この区間の開通は1973年10月1日。 空中写真で見てみよう。 黄色いルートが牟岐線、矢印の先が町内トンネル。 線を除去する。 では、それ以前はどうだったのか。 1968年にも、隣接する国道55号は開削されているようだが、この町内トンネルの場所はまだ「山」だ。だからこそ、トンネルを通したのだろう。 それにしても、前述の1975年の空中写真を見ると、大きく開削されたものだと感じる。現地に経つと、ここに山があったとはちょっと想像できない広さだ。 【2014年1月5日追記】 サイト『轍楽之道』の寺田牧夫さんから、1975年8月の海部駅の写真を見せていただいた。そこには、ポータル上、数メートルの土かぶりしかなくなっている町内トンネルが写っていた。また、ライターの土屋武之さんから、宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』における海部駅の記述で、すでに開削されたことが描かれており、氏の訪問日が1976年5月7日だったとご教示いただいた。となると、1975年8月から翌年5月までの間に開削されたということがわかった。お二方のご教示に感謝申し上げます。 PR いままで襟裳岬は何度も回っているが、紹介した2例とは関係なく、2000年代に入ってから新しい道がどんどん開通している。旧道を改めて巡ってみたくなっている。 その、黄金を敷き詰めた道も、いまやかなりの部分で新道が開設されている。音調津から南、2万5000図を見ると、多くの旧道が描かれている。このフンコツトンネルもそのひとつである。写真は北側の坑門。 トップの写真の海側の大きな岩にひとつ、穴が穿たれている。 路面はコンクリートかと思いきや、なにもない。 この隧道を含む区間の竣工はwikipediaには1934年とあるが、日記的な何かさんのサイトによれば、このフンコツトンネル旧道は1930年の開通とのこと。開通時の写真などあれば見てみたいものだ。 空き家が目立つ厚内駅……2001年に立ち寄ったときには女子高生が待合室でずっと電話していた……を過ぎるとキャンプ場がある。海から吹きさらしなので、こんなところにテント張るのはキツイと思う、いつもは全然人がいないのに、8月上旬だからかいくつか張ってあった。 そのまま道道を直進すると、この厚内トンネルがある。上の写真は東側坑口。左、海側には旧道が埋められている。 * * *
道道1038号はこの先、内陸に入るのだが、さらに海側に分岐していて、そこには昆布刈石展望台がある。かつて、ここから先は超フラットダートだった。 以下、12年前の写真。2001年7月。もらった期限切れのPKL。赤いけれど、色補正などしないよ。
弁財澗の片洞門 国道229号(北海道)の続き。
付近は「祈石(いのりいし)工区」として、兜トンネル・茂岩トンネルなどとともに4.1kmの区間をまとめて改良工事をしている。その仕上げたる部分が、この尾根内大橋の開通だ。この橋の開通に伴い、尾根内トンネルは旧道となって閉鎖された。 その南側から入った。 |
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