からぱた写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』を刊行したからぱたさんが、村上隆さんのギャラリー「Hidari Zingaro」で写真展を始めた。
「写真、すごいから!」という自信と写真への問題提起が溢れ出しているのは上記エントリに書いたけれど、今回はそこからさらに、「作品」となったらどうなるかというのを同時進行で見せてくれている。 美しくプリントし、額装したものを、それなりの値段をつけて売る。決して安くはない。しかし、その過程をtwitterで見ていたり、実際に目の前にしたりすると、財布を開きそうになる。それこそが(他人に評価してもらい、価値を付与してもらうものを「作品」と呼ぶなら)「作品」になる瞬間である。「芸術」といってもいい。 「作品」になるのは、からぱたさんという生身の人間の創作活動として生まれてきたものだからである。もし同じ写真が、作者不明でその文脈も見えないなら、人は決して「作品」とは評価しないだろう。モニタでFlickrにアップされた画像を見ている人も、そういう見方をしているに違いない。 * 写真展の初日、からぱたさんと村上隆さんとのトークがあった。これがまたおもしろかった。「作品」に対しての頑健な芯があり、膨大な知識をまとっているはずの村上さんが、そんなことを笑いの流れで隠しながらからぱたさんを裸にしていく。写真論に見えるけれど、そうではなくて、なぜ自分が嫌だと感じるものがあるのか、なぜそれを改善しようと思っているのか、そこにどんどんピントがあっていく。こういうことは、相当な先達、ここでは村上さんのような人だからこそできるのだと思う。 からぱたさんの「なんでガンジス川のあの場所の写真、まともなのがネットにないの?」という疑問や、「雑誌に載せるような写真の撮り方」というのはとてもシンパシーを感じる。そして最後、村上さんが「作った模型をいかにうまく撮るか、ということを風景に置き換えたのがこの写真展」というようにまとめたのだが、これも非常によくわかる。 また、からぱたさんと村上さんの、写真界や写真評論家への批判も、これまた激しく同意する。写真界なんてのは、いま(広角固定で、彩度を勝手に高められたり、逆にinstagramのように色褪せたように設定して)スマホで毎日何十枚も写真を撮る人たちの感覚なんて絶対にわからなくて、写真界の文脈にいる人を相手に、20年前に仕切っている人がそのまま今も仕切っている。いま世の中で撮られてる9割9分以上(※根拠なし)の写真は評価の対象にすらなってない現状には強い違和感がある。 * 実際にからぱたさんと村上さんの生のやりとりをみて、特に印象に残ったところだけをこうして書いたが、こういうのは文字だけ読んでもあまり伝わらないのだろうなと思う。文字列と生のトークとの違いは、先に書いた「写真」と「作品」くらい違う。だから、みんなもっと現場に出ようよ。 * 少しだけ自分の話をすると、ぼくが初めて「これは特大プリントで見たい!」と思った写真は、2006年ころだったか、クルップのバケットホイールエキスカベーターの写真を見たときだ。あの時代に、こうやってつぎはぎして作った写真に見入った。ぜひ最大サイズで見て欲しい。からぱたさんの写真集には、これと同じくらい見入った。 http://commons.wikimedia.org/wiki/File:060428-bagger288-garzweiler.jpg * さて、作品を買うかどうか。財布が…などとは書いても、現実はいろいろと非常に厳しい身にとっては額装作品はちょっと高い。あくまでも個人的な感覚としてはポスター(横1m超)が額装されて1万円くらいなら買う、といったところ。実際はその倍なので、額装なしのものを注文した。1万円なら額装ナシが2~3点買えるが、そういうものでもない。作品を買うというのはそういうことだ。 そして、少しでも、こういうことに興味を持ったら、中野ブロードウエイに行き、写真展を見て、写真集を買うといいと思う。いままで写真集など買ったことがない人も、絶対に意識は変わるから。 ●からぱた写真展 http://hidari-zingaro.jp/2014/03/love-will-guide-you/ 4月29日にいろいろなイベントがある。また作品や「ポスター」の価格も書いてある(ポスターの額装価格は誤りのようだ)。 PR
1991年2月末だったと思う(前年かもしれない)。大学受験のために新潟と東京とを何度か往復していた。きっぷは東京ミニ周遊券で、試験の前日に新幹線で行ってゆうぼうとに1泊し、試験後は節約のために各駅停車の乗り継ぎで新潟に帰っていた。当時は17時28分頃に上野駅を出れば、23時過ぎに新潟駅に着くことができた。
その日(日付は忘れてしまった)、雪が降っていた。上野から高崎までは順調に来たが、なんと高崎以北が雪のため運転見合わせ中だという。やむを得ず、高崎から新幹線に乗った。もちろん、ふつうに新幹線特急券を買って、である。いま思えば、目的地が新潟であることを申し出れば、タダで乗れたのではないだろうか。その次の受験日が何日後だったのかは覚えていないが、新幹線で帰ったのはその一度きりで、以後、また各停で帰っていた。親には「疲れるから新幹線で帰ってこい」と言われた そんなみみっちい話まで思い出してしまったが、やはり、どんなに雪が降っていても新幹線だけは動いている。その安心感は、上越新幹線沿線の人以外にはわからないのではなかろうか。一度、宿が取れずに受験当日に新幹線で往復したことがあるが、それくらい、信頼していた。幸い、受験に関した移動時に、上越新幹線が遅れたことは一度もなかった。 単なる思い出話である。
写真は銀座。クルマはほとんど走っていないし、歩いている人もほとんどいない。
2月8日(土)に続き、今日14日(金)も雪がすごい。今日のほうがすごい。皆、8日の雪に懲りたか、早々に帰宅した人が多かったようだ。23時頃の地下鉄に乗ったら、1両に5人くらいしか乗っていなかった。 * * *
都心に限らず、自宅近くもすっかり雪に覆われていた。最寄り駅前も、路面の雪は、煌々と街灯に照らされていた。その雪景色は、ふだんの夜景よりもはるかに明るい。それは、灯りが多く、路面の雪がそれを反射しているからだ。あまりにきれいなので、いったん帰宅して、カメラを持って30分ほど散歩した。 * * *
「1998年も東京は大雪だった」という報道があった。思い出した。その日は、3駅となりの友人の家にたくさんバイク仲間が集まって鍋をした日だ。私は、あえて、完璧な冬の装備をしてバイクで行った。そういう集まりの時、雪だろうと、バイクで来る友人たちもいた。私が乗っていたのは91年型のCRM250R。 翌日、外に出るとかなり雪が積もっていた。記憶では、15cmくらいは積もっていたと思う。2ストのCRMはキック一発でエンジン始動、雪の街中に走りに出た。当時は毎年、雪の林道に行っていたが、そういう、雪の中を走る楽しさを街中で味わえるかもしれない。そう思って街中に出たのだが、街中で、空転させつつ走ると排気音がうるさいという当たり前のことに気づいた。雪の林道やその周辺ならば、山の中なので多少の排気音は許されるだろうが、街中では、雪かきをしている人の横を、半ば空ぶかししながら、後輪から雪を巻き上げて走るわけにはいかない。なので、あまり走り回りもせず、帰ってきた。 もう16年も前の話である。 謹賀新年
本年もたくさん移動ができますように。
2014年1月1日
磯部祥行
2013年12月29日にカルカルで開催された「ダムアワード」に触発されて@hachim088さんがご自身の1年をブログに書いてあること・ないことを振り返りつつアワードを…とツイートされているのを見て、私もカウントしたくなった。
2013年にはこの記事以外に280本の記事を書いた。その中で、貴重だと自分で思うものや自分で「発見した」と思うもの、有名な存在なんだけれども自分が行きたいと思っていたものを中心に、候補をリストアップした。自画自賛の最たる「アワード」は末尾に記す。 私としては、280本のうち半分くらいは「どうだ!」という気持ちで書いている残り半分は「まあ、ネット上に記録しておくか」というくらいの気持ちだ。でも、どれも、ご覧いただくこと、後日、見知らぬ誰かが検索したときにヒットし、参考になれば…という気持ちでアップしている。 旅も、机上の旅も、どれも楽しい。2013年はいろいろな方、いろいろなものとの出会いがあった。2014年もまた多くの機会に恵まれますように。 ●橋賞須川橋(匹見川)ボーストリングか曲弦ワーレンか『歴史的鋼橋集覧』にも橋の有名サイトにもない、いい橋に偶然出会うととても嬉しい。それがボーストリングトラスであればひとしおだ。 <次点>根笠橋 トラスをトラスで補強した橋有名な橋だと思うが、これは『歴史的鋼橋集覧』には載っていない。 ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道) 国見山鉱山の廃線跡にある。『廃線跡の記憶4』でLevel_7gさんが取材し、見つけてきたものをトレースした。 大原橋 コンクリートローゼ これは有名な橋。見ておきたかった。 ●道路賞弁財澗の片洞門 国道229号(北海道)積丹半島で偶然見つけた片洞門。これだけのオーバーハングは、いまではありえない。というか下に入るのが怖かった。 ●建築賞本別農協勇足支所(北海道)このRがいい。側面の農協マークもすてきだ。なにより、現役の施設であることがすばらしい。 <次点>モノトーンの日石カルテックス美しい。そして現役。 垪和簡易郵便局(はが) @0916taiさんに教えていただいたもの。 東城町立始終小学校 形式上は現役の木造+モルタル校舎 偶然通りかかり、この校舎を作ることも手伝った方にお話を聞けた。これだけの校舎が、驚くべき山間にある。 ●土木賞西川水路橋(新潟県) 水の立体交差後述する「新潟の街歩き」で知り、その足で行った。私は新潟のこういうものをもっとつきつめて知りたいと思っている。 ●<次点>安浦の軍艦防波堤 コンクリート船これも有名物件。コンクリート製の船を防波堤に使っているもの。
下灘駅のようなESSO |
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