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予想外の分厚さだった。理由はカラーページだ。全256ページ、最初の1折(16ページ)は1色(モノクロ)、以降はカラーとモノクロが交互に来る(が、最初の16ページもカラー/モノクロ交互にできたはずだ。片面を4色(カラーのこと)、他面を1色の64P✕4台、として印刷するはずだからだ。そうしていないのは目次と前書きだからだろう)。本が分厚いのは、写真をきれいに出すために紙質をよくしたためだろう。通常の新書の紙はクリーム色に近いので、カラー写真はその色が乗ってしまう。だから、カラー写真を多用する本は、漂白された白い紙を使う。

写真はモノクロページにも多数掲載されている。卒塔婆の色の話がモノクロに写真があったりもするので、写真はカラーページにまとめて掲載すればいいのにと思わなくもないが、それでは収まらないくらいに写真が多い。モノクロページをすべてカラーにすると印刷代が4倍になる(本書では「5分の8」倍)。残る120ページをカラーにすると、原価からいって定価を100円上げなければならないと思うが、税別980円ならばいっそ税別1100円でもいいからオールカラーにしてほしかった、と読者としては思う。

…という印刷・製本の話はここまでにして、なにより、読みやすい本だった。先日、化学出身のライターさんに「論文を書く…読んでもらう論文を書くために文章の訓練がありますからね」と聞いたのだが、不躾ながらその賜物だろうか。リズミカルで、ユーモアがあって、大好きな文章だ。Golgodenkaさんの文章も大好きなのだが、近い気がする。

内容について、「企画・編集」という私の仕事の観点からすると、本書のようないささかマニアックなことを紹介する本は「国道とは?」「どこがおすすめ?」のような「基本」が大事なんだなあと改めて感じる。そして、適度なユーモアと自虐と引き際のバランス。本書は「国道の本だと???」というような、まったく国道について知らない人でも、詳しい人でも楽しめるバランスがあると思う

* * *

本書で繰り返し書かれていることがある。「国道標識を、いい場所に設置せよ」ということだ。大いに賛同する。私もいままで何度も言っている。

ドライブ、あるいはツーリングで記念写真を撮るときは、その道路らしいところで撮りたいものだ。たいていは碑などの前になる。碑には地名や道路名が書いてあるからだ。おにぎりではない。おにぎりは、なかなか「いい場所」にはないのだ。素晴らしい眺望の場所や、その路線を代表する線形の場所、あるいは特徴的な場所におにぎりやヘキサを設置すべきだ。できれば駐車場を添えて。

銀座4丁目、和光の前に国道15号のおにぎりがあるべきだ。
オロロンラインは、道が一直線になっている場所に、短冊ではなくヘキサがあるべきだ。
国道17号は三国トンネルの前におにぎりがあるべきだ。
6路線重複の国道は、6連の標識を作るべきだ。
長野県道162号も上田駅前にヘキサを設置すべきだ。

旅行ガイドブックの仕事も長い間やっていた経験からすると、各地方は、自分の地域にある「なにかいわくのある場所」を血眼になって探している。失礼ながら、相当にしょうもない物件も採り上げ、ひとつでも多く見所があるように見せている。ガイドブックの側も「見所」をひとつでも多く探している。ならば簡単ではないか。例えば上田駅前にヘキサをひとつ置いて「日本一短い県道」と説明書きをしておけば、勝手にツーリングマップには掲載され、バイク雑誌のツーリング記事で掲載され、それを見たライダーたちが立ち寄るだろう。近くにウマイ飯屋があるとなおいい。週末ごとに数十台のバイクが訪れることになるだろう。そして上田の観光ガイドに周辺の飲食店と合わせて掲載されればさらに…。

ほか、例えば古い標識や白看が残っている場所には「これは○○年に設置したものです。市町村合併や道路の改良を経ても長らえてきました。歴史的経緯を尊重してそのままにしてあります」、狭い道路には「『酷道』と揶揄されていますが、私たちも早期開通を願っています」、特徴的な意匠をあしらった隧道坑門や橋にはそれらの経緯。すべて立派な「見所」である。ホント、お願いします。

* * *
個人的な感想としては、新潟県の国道のことが何度か出てきて嬉しい。国道7、8、17、49号はもちろん、本町通りと柾谷小路の交差点(道路元標がある)や新潟バイパスについても記載もある。
 

偶然だが、先日、仕事で各県の高速道路や国道の総延長などを調べた。新潟が話題になるのも当然、重用区間を除く一般国道の実延長は1774.7kmで北海道、福島、岩手に次いで4位なのである。高速道路の実延長は379.3kmで北海道に次いで2位。政令市では新潟市は61.2kmで堂々1位。ならば、新潟の道路の話題が多くなるのも当然だろう。

* * *

さて、ここからは本書の感想ではなく、本書に採り上げられている国道のテーマに沿って、自分のことを書く。

まず、私は元がバイクなので、実は酷道にはあまり関心がない。バイクは車体が小さいため、運転していて酷道の狭さを怖いと思うことがないのである。1~1.5写真の酷道も「まあ、林道を舗装して国道にしたんだね」というような感想しか持っていなかった。それでもクルマで暗峠に行けばやはり驚くし、わくわくもする。

1990年代、旅先でそうしたおかしな国道については口コミがあったし、ツーリングマップ(ル)にも書かれていた。私が萌えたのは未舗装の国道だ。

未舗装の国道に初めて会ったのは1993年夏。トムラウシに登った後、国道273号を糠平から歩いて北に抜けようと思ったのだが、砂利になったのでヒッチハイクに切り替えたのだ。旭川在住のおじさんに拾ってもらい、軽のワンボックスで峠を越えた。三国トンネル内のみ、舗装されていた。




後年、バイクの免許を取って北海道に行ったときは、ツーリングマップに未舗装と書かれていたナウマン国道に行ったが、すでに舗装されていた。間に合ったのは、国道401号と458号くらいか。



国道一気走りについては、1990年代後半、月刊『オートバイ』で「国道選手権」のようなタイトルで、毎号、走破者を掲載していたと記憶する。毎回トップは、荒川聡子さんだった。『アウトライダー』『ワンダーJAPAN』などにもよく上方を寄せていた方で、数年前に突然亡くなった。

『アウトライダー』では、野岸泰之さんと徳永茂カメラマンが「酷道一直線」という連載をしていた。当時、『ガルル』の連載で徳永さんとツーリング取材に行っていたときに聞いたのだが、本来は、まさに佐藤さんが言うように「国道は、同じ○号線といっても、大都市も田舎道も峠道もいろいろ姿を変える、その1本をたどる記事にしたい」という企画意図があったそうだが、いつのまにか「沿道の珍スポットめぐり」になってしまったのは残念だった。



バイクに乗っているときは止まるのがいやなのと、国道は多くの人が記録を残してくれているから自分はいいや、という気持ちになるのであまり写真は撮らないのだが、それでも撮ってしまったいくつかをここに貼る。

「品型」とでも呼ぼうか。

おにぎりとヘキサの串団子。

ヘキサは行き止まりを向いている。

西表島の南風見田浜。補助標識が3枚もあり、しかも「終点」は縦長だ。


最近は、気になるものは撮るようにしている。国道好きの人たちに狩り尽くされているかも、とも思うが、少しは発見の手助けになるかもしれない。





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久見浜湾の北岸、幅わずか350mほどの砂洲の内側を走っていた。砂丘なので、海は見えない。

ガソリンの価格が書かれた看板があったので、給油しようと思った。しかし、見当たらない。ふと、海へと続く小径を覗くと、アポロが見えた。

残念ながら休業日だった。なんという立地だろう。砂丘に建つ、美しい建物。隠れ里のようだ。松の向こうは日本海である。


ラーメン構造なのか、アーチの変形を脚で支えているのか。川の中に設置されたアンカーに斜めに脚が突き刺さっているのが、なんとも構造を感じさせる。

久見浜湾が海とつながっている部分は川のようになっている。車道は湾側にひとつだけなので、「川」の両側に住む人たちが大回りをせずに対岸に渡れるように設置されているのだろう。

階段部分と水平部分のつながりも美しい。

右岸というか東側の階段。下4段は地面。そこから先が橋。銘板は、左が「久見浜港」、右が「湊小橋」。対岸は確認していない。行ったのだが、クルマを停める場所がなかった。

銘板。

湊小橋
1981年1月
京都府久美浜町
歩道橋指針(1965)
使用鋼材 
製作:株式会社横河橋梁製作所

塗装標記。

塗装してから14年もたつとは思えないほどきれいだった。


南丹の国道沿いに、いつも撮る局舎からさらに一世代新しいと思われる郵便局があった。いま、郵便局は局ごとにまったく異なる建築となっている気がするが(正確には知らない、あくまで印象)、ここはその過渡期にあたるのではないかと感じた。

  建屋はちょっと凝った作り。平入りの形を取る母屋には片流れの段違いの屋根が前後につき、正面からは片流れに見える。向かって左の部屋部分はまた異なる。この部屋、なんだろう。かつての駅にあった宿直室のような雰囲気がある。

こんな建物を買い取って住んでみたい。

局名は、現行の郵政書体のようだ。



・赤れんが5号棟(赤れんがイベントホール)。旧舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(大正7年)。1266.25m^2。

左から、
・赤れんが4号棟(赤れんが工房)。旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(明治35年)1512.10m^2
・赤れんが3号棟(まいづる智恵蔵)。旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫(明治35年)1512.10m^2
・赤れんが2号棟(舞鶴市政記念館)。旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(明治35年)1182.96m^2

舞鶴の「赤れんが倉庫群」は、重要文化財という括りで見れば7棟+付属の1棟(5号棟)といったまとまりで知られているが、周辺(北吸地区)には全部で12棟ある。大きな倉庫なので出入り口は妻面のほか側面にもあり、その出入り口は、一部は鉄製の扉に換装されてはいるが、木製の扉が使われている。

まずは最も大きな5号棟の北西側。
扉は上半分が菱形(の上半分)、下半分は縦板。左の出入り口の右扉下部には潜り戸がある。

右の扉から線路が見えている。この線路幅は1067mm、そこから類推するにこの大きな扉は天地5m、左右4mほど。もちろん鉄道車両…トロッコで荷物を出し入れしていたようだ。


その反対側(南東側)も同様。向かって右はイベントホールの出入り口としてサッシに交換されている。

南東側の扉を内側から見たもの。菱形の裏を見たのは初めてだ。菱形の1辺に対向する形で筋交いが入っている。下部は横に桟が入るのみ。こうして見比べると、広い面積では菱形(またはバツ型)のほうが強度が出る気がする。潜り戸も同様に対向する筋交いが入っている。

そして重要なのは、いままで「扉」と書いてきたが、「戸」である点だ。2枚とも向かって右にスライドする。上にあるのは戸車、扉下部は溝がある。

確か2号棟側面の扉。こちらは観音開きの扉。

たしか上写真の裏側。内側にサッシの戸が増設されている。



4号棟。横開きの戸ではなく、観音開きの扉。
3号棟も同じ。2号棟は金属の扉に交換されている。

3号棟を内側から。細かく横桟が入るのみで、対角の筋交いはない。

たしか3号棟の側面の扉。妻面の扉と比べて天地寸が小さいためか、横桟が少ない。

1号棟から5号棟をめぐった限りでは、これ以外の木製扉のバリエーションはなさそうだった。




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