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定義森林鉄道の長大木造橋(通称:大倉川橋梁)

定義森林鉄道の長大木造橋(通称:大倉川橋梁)

橋梁一般

20120804_003.JPG仙台郊外の大倉ダムを少し遡ったところに「定義」という集落がある。「定義如来」がある温泉地で、牧場跡地ではオフロードバイクのレース「東日本2DAYS ENDURO in 定義(じょうげ)」が開催されてた場所だ。1999年、レースに(仕事で)出て、定義の民宿に泊まったが、そのころはこうしたものにはまったく興味もなかったし、そもそも「発見」されていなかった。

この橋と定義森林鉄道については山さ行がねがおよびそこにリンクがある先行レポートに詳しいので、省略する。

20120804_002.JPG高い方杖橋。橋脚が歪んで見えるのは事実で、レンズの収差ではない。

20120804_001.JPG桁を右岸の軌条面から見ると、こんな感じ。枕木も朽ちつつ残っている。

20120804_004.JPGもしこの上に乗ったら、台になっている横材を支点に折れてしまいそうだ。


この橋梁は、大倉沢に入る釣り人の間では知られていたようだ。しかし、撤去されたとの噂もある。この写真を撮影したのは2009年の5月だが、再訪したい。

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開拓農協の給油所

開拓農協の給油所

ENEOS/日本石油

20120803_000.JPGアルパカ牧場に向かう途中、県道から一段上がった見えづらいところに青空給油所(キャノピーのないところをこう呼ぼうと思う)があった。坂道を下る方向からしか見えないような作りだ。

ファインダーのないカメラで撮っているので、背面液晶が全然見えず、サインポールが欠けてしまった。

20120803_001.JPG例によって坂道の途中にあり、防火壁の開き方が左右で角度が異なることもあり、水平のラインがわかりづらく、真正面から撮れていないのが無念。左に灯油、中央にレギュラー(左)と軽油(右)。

20120803_004.JPGトキコ灯油の計量器。

20120803_005.JPG(不明)のレギュラーガソリンと、タツノ軽油の計量器。

この給油所の名称は「大谷開拓農協SS」。大谷開拓農協で検索をしたら、第二次世界大戦後に山形から入植した方々のようだ。twitterブログgoogleページもある…が、どれも放置されているのがありがちでかなしい。

20120803_002.JPG冒頭の写真にもチラと映っているが、給油所の上には長屋があり、これが農協の事務所である。地形図やネット地図では郵便局のマークがあり、「那須大谷簡易郵便局」の表示がある。現地ではそれを知らなかったので「ポストがあるなあ」程度に思っていたのだが、よく見ておけばよかった。

長屋の左は「大谷開拓農協」の表札。右(長屋の中央)には「ゆうパック」の幟があるのでおそらくここが簡易郵便局。入口右(の右)には「那須大谷簡易郵便局」とあり、左隣に「那須大谷開拓農業協同組合事務所」とある。

20120803_003.JPG長屋から給油所を見る。セキショウグループの看板には、ここで気づいた。こういう、一見の人が入りづらいような場所だけれど、地元の人に大切にされているのが感じられる給油所だった。


大木茂写真展『汽罐車』

大木茂写真展『汽罐車』

鉄道

大木茂『汽罐車』が刊行されて1年半にして、写真展が8月1日から新宿で開催されている。詳細はこちら

初日ということでギャラリートークを目当てに訪れると、驚くほどの人。9割方、50歳以上だろうか。大木氏が65歳、その若き日に刊行した『北辺の機関車たち』(共著)に感化された方々のようだ。神様とも称される写真家(もちろんいくつか写真集を持っている)もいた。私が大好きな作家さんもいた。私が知らないだけで、高名な方々も多くその場にいたに違いない。吉永小百合からの花が飾ってあった。

写真展は、『汽罐車』に収録されているもの以外の、出し惜しみをしていた作品を含めてA1判を主体としたとても大きな作品として見ることができる。ご本人はその仕上がりに納得がいっていない部分もあるお話ぶりだったが、息をのむ。あまりに人が多く、浸るように見ることができないのは残念だったが、初日ゆえ仕方あるまい。私はこの時しか行く時間がなかったのだ。

ギャラリートーク。司会の方(お名前失念)、名古屋機関区OBの川端新二氏、写真家の結解学氏との4人で進行した。まずは川端氏。蒸機の加減弁を握り続け、昭和45年からは電機を運転していた方で、御年83歳。とてもそうは見えない。いまでもOBたちと集まると、電機や電車の話は一切ないが、蒸機の話になると尽きないという。
20120801a_003.jpg川端氏(写真右)は、所要で東京に来たときに大学生の大木氏の写真展を見て以来のつきあいだという。
「昭和48年に中央西線が電化され、蒸気機関車のさよなら運転があった。一般者は乗れない。ところが、この大木さんというすごい男は乗った。その時、のちにJAXA理事長となる山之内秀一郎氏(注:むしろJR東日本会長といったほうがわかりやすいだろう)が添乗していたのだが、なんとそこに大木さんも乗った。3~4駅で降りるだろうと思ったら、往復全部乗った。すごい」。会場は大爆笑。おおらかな時代である。

その川端さんのお気に入りの1枚が上の作品。常紋信号所だ。「山之内さんもこの作品を気に入っていた。もう亡くなられたが、お宅には、この常紋信号場の作品があるはずだ」。すごいエピソードだ。

20120801a_001.jpg川端氏の話は続き、蒸機の水、石炭、投炭などから蒸機の「効率の悪さ」に至る。その話を大木氏(写真左)が継ぐ。
「蒸気機関車のような効率の悪いもの(石炭のエネルギーの5~7%程度しか牽引力にならない)がなくなっていくと同時に、そうした効率の悪い、器用でないものがどんどん消えていった。蒸気機関車の写真は、そうした人々へのオマージュである」。

20120801a_004.jpg中学生の時に『北辺の機関車たち』に衝撃を受けて一番弟子を自認している結解氏(右)のお気に入りは、宗谷本線のダブルルーフの客車内で撮影した、おじいさんの作品。
「人にカメラを向けるのには抵抗があった。それに、動いている機関車が撮りたかった。今回は意図的に人が写っている作品を多く展示しているけれど、写っているのはカメラを向けやすい老人と子どもが多い。」

20120801a_006.jpg司会の方(お名前失念、右端)のお気に入りは、宗谷本線のC55のスポーク動輪。「この角度で狙って撮った。写真集ではナンバープレートをトリミングして、より動輪を強調している」。

他の作品を見ると、大木氏は、後ろから見た蒸機がお好きなようだ。わかる。バイクも、右後ろ(マフラー側)から見た角度がもっともかっこいい。

20120801a_007.jpg大木氏は、ベストの1枚は選べないが、お気に入りの作品として、浜小清水の朝日の作品を挙げた。私もこれがもっとも好きな作品の1枚だ。もう1枚は、これだ。
 
* * *

昨秋、私が企画・編集して刊行した丸田祥三さんの写真集『廃道 棄てられし道』。その帯は、私が考えた。

「道路の声が聞こえるか?」

自画自賛をご容赦いただきたいが、ものすごく気に入っているキャッチだ。

実は、このキャッチは、『汽罐車』に寄せられた香川照之氏の言葉「この写真、匂うか、匂うだろ」がにヒントを得ている。もともと、丸田さんとも、共著者の平沼義之さんとも、「もの言わぬ道路だけれど、そこに込められた思いがあり、それを解放したい」という話をずっとしていた。丸田さんは写真で、平沼さんは文章とwebサイトで。それを「使われなくなった道路の写真集」というとしてまとめ上げたのが、『廃道 棄てられし道』である。名乗らず、声をあげることもしない道路そのもの、工事の従事者、そしての設計者たち。彼らや道路たちの思いをどうキャッチにするかと考えれば考えるほど、香川氏のこの13文字の素晴らしさが巨大な壁に見えた。相当な期間没頭し、ようやく「道路の声が聞こえるか?」という11文字ができた。

「匂い立つ写真」と「聞こえる写真」。前者では、読み手は作品の情景そのものを味わう。後者では、作品の被写体と対話しようとする。そんな違いを、個人的には感じている。

写真集『汽罐車』は絶対に「買い」です。


【追記:2012/8/2】

この日はご挨拶するのもご迷惑なくらいの盛況だったので、翌8月2日午前、再訪し、ご挨拶申し上げた。たくさんのお話をお聞かせいただいた。また、なんと私の過去の駄文などをご覧いただいたことがあるとのこと、あまりに恐縮で縮こまってしまった。写真集を持参し、サインをいただいた。
DSC_0476.jpg友人達も興味を持っているようなので、けしかけておいた。

この秋公開の映画『北のカナリアたち』も、大木さんがスチル撮影を担当されたとのこと。こちらも楽しみだ。

松尾鉱業鉄道ED252の台車

松尾鉱業鉄道ED252の台車

鉄道車両の台車

20120801_101.jpg松尾鉱業鉄道のED25形の2号機が、八幡平市松尾歴史民俗資料館の屋外で保存されている。屋根がかけられ、全体を撮影するには厳しいが、おかげで状態はほどほどにいい。ここは「民俗資料館」という名称なので、知らない人は、ここに電気機関車が保存されていることに気づかないかもしれない。

このED252の台車である。
20120801_000.JPG軸箱守式。軸バネはコイルバネ。

枕バネは2列の板バネ。

20120801_002.JPG角度を変えて、枕バネと揺れ枕。

20120801_001.JPG銘板。
TT-51台車
製作番号 351010
製作年月 26-6
東京芝浦電気株式会社

20120801_006.JPGまた角度を変えて。砂箱の複雑な形状やブレーキ引き棒の取り回しなど。

20120801_005.JPG真正面。排障器
くらいか、目に見えるところでは。

20120801_003.JPG社章、ナンバープレート、メーカーズプレート。

20120801_100.jpg資料館内には松尾鉱山鉄道の資料や写真が多数展示してある。また、このように、ED252を移設する際の記録写真もある。

ほかにも出物がたくさんある資料館だ。入場無料、ぜひ訪れてほしい。


裁ち落とされたアポロと「出光」のロゴ

裁ち落とされたアポロと「出光」のロゴ

出光

20120730_000.JPG松川地熱発電所から東へ向かう県道。雨が降る中、シンプルな給油所が目に入った。定休日か、人気のない給油所。雨なのでスルーしようと思ったが、防火壁が気になった。

20120730_005.JPG20120730_006.JPG反対側。
20120730_003.JPG20120730_008.JPG道路側の防火壁が、延長されたのに削られた、という雰囲気。当初はブロック積みのところまでだったのが、なにかの事情でコンクリートで延長したところ、歩道の新設工事に伴ってコンクリート部分を削られた…といったところか。塗装は古くないので、「どうしてこうなった」という気分。企業としては守りたいであろうシンボルマークやロゴ部分がばっさりと切り落とされている。精神的にもっとも大切なものだと思うのだが…。

20120730_007.JPG敷地の裏。この雰囲気なら、まだ現役か。

20120730_002.JPGサービスルーム。手前の計量器の有効期限は27年1月とあるから、これは現役なのだろうな。…と思ったが、GoogleマップにしろYahoo!地図にしろ、給油所のマークがない。閉店して間もないのかもしれない。


 

小柳沢砂防ダム

小柳沢砂防ダム

土木一般

国道46号、道の駅雫石に隣接して、砂防ダムがある。が。
20120729_000.JPGこの日は前日から東北は大雨。全国的に見れば、九州はじめ各地に大水害をもたらした集中豪雨の流れの雨である。

前日、ここを通ったときには、丸い穴から水がブワッと噴き出しているような感じだった。この写真のように堤体が滝になってはいなかった。

ところがこの日、すなわち7月16日(月)の午前には、このような状況になっていた。前日の写真を撮っておけば比較できたものを。

20120729_001.JPG水しぶきがすごい。真正面に立つと、水しぶきと、水流がもたらす風とでかなり厳しい。
20120729_002.JPG┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨

前にも書いたな)

なかなか「平常時」の画像がネットにないのだが、「大雨の後」というのがあった。まだまだ水量は少なく見えてしまうが、これを見ると、冒頭写真のような「上」だけでなく、「下」にも排水孔があるのがわかる。ああ、またここも再訪しなくては。。。





 

廃車体+廃給油所

廃車体+廃給油所

JOMO/共同石油

右奥に見える和賀仙人橋(岩手県)のたもとには、こんなものもある。
20120729.jpgJOMOの痕跡と思うのだけれど、岩手電気工業の敷地内にしか見えない。ちょっと古い道路地図を見ても、ここには給油所のマークはない。一般向けのものではない可能性もあるが、それにしても壁はJOMOだ。

画面左には、白く塗られた有蓋車がある。ワラ1かなにかだろうか。

ここは工場の敷地内なので、中に入るのはためらわれる。よって、まったく観察できていない。残念。



花巻電鉄デハ3の台車

花巻電鉄デハ3の台車

鉄道車両の台車

20120727_003.JPG花巻電鉄の車両を知ったのは、1983年の『鉄道ファン』誌だった。この「馬ヅラ」にも惹かれたが、それよりも、砂利道の横に敷設されたレールの上を、砂埃をあげて走る「田舎電車」に強烈に惹きつけられた。高井薫平氏の連載、『昭和30年代の地方私鉄を訪ねて 古典ロコ・軽便・田舎電車、そして…』である。この時期、岩堀春男氏の『専用線の機関車』と並んで、非常に良質な連載だった。

20120727_000.JPGこうして大人になってから対面すると、感慨もひとしおである。誌面で見てから30年。今で言えば、いま写真で知った20年前の車両を70歳になってから見るようなものだ。

連載時から考えると、それが連載された…私が読んでいた20~25年前には、こういうのが現役だったのである。まあ、いまから25年前、1987年頃だって、いまから考えると、あちこちに貨物列車も客車列車も走っていて、新潟交通だって全線走っていて、パラダイスだったのかもしれない。それを、その頃はまったく実感できていないというだけなのだ。いまこの2012年だって、25年後に見たら「機関車があったんだぜ!」とかなっているかもしれない。

それはさておき、台車。
20120727_001.JPG1931年(昭和6年)雨宮製作所製のデハ3が装備するのは、雨宮オリジナルの板枠台車。枕バネはない…ように見えるが、板台枠センターの丸穴の奥に、枕木方向の板バネが見える気がする。軸バネはウイングバネ。

20120727_002.JPGwikipediaによれば、1車体2モーターだったようで、たしかに向かって左(車端側)にはモーターのシルエットがない。向かって右には見える。また、この角度で見ると、枕梁が見える。

検索したら、銚子電鉄のデハ101が同系台車を履いているとRMの『台車近影』にあった(このデハ3も出てきた)。


このデハ3は、とても美しい。願わくば、車内に入って木製の臭いを堪能したい。



くりはら田園鉄道本社社屋

くりはら田園鉄道本社社屋

建築?

20120726_000.JPG若柳駅跡から車道をはさんで位置するくりはら田園鉄道本社の社屋。建築にはまったく疎いのだけれど、木造モルタル造り…かしら。古い「風呂なしトイレ共同のアパート」と言っても通じそうな建物。2階の窓の柵も、社屋とは思えない感じ。

20120726_001.JPG旅館の玄関かと見まごう作り。引き戸の横の表札には「くりはら田園鉄道株式会社」。2階の窓の庇の上は「栗原電鉄」の文字。wikipediaによれば、2007年に会社は解散、2010年に精算終了となっている。いまはどこが所有しているのだろう?

建物そのものはとてもきれいで、裏手の駐車場も機能しているようだ。












20120726_003.JPGいいですねえ、この電灯と傘。

20120726_002.JPG裏手。テラスのようになっているところは、社屋だった時代には何に使われていたのだろうか。

* * *

この社屋から、新しく造られた道路を隔てたところにある車庫周辺の写真を。

20120726_007.JPG20120726_006.JPG20120726_004.JPG20120726_005.JPG20120726_008.JPGラスト、木造庫は、梁を単管パイプで補強し、ようやく立っている印象。この地は二度の激震に襲われている。よくぞ倒壊しかなったものだ。



くりはら田園鉄道ED203の台車

くりはら田園鉄道ED203の台車

鉄道車両の台車

くりはら田園鉄道ED202の台車に関連。

20120724_004.JPGくりはら田園鉄道若柳駅跡に保存されているED20形ED203。定期的に公開されているが、それ以外の時期でも柵越しに容易に眺めることができる。

20120724_005.JPG当然の如く、ED202と同じ。ただし、こちらは主電動機もそのまま。

* * *

若柳の車庫の裏に、ダルマが3両ある。

20120725_007.JPG20120725_006.JPG詳しくないのでわからないのだけれど、wikipediaには載っていない程度にこの3両のプロフは不明。こうしてこの地に土台を設け、屋根をかけたのだから、きっとこれから整備されるのだろう。木造車の外板補修は大工作業だというが、実際の作業を見てみたいものだ。もし作業日が告知されたら、見学…いやお手伝いをしてみたい。

なお、外板を作り直したからといって、保存の価値などいささかも薄れることはない。補修、保存とはそういうものだ。蒸気機関車など、場合によっては新製時から使っている部品は台枠とキャブだけ…というと極端だが、それに近いものもある。保存というものについて、理解が深まるといいなと思っている。



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