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DVC00072.jpg井上準之助の本を2冊買った。古本也。イメージだけで語られがちな戦前の日本経済をきちんと理解したい。このあたりを曖昧にしておいたままでは、鉄道の戦時買収も、昭和に入って連続するテロも、その背景にあるものも、適当な知識--そういう時代背景である、と思い込むこと。なぜそういう時代背景になったのかの考察がない--でお茶を濁したままになってしまう。

高校生の頃に得た教科書的な知識とは、言われたことをそのまま無批判に受け入れて単なる知識として習得することで終わった。そうではなく、興味の対象に対して考察したり、もっとヲタ的な関心を持って心惹かれるままにネットサーフィン的に知識を求め続けることこそ本質をつかめるのではないかと思う。

1冊だけ読んでわかった気になってもしょうがないので、もう一冊がもう少ししたら来る。しかし、これを読む前に、1200ページの大作を読み終えなければ。読める時間は1日30分くらいしかない。終わるのはいつのことやら。
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1920年代の日本の政治をおさらいしたい。単語と内容は覚えているが、流れが掴めなくなっている。把握し直さねば、鉄道史も金融史も村田鶴も見えてこない。自分の知識を振り返ると、政友会については誰と誰、みたいにある程度は言えるのに、立憲民政党(憲政会+政友本党)についてはスラスラと言えない。

民政党政治についてもう少し知れば、滋賀県の土木事業の停滞、血盟団事件、そうしたことが、なにかつながってきそうな気がする。血盟団事件で標的となった民政党の井上準之助は、2期に渡る日銀総裁を経て3内閣(第二次山本、浜口内閣、第2次若槻内閣)で蔵相を務め、基本的には超均衡予算、そして1930年の金解禁につながるような財政政策をとっていた。

ききかじりで書くが、ケインズ理論、ニューディール政策は、多大な公共投資で景気回復を目指すものだが、1927年の金融恐慌の時期(若槻内閣)に蔵相であり、1929年の世界鋼橋橋高恐慌の時期(浜口内閣)にも蔵相であった井上が主導し、それらとは逆の政策を行い、国内をかき回しながら1931年を待つことになる。ちなみにアメリカも、その少し前だが、ハーディング大統領(1921-1923在任)が、いろいろと無茶をやった。例えば、親英的な銀行家の「アメリカは金を出し、欧州は兵を出した。負担を平等にするために、欧州各国が戦費調達のために負った債務は放棄せよ」という意見を聞かずに、回収した。そのため、結果的に連合国は敗戦国であるドイツから取り立て、第二次世界大戦への導線を作っている。

もし、ここで井上が逆をやっていたらどうなるか。井上は団琢磨らとともにウォール街とも親交があった。ウォール街は「東洋の英国」日本に親近感を持ち、中国を信用していなかった。日本に対する借款など、いくらでも用意してくれたに違いない。JPモルガン商会の3代目(その名称になってからは2代目)のジャック・モルガンの右腕、トム・ラモントらとの深い親交もあった。ラモントはムッソリーニ政権に借款を用意している。

井上が逆をやっていたら、政友会と民政党の経済政策が似ているものであったら、堀田義次郎も更迭されなかったかもしれない。そしたら・・・。いや、滋賀県の政治史などまったく知らないので、ここでやめよう。


『小説吉田学校』の戦前版(戦前に刊行されたという意味ではない)ってないんだろうか。
20100218.jpg飯田線為栗駅の「駅ノート」を見ていたら、『鉄子の旅』の作者の書き込みがあった。こんなふうに絵が描けたらいいな、こんなかわいい字が書けたらいいな、と思うがちょっとマテ。

名前が・・・。

私自身も年賀状の1割は「磯辺」で来るし、同僚からすらさえ「辺」でメールが来たりする。「磯」が「礎」「礒」、「祥」は「洋」、「行」は「之」になったりする。ひどいのになると4文字中3文字誤っていることがある。しかし、住所録は一回打ち込んだら絶対に見直さないので、延々と毎年誤字で年賀状が来る。

* * *

 
ちゃんと記事として書きたいことは溜まっていく一方なのだが、あまりに時間がない。鋼橋の打ち込みも止まったままだ。まだまだトンネルは長い。
田村喜子『土木のこころ』をようやく読み始めた。誤記が多い。年月日、地名、固有名詞を誤るとは言語道断。一気に信用が持てなくなった。

先日、ある物書きが、知りもしないことを知っていると思い込んで誤りばかり書いて困る、という話を聞いた。担当編集者はその分野の専門家ではないが、編集担当の意識としてその専門知識部分の不整合に気づき、調べてみると嘘ばかりだったという。トロリーポールとビューゲルとパンタグラフの区別がつかないのなら、もちろんその歴史的価値もわかりようもないのに、ビューゲルをほめていたとか。木を見て森を見ず、どころか葉っぱの色や形しか見てない。そういう見方はもちろんアリだが、それならそれなりの書き方、立ち位置というものがあろう。もう3年ごしの作業らしいが、軌道修正がうまくいくことを願っている。

常々不満なのが、こうした用語が、理解せずに書かれていることだ。鉄道で言えば、電動車の紹介記事ではサイリスタチョッパ制御やVVVFインバータ制御といった用語がたびたび出てくるにも関わらず、それらがなんなのかの解説がない。いまでこそ秀逸な書籍がいくつか刊行されているが、それらの方式が初めて採用された当時、趣味誌レベルではわかりやすい解説はなかったといっていい。美術・芸術に関する紹介記事でもよくある。「アール・ヌーボーの…」「コロニアル様式の…」。書き手に問うと、コロニアル様式がなんなのか、答えられない。そこにコロニアル様式の建物があるということは、コロニアル様式が採用された理由や背景があるはずだ。しかし、それに触れてこそその作品の解説となりうるのに、書き手がわかってない。その建物の公式ページにおいてさえ、そういうことがよくある。


用語に興味を持って検索すると、たいてい検索結果の上位にwikipediaの該当ページが表示される。ところが、書き足されすぎてあまりに冗長なものも多い。「チョッパ制御」はまだ整理されているほうだと思うが、これは第2版が端的でいい。詳細な解説がある事典は偉大だが、端的に表現する辞書はそれ以上に偉大だと思う。
atok2009にて、「接岨峡」(せっそきょう)と変換しようとすると「接阻峡」と変換されることに気づいた。辞書登録に誤りがあるのだろう。ことえりではそうしたご登録(←自分で誤字を書いてどうする)誤登録がたくさんあった気がする。

最近また駅名や路線名、鉄道事業者名を打ち込む機会が多い。辞書には駅名や路線名は登録されている。しかし、廃止になったものは登録されていない。もしかしたら、atok誕生以後に廃止されたものは残っているかもしれないが、古いものはない。現存する弘南(こうなん)鉄道はatokの辞書登録がないのが不思議である。

私のパソコンは必要に応じて変換履歴があったり登録したりしているので、もう記憶の彼方ではあるが、こんなものだけ覚えている。

小松島線は、コマツしません
天北線は、店舗苦戦。「てんぽく」が名詞と認識されない。
妻線は、積ません

(追記)
志布志線は、支部支線




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