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20120301_000.JPG「リボンスクリュー式」と呼ばれるタイプ。この二重螺旋が、積もった雪を掻き壊し、回転翼に送り、そこで遠くに吹き飛ばされるのだが、その「回転翼に送り」という部分はアルキメディアン・スクリューである。

アルキメディアン・スクリューとは、こういうふうに物体を移動する装置。下記の赤玉のように雪を移動する。飼料輸送トラックの上部についてる腕、あれも中にこういう装置が入っている。


上の除雪機の写真を見ると、螺旋の巻き方が左右対称になっている。つまり、端から中央に向かって雪が送られるのだ。送られた雪は、中央の穴に押し込まれ、その奥に位置する回転翼で吹き飛ばされる。

20120301_001.JPG
いまの季節、積雪のある地方に行けばいくらでも見られる除雪機。駅のホームや、ホームセンターでじっくり観察してほしい。


アルキメディアン・スクリューについて、かつて書いたことがあったような気がするが、たぶん勘違いで、ツイッターに書いたのかもしれない。世の中にはアルキメディアン・スクリューに魅せられる人はやはりいて、その水車バージョンについて研究されたこのサイトがすごいから、ぜひご覧ください。

螺旋水車の時代









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20120101_001.JPG
謹賀新年
2012年

磯部祥行

(朝起きてテントの入口を開けたら、そこに大地とバイク。猿払にて。始まりの朝)



















 
20110901_000.JPG一昨日、『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』と広田尚敬『Fの時代』の違いを書いたので、その続きとして、広田氏の2冊の写真集をもとに、もう少し書いてみたい。

広田尚敬氏の「鉄道写真60周年」企画として、6社から7冊(インプレスからは出たのかしら…)刊行するというものがあった。そのうち、所持しているのは表題の『Fの時代』(小学館)と『Cの時代』(JTBパブリッシング)だけである。そのほかの4冊(インプレスは見てない)は、手には取ったけれど、買ってはいない。本当は、あと1冊、『昭和三十四年二月北海道』(ネコパブリッシング)は欲しいのだけれど、いちまんえんにおののいて未入手である…。

『昭和三十四年二月北海道』は置いておいて、なぜ『Fの時代』と『Cの時代』を持っているのかというと、この2冊が突出して「写真集」として、優れているからだ。私の「写真集観」にあうのだ。広田氏の作品といえど、編集がダメなら写真集として鑑賞できなくなる。『Bの時代 鉄橋コレクション』(講談社)はその悪い例で、「過去に撮ったものから、鉄橋を撮影地にしたポジだけ集めました」というようにしか見えない。編集者は、広田氏が「なぜそこで鉄橋を構図に入れたか」などは考えていないのではないか。『Cの時代』の中にも、鉄橋(この言い方は好きではないが)を渡る作品はいくつもある。効果的に組み合わせてある「流れ」もある。それができていないのは、編集が悪い、のだ。

20110901_001.JPG

さて、『Fの時代』と『Cの時代』。この2冊は、判型も違うし、制作の方法論も違う。推測だが、『Fの時代』は、贅を尽くして「思う存分、作り上げた」もの。4935円という定価がそれを物語る。紙、印刷、装丁、すべてに手を抜いていない。横長の本を、書店の棚に並べやすくするために箱入りにするなど、それだけで単価で数百円はかかるはずである。でも、できた。思う存分できるのは、編集者としてこれ以上羨ましいことはない。一方、『Cの時代』は「キャンブックス」といA5判のシリーズに組み込まれている。装丁(いわゆるデザイン)も価格もシリーズの統一感や制約がある。なのに、この2冊の写真集の展開は、そっくりなのだ。

具体的に同じという意味ではない。読者が、「次の展開はこうかな…」と予測できるのだ。言い方を変えれば、読者が自然に「流れ」を感じることができ、引き込まれていく。どちらかといえば『Cの時代』よりも『Fの時代』のほうが、より強く「流れ」を意識できる。例えば、44ページから。

隧道から飛び出す、右向きのC59

右向きC62の後追い

右向きD52の真横

右向きD51と左向きC59のすれ違い(ここで向きが入れ替わる)

左向きC59

左向きC59

画面左端にC62正面がち

それが引く客車内からC62のテンダ
(この流れ終了)


任意のページで、こういう見方を試して欲しい。まず、任意のページで機関車の大きさと進行方向を見る。ページをめくり、次の「それ」を見る。どう違うか、その「差」を憶える。さらに次のページの「それ」を見る。きっと、「差」は同じか、等比数列のように、大きく上書きされて繰り返されていくはずだ。

膨大な数の作品を前に、それをどう並べればベストか…を考えることは、とても大変なことだ。1週間悩んでも答えがでないかもしれない。ただ、コツ はあって、鍵となる作品を軸に考えていく。上記の例でいえば、すれ違う作品が鍵である。また、最初と最後に位置する作品は、最初から「これ」と決まってい るだろう。その間をつなぐように、作品を構成していく。その作業は、「流れ」が見えてこないうちは辛くて辛くてしょうがないけれど、一度「流れ」が見えれ ば時間の経つのを忘れてしまうほど、楽しい。



最近の『レイルマガジン』のフォトギャラリーのページは、この「流れ」が見えないものばかりだ。『鉄道ファン』や『鉄道ピクトリアル』は、もともと見えなかった。要するに、拙い。『レイルマガジン』は、以前は、特集における読者投稿作品のギャラリーにしても、一人の作品によるRMギャラリーにしても、見せてくれたものだったが…。あまりにもダメ続きなので、買うのを止めてしまった。鉄道写真の「見せ方」ということについては、私の好みにとっては、あまりよくない方向に進んでいると思っている。
 
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EIZOガレリア銀座で本日から開催されている、『「鉄道物語」マイブックでつづる鉄道写真家17人の写真集展』に行ってきた。

写真展…なのだが、一風変わっていて、17人の作品は会場には1枚ずつパネルで展示されてそこにコメントがあるだけで、メインの作品はそれぞれ写真集になっている。その写真集は「マイブック」というサイトを通じて作成したもののようで、体裁はさまざま。多かったのは、25cm四方くらいの正方形に近いハードカバーのものだ。


ところが、率直な感想として、その写真集を「作品」と呼べるのかどうか…。そう感じたものが多かった。掲載されている一点一点は、それは美しいものだ。しかし、それが写真集という形にひとまとめになると、とたんに褪せてきて、「作品」とは呼べないしろものになってしまう。

これは定義の問題かもしれないので、反論はあるだろう。だから、ここで私の「写真集(以下、写真展も含む)という作品」の定義をしておく。

明確なテーマのもと、読者が「読む」体験ができるように編集されたもの。
有無を言わせぬ写真が文脈を持って展開し、
自然に読者がテーマを自分と絡めて考えはじめてしまうようなもの。



会場にあった多くの写真集は、「編集」がなされていなかった。テーマを設定しても、編集されていないから、文脈がすごく弱い。写真集や写真展というのは、「美しくうまく撮れた写真」をただ並べればいいというものではない。どんなに素晴らしい写真でも、どんなに思い入れがある写真でも、文脈からはずれるものは、落とす。逆に、通常なら没にするような写真、例えばブレてたりピントが甘かったり、フィルムの時代なら誤って半分感光してしまったようなポジだったりしても、文脈に沿うなら使う。それが「編集」というものだ。こんなことは写真集や写真展に限らない。音楽のアルバム収録曲の選曲でも、短編小説をまとめた本でも同じ作業がなされているはずだ。

また、その(弱い)文脈の作り方にも、疑問を感じるものが多かった。「過去に撮影したもの」から適当にピックアップしただけ、としか見えないものもあった。ひとつのテーマを決めて、たとえば「人」なら「人が写っているもの」を集めるのではなく、「どんな人を集めるのか」を決め、「そんな人」をテーマに撮り下ろせ。そういうものだろう。なにも、全部を撮り下ろせと言っているのではない。欠けているピースだけでいい。

先にテーマを設定し、そこから撮影するという「組み写真」の正統な作り方をしたものは、中井精也さんの作品集が唯一だった。中井さんは「DREAM TRAIN」のように、ふだんからこうした作品作りをしておられるが、そういうことをしている鉄道写真家は、どれだけいるのだろう?

また、梅木隆秀さんの「屋久島 安房林用軌道」は、林用軌道の姿をひたすらに記録するという視点で作られており、すばらしいものだった。


20110830_002.JPG広田尚敬氏が、いまでも超一流なのは、その作品が「昭和30年代にこんなことをやっていたのか!」と思うような圧倒的な力量の作品ばかり、ということだけでなく、その著書が「編集」されているから、という点も非常に大きいのではないかと思う。いや、著書に限らず、RailMagazineに掲載される場合も、かならず素晴らしい編集がなされていた。

いま、「60周年記念出版」のうち、『Fの時代』と『永遠の蒸気機関車 Cの時代』が手元にある。どちらも同じセンスで編集されている。撮影された時期、地点は北海道から九州までバラバラなのに、それを編集することで、ここまで流れのある作品集に仕上がるのか! と感じる、すばらしいものだ。

もし、『Fの時代』に掲載されている作品が、ブレてたりボケてたり色がおかしくなっていたとしても、作品集の価値はいささかも減じることはない。それほど「編集」がきいている。

『Fの時代』については、広田氏と、編集担当の江上英樹氏、装丁家の祖父江慎氏でその流れを考えたと聞く。写真集というのは、この作業がいちばん大切なのだが、そこを、超一流の編集の目が作り上げた。そして、ページをめくるのに、読者が真剣勝負を挑まれているような、「次のページをめくるのが怖い」と感じるような、ものすごい写真集が完成した。


残念ながら、今回展示されていた半分以上は、そこには遠く及ばない。作るべきは図鑑じゃない。写真集だ。ふだんから私が「鉄道写真」全般に感じている「練れてなさ」がそのまま具現化してしまったような展示会だった。
 
8月4日夜からさきほど(8月8日夜)まで、クルマで青森ねぶた、五所川原の立佞武多などを見て回り、新潟の実家に少しだけ立ち寄って、そこからはJRで帰京した。しばし更新できなかったのにこんなネタ。

写真家・中井精也さんのテーマ、「ゆる鉄」。写真展やポストカード、告知等で、赤い、丸っこいトラクター(?)が踏切を横切るシーンを覚えておられる方も多いだろう。これだ。昨日、青森県内でこれを見た…ような気がした。


20110808_000.JPG赤信号で止まっていたら、左方向から左折して私のいる線に入った。カメラを準備している間にこんな角度になってしまった。

20110808_001.JPG私の進行方向が青信号になって発進させたら、おもむろに道路を横断しはじめた。

20110808_002.JPG後続車両がいなかったので止まって写したり。

20110808_003.JPG

見れば、小型特殊のナンバーがついている。

さらによく見ると、中井さんの被写体とは少し違う。中井さんの方は、後方のファン(?)の外周にホースを巻き付け、さらに側面にホースを収納する溝があるが、私の撮ったものは、後ろのファン(?)の外周にまきつけているだけだ。


さてこの謎の赤いクルマ。検索を繰り返してやっと見つけた。丸山製作所製のステレオスプレーヤという、農薬散布車だ。サイトはこちら。

さすが農作業用機械、高いじゃないか! 安くても200まんえん近く、高いのだと700まんえん近い! そんなに高価なのに、それを微塵も感じさせない外観! 

カタログに見入ってしまった。丸山製作所、資本金46億の東証一部上場企業でしたのね。すみませんでした。。。



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