『雑誌の写真を出典なしでネットに』というまとめがある。これについて書く。
ざっと読んでいただきたいが、簡単に言うと ・福井氏が何の気なしに、週刊新潮に掲載されていた写真をtwitpicにアップ ・新潮社なかしまさんが「出典を入れて」と要請 ・外野が「出典入れろ? こんなものはフリーで流通させるべき!さすが出版社、古すぎる!」と暴れ出す ・なぜか、博士号まで持ってる人や東大教授が出てきて外野の見方となっていく という流れ。 私が問題と考える点は三つ。 (1)F氏および外野は、オリジナルに対する敬意が微塵もないこと (2)明確な「公衆送信権の侵害」であること (3)そもそもの「写真」がどういうものであったかが、蚊帳の外になっていること (1)は、丸田祥三氏の風景剽窃裁判に関することで、何度も書いてきたことだ。文章にしろ写真にしろ、あらゆるものは、先駆者の成果を踏み台にしてできている。だからこそ、先駆者へのリスペクトは忘れてはならないと考えている。 (2)を「違う」と考える人は、それなりの数がいる。そして、それを「侵害である」という意見を「古い」「いまのネットの世界では、そんなことはない」というような理屈で塗り固めてしまう。恐ろしい勘違いだ。 「宣伝効果があるから、13万ビューもあれば売上にも貢献したはずだろうから、いいじゃないか」という、一見、正しそうな理屈がある。でも、全然関係ないよ。考え方が新しい/古いも関係がない。パブリック・ドメインにして放流するかどうかは、著作者だけが決めることができる。 (3)が本質的な問題かもしれない。 私にとっては気持ちが悪い「外野の意見」、すなわち「価値があれば、必ずリファーされます」(理化学研究所・藤井直敬氏の言葉、削除済み)、「新しいメディアと消え行くメディアの違いですね。」(東京大学教授・池上高志氏の言葉)という話にすり替わった時点で、元の写真は、相当に不幸だった。写真の価値、記事の価値はまったく文脈に登ってこなかった。 これは、丸田氏の風景剽窃裁判を、「同じ場所で撮ったらダメなのか」という文脈で捉えてしまうのと極めて同じ構造だと考える。週刊新潮も、丸田さんの裁判も、そんなことは言ってないし、本質ではない。ただし、丸田さんの裁判では、幸いなことに常に丸田さんの作品と小林氏の写真が参照されている。裁判には否定的な見方をする人でさえ「作品にしろ話の筋にしろ、オリジナルである丸田氏のほうが圧倒的に素晴らしい」という感想を持つほどに、参照されている。だから、本質を見誤る人は、週刊新潮よりも相当に少ないと思う(とはいえ私の印象では過半数は見誤っている)。 一連のやりとりで、素晴らしかったのは、新潮社なかしま氏の最初の一言だ。 「お読み下さりありがとうございます。できましたら出典を明記してくださいましたらばなおありがたかったです。」 これは、上記のような問題、メディア新旧論やネットで話題になるなら宣伝になるだろ論、そうしたことすべてひっくるめて、ここを落としどころとする判断だったのだと思う。この素晴らしい落としどころは、しかし、アップした本人にも「外野」にも、まったく伝わらなかった。大変に不幸なことだ。 ここで、アップした当人・福井氏がそれに応じ、新潮社に対してコメント(詫び)をし、新たに記事に対する感想を書き始めたら、そこに成立するのはプチ炎上ではなく美談である。嫌いな言葉でいえば、ウイン-ウインになったはずである。 ああ、ああ。この問題の根深いところは、(3)について書いているつもりが、すぐに別の話題にすり替わってしまうことだ。結局、オリジナルの写真および記事がなんなのかの議論はトゥギャッターのコメント欄にもない。トゥギャッターは恣意的なまとめだから、ここに転載されている人たちも、別の場所ではツイートしているのかもしれない(実例は知っている)。願わくば、このトゥギャッターがきっかけで、オリジナル(週刊新潮)がリファーされんことを。 PR
「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」の続き。
「中二病こそ美しい」 昨日書いたのは、私の感覚と同じだ!と思ったことだ。ところが(?)、丸田さんに向けたツイートを見ると、「中二病こそ美しい」といったくだりに「そうだそうだ!」と共感する人がいた。おかざき真里さんも、切通理作さんも。それだけでイベントできるくらいに共感されている。 では中二病とはなにか。 私は、トークを聞いているときは、なんとなく全面肯定できない気持ちがあった。それは、ネットスラングとしての中二病のイメージで話を聞いていたからだと、上記のツイートを見て気づいた。スラングとしては「自分をわきまえずに自分自慢」「誰も見てないのに自意識過剰」というニュアンスがとても強い。他人の目を意識した行動なのだ。 対して、丸田さんが言葉にした「中二病」は、「何も恐れず、自分の信じていることをやり抜く子どもらしい頑固さ」である。そこに表現者たちが共感した。先のスラングと正反対で、この文脈では他人の目などおかまいなしの行動だ。 「中二病」なんて、べつに辞書が定義した言葉じゃなくて伊集院光が発したものがネット上でいろいろな解釈、主として嘲笑の文脈で使われてきた単語だ。だから、どちらの解釈が正しいとか誤りとか言うべきものではない。ここで重要なのは、表現者たちはみな後者で即座に理解し、共有する新たな地平を作り出したということである。近い将来、中二病をテーマにしたトークライブが開催されるに違いない。切通さんは「司会をやる!」と宣言している。 丸田さんの「中二病らしい」エピソードは、前回のトークイベントでも触れられた。戦時中に粗製されたEF13形電気機関車と、新宿の新たなランドマーク(当時)となった新宿三井ビルを組み合わせて撮影するために、10歳の少年が、担任の先生にその意義を説き、1ヶ月半、学校に行かなかったこと。 <参考>枡野浩一プレゼンツ 「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント」vol.1 実相寺昭雄監督とともに取材をしていて、あることでたしなめられたときに、思いの丈を口にしてしまったこと。 そういう一途さも、経験を経たあとで振り返れば「美しい」。それがあるから作品が作れた。それを認めて、作品作りはまた力を得ていく。 4月26日(火)、枡野浩一presents「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」に行ってきた。 枡野さんとおかざきさんは古くからのおつきあいで、枡野さんのデビュー作『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』で、大きな役割を果たす「絵」をおかざきさんが描いている。オカザキマリ名義で、まだ広告代理店のCMプランナーだった頃だ。そして、丸田さんとおかざきさんは、それよりも古くからの「存在上の知り合い」だったおふたり。20年間、お互いの作品に片思いしていて、それが今日、初めて対面するというご両人にとってはとても重大なシチュエーションが、このトークイベントだった。 縁は、枡野さんのツイッター。丸田さんのPCに「おかざき真里があなたをフォローしはじめました」と表示されたとき、丸田さんは「まさか、ご本人??」と鳥肌が立ったそうだ。特に思い入れが強い、作品中の女性キャラクターがいるくらい、丸田さんはおかざきさんの深いファンで、おかざきさん自身も持っていない掲載誌を持っているほどだ。お互いのそうした思いは、USTのアーカイブをぜひ。 ・前半 ・後半 今回もとても興味深いお話がぽんぽん飛び出した。 「好きな作品は言葉にしづらい」 丸田さんと廃道の撮影に行き、作品を一番に見せていただく。つい感想を書こうと思うのだが、「すごい」以外の言葉がないことが多々ある。でも、何か「これはこうですね」見たいな返事を書かなければならない義務感があるので、なんとか言葉にしようとする。もちろん、その言語化で見えてくるものもあるのだが、人を好きになることに理由を考えるのがばかばかしいように、「うわー、うわー…」とか言っているだけでいいと思う。 「ああ、もう私は写真を撮らなくていいんだ」 おかざきさんの発言。おかざきさんは美大で写真の勉強もし、また写真も撮影されていたのだが、丸田さんの作品集に出会ったとき、「写真はこの人に任せた。もう自分は撮らなくていいや」というようなことを思ったそうだ。おかざきさんが漫画を描くのは、「絵ではなくて、感情や感覚を乗せていきたい」からであって、もし、自分自身の感情や感覚を漫画で表現した人が現れたら、漫画を描かなくなるのかもしれない。この感覚は、とてもよくわかる。 おかざきさんが、丸田さんの作品が好きなのは、「男の人なのに」感情や感覚を、風景や建物なのに乗っているからだという。だから、おかざきさんは写真でそれを表現することはしない、ということだ。 「丸田さんの作品に女性が写っていることは…」 おかざきさんがかなり遠慮がちに「女性がないほうがいい」と言ったのだが、これはどうやら「女性だから」という視点でもあるようだ。「ひとつの、完璧な作品なのに、そこに女性がいることで、女性のイメージが増幅され、作品鑑賞にノイズが入る」というようなことだったと思う。そして、丸田さんはそれを狙って、作品中に女性を取り込む。目的はひとつではないと思うが、作品の完成度が高まることもあるし、不安定感や緊張感(丸田さんの作品の重要な要素だと思う)を増加することもある。完璧すぎる作品ではなく、少しだけ、崩した部分を作っておく。 話の流れでおもしろかったのは、写っているのが女性だから気になるということだ。これは、おかざきさんが女性だからで、もし写っているのが少年だったら、なにも気にならないかもしれない、と。これは、丸田さんが男性の目で作品作りをしているということでもある。それは気づかなかった。 まだまだ気になる言葉はたくさんあったが、今日はここまで。 <続き>「丸田祥三 写真へと旅するようなトークイベント 四月」続き
(ちょっと看板が簡素すぎやしないか…満員御礼なのに!)
4月23日(土)、東京カルチャーカルチャーで開催された『マッピングナイト2』に行ってきた。前回は昨年夏、自宅にいる必要があったので泣く泣くUSTで見ていて、なんとすごいイベントなのだと思って楽しみにしていた。 出演は、大山顕さん、石川初さん、渡邉英徳さん。大山さんは『工場萌え』『団地』『ジャンクション』はじめさまざまな「石ころ帽子をかぶっているもの」を可視化する方。石川さんはGPS地上絵師として、前日のテレビ番組『たけしのニッポンのミカタ』にも出演されている方。渡邉さんは『長崎アーカイブ』の方(などという乱暴な紹介で許してください)。 大山さんと石川さんのコラボ企画はDPZに「馬込馬」と「うさぎ」のレポートがある。どっちも行きたかったのに行けなかった。石川さんは、私が担当である書籍『カシミール3D』シリーズにもご協力いただいており、ぜひお目にかかりたかった。 内容は多岐に渡りすぎかつ密度が高すぎるので、後日出るカルカルのレポートに譲るが、おぼろげな記憶ではこう。 ・土地の記憶~習志野埋め立て地のカーブ、いまのIKEA周辺にはこの50年間、常に集客施設が建っている。(大山さん) ・GPS地上絵(石川さん) ・長崎アーカイブプロジェクトのお話(渡邉さん) ・帰宅ログ(大山さん) ・震災への備えと地図(石川さん) ・震災において「半径20kmの円」を地図で提供することと、現在の様子のマッピング(渡邉さん) ・「どこまで東京」から「どこからホーム」全員マッピング 3時間という、最初からオーバーするつもり満々の予定時刻を大幅に過ぎて4時間半使ってもまだ終わらない内容となった。 以下、内容に私が勝手に話の穂を継いで書き散らす。 ●GPSでトラックログを取り続ける行為は「乗りつぶし」に似てくる 石川さんが自宅と職場を自転車で往復してみたときに、往路と復路でコースを変えていた。その気持ちはとてもわかる。ジョギングだって、同じトラックをグルグル走るよりも、街中を一周したほうが気持ちいいのと同じだ。でもそれって、鉄道の「乗りつぶし」にも似てるんじゃないか。 そんなことを思って、翌24日、自宅近くの気になる道路を歩いてみた。気になる道路で、ちょこちょこ行ってはいるのだが、「通し」で歩いたことはなかった。 (DAN杉本氏のカシミール3Dで作成) GPSに地図を放り込み、それを見ながらこうして歩いてみると、「次は円周ではなく対角線を歩いてみたいとか、この2.5万図には乗っていない道も歩かなくてはとか、そういう気持ちはたしかに「乗りつぶし」である。上記は500m四方もないのだが、自宅からの距離を含めて6kmある。自宅近くだけを塗りつぶすだけでも大変な作業だが、散歩のルート選びが楽しくなった。 通勤が地下鉄だということもあって、いままでは「出かけよう!」と思ったとき、つまり電車かクルマかバイクか自転車か、そういうときしかログを取っていなかったのだが、これからはとらなくてもGPSを持ち歩こうと思う。 ●トラックログの記憶 これも、石川さんのお話で思いついたこと。石川さんは先日、まだ地図を表示できない端末(eTrex)にログが表示されているのを見て、自分は道路を歩いてるんじゃない、地球を歩いているんだ、という気持ちになったという(違っていたらスミマセン)。そう、ログは、GPSの衛星との相対的な位置関係(点)を結んだものだから、道路だろうが関係ない。地球の大きさが変わらず、GPS測量の原点も移動させないとしたら、いま取ったログを、1億年前の現地、あるいは1億年後の現地に置いても許されるはずだ。 そう考えると、道路を歩きながら端末の画面でログを見ているとき、ふと「道路ではなく、星の上を歩いている」という感覚になってきた。道の両側の建物が建て替えられようが更地になろうが、それ以前、道路ができる前は畑だろうが、ログはそこに置ける。地形が変わってしまった場合には、ログは地中にも海中にも潜る。谷になれば空を飛ぶ。自分の目が現実に見ている、晴れた春の青い空に、赤く表示されたトラックが見えてくるような錯覚に陥る。危険だ。 もっとも、出演者の方々はとっくにこんなことは看破されておられると思うけれど…。 (イメージ。下の赤い線をログとして描いたつもり(▲)でも、1万年後に地盤が5m沈降してしまえばそのログは空中に残る(▼)ことになる) いやもちろん、「乗りつぶし」的にトラックログを見る場合は標高データを捨象して見てしまっているわけで、正確には高さも記録している。ただし、GPS測量では高さの値は緯度経度に比べてはるかに不正確で、また日本の地形図における「標高」は「海抜」を取っているため、本当に正確を期するならば緯度経度ほど簡単にはいかない。 海抜は、東京湾からその地点まで川を引き、東京湾が平均海面値になったときに水が来ている面、なので、地中に質量の大きな部分があればその面は歪むし、GPSはジオイドというそれとは異なる基準を用いている。しかもジオイドは測地系によって異なる。 などと書いてきて、これは、被災地では現実にこれから起きることなんだと気づく。ログを残していた築堤上の道路や高架橋が流される。まったく同じ場所に復旧しない場合は、そのログは永遠に再現できなくなる。石川さんが冗談めかして「いま歩いたログはいましか取れない、だからログを取ろうよ」みたいなことをおっしゃっていたが、そのとおりだ。 普通の人にはピンと来ないかもしれないけれど、ログを「写真」に置き換えて考えるとわかるだろう。写真は残されていても、なんの異常さもないし、誰もがやっていることだ。写真に撮った場所が、災害を含めてなくなってしまうなど、よくあることだ。それと同列に考えるならば、「ログを取ろうよ」というのは、不謹慎に楽しもうと呼びかけるわけでもなんでもない。 ●地図の把握 「帰宅ログ」の話で、自分が日常移動している自宅と職場の位置関係すら把握していない人が多いのに驚く。興味がない、といえばそれまでだが、そうした人が、地図の話がしょっちゅう出てくる大山さんの読者だというあたりもまた興味深い。 などと言いながら、東京の南側、中央線より南側はきちんと把握はできていない。常に「練馬ナンバー」地域に住んできた弊害か。あてずっぽうに道路を歩いたら明後日の方向に出てしまうだろう。でも、だからこそ、地図を漫然と眺めるのが楽しい。「西武池袋線と新宿線は、所沢より向こうはこんなに平行しているのか」というのは、恥ずかしながらつい最近知った。 また、鉄道と、帰宅支援道路のあまりの乖離も驚いた。京王線とR20の親和性の高さも驚きだ。平行道路が内に等しい小田急沿線住民は、自分なりの把握をしておきましょう。 イベント中はいろいろ思いついたんだけれど、あまりに入力情報が膨大だったので断片化してしまった。思い出せないのはもったいないなあ。公式レポを見て思い出せばいいのだが。 余談。 鉄道と関係ないイベントで、鉄ではない人が「鉄ちゃん」をもちあげると会場は異様に沸く。プレゼンに不安のある方はぜひ取り入れてみてください。 歌人・枡野浩一さんによる、丸田祥三さんのトークイベントに行ってきた。ゲストはおふたりの間をつないだ切通理作さん。会場はNaked Loft。 今年、丸田さんの著書が共著をふくめて3冊出るはずだ。そのうちの1冊は、枡野さんとの共著である。そしてもう1冊は、私が担当している、ヨッキれんさんとの共著、廃道の写真集だ。今回のトークは、一連の裁判を経た(継続中ではあるが)からこそ始まったともいえる新たな動きをきっかけに、丸田さんの作品を広くしってもらうためのものだ。 作品を大写しにしながら、作品に関するトークが始まる。1枚目は、新宿駅に佇むEF13と三井ビル。 (『東京人』2009年3月号の表紙に採用されたもの。原版横位置。amazonにリンク) 丸田さんは、「戦時決戦機関車」として作られたEF13と、1970年代の象徴である新宿三井ビルディングを対比して撮影したかったのだという。そのとき、小学生。その1枚を得るために、1ヶ月半、学校にも行かずに新宿駅に通った。当然、学校の先生が何度も訪問してくる。先生は丸田少年に言う。「大人になったら撮ればいい」。しかし、丸田少年は答える。「大人になったら、もう撮れない」。製造後30年たったEF13はいまこのベコベコの外板で佇んでいるが、1970年製のものが30年経ったとて、EF13のようにはなる保証はない、いや、ならない。それを見越して撮影しているのだ。 あるいは、新宿駅貨物ホームのEF13。「戦時中に作られた機関車を、戦時中のイメージで撮りたかった」と思った小学生(中学生?ちょっと失念)の丸田少年は、父(出征している)の友人に聞いた「戦時中は黄砂でほこりっぽかった」という言葉から、Y2フィルター(モノクロフィルムのコントラストを高める、黄色いフィルター)をカラーフィルム(ネガ?)に使用し、そのイメージを作り上げた。 そんなエピソードがどんどん出てくる。小学生にして、そんなことを考えているのか。話は写真論、そしていつのまにか「丸田祥三論」になり、『日本風景論』になり、また写真論になり、たまに脱線。そんな感じで、「休憩にします」と言っても話は続いてしまい、観客もほとんど席を立たない。 さまざまな論評も飛び出した。ひとつ、丸田さんの持論にして私も常々そう思っている、「フラット化」への反対は、それだけで1冊の単行本ができそうな内容だった。私も「酒で(問題を解決しないまま)仲直り」とかは大嫌いだ。 第1部終盤、ひとつ質問をした。丸田少年は、常にカメラを持ち歩いていたのか? これは、1970年代の都内の普遍的な光景を撮影した作品に対しての疑問だった。答えは否。ということは、「こういう写真が撮りたい」と決めて、カメラを持ち出しては撮ってたということになる。 「カメラが常に持ち歩くのは、警官が拳銃をつねに手にしているのと同じだ」。という丸田さんの言葉も少し極端かもしれないが、でもまあ、そうだろう。私もよく「ここを、あのカメラとあのレンズで撮りたい」などと思うことが多々ある。結局はそれっきりになってしまうのだが、丸田少年は、そう思ったら必ず撮りに行っていただろう。そんな気概を、トークの節々に感じられた。 ここまでの話は、USTのアーカイブにあるのでぜひご覧いただきたい。ただし、いずれ削除される可能性があるのでお早めに。 22時30分頃から、第2部として、枡野さん・丸田さん共著の公開編集会議となった。 この本は、丸田さんの作品に枡野さんの短歌が載るもので、おもしろいのは、枡野さん、丸田さんがそれぞれ、それぞれの事情で単行本未収録だったり未発表だったりした作品が、偶然組み合わされ、桝野さんの言葉を借りれば「自分では硬いと思っていた短歌が、丸田さんの作品と組み合わさることで、風通しがよくなる」ということだ。大きな示唆をいただいたと思う。 そうこうしているうちに終電時刻。まだまだトークは続きそうだったが、中座してしまった。無念。また来月もあるだろうから、楽しみにしています。 写真について。 私は、個人個人の写真へのスタンスは異なるのが当然なので、思い切り「自分にしか撮れない」ものを追求するのも、没個性でフラットに撮るものも、なんでもいいと思う。私は前者を目指すけれど。後者は後者で、数がまとまればそれとて前者に近づいていくのではないだろうか。 また、カメラも、日常的に持ち歩けるような環境になったのだから、持ち歩いてもいい。私はよく「いまここに5Dと28mmがあればいいのに!」という後悔をしている。そういうときに撮れないと「また今度でいいや」になり、結局は撮りに行かない。ぼくがいま一番撮りたいのは、会社のビル1階にある、タワー式駐車場の前にあるターンテーブルだ。 |
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