国道361号の、木曽福島町と開田村はともに木曽川の支流にある町で、両者の間には峠がある。いまは地蔵トンネルという長いトンネルで抜けているが、その旧道に、この折橋隧道はある。写真は東側の坑口で、坑門は土砂に埋まっている。開口しているかどうかは定かではない。 その前には伐採された樹木が乱雑に積み上げるように捨てられている。土砂の流入で、いずれきちんと埋まってしまうのだろう。 幸いなことに扁額は見える。右端には増田甲子七の署名がある。第一次吉田茂内閣の改造後、運輸相となり、以後、閣僚を歴任した人物だ。 手の届く高さだが、捨てられた樹木のせいで近づけない。こちらには「新開口」とある。新開とはここから10kmほども手前、木曽福島市街の地名だ。 よく見ると、「隧」の字が不自然である。之繞(しんにょう)の位置がおかしい。 よく見ると、「墜」を「隧」に彫り直している! だれか、彫る前に気がつかなかったのか。文字の誤用、混同はかなり以前からあったと見え、「○○に『墜道』と書いてあった」ということで「隧道は墜道とも書く」と主張する人もいるが、それは「独壇場(どくだんじょう・誤)」が「独擅場(どくせんじょう・正)」にとってかわったような話なので、私はその説には与しない。 * * *
反対の西側。 少し堀割を作り、その奥に坑門を配している。こちらは完全に塞がれている。 廃ガードレールを利用した蓋だ。縦に15本並べ、それを水平に帯状にガードレールで留めている。下部はコンクリートのブロックを築いている。 こちらにも扁額はあり、「折橋隧道」とあるかに見える。しかし「隧」の文字部分は苔に覆われて見えない。その下には「開田口」とある。そして、これまた苔で見えないが、おそらく増田甲子七の名前が右下にあるようだ。 2013年9月17日追記: 「墜」「隧」について、平沼義之さんから興味深い資料をいただいた。明治時代の漢和辞典に「隧(ツイ、ズイ)」を「隧(スイ、ズイ。同じ漢字)」と分けて項目を立てた上で「墜と同じ」と書いてあるという。ツイートをソースごと転載すると無関係のツイートも表示されてしまうので、テキストのみを転載する。 (1) 対して、私が誤字だと考える根拠は、回答としては成り立たないかもしれないのだが、「漢字の使われた方に関する考え方」を根拠としている。 漢字は、音が通じると平気で誤用されてしまう。個人的に身近なところでは、「磯部」の「磯(日本では海の磯)」、これをまったく意味が異なる「礎」「礒(川にある石)」で代用されることがある。異体字も同様に有名ならともかく、「本来の意味」を持つ漢字があり、それが圧倒的に有名な場合は、私は異体字(代用字)は誤り、と考えている。いくら「斎藤さん」が「斉藤さん」と誤記されようと、両者の漢字はまったく異なるものなのである。もっとも、漢字は読み方も形もどんどん変化するものであることは重々承知の上で、書いている。 逆説的な「誤記説」の補強としては、扁額が誤記でないなら修正する必要はない、ということもある。真相は不明である。 こうしたことは「正しい/誤り」という話ではなく、その変化の度合いを把握することが大切なのではないかと認識を新たにした。平沼さん、ありがとうございました。 PR
国道178号線の久谷駅の西側を走っていたら、妙なトンネルが見えた。築堤は山陰本線で、その下を県道261号が通っているのだが、なぜかトンネルがふたつある。…いや、道路と並行して川があるのは大きく見えるので、その水路トンネルだとはすぐわかったが…。
アーチには要石があり、ふたつのアーチの間には装飾的な柱(?)がある。しかし、その柱がコンクリートに埋もれ、また道路トンネル内部に傾斜した護岸を見れば、堤防が嵩上げされたことは明らかだ。もしかしたら、道路も掘り下げられて(同時に狭められて)いるかもしれない。 坑門はコンクリートでのっぺりとしているが、開通時ははたしてどういう姿だったのか。 内部はコンクリートの覆工。 南側坑口にこの標識がある。「兵庫県-132」が何を意味するのかは不明。 帰宅後「和田口めがねトンネル」で検索したら、造築は山陰本線開通時まで遡ることがわかった。そして、やはり改修されていた。改修前の写真や工事中の写真をアップしたサイトがあるのでリンクを貼っておく。 ・和田口のメガネトンネル ここは余部橋梁に近い。ぜひいっしょに見学を。
柏崎市の名所、番神。いい海水浴場もあり、子供の頃、何度か泳ぎに行ったことがある。そこと、国道8号を結ぶ形でトンネルがある。トンネルだよな。写真は南側坑口。矩形断面で、上には信越本線が走る。
中は、おもしろいことになっている。矩形断面に続いて円形断面になっている。なんだこの連続は? …と、銘板がふたつある。赤い矢印(見えにくいかな…)の先だ。まず手前。 高めの位置にあった。注目したいのは「橋梁」である点。
意外に新しい。ということは、線路は移設せずに、現役の線路の真下を支えながら掘ったのか。 こちらは円形断面のほう。
ということは、最初に橋梁だけできて、その向こうは閉塞隧道のように…正確には工事がまだ開始されていない隧道、という状態であったはずだ。 抜けて、北側。やはり向かって左側に銘板がある。 鉄道側は橋梁で、道路側はトンネル。この違いは、通行主体にあるからではないかと思う。「番神(架)橋梁」は、鉄道の橋。その下が川だろうが道路だろうが、関係ない。対して「番神トンネル」は、道路のトンネル。その上が鉄道だろうが地山だろうが、関係ない。そんな、構造物の目的の違いが名称に表れている気がする。 場所はここ。PC版のGoogleMapsではきちんと隧道として描かれているが… Android版では、トンネルとして描かれていない。なぜだ? 元データが違うのだろうか。
津和野・奥ヶ野という地形で見た「奥ヶ野」に至る津和野側手前、長福という小盆地から東に行くと、日原に出る。その途中にある小さな隧道だ。
慎ましい、逆U字型のアーチとコンクリート製の坑門。わずかに笠石を模した装飾があるのみ。 扁額があるのは嬉しい。風化しているが右から「砥石隧」まではかろうじて読める。おそらく左端は「道」だろう。 抜けて、日原側。 こちらは扁額はない。落下したか、外されたか。ここにワイヤーが突き刺さっているのが、なんとも痛々しい。 その手前には「県道」の道路標示。これは、写真右(北)に分岐があるためだが、いま改めて地図を見ると、そちらのほうは県道のショートカットルートになっている。標高差80mほどを丁寧に降りる県道と、ショートカットする細い道。現地では地図をちゃんと見ていなかったのだが、ショートカットルートも行ってみればよかった。 大きな地図で見る
写真の右に小さく木谷原橋が写っている。この左側の道がかつての国道434号で、現在は岩国市道だろうか。とにかく先に通行止めのゲートがある。その先、左カーブの向こうには、予想通りの隧道がある。
ここのバス停はあるが、「町営バス」と書いてある。2006年まで存在した錦町営ということだ。後継のバスはあるが、おそらくここは通っていない。なにしろ隧道が通行止めなのだ。…ではなく、無人の隘路をわざわざ通らなくても、新しいバイパスが天空を走っている。 この雰囲気。たいてい、左カーブのあたりまでいくと、風がビュウビュウ吹いているものだ。 鳥越隧道の東側坑口。すみません、カメラが傾いています。 立派な扁額。ただし、扁額ごと坑門にひびが入り、それを補修した跡がある。また、スパンドレルには枯れ草ワイパーの跡がある。 隧道内、腰の位置には金属の帯がある。そして、坑門から1~2mのところは隧道内部を円周方向に鉄板で補強している。これはおそらく、地山の重みで坑門が前(道路側)にせり出し、その煽りで坑門から1~2m付近で円柱方向に亀裂が生じたのを補修したものだろう。 隧道は通行止めなのに、内部は電灯がついている。 このときはなんとなく向こう側へは行かなかった。いま思えば行っておけばよかったと思う。もしかしたら、鳥越隧道はこのまま廃止、閉塞されるかもしれないのだ。 |
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