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東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その3

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その3

廃線跡

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2の続き。

「その2」からさらに南へ。
201207021_000.JPGいかにも、工業地帯の線路の雰囲気が漂っている。工業地帯まで宅地化が及んでいるのが見えるというか。もし左の宅地がなかったら、それはそれでとても荒涼として見えるのかもしれない。

201207021_002.JPG「国有鉄道」。境界標だろうか。

線路に沿って、いくつもこれがある。こちら側は広大な空き地を持てあましているのに、向こうに見える住宅地は、建物が密集している。なんと不均衡な土地の利用の仕方だろう。住宅地の人々は、この、利用されていない敷地をどう見ているのか。















201207021_003.JPGさらに行くと、踏切がある。もちろん、警報機や遮断機は撤去されているが、柵には「大山…」と書かれていた。

201207021_007.JPG踏切をはさんで、さらに奥(南)を見る。

201207021_012.JPG201207021_013.JPG201207021_004.JPGもう少しだけ、続く。
 
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鹿島鉄道のレール撤去作業

鹿島鉄道のレール撤去作業

廃線跡

20120701_001.JPG2012年6月30日、日立電鉄の廃車体を見るついでに、鹿島鉄道の廃線跡も見ておこう…くらいの気持ちでいくつかの踏切跡などを写真に撮っていた。ここは坂戸駅の西に二つ目の踏切である。すると、なにやら重機の音がする。





20120701_000.JPG




これは!


坂戸駅の東側には取り外されたレールが山になっているのを見ていたので、これはなにかの作業をするに違いないと思い、先回りして西側一つ目の踏切で待った。














果たして。

20120701_002.JPGきた!


歩くより遅いスピードで、茂みの影から現れた。そして、道路の手前で一時停止し、頃合いを見て横切っていく。見れば、レールを引きずっている!

重機がひとりで動いている姿というのはとても怖いというか不気味というか(失礼!)。かつて、西表島の縦走コースを一人で歩いていたとき、道幅いっぱいに走る重機に追いついてしまい、やむなく走って追い越し、その後しばらく追いかけられた…いや、歩くより少し遅いくらいのスピードなのでしょうがないのだが、あれは恐ろしかった。


閑話休題。
この部分はスマホで動画を撮った。

こういう感じでズリズリと引きずっている。そして、またしても先回りして出迎える。

20120701_003.JPG20120701_004.JPGこのように、レールをまたぎつつ、引きずってきたレールをそこに安置した。

20120701_005.JPG

ひと作業終えたところで、作業していた方が降りてきたので挨拶した。次いで、「相方さん」が軽トラでやってきて、いろいろと教えてくれた。その間に、重機の方は戻っていった。

-この撤去作業は4月23日から始めた。
-事前に一人がレールの継ぎ目プレートの片方だけをはずしておく。
-もう一人が、重機でレールを枕木からはがす。それは、軌匡の下にレールを突っ込み、それを重機で持ち上げるようにして、かつ重機で枕木を踏んずけたままバックすると、レールが外れる。
-レールは8本まとめて移動する。つぎめプレートに特製のチェーンを巻き、それを重機で引っ張る。
-このやり方は自分たちで考えた。特許だ。(注:それは冗談で、動画の公開もokをいただきました)
-レールをはがすだけなら、1日1kmくらいできる。
-踏切部分は作業しない。
-撤去作業はほぼすべてその方たち(地元の方、2人? 3人?)が請け負った…

どうやら今日はここまでで終了のようなので、いったんクルマに戻って休んでいたら、また重機が来た! そして、レール撤去の準備をしている!

その前に、坂戸から鉾田方面を見たレールの現状、というか最後の姿。
20120701_006.JPGうねっているのは震災や大雨の影響か。まだこの区間には重機が入ったことはないようだ。

























20120701_007.JPGまず、枕木を1本抜く。

20120701_008.JPGそこに、短いレールを差し込み、引き上げながらバックする。

20120701_009.JPGレールはぐねぐねと躍る。

20120701_010.JPGレールを外したら、ひとまずまとめる。

これを繰り返す。

動画で。

2回目、さらに奥の2本の作業。
20120701_011.JPG…を終えて、

20120701_013.JPGレールを、「はがし用レール」とともに持ち帰ってくる図。

20120701_012.JPGレールをはがした枕木はこのようになる。

20120701_014.JPGレールはこうして引っ張ってくる。継ぎ目板の使い方がうまい。

20120701_015.JPGチェーンと板をつないだこれは自作。

このあと、犬釘は拾えるものは拾い、枕木に刺さっているものは引っこ抜いてすべて回収する。レールも含めて、すべてくず鉄として再利用される。いまはトンあたり(40kgレールなので、イコール1本あたり)2万数千円程度とのこと。北京オリンピックの頃はその倍以上だったらしい。くず鉄の相場は高下が激しい。

枕木は全部で3万7000本ほどあるらしく、木枕木は産廃として処分する。燃料として使う施設があるとのこと。割れ留め(枕木の両端にある輪っか)ははずす。鹿島鉄道の枕木は栗で、防腐剤を施していない。一部にPC枕木があり、その区間は線路がボルトで固定されているため、手作業でレールをはずすとのこと。ここに紹介した便利な方法は使えないらしい。

別の業者が少しだけ作業したところは、犬釘は手作業ではずしたそう。保線経験者が関係すると、レールを切断することすら嫌がるので、作業はとても丁寧になってしまうそうだ。

また、石岡駅では、軌匡を10mごとに切断した上で軌匡ごと重機で持ち上げ、揺さぶって枕木を落としたとのこと。いろいろなやり方があるものだ。繰り返すが、ここで紹介した方法は、作業しているお二人が考案したものである。



鹿島鉄道の廃止から5年。放置が長かったので、継ぎ目板のボルトを外すのも骨が折れたとか。

その5年間に、配線類、レールボンドのような純度の高い銅は盗難に遭い、踏切関係の部品や駅の部品、はては信号機まで盗難があったそうだ。銅はそのスジだろうが、ほかは鉄道マニアだったりするのだろうか。するのだろうな。作業を見ていた私は「レール持って帰るか?」などと冗談で言われたが、それはもちろん冗談で、記念に、比較的形がきれいな犬釘を持たせてくれた。


あと数日で、レールはほぼすべてなくなる。明日(もう今日)の朝イチで現地に行けば、撤去作業は見られるはずだ。作業している方お二人とその仲間は、しきりに「80年も走っていたんだもんなあ」と言っていた。作業していると、沿線のいろいろな人に声をかけられ、50年前のエピソードなどを聞かされるとか。沿線の人々には、かしてつの歴史が染みこんでいる。作業していたおふたるも「鹿島鉄道」とは言わず「カンテツ」(関東鉄道)と言っていた。

貴重な瞬間に立ち会えて、幸運だった。
偶然出くわした私に作業を見学させていただいたMさんKさん、ありがとうございました。




 

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2

廃線跡

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1 の続き。

20120630_001.JPG東新潟港駅から南へ行くと、国道113号があり、そこに踏切跡がある。そこから逃がし新潟公益側を見ると、こんな木が育っていた。



20120630_004.JPG冒頭の写真右側の敷地内は、近所の家の物置になっていた。…と、おばちゃんが線路を横切っていった。

20120630_000.JPG冒頭の写真の左側は、このようにレールが途絶していた。なんとも中途半端な撤去状況。

20120630_006.JPGたぶん出発信号機。

国道を挟んで反対側を見る。
20120630_099.jpg右に詰所。国道を渡った2組の線路は、ここでひとつに重なる。…と、左のポイント、トングレールがない。撤去されたか盗難か。

20120630_010.JPG詰所手前には勾配標。

20120630_008.JPG詰所の中。平成10年(1998年)12月8日改訂の時刻表、1999年1月のカレンダー。右奥には昭和50年代半ばっぽい木目調のクーラーが見えている。時が止まった。

20120630_012.JPG詰所の横あたりから北を見て、国道113号。

20120630_003.JPGポイント付近のケーブル。このように溝をきちんと作り、そこに収めたいる。全国の線路脇には、恐ろしい数の、こうした細かい函がある。

20120630_007.JPGあわれ、警報機。身をすべて取られ、頭と背骨だけになった魚のようだ。


(続く)

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1

廃線跡

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)の続き。改めて、午前中に行った。

20120629_002.JPG重油を運ぶ水管橋 東北電力新潟火力発電所で書いたワーレントラスのすぐ近くに、東新潟港駅の廃線跡がある。この距離だ。

20120629_003.JPGここは、実家からたぶん2kmもない。しかし「みなとトンネル」が開通するまでは、ここに来るには大廻りしなくては来れなかったし、そもそも新潟にいた頃にはここらへんには興味がなかった。いま思えば、自転車で駆け回っていた小中学校の頃に、ここに来ようという発想がなかったのは、実にもったいない。

20120629_005.JPG何度か書いたが、その頃には越後交通の廃線跡や信越本線の青海川付近の廃線跡から、そうしたものに関心は持っていた。ただし、それを「よく考える」ことをしなかった。考えれば、手持ちの地図を見れば、ここに貨物駅があるのはわかったはずなのに。

20120629_006.JPGなんともったいない。かつて、ここにワムが蝟集していた時代を、みすみす見過ごすなんて。

20120629_001.JPG現地には原付で行ったが、みなとトンネルは原付通行禁止なので、結局大廻りをした。

20120629_000.JPG東新潟港駅跡に残る「安全の塔」。近くに寮のようなアパートもあるが、関係あるのかないのか…。

20120629_004.JPGまだ当分、このまま放置されていることだろう。なかなか港らしい、荒涼とした風景だと思っている。


 

29622 新潟県自然科学館のキューロク

29622 新潟県自然科学館のキューロク

9600(キューロク)

20120628_001.JPG新潟県自然科学館の屋外展示、29622。長らく新潟県の坂町機関区で米坂線の仕業に従事していたが、のち岩見沢機関区に転属、昭和51年1月17日廃車。

給水温め器ナシ。化粧煙突だがクルクルパー付き。エアタンクは左が前、右が中央。切り詰めデフ。もっとも、米坂線時代のデフは通常の形なので、岩見沢に転属後に切り詰められたものだろう。デッキの手すりもそのときか。(※…などと考えていたのだが、驚愕の事実が。文末参照)

20120628_000.JPG白い差し色が余計な化粧だ。主連棒の赤もいらない。

20120628_002.JPGテンダの後ろ姿ってかっこいいよね。



ライターの草町義和さんより指摘があり、こちらのサイトを紹介されました。なんということでしょう。ぜひご覧ください。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~makoto_w/SL/29622/29622_1.htm
 

テトラポッドの型枠

テトラポッドの型枠

土木一般

20120627_000.JPG小学生の頃、よく遊んだ柏崎市の海岸沿いには、デンカセメントのテトラポッド製造現場があった。そこには整然と並んだ各種の消波ブロックが並び、そこでよじ登ったり抱きついたりして遊んでいた。もちろんテトラポッドもあり、真新しい、ツヤツヤしたテトラポッドを撫でては手が白くなった。そこらには型枠が転がっており、型枠の継ぎ目と思しき場所にはコンクリートのバリがあった。羽根つき餃子の羽根のように。そして、子どもながらに、テトラポッドは同じ形の4枚の型枠を組み合わせていることを理解し、深い感慨を抱いたものだった。

20120627_001.JPG

20120627_001.JPG新潟市内でたまたま製造現場を見た。建築現場のようにシートで覆われた中は、おそらく型枠が組み合わされたテトラポッドだろう。おそらく上面が空いており、そこにバケツ状の容器からコンクリートを投入するのだろう。

20120627_003.JPG上面とおそらく同じ、脚の頂部。いや、脚も頭もないのだけれど。



20120627_100.jpg別の場所では、こんな形で整列していた。…よく見ると、形がおかしい?

20120627_101.jpgいちおう、4本脚。横から見ると犬のようだ。どこ製で名称はなんというのかはわからない。ご教示乞う。

【追記】
@fusamofuさんからの情報で、これは三省水工「シーロック」標準型であることがわかった。採寸していないので、南号かはわからない。




 

村松の町外れの駐車場(昭和シェル石油)

村松の町外れの駐車場(昭和シェル石油)

昭和シェル石油/昭和石油/シェル石油

20120623_000.JPG村松は、街の規模から考えると非常に大きな商店街と雁木がある。そして、その中心部は、かつての蒲原鉄道村松駅からはちょっと離れている。その中間地点に、この閉鎖した昭和シェルの給油所はあった。かつてはここに雪が積もり、毎日のように雪下ろしをしていただろう分厚いキャノピーと太い柱は好みではないのだが、ふと見ると写真左に別の防火壁がある。

20120623_003.JPG近寄る。右上と左下の黒い影は、うっかり、フードが正しい位置になかったことに気づかず撮影したためだ。

防火壁は昭和シェルのカラーリングというより…

20120623_004.JPG丸紅/昭和シェルの色だった。ロゴは大きな面積を占める赤と同系統の色で塗りつぶされている。

でも、冒頭の写真のように、こちら側は、メインのスペースではガッチリとした防火壁が存在している。なのに、なぜこちらに別の防火壁があるのだろう? もしかして、かつては昭和シェルと丸紅が別の店舗として並んでたのだろうか。丸紅は昭和シェルブランドの給油所もタクさん持っているので、これだけではわからない。また、残念ながら、古い航空写真を見ても不鮮明で、確認はできなかった。

20120623_002.JPGちょっと戻ってサービスルーム。昭和シェルの赤黄のツートンはフィルムタイプのステッカーかと思ったら、違った。ブラインドをこういう色に塗ってあったのか。

20120623_001.JPG29.01リットル。計量器には、検査期限が平成6年…というステッカーが見える。意外に、閉鎖してから時間が経っていた。おそらく20年近い。しかし、サービスルームの外観はとてもきれいだ。

現在は、あまり広いとは言えないスペースは月極駐車場になっている。

 

地図ナイト3@東京カルチャーカルチャー

地図ナイト3@東京カルチャーカルチャー

地図・航空写真・分水嶺

20120626_001.jpg地理院のエライ方々がざっくばらんに買った『地図ナイト』、富士山をテーマにした『地図ナイト2』(ブログには書いていないが行った)に続き、『地図ナイト3』は「鉄道と地図」がテーマ。新潮社の『日本鉄道旅行地図帳』ご担当の田中さん、監修の今尾さんのおふたりのトークを聞きにいった。

今尾さんの用意してきた地図ネタに、トークをかぶせていく感じで進行するのだけれど、今尾さんの造詣の深さに舌を巻く。「地図を見て気づくこと」という話ではなく、膨大な知識を瞬時に検索してアウトプットする形で会話を重ねていく。すごい。第1回の『地図ナイト』でも今尾さんは登壇していたが、そのときと印象が全然違う。何時間でも聞いていたい。

「第1章」、言い換えれば第一部は、『日本鉄道旅行地図帳』の制作秘話。途中で田中さんが『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎)について触れたのだけれど、その意義はこちらと同じだろう。また、駅名の読みや変遷について、紙資料だけでなくさまざまな手段を用いて検証、あるいは推測したとのこと。こうした作業、本当に大変なのだけれど、楽しいんだよなあ。位置の特定に航空写真を使用したとのこと、『鉄道の旅手帖』でも、地理院の地形図に掲載のない仮乗降場や信号場、廃止された信号場などの特定に利用した。この時代だからこそのワザだ。


20120626_003.JPG校正紙の見本。ただし、赤字がもっともっと入ったものもある。ここで各方面からため息が出たが、地図の編集作業ではこれくらいの赤字は普通だ。現に、この本でも地図屋さんは意に介していないようだった。

たとえば私がいままで携わっていた旅行ガイドブックの改訂作業では、ページの入れ替えがあったりすると、ほぼすべての地図注記に赤字が入る。また、銀座や渋谷、京都などは地図も数千分の1と大きい上に店舗の改廃も激しく、やはりこのようなになってしまう。登山ガイドの地図も、ここまでではないが、最初にベースとなる地図を作ってもらい、そこに注記を後から乗せていく。おそらく、そのほうが編集側も地図屋さんもわかりやすいし校正もしやすい。

「第2章」は、終着駅の定義の話。『乗りつぶしノート 第2列車』という本が7月に刊行されるので、そのコンテンツとして終着駅をリストアップしたそう。その際に意見がぶつかったものをあげていく。駅によっては会場の意見を聞いていた。もちろん影響はないだろうけれど。

この定義、「乗りつぶし」の定義に重なる。つまり、個人により基準が大きく異なるのだ。今尾さんは「ケーブルカーはほぼ確実に両端が終着駅だからカット」「ロープウェイを『鉄道』とするのは抵抗がある、甲種乙種いっしょにするとリフトも入れなくてはならないのでカット」などと定義していて、これはすごくよくわかるのだけれど、厳密にはなかなかうまくいかないわけで、「乗りつぶし」を「鉄道」とすれば、当然、ロープウェイやガイドウェイバスなども入れなければならない。そして、実際にそれを自らに課している人も多数いる。

でも、そういう「よく考えると、ものすごくややこしいことになる」ということへの気づき、これが面白い。鉄道に限らず、そういうの集めてなにかできないかな。

<おまけ>
20120626_000.jpg右上の電車?がかわいいw

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)

廃線跡

重油を運ぶ水管橋 東北電力新潟火力発電所が、かつての臨港線をまたいでいることは記事に書いたとおりだが、この水管橋と道路1本隔てて線路が放置されている。途中で分断されている箇所もあり、本当に放置状態である。その場所は真っ暗なので、少し南下した場所で撮った。

20120624_000.JPG横断歩道と並行するように、線路が道路を横切っていた…はずである。しかし、その痕跡は舗装の下に埋もれている。

20120624_001.JPG水管橋側を見る。線路内には雑草が生え、両脇は住宅街のため、敷地内が物置として、おそらく勝手に使用されていたり。

20120624_002.JPG角度を変えて。推測するに、レールはそのまま舗装で埋められたのかもしれない。

20120624_004.JPG警報機跡。灯火類はすべて撤去されている。

20120624_011.JPG影を落とす。

20120624_003.JPG反対側、すなわち焼島側を見ると、道路の街灯が、まるで線路沿いを照らす水銀灯のように一列に光っている。

20120624_010.JPG詰所も勾配票も残っている。あ、左に傾いている…(←修正しろよ)

20120624_008.JPG遠くに煙突が見える。地図を見たけれど、ちょっとどこの工場かはわからない。

すてきだ。


(昼間の様子は後日アップ予定)
 

『鉄道ファン大全』(新潮社)

『鉄道ファン大全』(新潮社)

鉄道の本

20120625_000.JPG6月20日、『月刊IKKI』の江上編集長から「『鉄道ファン大全』を見ました、磯部さんがやりたいと言ってたものと方向性が近いのかな?」というご連絡をいただいた。まだ発売前だったので、表紙を見る限りなんとも言えない。この本は、後述する内田宗治さんからも「出るよ」とお知らせいただいていたので、以前から気になっていた。そして今日、入手。

いい。すごくいい。

巻頭言では『十勝の森林鉄道』の著者・小林実さんを本書の象徴のように扱っている。わかる。わかります。

<参考>
『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎)

いま、自分の中で温めている企画があって、それとは幸いにも少し違うのだけれど、おそらく方向性や、作り手の考え方は、同じだと思う。この本は、既存のB5判/A4判の写真中心の鉄道誌では絶対にできない。いや、それらはそれらで大切な存在だし、それを必要としている人も多いのだけれど、そこではない層を取りにいく鉄道書が、ほぼすべてそれらの本の方法論から抜け出せていない、というのが私の見解。それを突き破る方法のひとつが、この本だと感じる。編集長の田中比呂之さんに、くわしくお話をうかがってみたい。明後日の『地図ナイト3』でお目にかかれると思うけれど、お話する時間はあるかな…?

地図ナイト3~鉄道と地図道・今尾恵介と鉄道旅行地図帳
<参考>
『鉄道乗りつぶしナイト!!!』開催します!
『乗りつぶしナイト』ありがとうございました


本書の内容は、どれもとても興味深い。文字を追うのもものかしく、読み続けてしまう。個人的に嬉しかった記事をふたつあげる。

20120625_005.JPG「鉄道趣味メディア大増殖 平成鉄道趣味史」という記事。執筆は内田宗治さん、6年前まで私の上司だった方。その記事に、書泉グランデにこの人ありという鉄道書のご意見番的な存在、笠間さんが「印象に残っている本10冊」というコーナーがある。そこに、わが『鉄道の旅手帖』が入っている。とてもうれしい。

この本は私のアイデアだが、書名は内田さんによるものだと記憶している。最初はもっと説明っぽいタイトルだった。おかげさまで1年間で8刷という好成績。ただし、その後、「質の悪い」類書が多数出たために打ち止め。改訂したカラー版も出したが、初版ほどの爆発力は発揮できなかった。ただし、それは予想通りでもあった。

なお『鉄道の旅手帖』の装丁・地図デザインは、「鉄道趣味メディア大増殖 平成鉄道趣味史」で『鉄道廃線跡を歩く』のデザインを担当したということで談話が掲載されている道信勝彦さんである。これは、偶然。『~歩く』は出てすぐ買っていたけれど、それが道信さんの手によるものだとはまったく知らなかった。(当時はそういう見方をしていなかった)

<参考>
『鉄道の旅手帖』類似品


20120625_004.JPGもうひとつはこれ。『魅惑の鉄道ポスター』。ポスターそのものもすばらしいし、なによりもそこに描かれた文字の字体に目がいくのだれど、本論ではここに目が留まった。

「里見宗次作」。

里見氏は、アメリカにかつてあった機関車メーカー、アメリカン・ロコモティブのポスターを多数制作している。その記事が、『鉄道ファン』1981年11月号にある。執筆者は汽車会社の高田隆雄氏だ。20120625_003.JPGいまではwikipediaにも項目があるような里見氏だが、いまのように検索などできない時代、文末は「里見さんの消息はその後杳としてわからぬままに今日にいたっている.」となっている。里見氏の業績が広く日本で知られるようになったのは1990年代なのかもしれない。


ほかの多数の記事も、どれもすばらしい。これだけの本を作る労力は並大抵の物ではない。そこを読者に読み取れというのは無理な話だが、自分の編集者としての技倆を顧みずに言えば、この本は恐れを感じる仕上がりである。有象無象の「鉄道本を出せば売れるだろう」という世の出版関係者は、本書の爪の垢を煎じて飲むといい。


この本の第二弾が読みたい。しかし、自分のものが形になるまではやめてくれとの気持ちはもちろんあるのだけれど、そんなことではいけない、両者(まだ私のほうは目処も立っていないけれど)相乗効果で、趣味の世界を豊かにできればと思っている。がんばらねば!


 

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