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富士川沿いの国道を避けて県道を走っていたら、3色のVの字が見えた。共同石油だ。サービスルームはいまでも使われているようだ。

2階のベランダがV字型を描いているのは、決して「落ちている」のではない。こういうデザインだ。その証拠に、1階の窓、これはきちんと上辺が斜めになっているし、ベランダの手すりも平行四辺形になっている。V字の底からは雨樋が地面に落ちる。クリックするとflickrに飛ぶので、そこで大きな画像で確かめて欲しい。

JOMOにもなっていないので、すでに閉鎖されて久しいはずだが、日影側となる壁面は白塗りもあまり剥げず、ストライプもあまり褪色もせずに残っていた。

壁の「外側」にGマークが残っていた。

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釜口橋(静岡県)のすぐ上流に見える水管橋。水管には三菱のマークが光っているが、それは写真を見ていて気がついたものだ。

地形図を辿ると、そもそもの取水口は身延線塩之沢駅近くにあり(標高170m程度)、そこから十島駅近くの日本軽金属富士川第一発電所(標高100m程度)、そして出口は蒲原の日本軽金属富士川第二発電所へとつながっている。

写真右の車道は「橋場桟道橋」といい、車道拡幅の際に桟橋状に架けられた部分のようだ。「橋場」という名称が、いかにも釜口橋のとりつきらしい。


歴史的鋼橋集覧に載っているとは思わなかった。詳細はこちら。
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T9-106.htm
富原橋(静岡県)の続き。

富原橋の記事にアップした写真、右に橋脚が写っている。これは旧橋の橋脚だ。


  重力式の石積みで、写真右(下流側)に斜めに張り出している。石積みか石張りで、頂部にはコンクリートが見える。下写真左に転がっているコンクリート塊も関係する部位かもしれないが、ちょっとわからない。

  ちょっと引いて見るか、逆側から見ると、もうひとつコンクリート製の橋脚が見える。

この橋脚は、現在のカンチレバートラスがかかる前の旧橋のものだ。この上にコンクリート製の主塔が建っていた。富士市のサイト「富士市写真館」にその開通式の写真がある。
富士市写真館[PDF]より転載。当該写真の著作権は切れている)

橋梁史年表によれば、1930年11月30日開通、木造補剛トラス、主塔はRC。橋長は不明だが、現在の富原橋と同等と思われ、現存する橋脚から考えるとスパンは現橋同様に70m前後ではなかろうか。ケーブルの数もすごい。

このころの周辺は、富士川の豊富な水量と木材資源をめぐって製紙会社の抗争がきなくさいようだ。

静岡県富士市の山中にあるカンチレバートラス。といっても、横から眺めることがまったくできず、カンチレバートラスの特徴である「ツノ」を写真におさめることができていない。現地ではそのように思っていたが、こうして写真を見ると、その向こう…県道25号からこの県道10号に降りてくる接続路…から見下ろせば、きちんと見えたはずだ。ストリートビューでいま確認した。かように現地では気づかないものである。これは南東側(富士市街側)。

橋長200mで、碇着桁のスパン各42.7、吊り桁のスパン70.8m。その両側に16.2mのプレートガーダーがつく。

  親柱。向かって左は「富原橋」。その上の橋名には「富士川町」とあるが、既に富士市と合併している。そして向かって右は「完工 昭和31年3月31日」。このような銘板は不憫だ。

 カンチレバーたるゆえんの接合部。左が碇着桁のツノ、右は吊り桁である。写真中央、上弦にピンが二つ見える。

 このように、一見華奢である。

 下部のピン。

   北西側。親柱向かって左は「とみはらばし」と「ば」が濁っている。右は「昭和三十一年三月竣工」。南東側は「完工」およびアラビア数字での記載となっている。なぜ異なるのかはわからない。こちらがわ、左の端柱に銘板が見えるのだが、現地ではうっかり写真に撮っていない。

富士市のサイトに、開業時の写真がある。
いまはここに人家が建ち、見えない。付け加えると、その人家の犬は非常によい番犬の働きをする。


歴史的鋼橋集覧はこちら。
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T11-025.htm

直上の写真にも見えているが、この上流に廃橋脚がある。それは次回に。

かつての静岡県芝川町、いまは静岡市に含まれてしまったが、富士川が一番狭まる「釜口」があるそこにかかるランガートラス。実際には富士川の真ん中に「瀬戸島」という台地がそびえ、その両側を富士川が流れるので、二分した片方の流れをひとまたぎする橋だ(その後、すぐ合流する)。残念ながらトラス部分をきれいに見通せる場所はないので、内側から鑑賞するしかない。

 
左岸側(東側)。写真のように、下流側に歩道が後付されている。親柱には、「釜口橋」(左)、「昭和二十六年三月竣功」(右)とある。左の親柱の向こうには銘板がある。


昭和26年(1951)
静岡県建造
内示(昭和14年)二等橋
製作 東日本重工業株式会社 横浜造船所

東日本重工業とは、三分割された三菱だ。

 歩道はなぜか少し高くなっており、トラスの真ん中くらいに床がある。そのため、釜口橋を見下ろす形になる。

右岸側(西側)。親柱の銘板は同じ。ただし、左の親柱はガードレールに半分隠されている。


長さは60m(約200フィート)。近くには教育委員会の碑もあり、「富士川で初めてかけられた橋がここにあった」と誇らしげに書いてある。





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