工場や団地の写真集などに見る、フェースが直立した、完璧な建築写真といいましょうか、そういうものに目が慣れすぎてしまった。そういうものが美しいという眼になってしまったのか、「そこまで手をかけなければならない」という意識になってしまったのか。
通常、背の高い建物の写真を撮影すると、遠近感で上すぼまりになる(左)。しかし、建築写真はそうなっていない(右)。ホテルのパンフレットの外観写真などを想定して欲しい。身近な例では、トンネルの坑口を撮影するときには(左)のようになってしまう方も多いはずだ。 フィルムの時代、それを解決するにはふたつの方法があった。 (1)アオリ(ティルト)を使った撮影 …簡単にいえば「それができる」特殊な機材を使う。 (2)なるべく望遠で撮る…根本的解決ではないが、焦点距離が長いほど遠近感が消える。 これを応用すると、人物を撮影する際、地面の高さから望遠で撮ると、気づかない程度に上すぼまりになって、つまり足が長く顔が小さく写る。 ところが、現在では次の手段がある。 (3)デジタル画像を加工する 上に例示した2図は、逆の手順にはなるが、右を作製後にわずか2つのドラッグ操作で左を作った。まあ、手順だけでいえばそれくらい簡単なことだ。いま出版されている工場や団地の写真集などは、著者がシノゴを使っているとどこかで読んだ気もするが、デジタルで撮影したものを、こうしたパースをなくす処理をしているものもあるだろうと思う。 さて、ここで困ったことが起きた。 先日、非常に美しい、ウズベキスタンの写真集を見た。しかし、しかしだ。美しいものはともかく、寺院(?)の入り口などの説明的なカットは、撮影の都合上、広角レンズを使用するものが多く、そのほとんどが少し極端な上すぼまりなのである。それを見てしまった私は、もしこれがこのままなら、美しくないと思ってしまったのだ。この感覚に困っている。おそらく読者のだれもが、そして制作サイドの誰もがそんなことにすら気がつかないだろうと思うが、私はそれに満足がいかない。つまり、他人が制作するものに対して、文句を言いたくなる。この気持ちそのものと、その悩みを理解してくれる人が身近にひとりもいないことに困っている。 PR
お台場の『東京カルチャーカルチャー』で開催された『トーク・ザ・軍艦島』に行ってきた。親しくさせていただいているオー・プロジェクトの方々のご尽力で、軍艦島出身者にして「軍艦島を世界遺産にする会」理事長の坂本道徳氏を招いてのトークライブである。今回、ツイッター上で知り合った@Sheela111氏と落ち合い、特等席で拝見した。
坂本道徳氏は筑豊の宮田で生まれ、小学校6年の時に御尊父の仕事の関係(つまり端島に就職したということだ)で端島に転居。以後、高校卒業までを端島で過ごす。その「筑豊生まれ」という経緯があったため、氏は端島を客観視できるようになったという。ご婦人は端島生まれのため、端島の何が「すごい」のかの感覚が異なるという。 坂本氏の話が続く。元島民でなければ持ち得ない感情を、端的に語っていく。印象深かったのは、 といったくだりだ。住人にとってはあくまで「端島」であり、「軍艦島」などとは呼称しなかった。なぜならば、「軍艦島」は九州本土から見た形であり、その島にいる人たちにとっては島を外から見た姿など関係がないからだ。また、 というお話も印象に残った。これもそうだ、海上に浮かぶ炭鉱で働く人たちは、みな外から来た人たちである。一般に、炭鉱夫というのは炭鉱から炭鉱へと移る。つまり長崎市内の人が有力な就職先として端島を選ぶ、というようなものではないので、長崎市内の人たちにとって、軍艦島は「よくわからないけれど、県外の人たちが働きに来るところ」的な意識となる。軍艦島が自分たちの郷土の一部だ、という感覚にはならないのである。 そのほか、工夫の入る風呂には子供たちは入らない、とか台風の時の高さ50mにならんとする波しぶきの話、とか端島は意外に青春の活動が活発で、デートコースも初級、中級、上級みたいな感じでいくつもあった、などという話がぽんぽん飛び出してきた。 約3時間のトークライブの後、有志、といっても30名ほどで新宿へ移動し、写真展へ。私は初日に見ていたが、坂本氏の解説がつくというのでもちろん同行。会場はそのとき10名ほどの方々がいらっしゃったが、そこに我々が入ると相当に狭くなってしまった。そんななかで坂本氏の解説や質疑応答が始まる。一般の方々もその説明に聞き入っていた。当たり前だ、こんなに重みのある声はない。 約1時間後、懇親会へ。ここから参加された方も多く、軍艦島の写真集を出されている大橋弘氏もいらした。ここで約3時間、ほとんど初対面の方々ばかりだったが、あっというまに時間が過ぎた。 坂本氏が中心となって制作した『軍艦島 住み方の記憶』 も購入。 坂本氏にとって、端島とは? 世界遺産とは? 広島の原爆ドームを例に、「原爆ドームは、これを見た人が平和を願うようになるという役割を持っている。もし世界が完全平和になったら、戦争の象徴たる原爆ドームは不要になる。それと同じく、端島も、かつてここに日本にエネルギーを供給するための石炭産業があり、やがて輸入の化石燃料に頼るようになり、当時の組合の条件闘争により黒字のうちに閉鎖したという経緯が広く人に知れ渡ればいいのであって、建物を見ることを目的とするのではない。坂本氏は長年の自問自答の末、いま、このような見解を披瀝されている。
書いたデータが吹っ飛んだ。やーめた、オワタ\(^o^)/
コニカミノルタプラザで開催されている写真展『軍艦島全景』に行ってきた。
大きなパネルが3点。上記リンク先の案内図にある「Large Panel」の3点である。黒沢氏、大西氏、西田氏それぞれの作品で、順に、幾何的な模様の繰り返しである鉄筋コンクリートの建物、かつて人が住んでいた部屋と当時は時代の最先端だったものが取り残されてタイムカプセル化した部屋、廃墟の中、陽光が当たる部分に新たに芽生え、天に向かって伸びゆく生命。おそらく、各氏の軍艦島における原点といおうか、各氏が軍艦島に託して何を見ているのかの表現というような意味合いでそれらは選ばれたに違いない。 digital poto flameもよかった。明るい液晶で、適度な大きさでスライドショーとなる写真は、明るかった。人が住んでいた当時のものを繰り返すものもあった。 私が目を留めたのは、人が住んでいた時代に撮られた写真と同じ場所の現在を撮った、定点観測的な写真展示である。かつてそこに響いていた人声や足音は二度と戻ってこない、直接的にはその儚さを、間接的には時間軸が持つダイナミズムを見る。三才ブックス刊『軍艦島全景』でも一部その試みがあるが、ここではほぼ同じ場所で、40年(推測)を隔てて撮影された写真を並べることで、よりそのダイナミズムが際立つ。なぜか思い出すのは、手塚治虫の『火の鳥 未来編』である。 大きなパネルそれぞれに、三氏の軍艦島や廃墟への思いが書いてある。もちろん、三才ブックスの本にも同様のものがあるのだが、私は黒沢氏のそれに感じるものがある。引用する。 これを読んだとき、涙が浮かんできた。私が廃道について感じている気持ちそのままである。鉄道も廃線も道路構造物も鉄道構造物もちろん好きなのではあるが、人の情念が入るのは廃道だと思っている。それも、集落を結ぶなど、生活に直結する廃道であって、高速道路やバイパスの廃道ではない。いわゆる「廃モノ」のなかでも、こうした廃道こそが、名もない人々の生活に直結しているのであり、意識することなく使われ、やがて忘れられていく。一方、鉄道は請願はするけれども結局は「会社」あるいは公共企業体が運営するものである。廃墟は、複数の人ではなく特定の個人の思いだけが宿る。 黒沢氏と同じ方向性のことを、西田氏も書いておられる。
この写真展を見た人が、たとえ故郷が東京都心部であっても、故郷を振り返り、ああ、実は自分は故郷のことをまったくわかっていなかったのだ、もうちょっとよく知ってみようか、と思うようになればいいと思う。 帰りがけ、写真好きらしいオバチャンが「廃墟も素敵よね。ぴかぴかのビルと違ってさ」と連れ合いに話していた。まあそういう見方もあるのだろうけれども、そうではなく、この写真展に込められた思いをもっと感じ取ってくれよ、と少し寂しい気持ちになって会場を後にした。 これだけの撮影をするのに、どれだけの回数軍艦島に渡ったのか、ちょっと想像がつかない。その労力と、三才ブックスの写真集『軍艦島全景』を考えたとき、写真展が無料で、写真集は2415円であることは、驚異的な安さだと思う。この写真集は、その2倍、3倍の価格でもおかしくないできばえだと思う。それは、ひとえにオープロジェクトの三氏の気持ちと、力と、三才ブックスの理解によるものだと思う。自分もこうした本を世に送り出すことができればと思っている。
ゴミ捨て場で拾ったoptio M60を解体してみた。興味があったのは「見えない部分がどれだけチープか」ということと、「本体の1/3を電池とSDカードスロットが占める内部で、カメラたる部分はどれだけあるのか」ということである。
表面に見えているビスは、底面にひとつだけ。ストラップ取り付け部にも2本あるが、これは本体とは関係ない。 本体背面四隅にメクラ蓋があり、これをめくるとビスが4本現れる。 それら5本のビスをはずすと、このように背面と前面に別れる。その間にはOリングが挟まっていて、防水機能を果たしている。しかし、両者を3本の多芯コードが結んでいる。コネクターではなさそうだが、ばらせないわけがないと思い、軽くひっぱたらすべてはずれた。極小のコネクターで連結されていたのである。 分離するとこんな感じ。さらに基盤を前面ボディからはずす。2本のビスをゆるめる。 こんな感じに「プツッ」といった感触で外れる。 見えている2本のビスをゆるめても基盤は外れない。絶縁シートをはぐってみたら、そこにもう1本発見。 基盤がとれた。こっち側の面だけが、おそらくカメラの制御部のすべて。ここでモードにしたがって現像しているわけだ。 逆側はこんな。電池ボックスがいかに大きいか、わかろう。 次に、レンズ・シャッターユニットを取り外す。四角い塊の中に可動のレンズが3組とシャッターがある。シャッターは、、1枚のレンズと2枚のレンズの間に置いてあり、不動。 ユニット。銀色に見えるのはレンズを駆動するモーターだ。合計3つついている。 これが、私にとっての驚愕写真。なんと、レンズ・シャッターユニットは、内部で90度屈曲していたのだ! 赤枠部分が動く。黄色部分はシャッター。 力業で外したシャッターとレンズ。そして撮像素子(CCD)。 この電池はストロボ用。 本体前面のアルミパネル(?)は、接着剤で本体に留めてあった。 ほぼ全バラの状態です。 ああああ、眠いので文章が書けない。これにて終了。 |
カレンダー
最新記事
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|