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アメリカン・ブリッジ探訪/沢尻川橋梁

アメリカン・ブリッジ探訪/沢尻川橋梁

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

沢尻川橋はここにある。


20090902_1.jpg






















いきなりこんなだった。
看板の中に描いてあるのが、広島県の可部線の105系が太田川橋梁を渡るところで、
バックにR54太田川橋が写っているのはなぜだろう。


見えるものといえば、こんなものだった。
20090902_2.jpg






















全景すらお目にかかれない。
銘板など見えようはずもない。
早々に退散した。
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宮脇俊三先生は怒らなかったのだろうか

宮脇俊三先生は怒らなかったのだろうか

隧道・廃隧道


坑口が土管のように丸い。

アメリカン・ブリッジと俺

アメリカン・ブリッジと俺

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

アメリカン・ブリッジに関心を持った経緯はこうだ。
 
アメリカのディーゼル機関車全般

BNSF鉄道

BN(バーリントン・ノーザン鉄道)

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NP(ノーザン・パシフィック鉄道)

ノーザン・パシフィック・コーナー

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J・P・モルガン

USスチール

アメリカン・ブリッジ


こう至る過程で、いろいろ寄り道をした。
モルガンに関することがいちばん時間がかかった。
元々金融だの経済だのを勉強したことはない上に
書物に書かれているのはアメリカとイギリスの金融界の常識である。
日本に置き換えて考えることのできる話ではない。

アメリカン・ブリッジについては、いまなお理解していない部分が多い。
公式サイトは基本的に「いま」のことばかり書いてあるし、
こちらの関心はとっくに終わってしまった技術、ピントラスである。
古い土木学会誌などのほうが役に立ったりするが、
いかんせん読みにくい。
日本における鋼橋史とその系譜、みたいな書物がないかしらん?

20090830americanbridge.jpg

アメリカン・ブリッジ探訪/徳沢橋梁

アメリカン・ブリッジ探訪/徳沢橋梁

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

20090829tokusawa.jpg






















磐越西線徳沢橋梁。
下りでいうと、徳沢駅を出てすぐに阿賀野川を斜めに渡る橋梁である。
両岸の木立に囲まれ、端部の短いプラットトラスを全貌できない。

釜ノ脇橋梁とともに、日本初のカンチレバー工法にて架設された橋梁である。
(土木図書館の工学会誌参照)

これまた古さをまったく感じさせない、落ち着いたたたずまいを見せる。
いかにもアイバー、という形のアイバーが中央パネル下部にしかなく、
また副材(ここでは斜材)が多数備えられているため、
ピントラスが持つ華奢な印象がないのかもしれない。

確か、R359が鬼光頭川を渡る橋から撮影したと思う。
同じ場所には、こんなものもあった。
振り返っての撮影だったと思う。
20090829tokusawa2.jpg20090829tokusawa3.jpg












































旧橋だろうか。それとも水道橋かなにかの遺構だろうか。
昭和51年度撮影の航空写真でもわからない。
国土変遷アーカイブでも、もちろんわからない。

下記はhttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/cto-76-26/c1/cto-76-26_c1_10.jpgをトリミング。
写真の左下の橋の左下に、上記橋脚があるはずである。
20090829tokusawa4.jpg

富士山

富士山

山あるき

よく山に登っていた頃、3000m峰全部登っても、
富士山だけはまさか登るまい、と思っていた。
それが、ふとしたタイミングで登ることになった。

山を知っている者には予想外の連続。
いや、正確には巷間喧伝されていることから事前に「予想」していたものの、
それがその通りであることを確認して驚くことの連続だった。

とにかく山頂でご来光を迎えた。
ただし、私が過去に見た数十回のご来光のうち、
どれくらいの順位かといえば、、、後半だろう。

20090828fuji2.jpg






















行程自体は、思っていたよりもイージーだった。
天候、気温、いろいろな要因があるだろうが、
途中でツライ、イヤだ、もうへたり込みたい、ということは皆無だった。

もっともっと体力が有り余っていた高校生の頃には
もっとつらい思い出がある。
しかし、いま考えると、それは「つらい」と思い込んでる思い出であって、
同じことを体力の数段落ちたいま実行したとしても、当時ほどには苦痛に感じないだろう。
つまり、気の持ちようである。

20090828fuji.jpg






















下山道は「ブル道」である。
3回、すれ違った。
思ったよりも荷は少ない。

屋根上に人が座っているのは、
運転席から前が見えないためである。


新ザック

新ザック

山あるき

P1010560.JPG

























そしてこれを買ってきた。
カリマーの40L。
カリマーもミレーも、昔の半額って感覚。
35Lでちょうどいいものがあったが、冗長性が低いのでこっちにした。

新しいザックってわくわくするね。
いじくりながら、こんな機能があるのか、ここがこうなってんのか、なんて。

ストラップの端部を留めるプラのクリップがついていたり、細かいところに手が届くカリマー。
いらんといえばいらん装備。
そういうのがついているのって・・・バイクならBMだな。

ザックのカビ

ザックのカビ

山あるき

家の倉庫に、ザック類をまとめて収納しておいたプラケースがあった。
その中がカビくさいことには気づいていたが、とくに使う予定もなし、
そのまま朽ちていく可能性の高さも意識しつつ、放置しておいた。

先日、必要があって、50Lのザックを引っ張り出してみた。
20090823lowe1.jpg






















mountaintransitTL、確か50L程度のものだ。
テント1泊の登山用に買ったもので、苗場や平ヶ岳、仙丈、四阿などは
これでテントをかついで上で1泊、という登り方をしたと思う。

で、こんなになっていた。
20090823lowe2.jpg20090823lowe3.jpg












































外見はなんともないのに、コーティング部分がみごとにカビている
別の黒いバッグの一部がこの色になっていたが、それは土だと思っていた。
違う。カビのために劣化して、コーティング部分がボロボロとはがれおちてくる。
それ以外の部分、すなわち本体の布地は大丈夫なので、防水性能がガタ落ちしただけ、ともいえる。

ほかにも80~100Lのspecialist cloudwalker2、60L程度のJackwolfskinのものもある。
でも、どちらも・・・。
悲しいことだ。
保管するときに、もっともっと気を遣うべきだった。

やむを得ず、ジャストサイズの別の40Lのザックを買ってきた。

岐阜県大野町:町中のヨ8000廃車体

岐阜県大野町:町中のヨ8000廃車体

鉄道車両廃車体

4cd38c37.jpg






















町中にいきなり2両ある、とてもきれいなヨ8000である。
ここである。


車体はガンメタというか、きれいなグレーというか、
そういう色で塗られている。
車体標記は消され、形式称号の場所には電話番号が書かれている。
よって、2両とも同じ標記となり、2車現存である。

この会社が所有しているものと思う。
産廃のリサイクル屋さんだが、敷地内は青いシートで覆われているため、
石材屋さんかと思ってしまった。
枕木も多数、積んである。

車体の状態はすこぶる良好。
車軸発電機の銘板やら配線までもが残っている。
31eb5bf5.jpg





川越の廃車体:ワム60000

川越の廃車体:ワム60000

鉄道車両廃車体

6d59f924.jpg






















今日、ウエストポイント近くにクルマを停めて自転車で散策している途中に見つけた。
ここである。


車体はピンクがかった色で塗られているが、褪色なのか、もとからそうなのか、
非常に写真では表現しづらい色である。
車体表記が読めるものがあるので、元の車体色の上に塗り重ねてある。
ひとつは「ワム64393」と読めた。

2両1組のような形で、非常に狭い連結面間となっている。
東端の1組と中央の1組の間には塗炭の掘っ立て小屋があり、
隙間からは扇風機などが見えた。単なる倉庫のようだ。

基本的に車体の状態は塗装がはげかかっている程度で、
屋根が落ちたりといったことはないものの、手すりは曲がっているものがある。
設置時にぶつけでもしたのだろうか。

強烈な夏の日差しがよく似合う情景だった。

上野英信『地の底の笑い話』

上野英信『地の底の笑い話』

隧道・廃隧道

これを廃道にカテゴリするのはいささか抵抗もあるが、
関心を持った根っ子は同じである。

bd59d6ed.jpg

























先に断っておくが、上野英信について、私はなにも知らない。知らなかった。

先月、まったく偶然に立ち寄った早稲田の古書店で見つけたのが
『地の底の笑い話』である。
まだまだ学術書ばかりといっていい時代の岩波新書なのに、地の底。
背取りというほどのことはないが、背表紙を見て炭鉱の民俗譚であろうことは想像がついた。
400えん。
買った当日、まだ読むべき本が山積していたので、
その日のうちに会社の同僚に貸してしまった。

別の日、図書館で三木健『西表炭鉱写真集』をかり出してきた。
パラパラと興の赴くままに眺める。
ふと巻末近くに、上記の写真と記事が目に止まった。
一通り読んだはずであるが、今から思えば「読んだ」とは言えまい。


後日、『地の底の笑い話』を読了した。
著者が誰なのかさえ意識しなかった。

今日に至り、改めて『西表炭鉱写真集』をすべて読み直した。
再び上記の写真のページを読んだ。
写真は見てはいるが、まだ目に入っていないに等しい。
本文にはこうあった。
「そんな村田さんが帰郷を果たし得たのは、まさに天の配剤というほかない。
一九六八年、東京の出版社の編集者が、たまたま村田さんの境遇を知り、」
お節介なのがいるんだなあ。
「それを筑豊の作家」
そういえば『地の底の・・・』の著者も筑豊だったな。
「上野英信さんに通報したことから、」
・・・!

あわてて写真を見る。
「筑豊の上野英信さん(右)一家に迎えられホッとする村田さん(1970年5月)」
というキャプションがあった。

先に、パラパラと本を繰ってこの写真を見たときは、
親戚だろうか、なぜこの人の元に身を寄せたのだろうか、
などと思っていた。
ところが、これがこの上野英信だったとは。

『西表炭鉱写真集』最終章、「掘り起こされる歴史」では、
「西表炭鉱史を語る集い」に出席する上野氏の写真が掲載され、
『常紋トンネル』の著者、小池喜孝氏が掲載され、
ガチャガチャとパズルのピースが組み上がってくる。
そうか、こういうつながりだったのか。


そして、上野英信は山口の阿知須の出だという(『地の底の・・・』に記載はない)。
阿知須といえば、小学校のころ、もっとも仲のよかった友人の一人の
ご両親の生家があるところだ。

まったくの偶然で手に取った2冊の本がつながった。
そして小学校の頃の思い出もつながった。
こうなると、きっと、その友人と上野家もなにかつながりがあるのではないかと思えてくる。
だが、それを調べる術はない。

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