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(「定番」のひとつ、石北本線の常紋峠)

昭和30年代、40年代に蒸気機関車の撮影で全国を飛び回っていた趣味界の大先輩たちのお話を伺う機会が続けてあった。よく雑誌でお名前をお見かけする、筋金入りの方々。ある会合ではそうした歳になって初対面同士…という場面も多かったのだが、おもしろいのは共通言語として、蒸気機関車の撮影地や撮影にまつわる旅話がそれになっているということだった。

40年前の話題を元に、いま、初めて会う方々が話を弾ませるということ。なんという素晴らしいことだろう。「お立ち台なんてなかった」(実際に聞いた言葉)という時代だが、それでも人が自然に集まる場所はあっただろうし、地図とダイヤを見比べて「撮るならここ」と見定める場所というのは往々にして重なるものだろう。「あそこは、ここでこう撮った」「そうそう、私はこう撮った」。「定番の場所」が、皆をつないでいる。
 
(「定番」のひとつ、オロロンライン)

そういえば、バイクでのロングツーリングも同じだ。GWは四国か九州へ。夏は北海道か東北へ。やはり定番というべきものはあって、それは岬だったり峠だったり道路そのものだったりする。もちろん個々人ではそれぞれ定番以外の場所もたくさん訪れるもので、むしろそのほうが多い人もいるのではあるが、おのずと「いい場所」は定番になる。遠く北海道のキャンプ場で出会った人と「九州のあそこは…」「自分が行ったときは…」という話で盛り上がることは、まったく「定番の場所」があるおかげだ。

「時代感覚の共有」が世代を同じくする水平方向の感覚とすれば、「場所の共有」は、世代を超えた垂直方向の感覚である。それが、いかに人々の距離を近づけてくれるか。大先輩方同士の、あるいは大先輩方とのお話の中でそんなことを感じた。ともすれば否定されがちな「定番」。私も否定しがちだったが、改めて考えると、定番こそが人とのつながりを作ってくれていた。

全国あちこち行っていると、知らずに定番はかなり回っているものだ。定番を回ってこそオリジナルも生まれるだろう。なお、大先輩方が恐ろしいのは、その定番が国内にとどまらないことである。




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いま、T-Falといえば圧力鍋ではなくケトルを思い浮かべる人が多いかもしれない。家にあるこれはおそらく6年以上使っているのだが、1~2年前、壊れた。どこかで断線したのかと思い、バラしてチェックしてみたがなんともない。おそらく、台座とケトル本体の間での接触不良と思われた。それからしばらくは何事もなく使えていた。

先日、まだウンともスンとも言わなくなった。前回の結果を忘れていて、「どこかを半田付けしたよな」と思い(していなかった)、またバラした。結果から言うと、前回と同じ原因のようだ。

それにしても。
バラすとわかる、製品としての質の悪さ。日本製だったらありえない処理が目に余る。例えばコードの処理。「ケースの内側のここにコードを沿わす」という場合、日本製品ならば、パチンパチンとはめるように、美しく始末される。ところがこの中国製品は、プラのガイド(帯板)の間にコードをくぐらせ、帯板を溶かして固定している。写真の左、水色のコードが白いもので留められているように見えるところがそれだ。

ほかの場所でも同様で、台座をバラすと…

下部、「外」と書いてないコードがグッと180度曲げられている。これは台座内のガイドに沿わせるために、コードを折っている。定格1250w、コードは熱くなるのだ。当然、このコードが折れた部分が接触しているプラは溶けている。

ひとつ、発見があった。上の写真は台座とケトルを結ぶ部品の裏側なのだが、三極ある。下側、銀色の端子にはコードがつながっていない。これはアースで、おそらく仕向地によってはここからコードを出すのだろう。

台座側の部品、カバーを押し込むと電極が見えるが、たしかに三つある。日本仕様は、そのうちふたつしか使っていない。

…ここまで書いて気づいた。この部品が原因で接触不良になるならば、そうなりやすくなってしまった端子を、いま使っていないアース用の端子に付け替えればいいのではないか。とりあえず今回もバラして組み直したらまた使えるようになったので、もしまたダメになったら、今度はそうしようと思う。


この手の湯沸かしケトル、T-Fal製は安くて早いのだけれど、注ぎ口の形状はよくないし、作りもよくない。買うならば日本メーカーのものをお薦めする。

長崎に取材に行ってきた。

長崎県に足を踏み入れたことは2回あるが、今回、初めて長崎市街を見た。そして、すごくいい街だと思った。ゆっくり歩きたいと思った。

一度目はバイクのツーリングで確か1996年のGW、二度目は2003年にオフロードバイクのレース『長崎サファリ240』の取材でだ。後者は長崎空港から鹿町のあたりを往復しただけだが、前者はざっくり長崎を走った。ただし、印象はよくなかった。

ツーリングの記録として走った道をマーカーで塗っていたので、2001年のツーリングマップルにもそれが転載されている。まだ「平成の大合併」前で、長崎市の南には高島町、伊王島町、香焼町、野母崎町がある。もはや記憶もないが「そのとき、野母崎の先っぽまで行ったのかなあ」などと思って地図を見たら、ちゃんと行っていた。ただし、軍艦島の存在など知らなかったかもしれない、まったく見た覚えがない。

で、なぜ印象が悪いかというと、バイクツーリングに適したキャンプ場が見つけられなかったからだ。しょうがないので長崎駅前で「駅ネ」しようと思ったら、とても居心地がわるかった(でも寝た)。そして駅前で、行きかう人や警官にちゃんぽんのおいしい店を聞いても誰も教えてくれなかった。もちろん道路も混んでいた。そんなことが重なっての印象だ。

それから17年くらい経った。いまの目で見ると、長崎はすごい。街に活気がある。地形の関係で新興住宅地が「郊外」に延びないからだろうか、市街の中心部に人が多い。ここは東京かと思うくらい。新潟の中心部など恐ろしいことになってしまった。土地が狭いというのは、こういう場合にはいい方向に働くのか。いや、いろいろ地元としては問題も多いのだろうけれど。

そして上の写真のような道。歩いてみたい道がたくさんある。実際には路面電車のせいで「あるべき場所」に横断歩道がなくて「コの字形」に歩かねばならなかったりして非常に歩きづらいところもあるが、そんなことを気にしなくていいくらいの時間配分で歩けばいいのだ。この街は、くまなく歩いてみたいと思った。


先の地図を見ると、福岡の北側から唐津、伊万里、田平と出て平戸を一周し、九州本土に戻って佐世保、西彼、長崎で1泊、そこから東へ、千々石、口之津へと走って天草に渡っていた。なにも覚えていない。たぶん写真もない。

そういうことを地図をみて思い出すと、いまは写真を撮ってアップするから、以前よりきちんと「見る」「覚える」のだろうな、と感じる。そこに足を記すことが第一の目的だった当事から、幾分かは人間らしくなってきたようだ。
20130222.jpg(カシミール3D+基盤地図5mメッシュ標高データで作成)

twitterでもお知らせしましたが、3月3日(日)に、お台場の東京カルチャーカルチャーで開催される『坂サミット』に出ます。

・東京カルチャーカルチャー

坂といえば地形、地形といえばカシミール3Dですよねえ。まあ、壇上で5mメッシュをいじくっていてもそれなりに楽しいと思うのですが、やっぱり「坂」、いや「坂『道』」じゃないと…とも思うので、「道」方面の話にしようかなあと思っています。

でも、ぼくにとって「坂」というのは、こういうものなんですけどね。
(2004年阿蘇オープンエンデューロにて)

あるいはこういうの。
ヒルクライムって、オフロードコースの楽しみの一つ。「もう絶対に無理!」っていうところを、うまい人が登っていくのは見ているだけでも楽しい。国内のトップライダーがチーズナッツパークの(ぼくには)ありえない坂を、ノーマルタイヤのアフリカツインで登っていったのには、もう言葉も出ない。

* * *

あと、もうすぐ告知できると思いますが、3月23日もぜひ空けておいてくださいませ。


2012年4月以来、GWと夏休み以外は基本的に毎日更新していましたが、11月頃からあまりに多忙で、ついに時間をやりくりできなくなりました。書きたいことは山ほどあるので、時間ができたらいずれ書きます。

そのときはまたよろしくお願いいたします。


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