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写真集には流れがある。でも途中から読み始めてもいい。なんだか、レコードのようだよね。

* * *

からぱたさんの『LOVE WILL GUIDE YOU』を知って注文した。個人による上製本の写真集だ。とにかくすごいから!!!!というオーラが、ブログから溢れ出てモニタの前にしみ出ていた。ならば買うしかあるまい。写真もすごそうだが、とにかくプリントしようぜ、それを楽しもうぜ、というスタンスに深く賛同した。

いま、写真を「撮ることだけ」が手軽になりすぎてしまった。みんな、プリントしなくなった。私自身も例外ではない。しかし、(他人が)プリントした写真を鑑賞することはまた別だ。写真展、あるいは自分が手がけた写真集の刷りを鑑賞するとき、本当にそう感じる。この『LOVE WILL GUIDE YOU』で感じたのは、その楽しさだ。鑑賞する楽しさがある。眺めるたびに、楽しくなる。

* * *

写真集や写真展は、流れをつけておき、最初から読むともっとも引き込まれるようにするものだ。これは、冒頭に書いたとおり、レコードと同じ作りなのだ。レコードならばA面1曲目から最後の曲、B面1曲目から最後の曲、という流れを意図する。CDだって、流れがある。ただ、鑑賞者に強制まではしていない。それに、CDだったら何度目かからはシャッフルして聴くものだ。写真集だって、何度目かには、適当に見開いてパラパラ眺めるだろう?

そして、強く言いたいのは、自分の撮った写真で、自分で流れを考えることの難しさだ。他人の写真なら大胆にいろいろとできる。圧倒的な写真が100点あっても、流れのためにはいくらでもカットできる。それが自分の写真だと、思い入れと思い出が混ざってしまい、カットできなくなる。組み写真としての発想も、ものすっごく狭くなる。しかし、この『LOVE WILL GUIDE YOU』は、それがなされている! しかも、だれもが「いい!」と思うに違いない写真を、あえてここには収録していなかったりする。そのスタンスに惚れる。

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掲載されている写真については「いい」としか言いようがない。タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社)でも書いたように、優れた本は、自分がそれをしたくなる。つまり、写真を撮りたくなる。そしてプリントして、鑑賞したくなる。

毎日、いつも「あ、いまカメラ持ってたら」という瞬間がある。そのときにカメラを持っていない時点で、私は失格なのだが、そのために毎日カメラを持ち歩くべきだ、とこの写真集を見た人は思うに違いない。いい本だ。



●購入先
からぱた写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』 | からぱた



●関連事項
『Fの時代』と『Cの時代』
『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違い
大木茂『汽罐車』
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勤務先の目の前に、ずっと気になっているペンシルビルがある。「平本親巧」というバッジやカップの会社のショールームのようだ。2012年4月頃はまだ右側のビルが建設中だったのでかなりの空間があり、この平本京橋ビルはもっといきいきとしていた。右側のビルは東洋熱工業の新社屋。


平本親巧の社名はまるで鏝絵のようにぼってりとしていて、しかも右が木なのだが、その上にある「登録商標 いつもにこにこ」の「平」マークはそれとは対照的にくだけすぎている。

このビルの前は、のべ6年歩いており、この2年は対岸の道を毎日歩いているが、そんなふうに目の前にある「ショールーム」ながら一度も入ったことがない。買うわけでもないので入りづらい。そのまま別れてしまうなんて、学校で同じクラスで気になりながらもついに1年間会話をすることもなかった人みたいだ。



ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)
ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編)
ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)
ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編)
ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話)
の続き。

100系G編成の11号車に車販準備室があることは書いたが、通路を挟んだ向かい側は多目的室だった。車椅子の方が利用したり、授乳室として使われたりする。この部屋についての話だ。

どういう部屋かというと、こちらのサイトに写真があるのでご覧いただきたい。

車内販売員が休憩するとしたら、たいていは9号車にある業務用室だ。しかし、「B車」(別項参照)のときにはいちいち9号車に戻らず、適当に休憩を挟んでいた。もちろん、カフェテリアのクルーからの「おかしなサボりはしない」という信頼の元での動きだ。そういうときは、11号車の車販準備室の狭いスペースに「うんこずわり」のように腰を落とし、ドアに背を持たせて休んでいた。「着乗」などで疲労がたまっているときは、あとで捨てる飲料の段ボールを床に敷き、尻をついて体育座りをして休んだ。

しかし、よく考えれば、通路を挟んだところに広い個室がある。そこを休憩室にあてることを考える輩も当然、出てくる。誰も使っていなければ、迷惑はかからないのだ。鍵そのものは車販準備室と同じものなので、鍵を開けることはできた。乗客が使っているかどうかは、その目の前で車販の準備をしているのだから、わかる。また、車掌が使っていることもあるが、それはノックをすればわかるし、そういうときは「(サービスの)コーヒーいかがですか」とごまかすこともできる。そして、夜間であれば、内部の電気が消えていれば、確実に無人である。そうして見極めながら、うまく使うのである。

いちばんよく使ったのは、下りなら京都を過ぎ、上りなら新横浜を過ぎ、どちらも車販の片付けが終わった後。このタイミングでは車掌がここにいることもないので、安心して休憩に使うことができた。夜間の場合、電気がついていると車掌に気づかれてしまうので、電気は消しておく。むしろそのほうが外の景色がよく見えるから好都合。時にはベッドにして横になったりもしたが、さすがにそれは落ち着かなかった。もし車掌に見つかったときに、言い訳できるくらいの余地は必要だった。

* * *

この部屋は、力士が利用することもあった。大関時代だったかの貴乃花が乗ったときに乗務したことがある(直接見たわけではない)。力士は体の大きさから普通のグリーン車には座れない。だからこの部屋を利用する。その場合、鬢漬け油の臭いがデッキに充満する。

もし力士が普通のグリーン車に乗ったらどうなるだろう? 一度、東関親方が0系のグリーン車に乗っているのを見たことがある。悲しいことに、その車両は座席間の肘掛けを跳ね上げることができないタイプだった。もちろん親方のお尻は入らない。やむなく、すこしだけ尻をのせ、つまり座面の大半は空の状態で座っていた。親方は大変座りにくそうにしていた。そんなとき、車掌は気を利かせて多目的室を使わせてあげればいいのにと思った。

また、盆暮れ正月など、デッキだけでなく指定席社内にまで立ち客がいるような大変な混雑時には、ここを開放して乗客を入れていたのを見たことがある。座れた人はラッキーだったろう。

* * *

私は小心者ゆえにこのくらいの使い方しかしていなかったが、おそらく猛者はもっといろいろなことをしていただろう。ベッドにして居眠りをしたくらいはいるはずだ。だれか、そういう思い出を語ってくれないだろうか。





1991年2月末だったと思う(前年かもしれない)。大学受験のために新潟と東京とを何度か往復していた。きっぷは東京ミニ周遊券で、試験の前日に新幹線で行ってゆうぼうとに1泊し、試験後は節約のために各駅停車の乗り継ぎで新潟に帰っていた。当時は17時28分頃に上野駅を出れば、23時過ぎに新潟駅に着くことができた。

その日(日付は忘れてしまった)、雪が降っていた。上野から高崎までは順調に来たが、なんと高崎以北が雪のため運転見合わせ中だという。やむを得ず、高崎から新幹線に乗った。もちろん、ふつうに新幹線特急券を買って、である。いま思えば、目的地が新潟であることを申し出れば、タダで乗れたのではないだろうか。その次の受験日が何日後だったのかは覚えていないが、新幹線で帰ったのはその一度きりで、以後、また各停で帰っていた。親には「疲れるから新幹線で帰ってこい」と言われた

そんなみみっちい話まで思い出してしまったが、やはり、どんなに雪が降っていても新幹線だけは動いている。その安心感は、上越新幹線沿線の人以外にはわからないのではなかろうか。一度、宿が取れずに受験当日に新幹線で往復したことがあるが、それくらい、信頼していた。幸い、受験に関した移動時に、上越新幹線が遅れたことは一度もなかった。



単なる思い出話である。


写真は銀座。クルマはほとんど走っていないし、歩いている人もほとんどいない。

2月8日(土)に続き、今日14日(金)も雪がすごい。今日のほうがすごい。皆、8日の雪に懲りたか、早々に帰宅した人が多かったようだ。23時頃の地下鉄に乗ったら、1両に5人くらいしか乗っていなかった。
* * *

都心に限らず、自宅近くもすっかり雪に覆われていた。最寄り駅前も、路面の雪は、煌々と街灯に照らされていた。その雪景色は、ふだんの夜景よりもはるかに明るい。それは、灯りが多く、路面の雪がそれを反射しているからだ。あまりにきれいなので、いったん帰宅して、カメラを持って30分ほど散歩した。
* * *

「1998年も東京は大雪だった」という報道があった。思い出した。その日は、3駅となりの友人の家にたくさんバイク仲間が集まって鍋をした日だ。私は、あえて、完璧な冬の装備をしてバイクで行った。そういう集まりの時、雪だろうと、バイクで来る友人たちもいた。私が乗っていたのは91年型のCRM250R。

翌日、外に出るとかなり雪が積もっていた。記憶では、15cmくらいは積もっていたと思う。2ストのCRMはキック一発でエンジン始動、雪の街中に走りに出た。当時は毎年、雪の林道に行っていたが、そういう、雪の中を走る楽しさを街中で味わえるかもしれない。そう思って街中に出たのだが、街中で、空転させつつ走ると排気音がうるさいという当たり前のことに気づいた。雪の林道やその周辺ならば、山の中なので多少の排気音は許されるだろうが、街中では、雪かきをしている人の横を、半ば空ぶかししながら、後輪から雪を巻き上げて走るわけにはいかない。なので、あまり走り回りもせず、帰ってきた。


もう16年も前の話である。


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