条-安治川口間開通(単線)
・1900.12.1 国有化
・1909.10.12 「西成線」の名称制定
・1912.7.17 複線化
・1941.5.1 電化
・1928.12.1 関西本線の貨物支線として、今宮-大正-浪速-大阪港間開通(単線、非電化)
・1961.4.25 西九条-境川信号場(大正-浪速間)間開通、大阪環状線全通。
大正-今宮間の旅客営業開始。
#境川信号場-大阪港間は、廃止まで単線・非電化
・1984.2.1 浪速-大阪港間廃止
・2004.11.9 境川信号場-浪速間休止
・2006.4.1 境川信号場-浪速間廃止

境川信号場から先は廃止からそれほどたっていないので、航空写真でも痕跡がある。

大きな地図で見る

右上に境川信号場の痕跡、そこから左下に向かって延びているのが、この大阪臨港線である。別ウインドウでぜひ全線を目で追ってみてほしい。


◆文献での検証

西日本は馴染みがないので資料もほとんど持っていないが、『鉄道ピクトリアル』2002年3月号「鉄道と港-臨港線回顧」に「地形図に見る関西地方の臨港線」(高山礼蔵)という記事があった。そこに「国有鉄道 今宮-大阪港」という一節があり、たしかにこうあった。

「1928(昭和3)年、関西本線今宮から分岐して市街南西部を木津川、尻無川まで複線高架構造で建設…」(下線は筆者)

「途中の木津川、岩崎運河(現在は尻無川)の巨大な箱形の下路トラス橋は、大正区の玄関口として異彩を放っているが、これら高架線、橋梁が後年、大阪環状線の施工に大いに役立った」

旅客線への転用を前提として建設したのかどうか、そこまで明確に記してはいないが、複線電化を基準にしていることは間違いなかろう。

◆大阪臨港線

先に掲示したGoogleマップを追っていけばわかるのだが、大阪臨港線は複線化を前提にしている部分がいくつかある。たとえばここだ。

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なぜか、下路プレートガーダーが複線分用意されている。写真はnoafactoryさんのサイトに写真があった。ほかにも、橋台や用地の一部が複線を前提としていることが、Googleマップからでもよくわかる。また、先のRPの記事によれば、大阪臨港線には三つの可動橋があったという。それらはnoafactoryさんのサイト末尾にある航空写真でわかる。


◆大阪臨港線の実際の様子

ここまでに至るヒントを教えてくださった@fuzzy_studioさん(阿房列車ピクトリアル)がまとめられたページはぜひご覧いただきたい。

「在りし日の大阪臨港線~港のスイッチャー」
「昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景」

◆まとめ

あのばかでかいダブルワーレンが、のちのちの複線化を前提に作られていたとは驚きだった。正確に言えば、雑誌の記事を読んでいたのに、土地勘もなにもないためにスルーしてしまっていた。なんともったいないことか。でもきっと、それに気づかないだけで、そんなことはしょちゅう起きているのだろうとも思う。

同時に、1928年という時代に、将来を見越した計画をした当事者の計画性にも驚く。道路も鉄道も、そこに存在するに至る理由が必ずある。橋梁もそれらの一部であるし、橋梁単体としても由来があるはずだ。この経緯は、できるだけ正確に把握しておきたい。今回、タイトルの橋梁について、架けられてからの変遷は自分で辿ることができたが、大阪環状線の経緯を知らなかったために、架けられるまでの経緯に考えが及ばなかった。大変勉強になった。ご教示いただいた@fuzzy_studioさんに感謝申し上げます。




大阪環状線岩崎運河橋梁・尻無川橋梁・境川橋梁

大阪環状線岩崎運河橋梁・尻無川橋梁・境川橋梁

ダブルワーレントラス

大阪環状線の弁天町-大正-芦原橋間には、巨大なダブルワーレントラス斜橋がふたつある。スペックを見る限りまったく仕様は同じなので、兄弟橋と言っていいのだと思う。そのうちのひとつ、大正駅の北西にかかる岩崎運河橋梁と、その弁天町寄りにある尻無川橋梁を紹介する。場所はここ。

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南側から北側を見ると、このように見える。
20101004-02.JPG左側のドームは京セラ大阪ドーム、その右下にある3格間のワーレントラス橋が尻無川橋梁。右に並ぶガスタンクは大阪ガス岩崎供給所。それに伍する巨大な直方体が岩崎運河橋梁だ。この岩崎運河を遡る(画面奥に向かう)と大正橋、そこは木津川と、道頓堀川~岩崎運河~尻無川の、川の交差点のようになっている。

尻無川にかかるように見える橋が岩崎運河橋梁だったり、尻無川の名前を冠した尻無川橋梁の下には川がなかったり、尻無川の上流部が岩崎運河だったり、と、なにやらいわくがありそうなのだがネット上にわかりやすい解説はなかった。ところが1948年9月撮影の航空写真を見たら氷解した。便利な時代になった。
20101004map.jpg
国土変遷アーカイブから転載)

上の航空写真の、赤くマークした部分が尻無川で、いまは埋め立てられている。黄色くした部分が境川運河で、こちらもいまは埋め立て済。こうした経緯があるため、尻無川橋梁は陸地に架かっている。大阪環状線が境川運河を渡っていた部分はプレートガーダー橋だ。

ついでに大阪ガス岩崎供給所の名称で検索したら、こんなテレビ番組サイトに行き当たった。「美人なのにガスタンク好きって…」という切り口がテレビらしくてとってもむかつきますよ。「ダメ度」の採点コーナーがあるのが最悪。こんなふうにしか人を評価できないお前らは作られた流行にのっかって生きていってくださいな。


◆尻無川橋梁

20101004-01.JPG複線のワーレントラスなので幅が広い。しかも約100フィートと短いのに62度もの角度を持って渡っているため、非常に不格好な、ひしゃげた印象になっている。
歴史的鋼橋集覧はこちら

この写真にある赤い保護枠の右側に道路橋があったようだがそれについてはまた別途書く。


◆境川橋梁

境川の跡は水道道路のようになっていて、橋全体は見渡せない。というか、現地に行ったときには上記の経緯を知らなかったため、尻無川橋梁の延長かと思い、全体像を撮らなかったのが悔やまれる。塗装標記と銘板。
20101004-05.JPG20101004-06.jpg日本国有鉄道
1958
KS-16 DGC619-1
22.7T 346HZ(?)
(32○○124)
KK.駒井鉄工所製


 
駒井鉄工所は、今の駒井ハルテックである。

◆岩崎運河橋梁

20101004-04.JPG西側から撮影。走っている電車(103系…)と比べればわかるとおり、その巨大さゆえの存在感。高さは20mほどもありそうだ。

径間94.945m、つまり300フィートクラスだ。こんなものが住宅地というか、街中にある。

20101004-14.JPG東側に渡り、こんな存在感。

20101004-13.JPGあるいはこう(収差のひどさに呆れるが仕方あるまい、いまの16-35-2はどうなんだろう?)。

こんなばかでかいものが背後にあると、近隣の方々は気圧されるのではないだろうか。余計なお世話か。

20101004-11.JPGこれも東側。斜橋であるため、上から見ると平行四辺形になっている。

架線をつり下げるビームが、樽部ワーレントラスのX字型の格点に接続されている。ということは、このトラスの高さは、通常の架線柱の高さの倍ほどもあるということだ。

IMG_4435.jpgビームと格点の接合部分。ビームはトラス桁の構成メンバーではないため(たぶん)、取り付け部分は簡素。

20101004-12.jpgん? 上横構部分に、なにかありますよ。これ、クリーニング屋の針金ハンガーじゃないか? カラスかなにかのしわざ?

20101004-10.JPGダブルワーレンたる、斜材の公差部。がっつり剛結。

その真下はこう。20101004-09.JPG

X字形に公差する格点からは、「Ж」字形に天地方向に補助的に縦材が伸びている。それが下弦に接する部分。

対して、正式な(?)縦材が下弦に接する部分はこう。
20101004-08.JPG
斜材も剛結するので、ガセットプレートが大きくなっている。縦材の結合の方法そのものは、リベットの配置からして同じだ。

これを撮りながら、ふと下の岩崎運河を見ると、亀がたくさんいた。
20101004-03.JPGある部分をみたら、ドブ川にしか見えない岩崎運河。陸上と異なり、本来の用途が終了したからといって、そのまま何かに改変されてしまうわけでもなく放置されてしまいがちなのが運河。ここもそうした運河のひとつなんだろうなあ。


以上、写真の左上に黒い点が写っているものは撮像素子に付着した汚れです。消してからアップしようとしましたが、うっかりアップしてしまい、もういいやという気持ちに。すみません。

廃道取材(2) 南東北

廃道取材(2) 南東北

隧道・廃隧道

10月2日(土曜)、丸田祥三さんの取材に同行。案内人としてトリ氏も同行。秋雨の合間の晴れの日、おそらく丸田さんは朝4時出くらいで取材に出撃されたようだ。

IMG_8233_R.JPGとある隧道内分岐。まあ、有名な場所。分岐部分は巻きたてが5cm厚くなっていることがわかった。また、この日は廃道部分の測量に作業者が3人入っていた。「写真撮りにきました~」とご挨拶。廃道部分、紅葉時にはさぞきれいだろう。

IMG_8306_R.JPGとある物件を求めて右往左往。GPSが、予想と異なる場所を示し続けたのであきらめて別の場所(確実にここからは行けるが、少し歩くのが長くなる場所)から目的地へ向かう。

この場所についたとき、とてもいい感じに日が差していた。しかし、すぐに日が動き、影になってしまった。その間に丸田さんがシャッターを切った写真をプレビューすると、パラパラ漫画のように日が蔭るのがわかる。この場所は、後日再訪してもいいと思った。

目的地付近では、エンジンチェーンソーの音がすぐ近くに聞こえていた。撮影中、作業の方々が3名+2名降りてきてここを通った。「少なくとも40年前にはあったね」(謎)。その後、私たちが最初に断念したルートとおぼしき方向へ歩いて行った。道あったのか!? みな、ビニール袋いっぱいにキノコを持っていた。浦山!

この日は廃道でさまざまなキノコを見た。後刻、きのこ屋さんで見たナントカシメジと同じもの(だと思う)もあった。とっておけばよかった!!

IMG_8369_R.JPG本日の案内に、トリ氏。このあと2ヶ所を案内していただいた。うっかりオーバー。

IMG_8381_R.JPG銘板の読み方と、標識の読み方が異なるんですけど…。


次はいつだろう? またツイートします。


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