忍者ブログ
[237] [238] [239] [240] [241] [242] [243] [244] [245] [246] [247]
2014年1月12日、大山顕さんの企画したGPS地上絵に参加してきた。その道中にあった橋だ。当日、多くの人といっしょに歩いていたので人も多く写り込んでいるけれど、今回は橋そのものの話ではない。

こんな形で、東海道新幹線と横須賀線を跨いでいるのが二本木橋。場所は西馬込駅のほぼ真北、都立太田桜台高校の近くである。この、一見、何の変哲もない下路PC橋だが…

  本来の親柱が埋まっている! これは南側。

ひどい!

反対側も…。
親柱をなんだと思っているのか。そこまでコンクリートで巻く必要はあるのか。

この「二本木橋」付近は以前、「二本木」という字名だったようだ。ここから南側への下り坂は「二本木坂」という。

* * *

その、二本木坂と二本木橋の接続地点。冒頭写真でいうと左に人が立っているところ。ここからの下り坂がなかなかすごい。
22%。道路構造令での最大斜度は12%である。周辺には、16%や20%といった坂が随所にある。

坂の下から見ると、こんなぐあいである。


そして、これは余談。この付近の金網にはこんな看板があった。
「20000V電線危険」。

この下を走るのは、横須賀線(直流1500V)と東海道新幹線(交流25000V)である。なぜ20000Vになってしまったのか。もちろん、周辺に同じような危険を告知する看板は多数あり、すべて「25000V」と書いてある。「20000V」と誤記したものがこれ一点かどうかまではわからない。


PR
羽幌線天塩川橋梁:300フィート分格ワーレントラス
羽幌線天塩川橋梁:300フィート分格ワーレントラス(2)で見た天塩川橋梁の、ポンツーン工法にて架橋中の写真が『写真集 国鉄北海道ローカル線』(北海道新聞社編)に載っていたので転載する。

同じ写真は(1)論説報告「天塩川橋梁構桁の艀式架設に就て」(藤井松太郎/土木学会誌21巻10号、1935年)の22図に載っているのだが、より鮮明なものとしてここに掲載する。

なお、元写真の著作権は切れているので、ここへの転載は何の問題もない。




JR土讃線の須崎駅。タブレット交換の名残か、ふたつのホームはすこしズレで配置されている。そのため跨線橋の階段は互いに他方を向いている。写真は2番線から、駅舎のある1番線を見ている。

古レールをプラットトラスに組んだ、木製の跨線橋。窓はなく、風よけの壁だけがある。開口部が広いのは南国ゆえか。

階段部分、 構え上部の木製の梁が台形になっている。そしてホーム上屋と連続している。

開口部が大きいので明るい通路。屋根は古レールを逆さまに使って山型に組んでいるが、中央の接合部、通路側板との接続部のガセットが大きいので甲殻類の脚のようだ。

開口部は窓のような処理になっている。天側には溝が切ってある。地側の枠にレールをつければ引き違い窓を入れることができる。

縦の枠の継ぎ方、このいかにも木工なところが愛おしい。

フレームたるレールのガセット部分はリベット接続なのだが、その頭を逃がすために木材をえぐっている。おそらく現物合わせでの細かな作業だ。

階段突き当たりと階段の下り口。

1番線から跨線橋反対側を見る。

そして、ホーム上屋を支える古レール製の柱に注目。おもしろい接合をしている。背中合わせにしてY字型にしているなのだが、脚が末広がりになり、その間を鋼材でつないでいるのだ。

振り向いて。1番線のホーム上屋は片流れで、古レールの支柱はレールとは反対側に向かって長く伸びている。

2・3番線に戻ってみると、こちらのホーム上屋はV字型であり、古レール支柱も通常のY字型だ。

左には貨物ホーム上屋が見えているがこれは別稿で。




土讃線西佐川駅。下り列車車中からの一瞬の邂逅なので、そういう写真であることはご容赦ください。手前のホームが1線スルーの上下本線である2番線、対岸のホームが駅舎と接する1番線だ。

古レールをプラットトラスに組んだフレームを持つ木造跨線橋。階段に踊り場はないようだ。


発車ざまに振り向くと、跨線橋、2番線(こちら側)階段と反対側にも張り出しがある。西側にある駅舎を経由しなくとも、線路東側から直接できるできるように後付けで設けられた自由通路のための跨線橋のようだ。

この跨線橋は、1998年冬の青春18きっぷのポスターにもなっている。こちらのサイトに詳しい。

新宿区の早稲田通り、西早稲田交差点から北に向かう、新しい道路がある。新目白通りまでの300mほどの4車線の道だ。私が周辺をうろついていた1990年代前半には跡形もなかった道で、いつしか整備が進み、西早稲田交差点界隈の径間は大きく変わった。

20130216001.jpg(電子国土+カシミール3D)

この地図の下辺中央から上に伸びる道がそれである。そのまま上に目を向けると、目白通りから不忍通りへの分岐点(目白台交差点。「・30」と書かれたところ)がある。

かつて、目白台一丁目(ただし崖下)に住んでいたことがあるので、その界隈もなじみがある。なぜ、不忍通りがこんなくっつき方をしているのかは、長らく不思議だった。


20130216000.jpg(文京区の都市計画図より)

先日、Googleの衛星画像と、新宿区、文京区の都市計画図を見比べていたら、すべて合点がいった。西早稲田から新目白通りと交差して、台地上の目白台二丁目交差点までを結ぶ計画があるのだ。環状4号線である。幅員は22m、4車線道路だ。

























これを、空中写真で見てみよう。まずは、現在。
20130216002-saishin.jpg(電子国土空中写真最新2500+カシミール3D)
画面中央を左右に横切るのが新目白通り。そのすぐ上の黒くてすこしうねっているのが神田川。画面上部を横倒しのy字になっているのが、左右が目白通り、上に向かうのが不忍通りだ。

「環状4号」を黄色く重ねた。現在供用中の道路の真北、すでにかなりの準備ができている。道路の形に建物が撤去されている。日本女子大付属豊明小学校の左側の公園などが、道路予定地ということになる。このルートに沿っては、現在は細い急勾配の車道があるだけだ。

次いで、古い写真、といっても1998年頃。
20130216003-1998.jpg南部(現在開通している部分)は、道路の形に家が並んでいるように見えてくる。対して北部は写真で見る限り、まったくその様子がうかがえない。もちろん、当時というかそれ以前から計画はあった。

20130216-a0.JPG(『東京都区分図文京区詳細図』昭和22年)
開通を遡ること50年以上前の1947年の時点で、40m道路の計画がある。現在は22m、なぜ、いつ、縮小されたのかまでは手をつけていない。ただただ、道路計画の、気の遠くなるような精神に、それにたずさわる人の歯車感たるや…などと勝手な同情を寄せるのみである。






 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア