
只見線の塩沢川橋。会津塩沢の東、東行き(上り)の列車なら、滝トンネルに入る手前に渡る橋だ。国道252号が並行している。撮影時は、国道の塩沢橋の東端で通行止めになっていた。すぐ西のR252中丸橋の西端では、土石流の跡があった。
橋梁史年表によれば、データは下記の通りの、鈑桁とRC桁を組み合わせた8連の橋梁である。
・開通年月日 1957年8月1日
・橋長 108m
・詳細 RC桁(8.2m*か6.6m)+19.152m鈑桁×2(再用桁)+12.9m鈑桁×4+RC桁(8.2m*か6.6m)(小出方=画像左から) *『鉄道ピクトリアル』2010年11月号に掲載されている線路一覧略図(1982年)によれば18.2mとなっているが、それでは橋長が114mを越えてしまい、橋梁史年表および『田子倉発電所建設用専用鉄道工事誌』掲載の地図(の転載)にある「橋長108m」と矛盾するので、「18.2m」が誤記であると推測する。
なお、上の写真に写っている方とお話をしたけれど、何の調査をしていたかは聞いていない。

西側の線路の上から。このように、廃線跡のように草むしている。左の仮設トイレは、ここに国道管理の仮設事務所が設けられていた関係によるもののようだ。
西側から見て行く。RC桁を撮っていないのは、なんというか…。いかんな。

第8連(左)と第7連(右)。第7連・第6連の19.152m桁は、転用桁である。ウェブの端部、写真でいうと桁の左端に、縦に孔が開いている。橋脚にも銘板がついている。

塩沢川橋りょう
設計 新橋工事局
施工 佐藤工業KK
設計荷重 KS-15
基礎工 コンクリート
基礎根入 天端から9.5M
着手 昭和31年9月5日
しゅん工 昭和31年10月11日
第7連の銘板。

大正八年
川崎造船所○○(品川?)工場製作
LIVE LOAD COOPER`S E33
鉄道省
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MATERIALS
(以下判読不能)
その第7連と同じ、第6連。

魚腹型。なぜか第6連(の国道側)には銘板がない。
桁の下端がRを描いているのが時代がかっているというか。
この区間の施工が橋脚の銘板の通り昭和31年頃なのに、桁の製造は大正8年。40年弱の間、この桁はどこで何をしていたのだろうか。
只見線の会津川口以西、田子倉までは、電源開発田子倉専用鉄道として建設されたもので、『鉄道ピクトリアル』2010年11月号の只見線特集における『電源開発 田子倉専用鉄道沿革史』(澤内一晃)によれば、「ガーダー橋のかなりの分が飯田線水没区間からの転用であるのは知られた話である」とある。しかし、飯田線の水没区間(佐久間~大嵐間)の(三信鉄道としての)開業は1936年(昭和11年)であり、第7連の銘板にある、大正8年(1919年)製造とは時期が合わないし、なにより「鉄道省」という陽刻がある。ついでながら「レールについても飯田線と士幌線の水没区間から転用され(略)30kg…」とある。
第7連(左)と第6連(右)。
第6連(左)と第5連の架け違い部。

左の第6連の右端、孔は縦1列と、天地に数個ずつの孔がある。第7連左端と異なるのはなぜだろう。
橋脚の銘板に記載事項は、前述のものと基本的に同じ。異なるのは基礎根入の深さで16.5m、また工事着工が9月10日で竣功が10月25日となっている。

第5連の銘板。
電源開発株式会社
活荷重KS-12 ○○では212
株式会社宮地鉄工所製作
昭和31年
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L. 日本鋼管株式会社
○. 日本鋼管○○○○
○○ 富士製鉄株式会社
下のマークはなんだろう。Aとあるように見える。富士製鉄のマークは「S」である。

第5連の12.9m鈑桁。右端には礼によって孔が開いている。
この塩沢川橋梁については、ネット上にはほとんど情報がない。列車を撮影するなら、西の第8只見川橋梁はじめ、知られた場所が多数あるからだろうか。それでも私は、こうした地味な橋梁にとても引かれるのである。