ある「ソリューション事業」を見学した。例えて言えば、インターフェースでソリューション、みたいな事業。すべて予想できる内容で、まあこういう機能を持たせたがるだろうな、というものだった。もともと、「ソリューション」という単語に虫酸が走るのは昔からで、電子書籍関係を推進する事業者にも似たような感情を持っている。
先日、Googleはどこへ行くのか、というような記事があった。ちょっと記事が見つからないので曖昧な記憶を便りに書くと、Googleが目指す未来は、例えば男が女の部屋に遊びに行ったときにまずするのはスマホをいじること、ふたりでVR眼鏡をかけて映像を見ること、みたいなことだった。そこに人間はいるのか? みたいな内容の記事。インターフェースでソリューション、みたいな事業は、これと同じ臭いがプンプンする。 = 例えば。 ある通販雑誌にスマホをかざすと、誌面にはバーコードもなにもないのに、通販雑誌のサイトがスマホに表示され、そこにモデルが踊る動画が表示される。……いや、検索画面で通販サイトを表示すればいいじゃん。 クルマのカタログにバーコードを置くと、それをPCのカメラが読み取ってPCの画面にクルマの立体画像を表示する。別のバーコードを読ませると、クルマが回転したりスケルトンになったりする。運転席からの眺めをCGで流せる。……いや、フラッシュで作れるじゃん。運転席からの眺めはCGじゃなくて実写でいいじゃん。 = 一体、誰がそんな「一手間」かけてソレを見るのだ? そして、誰がそんな「一手間」を作るのだ? コンテンツを持たないところは、こうした事項の「編集」もできないのか? できないのだろうな。「ソリューション」とは解決策を提示する手法であり、コンテンツそのものを提供するシステムではない。 なお、お金になるかどうかはいまは問わないでおく。要するに顧客サービスだから。 時々SONYとappleを比較する発言を見るけれど、SONYはこれ。appleは違った。そういうことだと、私は思う。SONYで言えば、walkmanの時代は逆だった。walkmanは「ユーザーしか見てない造り」だった。しかし、いまの音楽ダウンロードサービスは……。 これは、いまの電子書籍を取り巻く環境と軌を一にしている。「書店」が乱立するけれど、それは読者不在でもあるので売れ行きも見込めず、結局普及していない。iPadが出て何年になる? ナントカソリューションとか言う前に、電書のソリューションをまずやりなさい。「箱は造った、中身はこれから考える」じゃダメなんだよ。先に中身があって「これをどうやって入れようか」を考えるのが、商売だろうよ。きっと、箱を先に造ることは比較的簡単にできて、中身を造ることは容易でない。だって、いまある箱なんて、みんな似たり寄ったりだし、A社の箱の要素をB社に「造って」と頼めば造ってくれるような違いしかないもの。 今回の見学では、私が思っていたことを裏付けることができてホッとした。私の電子書籍の捉え方は間違っていないのだな、と。 PR
鉄道のオフ会のような飲み会があったのだけれど、まさかの展開で出入国印マニアな話をたくさん聞くことができた。なんだこのおもしろさは! 話を伺ううちに、船で外国に行くことはレアなことらしいとわかった。韓国航路がある港やサハリン航路がある稚内は比較的メジャーだろうけれど。
「新潟港の出入国、ありますよ」と私が言ったら、その、恐ろしい集め方をしているその方にも珍しがられたので、調子に乗ってここにアップする。新潟港の出国印と入国印である。 こういうことをまったく知らなかったので、検索してみると、新潟空港から出入国する場合は、スタンプが「NIIGATA A.P.」となるとのこと。港湾と空港が同じ名称である場合、空港側に「A.P.」とつくようだ。成田は港湾がないので「NARITA(1)」などである。「(1)」は第一ターミナル。 このときの目的は、ロシアンラリーの取材。その様子はこちら。ちょうど10年前だ。 現地4泊、うち3泊は船中泊だったと記憶している。最初の寄港地はナホトカなので、入出国もナホトカ。 左が出国、右が入国。上のピンクのスタンプは、港湾らしく船が描かれている。 どうやら、この世界は、スタンプのためだけに海外に行くことが多々あるようだ。でも、たいていの行き先はチャーター便で韓国だったり中国だったり。日本では珍しい「発地」になっても、行き先は成田みたいなもので。そういう悲哀を含む楽しみ、大好きだ。
トラック野郎が大好きだ。この本、ほしかったのだけれど、2520円もするので躊躇していた。ところが、先月、勤務先が移転する作業の際、処分品置き場にコレがあった。だれが捨てたのかはわからぬが、ありがたくいただいた。
A5判のハードカバーである。重くて読みにくいのだが、装丁が凝っている。 こんなふうに、カバー表1/表4、カバー袖表1/表4、本体表紙表1/表2/表2対向/表3/表3対向/表4を使って、全10作のポスターが印刷されているのだ。すばらしい。 「一番星」というネーミングや「雪の下北」の行灯に隠された思い、お蔵入りしたシナリオなど、ますますトラック野郎が好きになる話が散りばめられている。 とはいえ、トラック野郎のエピソードはそれほど多くなく、むしろ鈴木監督の映画論の本である。そして…恐ろしい悪文である。これがトラック野郎の本でなかったら、3ページで投げ出すくらいの悪文。リライトしたら4分の1くらいになると思う。 かつて、東映チャンネルがトラック野郎全作を放送すると知ったとき、その期間だけ東映チャンネルを契約した。そして10本とも録画した。とはいえ、アナログであるうえ、第5~7作のDVDが行方不明になっている。近所のレンタル屋にあるのは確認しているので、そろそろ借りてこようと思う。
4月1日から、勤務先が移転する。銀座一丁目から京橋3丁目へ。徒歩5分ほどの場所への移転だ。
入社後、別館的に京橋2丁目に3年、八丁堀4丁目に3年いて、銀座に戻った。銀座勤務は11年間になる。その感覚からすると、銀座と京橋は華やかさが違う。八丁堀は全然違う。でも、仕方ない。 銀座一丁目の駅を出てすぐ、「わした」の横から路地を入り、裏口からビルに入っていた。入社当時は新築に近く、7階から11階が執務スペースで、ひとりあたりの面積も大きかった。のちに6階~11階を勤務先が占めた。 ぼくは最初8階、異動で10階、異動で9階と動き、宝町は4階から異動で5階、八丁堀は1フロアだったので動かず、銀座に戻ってからは10階だった。 5年近く使ったこの場所も、今日でおしまい。くたびれた什器類も更新される。
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明日は実際に引っ越し作業をするのでフロアに入れる。しかし、明日行っても、もう「自分の場所」はない。裏口から「いつものように」入っても、きっとよそよそしく感じてしまうだろう。 この感覚は、例えば卒業した学校を、あまり時間をおかずに訪ねたときや、実家を出てから帰省したときに見る自分の部屋だったところ、みたいなときに感じるものと同じだろう。 もう絶対に戻ってこない場所。 勤務先におけるそういう場所は、宝町の4階だ。当時はバイク雑誌で仕事をしていて、そのフロアはほかに三つの雑誌があった。そのため、不夜城という言葉が似つかわしく、24時間人がいた。ぼくも、休日など皆無に近い状態だった。でも、仕事はとてもやりがいのあるものだったし、こなせばこなすほど、仕事が楽しくなっていった。そんな場所が宝町の4階だ。すでにそのビルは建て替えられしまった。 感傷的なことを書いたけれど、4月2日、新しいビル、新しい什器で18年目の勤務が始まる。新しいことをやらねばと、わくわくしている。
「富士/はやぶさ」お見送り動画。これを知ったときには「ふーん」くらいだったけれど、こうして動画を見ると、まったく違って見える。ホイッスルが響き渡るところで思わずこみ上げてくる。
このお見送りの企画者の一人は友人なのだけれど、その頃、ぼくは鉄道の友人知人はゼロだった。 子どもの頃はあこがれた「富士」「はやぶさ」だったけれど、なんだか日の当たる場所、つまり東海道・山陽路のものだし(子どもの頃から裏日本意識がある)、大人になってみれば勤務先のビルから見ることができるし、その気になれば徒歩10分で東京駅に行ける。そんな距離感だったので、最終日も別にどうという感情もなかった。
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一度だけ、「富士」に乗ったことがある。1994年9月のことだ。 当時は5月くらいから始まった就職活動も、第一陣の大手出版社がすべて終わり、中堅出版社の試験が夏休みに食い込んでいた。幸い、いまの勤務先から内定をもらい、まずは南アルプスを縦走し、次いで「時間があるいまのうちに、どこか遠くの山に行ってみよう、ついでに寝台特急に乗ってみよう」と思って出かけたのが九州だ。京都以西に行くのは初めてだった。 「富士」を選んだのは、たぶん、行程が組みやすかったくらいの理由でしかないと思う。まだJR化して7年、寝台特急はたくさん走っていたし、こういうものはなくならないものだと思っていた。寝台券は大分まで買ってあったのだけれど、車中で思い立ってルートを変更し、鹿児島本線~肥薩線に真っ先に乗った。それが、ぼくの「富士」の思い出だ。
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繰り返すが、ぼくはこういう「お別れ」みたいなことには興味がない。このダイヤ改正における300系や「あさぎり」も、それらが大好きで、昔も今も追っかけている人には悪いのだけれど、興味がない。300系はアルバイトでさんざん乗ったのに。 そうはいえども、この動画にちょっと感動する。それは、ここにいる人たちが、ぼくとは違って「富士」「はやぶさ」に特別な感情を持っているのが伝わってくるからだろう。学園祭みたいな懐かしさを感じるからかもしれない。では、ぼくが 同じ感情を抱くとしたらなんだろう? と考えると、200系新幹線しかない。もしかしたら、200系は何度か見に行くかもしれないし、乗りたいと思うかもしれない。 かつて小学生の頃には、それは181系だった。飽きもせず眺めていた181系がなくなるときのことはこちら。 11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~ |
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