忍者ブログ
[155] [156] [157] [158] [159] [160] [161] [162] [163] [164] [165]

永瀬ダムが形成する大栃湖にかかる国道195号の橋。中央径間が大きい3連のワーレントラスに見えるが、さにあらず。中央径間の端柱が、側径間の斜材を兼ねるという形の連続トラスだ。

 
 
その部分。中央径間は分格トラスになっている。


中央径間の背が高いため、真正面から見ると、カマキリというか、犬が腹ばいになって前足を出しているというか、スフィンクスというか、ホワイトベースというか、そんな印象になる。

 
銘板。

昭和30年(1955)
高知県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所

 
 
親柱。右岸の右に「おおとちはし」、左に「昭和三十年五月架設」


 
親柱。左岸の左は「昭和三十年五月架設」、右に「大栃橋」。


すぐ向かいの売店では、いろいろなお弁当を売っている。高知名物の野菜のおすし、とてもおいしかった。
PR

国道195号を走っていたら、突如、ポニーボーストリングトラスに出くわした。なぜか、「出くわす」のはボーストリングトラスが多い。「歴史的鋼橋集覧」から漏れているせいだろうか。とても整った、塗装も美しい橋。物部川にかかる「日の出橋」という。写真は酷道の対岸(南側・左岸)より。

 
路面もきれいに補修されたばかりのよう。トラスがちょこんと鎮座している…という雰囲気。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が「ひのでばし」。左、普通は「竣功(竣工)」と入っているものだが、「架設」。こちらも左岸。向こうに見えているのが国道。

 
もしかしたら「架設」なのは、この橋の出自によるのかもしれない。銘板がある。

昭和30年(1955)
高知営林局
内示(昭和14年)二等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所



 
こちらは北側・右岸側。親柱は、左が「昭和三十年三月架設」、右が剥がされている。「架設」もユニークだが、両端の親柱にあるのもユニークだ。




四国山中にある、知られた廃給油所。ここには大協石油のサインポールが残っている。非常に貴重なものだろう。

 
防火壁にはessoのマークが浮かび上がる。

 
三つ残る計量器にはすべてessoの印。これは有効期限が昭和57年10月。そのころ、既にessoだったのだろう。

大協石油は昭和61年4月に丸善石油と(共同で設立した製油会社としての旧)コスモ石油と合併して(現)コスモ石油になっている。essoはまったく関係がない。給油所がブランドを替えることは時折あることだが、大協石油のサインポールを掲げたこの給油所が、いかにしてessoのロゴを防火壁に描いていたのかはまったくわからない。



 
長安口貯水池にかかるカンチレバートラス。といってもキャメルバック型とでも言おうか、通常は支承の上部が突き出すが、吊り桁の上弦の高さがそこと同じ高さになっている。シチサンないし真横から撮れる位置がないので、なかなかわかりづらいのだが。(この日は上流側、国道193号が通行止めだった)

左岸川(北側)の親柱は、左が「であいはし」、右が「那賀川」。

 
手前に見える|X|X|X|X|という橋門構のような部分の垂直材の真下が支承・橋脚。その一つ奥の上横構はよく見ると2本あり、そこが接合部で、その向こうが吊り桁。

 
 
接合部。上弦はピンで接合されている。

 
橋を渡るとそのまま出合トンネルに吸い込まれる。信号機のあるトンネルだ。

 

右岸側(南側)の親柱。左が「出合橋」、右が「徳島市へ八二粁」

 
銘板がある。

昭和29年(1954)
徳島県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作株式会社宮地鉄工所

 
隣接して上流側に仮称出合大橋が建造中だ。ニールセンローゼになる。




 
 
長安口ダムの下流側にかかるのが長安吊橋。

国道195号から対岸に渡る道としては、もう少し下流に小浜大橋があるが、その旧道にあたるか。

 
 
 
主塔はコンクリート製、その内側に高さ3mのゲートがある。主塔の空間を考えると、3.8mでもよさそうなものだが…。

主塔につく銘板。「昭和二十七年十月四日竣工」。長安口ダムの竣工は昭和30年。

 
 
左岸側(国道側)のアンカー。壁面の覆工に穴が空き、その奥にアンカーされている。

 
その近くにある石碑。現地では読めなかったので書き起こす。石碑は、1行が長すぎ、行間が狭すぎ、そしてはるか目の上に文字があるので、非常に読みづらい。石碑設置者は、読む人のことを考えてもらいたい。

(原文縦書き)
嗚呼美なる哉日野氏の行ひ美なる哉虎吉扇の心明治三十一年一
作氏の長南として旧下木頭村深森に生る質性温厚篤実夙に植林
事業の重要性を痛感し森林組合の創立に或は種苗圃の経営に将
又林道の開発に率先垂範孜々営々三十余星霜其の成果は既に
鬱蒼たる沃林を●成す翁は斯く植林事業に精進する傍ら若冠(ママ)三
十歳余にして村議会議員となり地方行政に挺身する事二十七年
後宮濱村長を経て初代上那賀町長となり自治行政に盡瘁しつつ
今日に及ぶ就中古屋川林道開発に翁の悲願にして粉骨砕身遂に
之を完成せしむ今回有志相謀り其の偉徳を頌し不朽の業績を讃
え以て萬世の師を仰がんため翁が偉業の一端を叙す
 昭和三十六年二月廿五日 阿南市議会議長 市瀬慶治郎 謹撰
              海部郡由岐町 名田八十一 謹書


要するに初代上那賀町長・日野虎吉氏を讃える文面である。深森とはここから県道36号を南下したところにある。古屋川林道とは、県道36号のことだ。


(おまけ)
 
下流側に造られた川口ダム。堤体正面側は撮れなかった。


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア