飯田橋から水道橋、お茶の水、秋葉原と歩いた。道中に湯島聖堂があるので立ち寄った。綱吉が建てただか移設しただかの孔子廟である。神田明神と湯島天神と湯島聖堂を混同していたのはここだけの話でいい。そういうのがいい加減であるからこそ、こういうところを詣でるのが苦手なのだ。
上に掲げたのは、湯島聖堂の解説文である。昭和11年に文部省が書いたもの・・・を書き直したものだと思う。しかし、最後の一文に注目したい。 コンクリート
混凝立 おいおい、「立」じゃない、「土」だ。 検索すると、この文章を引き写したサイトがいくつかある。彼らは意図せず誤った知識の拡大再生産に荷担している訳だ。文部省(の看板を書き換えた官庁)も反省しろ。 PR
リンゴに対抗するつもりはないが、33年ものの餅搗き器で搗いた餅から作った丸餅が小さすぎたから、干し柿で。気持ちがあればいいのだ。
この丸餅。新潟では見たことも聞いたこともなかったが、諸般の事情で関西が混じる現在、餅は丸餅であり、魚はブリサワラであり、焼きそばにもスバゲティにもご飯がつく。以前はそれぞれ鮭と鱈、イタリアンであった。 西新井大師に詣でてきた。 子供の頃以来、30年ほどそうしたことをしてこなかったが、それには神社なのか寺なのか、祭神/本尊はなんなのかも知らずに詣でることにものすごく大きな抵抗があったからだ。西新井大師は「大師」なのだから弘法大師のお寺であり、別に中野区の新井薬師の西、というわけでもないのだが、そうしたことなど露ほども気にかけずに詣でるということができなかった。それが、いまでは詣でてから調べればいいや、くらいに思うようになったのは進歩なのか後退なのか。 新潟にいた頃は、白山神社と護国神社であった。白山神社の祭神はイザナギ・イザナミとククリヒメであるが、これとて俯瞰して見たわけではないので、古事記・日本書紀は読んだことがあるにしろ、どの神様がどの神社の系統なのか、それをつかんではいない。つかまないうちは、適当にお参りすることができなかった。 まあいい。気持ちである。ご本尊のご尊名を口にせずとも、願えばよい。すべての人々に健康を。
『モーニング』に不定期連載中の『カレチ』が単行本化されたので買ってきた。読みながら、参考文献として壇上完爾氏や坂本衛氏の著書があげられており、内容もそうしたものなので、まあそうだろうな、と思っていた。
ところが、本書の巻頭に、参考文献として『出発進行!』萩原良彦著、とある。 やられた、と思った。 そして、著者の池田邦彦氏は「知っている人」である、と強く感じた。 読んだことのなかった(たぶん掲載時は読み飛ばした)ちばてつや賞受賞作『RAIL GIRL』では、よりによって藤井松太郎の名まで出てくる。こちらの作品は、ここで終わりか、と思わせておいて実はまだ物語り半ば、そこからまた盛り上がりにつながるという非常に凝った、素晴らしい作品である。 かつて漫画編集の末席の末席を汚していた私は、もしまた漫画編集になったなら、萩原氏の著書を、某漫画家に漫画化してもらいたいと思っていた。国鉄の現業が書いた作品は数多あり、現在でも交通新聞紙上で作品が掲載されたりしているが、内容、文章ともに壇上氏と萩原氏がダントツだと思っている。萩原良彦氏についていえば、著書の中でも『臨時停車』と『発車5分前』が抜きんでていると思う。後年、ドキュメントの分野も手がけ、『上越新幹線』なども手がけたが、残念ながら吉村昭にはなれていない。 『カレチ』に戻る。 これになんとなくのシンパシーを感じるのは、舞台として北陸本線が多く出てくるからだろう。第1話からして、大阪(以遠)から「白鳥」に乗った乗客が東三条で弥彦線に乗り換えるのである。一人の乗客のために、列車を30分遅らせる話である。いまであれば「タクシーで行っても数千円だろ」ということにもなろうし、そもそも大阪から新潟へは飛行機だろ、ということにもなろう。でも、当時はそうでなかった。大仰な言い方になるが、これは、同時代に生き、中長距離に鉄道を使っていた者でなければ理解できない感覚であると思う。 『カレチ』は、今風の浮ついた鉄道漫画ではない。いい意味での昔気質の漫画作品である。通常、漫画で鉄道車両やバイク、クルマなどを描くときは写真をトレースする人が多いものだが、本作品では完全に心象から絵を起こしている。作品中に出てくる構図は、カメラでは撮影できないパース、アングルだったりする。鉄道車両のスタイルを完璧に頭の中で組み立て、それを絵にしている。そこが素晴らしい。もちろん、物語もテンポも素晴らしい。 絵は、定規を使わずに直線を描いている。スミはほとんどなく、各種斜線の濃淡で陰影を表現し、トーンは最小限しか使っていない。それゆえに絵が優しい。 表紙はED74である。
今日も野暮なことを書く。しかもふたつ。
今日発売の『モーニング』をパラパラめくっていたら、 蒸気機関車が右側通行していた。 かわぐちかいじの『ジパング』である。 牽引機は、動態復活させることが決まって話題のC61の20号機。 『ジパング』は読んではいなかったが、今回は『外伝』らしい。 舞台は昭和16年とのこと。 しかし、C61の製造(製造の経緯は長くなるので省く)は戦後、昭和22年からである。 いま話題の機関車の報道写真でもベースにしてしまったか。 機関車の形式が時代にあわなくても、別に構わない。 よくあることだ。 しかし、右側通行がおかしいことくらい、気がつかないものだろうか。 いままで艦船を、スペックまで想定して描いてきた漫画である。 たとえて言うなら、サザエさんに携帯電話が登場しなくても構わない。 しかし、黒電話のダイヤルを逆回転させてはダメなのである。 |
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