韮生川橋。「にろうがわ」と読む。大栃橋と同じく、永瀬ダムのダム湖にかかる吊橋で、こちらは上韮生川側になる。 左岸側。親柱はないが、それに相当する部分には銘板がはめこまれている。左は「昭和三十年四月竣功」、右は「韮生川橋」。 見ての通り、床版はグレーチングで、真下の湖面が透けて見える。 製造銘板。 昭和30年(1955) 建設省建造 活荷重9屯 製作 松尾橋梁株式会社 現在は高知県道217号であるこの道路の来歴を知らないが、ダム建設時に架けられた橋だから「建設省建造」なのだろうか。 ケーブルと補剛桁のトラス上弦は、ピンでつながっている。こういう、機械的につながっているという自称が大好きだ。 左岸側は藪の中なのでよく見えないのだが、右岸側のケーブルのアンカー…いや、その保護具合がすごい。「高架橋手前にある鉄骨のガード」のような三角錐が壁面から飛び出してケーブルのアンカー部分を守り、その下にはアンカーを堅固なものとするロックボルトを擁するコンクリートの塊。なお、こちらの親柱的な部分にある銘板も、対岸と同じく左が「昭和三十年四月竣功」、右は「韮生川橋」。 ここから少し進むと、堤高87mの永瀬ダムを右岸から眺められる場所がある。なかなかの近さであり、下を覗くとかなりの谷感がある。 PR 永瀬ダムが形成する大栃湖にかかる国道195号の橋。中央径間が大きい3連のワーレントラスに見えるが、さにあらず。中央径間の端柱が、側径間の斜材を兼ねるという形の連続トラスだ。 その部分。中央径間は分格トラスになっている。 中央径間の背が高いため、真正面から見ると、カマキリというか、犬が腹ばいになって前足を出しているというか、スフィンクスというか、ホワイトベースというか、そんな印象になる。 銘板。 昭和30年(1955) 高知県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作 株式会社横河橋梁製作所 親柱。右岸の右に「おおとちはし」、左に「昭和三十年五月架設」 親柱。左岸の左は「昭和三十年五月架設」、右に「大栃橋」。 すぐ向かいの売店では、いろいろなお弁当を売っている。高知名物の野菜のおすし、とてもおいしかった。 国道195号を走っていたら、突如、ポニーボーストリングトラスに出くわした。なぜか、「出くわす」のはボーストリングトラスが多い。「歴史的鋼橋集覧」から漏れているせいだろうか。とても整った、塗装も美しい橋。物部川にかかる「日の出橋」という。写真は酷道の対岸(南側・左岸)より。 路面もきれいに補修されたばかりのよう。トラスがちょこんと鎮座している…という雰囲気。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が「ひのでばし」。左、普通は「竣功(竣工)」と入っているものだが、「架設」。こちらも左岸。向こうに見えているのが国道。 もしかしたら「架設」なのは、この橋の出自によるのかもしれない。銘板がある。 昭和30年(1955) 高知営林局 内示(昭和14年)二等橋 製作 株式会社横河橋梁製作所 こちらは北側・右岸側。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が剥がされている。「架設」もユニークだが、両端の親柱にあるのもユニークだ。 長安口貯水池にかかるカンチレバートラス。といってもキャメルバック型とでも言おうか、通常は支承の上部が突き出すが、吊り桁の上弦の高さがそこと同じ高さになっている。シチサンないし真横から撮れる位置がないので、なかなかわかりづらいのだが。(この日は上流側、国道193号が通行止めだった) 左岸川(北側)の親柱は、左が「であいはし」、右が「那賀川」。 手前に見える|X|X|X|X|という橋門構のような部分の垂直材の真下が支承・橋脚。その一つ奥の上横構はよく見ると2本あり、そこが接合部で、その向こうが吊り桁。 接合部。上弦はピンで接合されている。 橋を渡るとそのまま出合トンネルに吸い込まれる。信号機のあるトンネルだ。 右岸側(南側)の親柱。左が「出合橋」、右が「徳島市へ八二粁」 銘板がある。 昭和29年(1954) 徳島県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作株式会社宮地鉄工所 隣接して上流側に仮称出合大橋が建造中だ。ニールセンローゼになる。 |
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