丸田祥三さんの撮影に同行させていただいたときに撮影したものである。丸田さんの作品は『廃道 棄てられし道』に収められている。
ここは、2泊3日で関西に取材に行ったときに、思いのほか順調に進み、3日目の予定に余裕があるのでどこかないか…とカシミール3Dで地形図を眺めていて見つけた旧道だった。地形図には、国道257号に「新日和田隧道」があり、旧道には隧道マークはないけれど、尾根を挟んで対峙しているルートがある。 その場で検索すると、例によってサイト『うさ★ネコサンド』さんがヒットした。とくに中部地方において、自分で行ってから情報を検索すると、ああ、ここもあそこも見落としていた、と気落ちしてしまう結果になる素晴らしいサイト。こちらの記事を拝見して、廃隧道があることを確認したので現地に向かった。上の写真は西口坑口である。 扁額には、右書きで「日和田隧道」。左端に署名があるようだが、枝に隠れて見えない。 あまりこういう表現はしたくないのだが、周囲の湿った感じといい、夏の夕方という雰囲気といい、ちょっとまがまがしさを感じた。谷筋というのは湿っているものであり、そのドンつきにある隧道は湿った印象なのは当然ではなる。西側なので、日も当たりづらく、なおさらだった。 ここに国道から向かう際、採石場のようなものがあったので、一声掛けてから向かった。撮影していたら「そろそろ閉めるから」と、わざわざクルマでここまで声を掛けに来てくださった。ちょっとご迷惑をおかけした形になり、申し訳ない気持ちで反対側へ。 東口。 ガードレールには…いや、なにも言うまい。 坑口は綴じられてはいるが、上は剥がれ落ちている。扁額は、やはり右書きで「日和田隧道」。こちらは扁額のアップを撮っていないので署名が読み取れない。 引いて見る。手前には高さ制限3.6mの標識が傾いでいる。 詳しい情報は、うさ★ネコサンドさんの当該ページをぜひご覧ください。 PR
2008年夏、永冨さんの旧道倶楽部の記事を参考に、岐阜県の軽岡隧道を訪れた。そして3年後の2011年秋、再訪した。これはそのときの写真。
軽岡峠は御母衣湖の東方向にある峠で、国道158号と東海北陸道も通っている。旧道は隧道がない「新軽岡峠」、旧旧道はここに行く道である。 東側、東海北陸道をくぐるあたりから旧旧道に入る。最初のうちは、クルマも通れそうな林道である。 なかなかの切り欠き。こうした道をしばらく行くと、やがて雑草に埋もれる。とはいえ、雑草は毎年更新されるのか、天端が道幅に揃っているので、かきわけて進むのはたやすい。道もあまり迷わない。一部、道が崩れたところでわかりづらいところがあるが、慣れた人には見えてくるはずだ。 例に漏れず、ここも「そこを右に曲がると、あるな」という予感とともに、坑門が現れる。 天井が抜け、坑門上部の土が流出しており、まるでアーチ橋のように坑門だけがそこにある。その向こうにはヴォールトもあるが、すぐに閉塞している。 坑門の表面は崩れ落ちたのか、もともとこの仕上げだったのか。水平ではない状態で、柱のような木材が埋め込まれている。鉄筋の代わりか。坑門裏側に回ると、同様の木材が見えた。 このように潰れている隧道だが、電子国土にはいまだにきちんと隧道として描かれている。→こちら。 日が出てきた。坑門は北東を向いているため、ここには午前中に来た方がよさそうだ。 坑門に向かって左には石積の壇がある。ここにはかつて「辻堂」があった。これも旧道倶楽部に詳報があるのでそちらをご覧頂きたい。 2008年に来たときは、ここで携帯が鳴った。1時間ほども廃道歩きをしたところなのに…と思ったが、東海北陸道とは数百m、国道とは1km少ししか離れていないのだ。電話に出ると、会社からの、自分の担当書についての問い合わせだった。休暇をとっているときに電話してくんな!と憤慨して電話を切った。 軽岡峠は、東側には2回行ったものの、西側には行っていない。機会があるなら、次は西側へ行こう。
伊豆半島の道路は多くの改良を重ねられているので、そこかしこに旧道や廃隧道がある。廃道についてはよっきれん氏のレポート以上のものはできないので、写真だけ。
北側。国道の御石ヶ沢トンネルと新宇佐見トンネルの間、すぐ脇に旧道が見えるので、アプローチはたやすい。クルマを置く場所もある。ここから北に向かう。 片一号洞門。 これだけの設備が放棄されている。向こうに見えるのは片二号洞門。 坑門…と称していいのだろうか、洞門の入口も。コンクリートで作られたこの意匠、あまり嫌みがない。 片二号洞門を出て振り返る。蛍光色の「危険」、表情が険しい。 ここで道路の上に土砂が崩落している。これ以上先に進むには、藪をかき分けながら土砂を乗り越えなければならない。この日は天気がイマイチであり、また行程がギュウギュウだったので、ここで引き返す。 帰り道、振り返ったところ。 一度、出発地点まで戻り、今度は南に向かう。 宇佐見隧道が静かに佇む。 入口から振り返ると、海のほうへ空が抜けていた。雨が上がり、雲もどんどん上がっていく。廃道は、雨上がりが美しい。 この日は、写真集『廃道 棄てられし道』の取材で、丸田祥三さん、平沼義之さんと伊豆の廃道を訪ねたときのもの。この隧道や洞門は写真集にも収録されている。丸田さんの作品をこそ、ご覧いただきたい。 (2010年9月撮影。2012年6月再訪、ほとんど状況変わらず)
積丹半島の神威岬の東、ワリシリ岬の根本に穿たれた余別トンネル。その西側坑口だが、2012年8月、そのときまさに廃道化工事が行われていた。左に見えるのが旧道で、画面外になるがその左には旧旧道がある。
「古いトンネルをふさいでいます」。 さらに左に目を転じると、閉鎖された旧旧道の隧道が見える。近寄りたかったが、あいにく作業者のものとおぼしきクルマがあるので自重した。
* * *
東側の旧道は近寄ることができた。うっかり、新道の写真は撮っていない。 こういう意匠なのだろうか。それとも、何かが貼り付けてあったものを、廃道化する際に剥がしたのだろうか。他にもこういう処理(?)をしている廃隧道をいくつも見た。 旧道の横には、当然のごとく怪しい道が。周囲は港なので、無関係かもしれないのだが…。 見えますか? このような形で藪に埋もれていた。私の背をはるかに越える、高さ3mになろうかという木か草かわからないような草(だと思う)に阻まれた。とはいえ坑口はとても小さく、現在の交通事情にはそぐわない大きさだった。 振り返ってみる。センターラインが残っている。
* * *
その横、港にあった道。突然、途切れている。かといって、かつて「この先」があってそれをぶった切ったわけでもなさそうだ。ここまで律儀に白線を引かずともよさそうなものだが…。
親子三代。
もちろん初代は上、二代目は左、三代目は右。塞がれているのは二代目だけ。それぞれの意匠は兜トンネルと同じ流れだ。 初代にいたる道が、右手前にある。 目で追うと、砂防施設と橋がある。橋は、こんな短いのに橋脚がある。…? 浮いている。たったこれだけのスパンだからなくてもいいような橋脚が、浮いている。どうせ通るクルマもないだろうが、これはひどい。 この場所は、冒頭の三世代を眺めるのが吉。 |
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