北側から。海側にふたつの廃隧道が見える。
内径から考えると左が初代、右が二代目だろう。しかし、手前にコンクリートブロックが積まれ、近寄ることができない。 海岸に下りれば近寄れるけれど、まあ、遠くからの鑑賞で十分か。 二代目。 ここから少し北に行くと、2tローリーもはみだすENEOSで書いた盃SSがある。ぜひ給油してほしい。 その盃集落をはさみ、茂岩トンネル、南側坑口。 左(海側)に旧道と廃隧道(?)が見える。 その手前ではキャンプしている人たちがいる。タイドプールもあるし温泉もあるし廃道もあるし、ここはいいかもしれない。あと、きれいなトイレもある(入った)。 キャンプしてる人がいるので近づいて写真を撮るのはためらわれ、遠くから。要石の意匠を備えた坑門があるが、躯体は直線的なので覆道にも見える。近寄れなかったので未詳。 PR
北海道南部の北岸は、ずっとこんな光景が続く。新しいトンネルを抜けるとまたトンネルが見える。その海側には閉鎖された旧道の廃隧道が残る。明かり区間に出て左を振り向けば、いま走ってきた新トンネルに対する旧道と廃隧道が見える…。
写真は、いまいるのが磯谷トンネル、向こうにあるのが刀掛トンネル、その左の閉塞している坑門はイセバチトンネルだ。 出て、振り返って。磯谷トンネルと、その海側には廃隧道。 とてもシンプルな坑門だけれどとてつもない違和感があるのは、坑門全体が山から飛び出しており、すでにこの部分ではアーチの形状に意味がなくなっているからかもしれない。本来ならば、この坑門のこちらの面とほぼツライチで、地山があるべきだ。地山からヴォールトに力が加わらないのに、いちいち坑門にアーチと要石が意匠されているので、それが違和感になる。 右下には銘板があるのだが、現地では気づかなかった。節穴。 振り向く(北を向く)を、刀掛トンネル。旧道がこちらからあちらへとつながっているのがわかる。 あいにく廃隧道には行けない。金網で閉じられている。しかし、その向こうの閉鎖された隧道には「イセバチトンネル」の銘板がしっかりと残っている。まさか、銘板盗掘防止のためにこんな金網をつけているわけではなかろうが。。。
寿都の市街から北に向かうと、歌棄(うたすつ)、種前という集落がある。両者を結ぶ国道229号に、こんな場所がある。
手元の2万5000図では、まだ旧道しかないのだが、更新が遅いのだろう。新道が開通したのは1987年だ。旧道となった種前トンネルは、完全に閉鎖することの多い国道229号沿いの多の隧道とは異なり、まだ口を開けている。 大型車の車庫として。すぐ手前は漁具置き場、その手前(撮影地点の左後ろ)では、鉄骨造りの建物を建設中だった。 まだ7時すぎだた、建設工事中なので、ここで引き返し、向こう側から見ることにした。 旧道よりも新道のほうが盛られている。 旧道の手前には、大きな街灯が転倒していた。 旧道。閉鎖されていないのも例外なら、扁額や坑門意匠もそのままというのも例外。扁額には「種前隧道」とある。意匠は、要石までしつらえてある。 ヴォールト内部、坑口側のみ鉄骨で補強されている。これは、地山が坑門を押す力が働くことによるヴォールト入口部分のひび割れを補修したものだろう。
国道229号を北上する。島牧に入るあたり、茂津多トンネル、狩場トンネル、兜岩トンネル、白糸トンネルと千数百メートルの長大隧道をいくつも抜ける。いずれも、新道として近年開鑿された隧道で、海岸沿いには旧道が眠っている。あまりに連続しているので、写真に撮ることすらしていないが、ちゃんと旧道の隧道は坑門が塞がれている。
そのうち、狩場トンネルと兜岩トンネルの間の明かり区間で北に見えるのが、このシェッドである。 シェッドの表面には装飾がしてある。シェッドの銘板は剥がされている。 シェッドの奥には隧道の坑口が見えるが、塞がれている。また、手前のシェッドそのものも、立ち入り禁止の柵がある。海を回れば入れないことはないが、そうする義務もないので立ち入ってはいない。 廃道探索者に限らず、釣り人も入っていくんだろうなあ。 振り返ると、現道との接続部分の向こうに狩場トンネルの北側坑口が見えている。
渡島半島の西側、別名松前半島の東海岸に、知内から分岐して南下する、行き止まりの道路がある。終端は小谷石という集落で、道路が通じる前は海路でアクセスする集落だった。
その道路の終端部が、ここ。防波堤と民家に挟まれたところで切れている。健康そうな子どもたちが何人か遊んでいた。 小谷石に行く途中、狐越岬という断崖をしおさいトンネルで抜ける。その海側に、旧道が見える。 しかし、閉鎖され、とりつく島もない。 南側に回ると、旧道に行けそうだ。 このような形で見えている。すごい切り通しをしたものだ。 このような切り通し。周辺には密漁禁止の看板が立ち、密漁監視の看板を掲げたクルマが頻繁に往復している。バイクを止めてここらへんを歩いている私は、彼らから見たら密漁者に見えるだろうから、カメラで写真を撮っていることをおおげさにアピールした。 とはいえ、足下には、けっこうたくさんのウニの殻が落ちている。また、大きなかたつむりも多かった。 切り通しを進む。この標柱は…? 日蓮宗のものだった。関係ないが、北海道では多くの天理教の施設、それも地域に根付いている建物を見かけた。 その先には、閉鎖された覆道の坑門。その奥には隧道がある。ここで引き返した。
* * *
小谷石には、ローカルバスが3本、通じている。web上には、その乗車記もある。冒頭の小谷石の写真を撮って引き返したら、バスがやってきた。LEDによる行き先表示は「すみません、回送中です」。とっさのことで写真を撮れなかった。 小谷石は、1973年に土砂災害に見舞われている。そのレポートがここにある(PDF)。 http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/74_02_01.pdf |
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