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南丹の国道沿いに、いつも撮る局舎からさらに一世代新しいと思われる郵便局があった。いま、郵便局は局ごとにまったく異なる建築となっている気がするが(正確には知らない、あくまで印象)、ここはその過渡期にあたるのではないかと感じた。

  建屋はちょっと凝った作り。平入りの形を取る母屋には片流れの段違いの屋根が前後につき、正面からは片流れに見える。向かって左の部屋部分はまた異なる。この部屋、なんだろう。かつての駅にあった宿直室のような雰囲気がある。

こんな建物を買い取って住んでみたい。

局名は、現行の郵政書体のようだ。


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・赤れんが5号棟(赤れんがイベントホール)。旧舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(大正7年)。1266.25m^2。

左から、
・赤れんが4号棟(赤れんが工房)。旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(明治35年)1512.10m^2
・赤れんが3号棟(まいづる智恵蔵)。旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫(明治35年)1512.10m^2
・赤れんが2号棟(舞鶴市政記念館)。旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(明治35年)1182.96m^2

舞鶴の「赤れんが倉庫群」は、重要文化財という括りで見れば7棟+付属の1棟(5号棟)といったまとまりで知られているが、周辺(北吸地区)には全部で12棟ある。大きな倉庫なので出入り口は妻面のほか側面にもあり、その出入り口は、一部は鉄製の扉に換装されてはいるが、木製の扉が使われている。

まずは最も大きな5号棟の北西側。
扉は上半分が菱形(の上半分)、下半分は縦板。左の出入り口の右扉下部には潜り戸がある。

右の扉から線路が見えている。この線路幅は1067mm、そこから類推するにこの大きな扉は天地5m、左右4mほど。もちろん鉄道車両…トロッコで荷物を出し入れしていたようだ。


その反対側(南東側)も同様。向かって右はイベントホールの出入り口としてサッシに交換されている。

南東側の扉を内側から見たもの。菱形の裏を見たのは初めてだ。菱形の1辺に対向する形で筋交いが入っている。下部は横に桟が入るのみ。こうして見比べると、広い面積では菱形(またはバツ型)のほうが強度が出る気がする。潜り戸も同様に対向する筋交いが入っている。

そして重要なのは、いままで「扉」と書いてきたが、「戸」である点だ。2枚とも向かって右にスライドする。上にあるのは戸車、扉下部は溝がある。

確か2号棟側面の扉。こちらは観音開きの扉。

たしか上写真の裏側。内側にサッシの戸が増設されている。



4号棟。横開きの戸ではなく、観音開きの扉。
3号棟も同じ。2号棟は金属の扉に交換されている。

3号棟を内側から。細かく横桟が入るのみで、対角の筋交いはない。

たしか3号棟の側面の扉。妻面の扉と比べて天地寸が小さいためか、横桟が少ない。

1号棟から5号棟をめぐった限りでは、これ以外の木製扉のバリエーションはなさそうだった。


書店店頭で見て驚いた。こんな本が出るとは。

1946年生まれの著者は、国鉄の労働問題がもっとも深刻だった頃に東京機関区に勤め、国労に所属し、東京機関区廃止後は大井機関区、JR発足後はJR貨物の大井、そして新鶴見へと勤めた人物。書店店頭に1冊だけあり、サンプルとしてカバーにビニールがかかっていたので、きれいな本がないか書店員に尋ねたら「今日、たくさん売れているのでこれが最後の一冊です」と言われたので、それを買ってきた。

版元は、えにし書房。カバー表4には「取引代行」のシールが貼ってある。要するに、小さな版元による少部数の本だ。だが、本の質に版元の規模など関係ない。その書店に何冊の配本があったのかはわからないが、ふらりと書店を訪ねて本書に出会った鉄道ファンは、きっと買わずにはいられなかっただろう。私がそうだった。強烈な印象を受けた。

* * *

本書は写真集だが、4章構成となっている。それぞれの章に短文が添えられ、写真には、外部の人間にはわからない、国鉄に働く人ならではの機微を込めたキャプションが添えられる。

第1章 わが東京機関区
第2章 闘いがあった
第3章 「つるそう」解体
第4章 「定年」退職

この章立てにあるように、著者はJR貨物退職まで国労に所属していた。そして、そのことをいまでも誇りに思っている。労働運動が政治的なスローガンを掲げていることを肯定している。一方で、それに複雑な気持ちを抱いていることも感じさせる雰囲気もある。

私のブログでは国鉄の労組を扱った書籍についてもいくつか書いてはいるが、ここでは著者の主張についてはおいておこう。そんなことより、写真だ。写真がすごい。



常々、写真こそもっともジャーナリスティックなメディアであると思っているのだが、本書はそのうちのひとつだ。国労による写真集ではないのに、スト中の様子、デモの様子、「スト破り」をした機関士と彼らを取り巻く環境、そうしたものが記録されている。当時まだ30歳にもならない著者は、鉄労の機関士を取り囲む動労・国労の集団や、デモに参加させられる子供、いじめのような区長への嫌がらせなど、さまざまなことを考えながらシャッターを切ったに違いない。なにしろ、別のカットでは区長と仲良くしている写真まであるのだ。もっとも、そうした複雑な感情、人間関係は、現代の感覚では理解できるものでもないだろうし、ましてや部外者が勝手に解釈してはいけないとも思うのだが、それでも読み取るならば、そういうことだろう。

現代の感覚では、国に準ずる機関が、毎年殉職者を出すような労働環境の職場を持っていたことにまず驚く。いまのJR、いまの「働き方」しか知らなければ、信じがたい世界だ。まず、入社したらトイレ掃除から始まる。まだ十代の男たちがナッパ服を着て肉体労働を強いられる。我慢してると次のステップを登る資格を得られる。勉強次第でステップを登れる。その繰り返し。

一方、労働環境としては、所属が異なる同僚を敵視し、暴力も辞さない職場。民間なら当然なされる合理化ができない職場。定年までずっと同じ仕事をし続ける人たちばかりの職場。異動などはありえない職場。結果、国は、膨大な人件費を余計に支払うはめになる。そうなったのはそれなりに理由があるが、現在、国に準ずる機関におけるそんな労働形態は、もうないのではなかろうか。


機関区勤務でなければ撮れなかった写真たち。乗務員の視線、検修の視線。「労働者」としての視線。同僚としての視線。職場が家族であるかのような時代の空気。本書に収録された写真のほとんどは、鉄道ファンには物理的にも撮れないし、作品化することなどなおできない。

本書は2700円+税と、決して安くはない。しかし、本書には、鉄道趣味誌が目をつぶってきた「職場としての鉄道」の現実と、現代の視点では夢のようなこんな職場がかつて存在したということが封じ込められている。よくぞ刊行してくれた。写真も文章もすばらしい。

いまからたった30年、40年前の国鉄ではこんなふうに仕事をしていたのだ。そういう働き方ができた時代だったのだ。そういうことは、国鉄、国鉄と言っている多くの鉄道ファンに、できるだけ理解してもらいたいと思っている。だから、買ってほしい。










川辺謙一さん渾身の書。そういえば、私がイメージできるのはCTC指令室くらい。変化が早すぎて「現代の」ではなく「現在の」指令室がどうなっているのかは考えたこともなかった。本書は「現在の」ATOSこと「自律分散型列車運行管理システム」を最大限に活用したJR東日本の指令について、とてもわかりやすく解説した本だ。

「とてもわかりやすく」というのは、本書は鉄道ファンが理解できればいいように(鉄道ファンならすぐ理解できるように)書かれたものではないということ。ファンにとっては基本とも思える用語も一般的な言葉で説明してあり、車両形式は一切出てこない。「指令」もそうだが、現場がその用語を使っていて、どうしてもその用語を使わないと説明できない単語のみ、注釈をつけて使っている。おそらく、一般の人が読んでもすぐに理解できるのではないか。そういう意味では、交通新聞社新書ではなく、一般の、例えば中公新書などでもよさそうな内容だ。

* * *

鉄道は、さまざまな面で趣味的に惹きつけるが、巨大な運行システムを人が動かしている、というところに惹かれる人も多いだろう。複雑な配線、複雑な条件がある車両の運用、乗務員の運用。趣味誌にも一切採り上げられない電力事情。保線。ほかにもいろいろな構成要素があるだろう。では、どうやってその運行システムを統合して動かしているのか。

先に「人が動かしている」と書いたが、本書には「(指令は)セオリーはあるがセンスが問われる仕事だ」と書かれている。また、最新の成果として、2013年2月21日の武蔵野線新秋津駅での車両故障の際の運転整理を例に挙げ、利用者すら驚くワザで輸送を確保したことが書かれている。そうしたおもしろさを、運行システム管理の説明の中で感じられるように本書は作られている。

一方、その裏で感じたのは、運転の現場の業務の硬直性というか、「鉄道」という職場の特殊性だ。例えば運転士の総労働時間や連続して運転できる時間には上限があり、また各運転士はそれぞれ運転できる路線や経路が決まっている。列車ダイヤが乱れたときでも、それらを破ることはできない(ということも本書には書いてある)。一般の感覚からすれば、残業を命じられることはあろうし、突発的な超過勤務になることもあろう。それになぜ対応できないのか。それは、対応できなくて当然のものなのか、それとも「鉄道」という職場の特殊性なのか。ある人に聞いた、「鉄道の社員は、自分たちは運輸の専門家である自負が強すぎ、ものを売ったり営業したりなどする必要がないと思っている人が多い」という言葉が思い出された。

これには労組の問題も多々含まれると思うし(*)、訓練の容量の問題もあろう。本書では、ATOSの運用を続ける中での社員の意識の変化、あるいはJR東日本全体の社員の意識の変化でそれらが改善されていく様子が描かれている。同時に、スマホが普及した現在、利用者の情報への要求もますます高いものになってきていることをしっかり認識してる様子もある。

とはいえ、それらの改善は、大々的に広報されているわけではない。私は、JR東日本はATOSについて、もっと一般に知らせるべきだと思う。先日の台風19号でのJR西日本の運休は、その決断を「まあ、仕方がないよね」と受け止める人が多かったと思うが、JR東日本も、やむを得ぬ事情でダイヤ乱れた場合や運転整理をした時に、利用者に「まあ、仕方がないよね」と納得してもらう必要がある。そのためには利用者に、ここ10年で運行管理がどれだけ改善されてきたか、あるいは普段、どれだけ指令の恩恵を受けているのかを知ってもらえばよい。

これからもJR東日本の運行管理はさらに改善されていくだろうが、まだまだJR東日本が気づくべきことはたくさんあるだろう。できること、できないことはあろうが…という前置きがなされないくらいに社員の意識が変わって快適な鉄道になることを期待する。

大変読みやすい本だったが、執筆の大変さは察するに余りある。このブログ末尾に川辺さんの他の著書の感想へのリンクを張ったが、本書のようなクオリティで、従来の「車両」「歴史」以外の切り口で鉄道に迫る川辺さんの次回作が何になるのか。こちらも期待したい。


最後に。本書は取材を元に構成してあるので、すべては聞いた話になる。だからだろう、「~だそうだ」「~だという」と結ばれた文が非常に多い。これはすべてトルしていいと思う。取材対象者が話したことは「事実」として断定していい。もしかしたらJR東日本が事実チェックをして、ソースがないものはすべて伝聞形式にせよと言われたのかもしれないが、読んでいて気になる部分だった。

(*)本書では触れていないが、私は、たびたび国鉄・JRの職員の意識が変わった、とくに世代交代して変わってきた、と書かれているあたりから感じ取った。取材協力がある本の場合は「そこに書かれていないこと」をさぐりながら読むものだ。

* * *

余談。2014年1月3日に有楽町駅付近で火災が起き、東海道本線の列車が品川折り返しになった。その際、本来ならば東京駅で商品を積み込む車販の人たちは相当な苦労をしたエピソードが書いてある。10月13日、私は磐越西線の「DLばんえつ物語体験号」に乗った。行きは新潟→馬下、帰りは馬下→新津。売店の人たちは、新津から新潟まで変える手段がない。驚いたのだが、通常の上り電車(115系)に荷物ごと乗り込んできたのだ(便乗扱いだろう)。また、私自身が東海道新幹線で車販のバイトをしていたときにダイヤが乱れると、新大阪まで行かずに京都で折り返したりもしていた。そんな苦労を思い出した。


●関連項目
『鉄道をつくる人たち』(川辺謙一著/交通新聞社)
『鉄道を科学する 日々の運行を静かに支える技術』(川辺謙一著)
『図解・首都高速の科学』(川辺謙一著/講談社ブルーバックス)
周山の街中、国道が合流して分流する間の集落の中心地にバスの営業所があった。よく見るとバスセンターのようにホームがあり、車庫を兼ねたよくある営業所とも様子が違う。屋根の下にはまるで鉄道の駅のような案内表がぶらさがり、1番線、2番線…のようになっていた。

駅舎。すごく入りたかったが、鉄道駅と違って無闇に入るには抵抗がある。実際はどうなんだろう?

JRバスについては生まれ育って地域になかったこということもあって馴染みがないのでwikipediaのリンク先をご参照いただきたい。

・高雄・京北線






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