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阪神淀川橋梁

阪神淀川橋梁

プラットトラス



20110217-05.JPG阪神なんば線、すなわち以前の西大阪線が開業以来使用している橋梁である。全40連、橋長は758mもある。うち6連が100フィートクラスの複線プラットトラスで、それ以外は単線のプレートガーダーである。トラスは100フィートクラスで第18~23連。鈑桁は50フィートクラスである。

すぐ西側を国道43号の新伝法大橋が架けられているので、撮影は容易。

トラスの6連を見る。
20110217-01.jpgリベットを使用した剛結構造で、端柱と弦材以外はアングル材をレーシングで結んでいる。銘板は写真を見る限り見あたらない。

端柱上部、橋門構との接続部分が少しだけ上弦材から突き出ており、それがこの橋をしてリズミカルに感じせしめる。

20110217-02.JPGひとつの桁のシルエット。なかなかバランスの取れた、小柄ないい形をしている。

20110217-03.JPG真横。トラスが作り出す三角形は、正三角形を少し扁平にさせたような形だ。

20110217-04.JPG支承。むしろ、その手前、ターンバックルが気になる。単に「桁下注意」という看板のために、こんなターンバックルがある。桁に直接貼ったり書いたりすればいいのに。

20110217-07.jpgプレートガーダー3連分を真横から。

この橋梁はトラス桁も鈑桁も横河橋梁大阪工場製。


以上、なにひとつ考察なし。
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東海道本線上神崎川橋梁(北方貨物線)

東海道本線上神崎川橋梁(北方貨物線)

鈑桁(プレートガーダー)

東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(梅田貨物線)
の続き。


この4複線のうち、最後に架設されたのがこの北方貨物線である。それでも1941年(昭和16年)、リベット全盛の時代だ。

20110215-01.JPG画像右は梅田貨物線。左が北方貨物線だ。

この4複線区間、東から3組はトラス橋なのに、この北方貨物線はプレートガーダー橋。スパンは同じなので、簡単に言えば技術の進歩でわざわざトラス橋にしなくても経済的なプレートガーダーで済むようになった、ということだ。

銘板。
20110215-04.jpg鐵道省
昭和16年すは829-1
日本橋梁株式会社製作
-----
L.鉄 (以下読めない)

「すば829」の「すば」は後述する。「829」は、活荷重KS18、支間長29mという意味だ。支間長29mは、梅田貨物線や上り内外線のトラスの支間長に等しい。

 

20110215-02.JPG桁裏。やはり手前側に網がかけてある。

私はこれを見て「上路なのに主桁が複線の両側にあって、線路用に別に縦桁があるのか、下路式プレートガーダーの、床版をそのまま上に上げたみたいだな」と思ったのだがちょっと待て。そんなことするのは、中路式プレートガーダーではないのか?

最初、上の銘板も「でば」(っくんげた)だと思っていた。思い込んでいた。でも「中路ではないか?」と思ってよく見ると「すば」(るーんげた)だった。そうか、中路式か。

20110215-03.JPG縦桁の部分。

右端、色をとばしているのでわかりづらいが、明らかに線路よりも天方向に突き出している。中路確定。中路はあまり多くないうえ、複線桁である。そう気づいたときには嬉しかった。




東海道本線上神崎川橋梁(梅田貨物線)

東海道本線上神崎川橋梁(梅田貨物線)

ワーレントラス

東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)
の続き。

4複線のうち、東から3組目がこの梅田貨物線である。


上神崎川橋梁(上り内外線)と同じと考えていい。製造も同じ汽車会社で1923年である。よって、ここも単に見てきただけ。

20110214-04.JPG右が今回紹介する梅田貨物線用のトラス桁。複線である。右端が大阪方の第4連、奥に向かって第3、2、1連。奥が京都方。左は北方貨物線。

上の航空写真のとおり、ほとんど引けないのでこんな撮り方しかできなかった。橋台に登ればよかったかな…。

その橋台。
20110214-01.JPGと支承。このハシゴに登れば通報されかねない。

そのハシゴの後ろというか、その部分のコンクリート表面には流し込んだ際の型枠の木目がうっすらと残る。また、骨材が適当というか、周辺で採取したのか玉砂利が多く混ざっている。

支承が乗っかる橋台の表面はそのようなことがないので、強度が要求される部分はもっと「ちゃんとした」施工になっているのかもしれないが、これは考え過ぎかもしれない。

20110214-06.JPGトラス構の端柱と上弦材の接続部。似たような形の部材を切り出して、曲げて、組み合わせてリベット打って…。

20110214-05.JPG上弦と、垂直材の接続部。鳥が巣を作らないように(だと思う)、トゲが設置されている。そうした部材や架線を支える部品は塗装されていない。

20110214-02.JPG第4連の桁裏、それも大阪寄り。上り内外線と同じくネットがかけられている。

20110214-03.JPGその奥。ここで、昨日の記事を訂正せねばなるまい。赤枠の部分、前回は「ボルト留めだから後付けだよね」と書いたのだが、ここではリベット留めである。桁の製造年と製造所が同一だとすると、上り内外線のこの部材も当初からあり、しかもリベット接合だった可能性のほうが高い。

20110214-07.JPG上り内外線(右)との並列。

こうしてディテールを見比べると、兄弟橋だということがよくわかる。

北方貨物線に続く。

<参考文献>
歴史的鋼橋集覧



東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)

東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)

ワーレントラス

東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)の続き。その隣り(下流側、西)にある橋梁である。場所はここ。


4複線のうち、右から下り内外線/上り内外線(今回紹介)/梅田貨物線/北方貨物線である。

20110213-01.JPG両サイドを他の桁に挟まれているので、こんな風にしか撮れない。画面左の白いトラスが左岸(大阪方)、右の茶色いトラスが右岸(京都方)である。

『歴史的鋼橋集覧』によれば、桁は第1連・第2連(京都寄りの2連、茶色いトラス桁)が1923年横河橋梁製、第3連・第4連(大阪寄り、白いトラス桁)は1923年汽車製造製である。なぜ同じ橋梁なのに、製作会社が異なるのか?

先の下り内外線でも、第1連・第2連のみが後年の増連である。それは神崎川拡幅に伴うものであろうとは思っていたが、旧版地形図をチェックする前にわかった。この上り内外線の記事に掲載されている図面である。

T5-118.jpg図は、左が東京方、右が大阪方である。赤く囲った部分に注目してほしい。現在の第1連・第2連の場所は、築堤になっていた。これを橋梁に架け替えたということだ。

20110213-03.JPG汽車製の桁裏側。縦桁がのっぺりしていてスッキリしている。網がかけてある部分の下は歩道である。

20110213-04.JPGそこから川に乗り出してみる。赤く囲った部分の補強材はボルト留めなので、後付けだろう。と思ったが、梅田貨物線のトラス桁はここがリベット留めなので、単に補修したのだと推測する。

20110213-02.JPG支承。

今回は以上、「見てきただけ」です。


梅田貨物線、北方貨物線に続く。


GOLLAのカメラバッグ

GOLLAのカメラバッグ

独言・日記

20110211-01.JPG
2月11日(金)にCP+で見たGOLLAのカメラバッグ。品名は「sizeS SALMIAC GREEN。あまりにすてきなので、ビックカメラに立ち寄って買ってしまった。目的は、PEN一式の携帯用。

微妙に小さいような気がしたんだけれど、使い方はこちらが工夫すればいいしね。


20110211-02.JPG詰めるだけ詰めてみた。
・E-P1
・17mm
・14-42mm
・(フォーサーズ)40-150mm+リアコン

これだとボディにレンズを装着したまま入れられないし、フタも閉まらない。ボディ+レンズ1本は肩から提げることが前提だな。

20110211-03.JPG40-150mmを除いてみた。するとちょうどいい。だいたい17mmをつけっぱなしにしているので、14-42と、ボディ+17mmがちょうど入る。よし、これで行こう。

このバッグ、2980円。どうやっても垢抜けないカメラバッグメーカー製のものよりもかっこいいし、かっこいいんだけれどそれなりに高価なartisan&artistなどよりずいぶんリーズナブル。

クランプラーはその形状から体積がでかくなるのと、バックルがつかいづらそうなのでパス。そういえば、僕が多数持っているLOWE Proは、なぜか以前よりもかっこわるいものばかりになっていた。モノがいいだけに、ちょっと惜しい。



なお、このバッグと同色のストラップは未入荷とのことで、後日買おうと思う。
 

中井精也さん『鉄道写真家の撮影風景』

中井精也さん『鉄道写真家の撮影風景』

独言・日記

パシフィコ横浜で開催されていたCP+へ。カメラ用品の新製品を見に行ったのではなく、中井精也さんのトークを聞きにいった。「『鉄道写真家の撮影風景』の エンディング『Dream Train』は必見」と書かれていたのだから。スライドショー「ほのかたび」も素晴らしいので、同様の作品を拝見したいと思い、遠く横浜まで足を運んだ。

中井さんのトークを見るために、この前の回終盤から並んでいたのだが、なんと客は半分も入れ替わらない。数十しかない椅子はほとんど入れ替わらない。開始前から、会場整理の人が「かなりの混雑が予想されるからもう一歩前へ」という呼びかけをするほどで、ざっと数えてみたら、800人以上、もしかしたら1000人は見てたんじゃないかと思う。

20110210-05.JPG会場はニコンブース。よって、ニコンのD3SやD7000それぞれの特長を活かした解説でもある。銀塩時代、とまではいかなくても、数年前のデジタルカメラの頭ではとっくに置き去りにされている、その機能のすごさといったら。

20110210-06.JPGこの作品は、BS-TBSの『にっぽん鉄道写真の旅』で、この作品が生まれた瞬間が放送されている。ほんとうに素晴らしい作品で、中井さんもかなりお気に入りのご様子。

この後、中井さんの新たなテーマ『Dream Train』のスライドショー。「人」と、その人の「夢」を融合させたもの。これまた撮影風景がテレビで紹介されていたので親しみを持って拝見。もちろん、初見も作品も散りばめられている。

パン屋さんになりたい。→女子高生
立派なイクメンになる。→鉄道現業の方
正機関士。→蒸気機関車の機関助士
湊線を黒字にするぞ→とある男性(実はひたちなか海浜鉄道の吉田社長)。
たぬき村を守る→わた渓でお掃除をしていた男性
お嫁さん(できれば今年中に!)→富山ライトレールの女性
抹茶たいやきでみんなを健康にしちゃる→売店のおばちゃん

こうした、人の笑顔と言葉を組み合わせたもの。「プリンセス」と「いつか/この子といっしょに看護師として働きたい」のあたりは、涙腺に響きすぎた。このスライドショーは、持ってたカメラで動画に収めた。5分半ほどの動画。自分ひとりでこっそり楽しむことにする。

20110210-07.JPG終了後、何十人もの人たちに囲まれ、記念写真やサインに応じていた中井さん。すてきなトークとスライドをありがとうございました。


あとは会場内を散策。気になったものなど。

20110210-03.JPGこれかっこいい.
golla
20110210-04.JPG安いのよ。ヨドバシなどに売ってるらしいんだけれど、いつもビックしか行かない上にカメラバッグコーナーにはいかないので、知らなかった。買う。(と思って公式サイト見たら、ビックにもあるそうな…??)

20110210-08.JPGこちらはオリンパスのブースの「レンズバー」で試したフォクトレンダーのnokton25mm/f0.95。いろいろ話題ではあるけれど、実用性のない(?)開放で撮ろうとしても背面液晶でのピント合わせがとても難しい。おまけにボケも描写も汚い。プラスチックレンズかと思ったよ。f2.8くらいまで絞るといいんだけれど、それならこのレンズでなくてもいいし。

20110210-10.JPGこんなシールをいただいた。ちょっと嬉しいかも。

20110210-09.JPG会場を出ると、みぞれのような雪。それがフォトジェニックでもあり、そこかしこでカメラを構えている人が大勢いたのがほほえましかった。

東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)

東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

20110208-02.JPG


20110208-01.JPG先に紹介した東海道本線上淀川橋梁と、新大阪駅を中心に点対称にした位置にあるのがこの上神崎川橋梁である。

ここはJRの4複線。上の航空写真の右端から、
1)この上神崎橋梁(下り内外線/単線ポニーワーレントラスの並列/1912年●月●日開通)
 #内外線=東海道本線の電車線・列車線の下り。
2)上り内外線(複線ワーレントラス/1930年10月15日開通)
3)梅田貨物線(上下/複線ワーレントラス/1930年10月15日開通)
4)北方貨物線(上下/単線プレートガーダーの並列)。
うち、2)3)は同型である。

この上神崎川橋梁、上写真の右側(北側/右岸側)2連が1912年アメリカン・ブリッジ製である。左側(南側/左岸側)の2連は、のちに増設された桁で、1923年汽車製造会社製である。一見、4連とも同じに見えるがディテールが異なる。

また、橋台・橋脚も見ていただきたいのだが、橋台は煉瓦製、橋脚は鉄筋コンクリート製である。これについては後述する。



20110208-03.jpg手前(画像左)が汽車製、奥(画像右)がアメリカン・ブリッジ製。端柱と斜材が大きく違っている。

汽車線は、端柱も、引張力を負担する斜材(逆ハの字型、端部のみ)はアングル材+板材。アメリカン・ブリッジ製は、どちらもアングル材+レーシングである。汽車製のは、他の斜材は肉抜きの意味でアングル材を梯状につないでいる。

裏側に潜ってみる。

20110208-04.JPG外側線。下弦材の格点に、ガッチリと横桁が接続されている。その横桁の間を、縦桁がつないでいる。

橋脚はコンクリート製。

20110208-06.JPG内側線。外側線と変わらない。

20110208-05.JPGなぜか、並列する外側線・内側線それぞれのトラス桁の間に、レールが渡されている。なんのためかはわからないが、踏み板があるのかもしれない。

振り返って橋台。

20110208-09.JPG外側線の橋台。

20110208-08.JPG内側線の橋台。

見比べると、支承が異なる。外側線は、橋台側が固定で橋脚川がローラー式。内側線は逆で、橋台側がローラー式で橋脚川が固定。前述の、桁裏の写真も合わせてみると、それがわかる。

桁落下防止用の部材は外側線と内側線で高さが異なるが、これは単に「皿」型の上面の部材が干渉しないように少しずらしてあるだけではないか。

橋脚側には落下防止の部材はない。

橋台を斜めから。
20110208-07.JPG
橋台はイギリス積み。

視線を桁に戻す。見上げてみると……
20110208-10.JPG要所要所に補修の跡がある。ボルトがある部分は確実に後年の補修だ。


さて、ここから
吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か
で触れた、ルート変更の話になる。

上神崎川に架かる橋について、『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)はこのように書いている。
明治六年十二月、大阪・京都間起工せられ、同九年九月五日竣工運輸を開始せり(略)上十三川、上神崎川、茨木川、太田川、桂川等(略)孰れも錬鉄製ワーレン構桁(=ワーレントラス桁)径間百フィートのものを架せり。(句読点追加、原文カタカナのため書き換え)
ここに書かれている上神崎川橋梁のスペックはこうだ。

・1876年(明治9)年開通、1913年(大正2年)撤去
・100フィート単線ポニーワーレントラス
・下り13連

いまは4連しかないのだから、100フィート13連というのはおかしい。これは、ここでいう上神崎川橋梁は、現在の同名橋梁とは別の位置にあったためである。即ち、ここである。


いま阪急千里線が神崎川を渡るこの場所が、かつては官設鉄道東海道線のルートだった。上淀川橋梁の記事で触れたルート変更に際し、いったんこのルートは廃止され、それが阪急によって復活を遂げて今に至っている。

撤去された13連はどうなったかというと、兵庫県の有馬線(現在の福知山線)などに転用された。そしてさらに一部は群馬県の長野原線に転用され、それらは1960年までには撤去された。

『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第3報)』(小西淳一・西野保行・淵上龍雄)によれば、上神崎川には1899年(明治32年)に上り線として2連が開通したとある。鋼製らしい。まだルート変更されていないのになぜ2連なのか。調べを進めたいと思う。


<参考文献>
『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)
『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第3報)』(小西淳一・西野保行・淵上龍雄)
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』(今尾恵介)
サイト『十三のいま昔を歩こう』内『官営鉄道と阪急千里線




東海道本線上淀川橋梁近くの歩道橋『豊崎二之橋』

東海道本線上淀川橋梁近くの歩道橋『豊崎二之橋』

橋梁一般

先に紹介した
上淀川橋梁(東海道貨物線)
上淀川橋梁(東海道貨物線) その2
吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か
東海道本線上淀川橋梁(上り内外線)(貨物線の桁との比較)
本庄水管橋(新淀川)と新淀川大橋と東海道本線上淀川橋梁(下り内外線)
の続き。

東海道本線上淀川橋梁の3複線と、R423新淀川大橋の間にこの歩道橋はある。


20110207-02.JPG「別に歩道橋にしなくても、横断歩道にして、土手に階段つければいいじゃないの」と思うような歩道橋。後述するが、周辺にいくつかある。

この歩道橋、よく見ると鋼製(たぶん)橋脚だ。土手側の橋脚も鋼製だ。

20110207-04.JPG20110207-03.JPG左が橋脚。右は桁裏。

床版こそボルト留めしてあるが、桁はリベット留めだし、鋼製橋脚ももちろんリベット留め。

20110207-05.JPG階段部分もリベット留めでつくられてて、踏み板の裏には数列の補強材がボルト留めしてある。

登ってみる。
20110207-06.JPG『豊崎二之橋』。単なる歩道橋にしては大仰…。

堤防上に達すると、上淀川橋梁がこう見える。
20110207-07.JPG

さて、先に「別に歩道橋にしなくても、横断歩道にして、土手に階段つければいいじゃないの」と書いた。では、わざわざ歩道橋にしてある理由とは?

1961年の航空写真を見てみた。
20110207map.jpg『国土変遷アーカイブ』のこのページより抜粋。黄色い矢印が、この豊崎二之橋である。

わかりづらいと思うが、この豊崎二之橋の下は川になっている。これは長柄運河といい、1967年に埋め立てられてしまったものだ。いまでこそあまり意味のない歩道橋に見えるが、当時は新淀川の堤防に達する立派な橋だったのである。

この水路は、航空写真を東へたどると毛馬閘門に行き着く。毛馬第一閘門の西側に舟溜まりになっているような場所が、長柄運河の痕跡である。


これについてあらかた調べ終わり、別のことで検索していると、またしてもこのすばらしいサイトにあたった。
十三のいま昔を歩こう

最初からこのサイトを見ればよかったよ\(^o^)/


なお、こうした橋がいくつか残っているのだが、不思議な遺構もある。

大きな地図で見る

これはなんだろう?


『鉄イッターサミット』@東京カルチャーカルチャー

『鉄イッターサミット』@東京カルチャーカルチャー

鉄道

20110206-11.JPG


.
20110206-01.JPG楽しみにしていたイベント、『鉄イッターサミット』に行ってきた。この看板の電車がかわいいw

今回の出演者、小倉沙耶さん栗原景さんオオゼキタクさんは、よくツイッターで絡んでいるお友達。そして向谷実さんは、私にとっては20年前にはカシオペアのコピーバンドをしていたくらいの方で、#mmclubもずっと注目している方。どう絡むのかに注目しながら、そしてツイッターという個人対個人のツールをどうイベントに仕上げるのかに注目しながら開演を迎えた。

会場内は、イベントがイベントだけにPCを開いている人が多かった。私はiPadを借りて参加。携帯だといろいろつらいので。また、ツイッターイベントなだけに、会場内で「ツイッター上では知り合いなんだけど、会うのは初めて」のような挨拶があちらこちらで聞こえる。私のTL上にいらっしゃる方も多い。

20110206-02.JPG第一部、乾杯から。左から、小倉さん、向谷さん、栗原さん。

20110206-03.JPGまずは、ツイッターと鉄道旅行の親和性の話。フォロワーを旅気分に誘うだけでなく、現地での情報交換、ニアミス、あるいは実際に(偶然の要素を含んで)出会ったり。いろいろうなづける方も多いと思う。


第2部。名古屋から大阪へ移動中?の斉藤雪乃さんが電話でゲスト出演。会場では雪乃さんの声がほとんど聞き取れず、それもそのはず、電話の声はこのような「電話+マイク」で拡散していたのだ…。リハではうまくいっていたらしい。
20110206-05.JPG.

次いで、鉄道会社などのツイッターの状況の話。和歌山電鉄のたま、ひたちなか海浜鉄道のおさむなどがツイートしている。この場で、琴電のキャラクター、ことちゃんとリアルタイム(少しタイムラグがある)でツイッターで絡む。そして、それに関連してひたちなか海浜鉄道の吉田社長が登壇。
20110206-04.JPG画面右端が吉田社長。ひたちなか海浜鉄道では公式ツイッターはやっていないが、ツイッターが持つ大きな力は感じているという。

ここで、向谷さんが突然「上野発の気動車列車を運行して、阿字ヶ浦まで乗り入れましょうよ!」と提案。それにまじめに答える吉田社長。でも、このノリはまさしく向谷倶楽部。そうして数々のプロジェクトを立ち上げ、成し遂げてきた向谷さんならではの呼びかけだ。ツイッターイベントとは無関係だが、この程度の脱線はまったくOKだ。

第3部でオオゼキタクさん登場。『早春列車』を歌った後、突如向谷さんのiPadによる伴奏つきに!20110206-07.JPG
なにこれすごい。

20110206-09.JPG事後に手の部分だけアップ。いやあ、こうした競演は鳥肌もの。会場でしか味わえない。UST見ている人たちの「行けばよかった」コメントが多数流れる。すかさず向谷さん「どうしてこなかったの?」。ほんと、そうだ。

ハッシュタグで見ていると、この発言にマジレスで返す人が少なからずいた。「事情があって行けない人もいるんです」みたいな。そういう意味で言っているのではないだろうに。他の場面での向谷さんの発言が正鵠を射ている。「ソーシャルなメディアなんだから、自分の意見も言うし反論もする」。

別の場面の話だが、しかしこういう人も出てくる。「USTなんだから放送倫理に云々」。じゃあUSTやめればいいのですね。わかります。ツイッターで異様な正義感を発揮する人には辟易する。

続いて「ツイッターあるある」。
20110206-08.JPG鉄道旅行をしながら見たり書いたりしていると車窓を楽しめなくなったり、ここぞというところで圏外になったり。この場面で、ハッシュタグ#tetsusumにメンションがどっときた。

そしてオオトリはツイッター大喜利。これは先のハッシュタグをご覧いただければわかるが、あまりのメンションの多さに読み切れないものが多数あったようだ。その中から、4つのお題にそれぞれ4~5個くらいのネタがひょみあげられる。高評価のものに「特急」、まあまあのものに「急行」、まあのものに「各停」が与えられるというもの。

これも、参加している人は、お題に対しての回答を発言をしているので、たとえば「クモハのクってなんだっけ」という「ボケ」的な回答をしている人に、そのフォロワーが「駆動のクらしいです」みたいなリプライを送っていたりというなかなかカオスな面もあった。

この大喜利、TLではとてもおいきれないので、この機械が活躍した。
20110206-06.JPG

そんなこんなの盛りだくさんで、21時近くに、終了。

終演後、楽屋で向谷さんにご挨拶して一緒に記念撮影していただいた。光栄です。

終演後、出演者らと打ち上げへ。企画者の小倉さんはほんとうに安堵されたようで、それがとってもさわやかでした。大阪でこのイベントやるなら行きますよ!


タクさんがツイッターで書いていたけれど、ツイッターのおかげで「個人の活動」だった鉄道趣味が大きく広がった。それは私も同じ。いわゆる「鉄仲間」はひとりもいなかったのだけれど~~栗原さんや土屋さんは仕事仲間であり、そういう会話もしてはいたけれど~~ツイッターのおかげで、1年前にはゼロに近かった鉄道の仲間が大きく増えた。40間近になって友達が増えるというのはとても嬉しいことだ。

私は2009年夏にアカウントをとっていて、その後休眠状態だったところ。『山さ行がねが』ヨッキれんさんがツイッターを始めたことできちんと(?)使い出した。そしてそのヨッキさんに進めたのは『廃道写真館』鳴瀬たつきさん。お二人には深く感謝している。


本庄水管橋(新淀川)と新淀川大橋と東海道本線上淀川橋梁(下り内外線)

本庄水管橋(新淀川)と新淀川大橋と東海道本線上淀川橋梁(下り内外線)

プラットトラス

先に紹介した
上淀川橋梁(東海道貨物線)
上淀川橋梁(東海道貨物線) その2
吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か
東海道本線上淀川橋梁(上り内外線)(貨物線の桁との比較)
の続き。

タイトルに挙げたものを逆から書く。まずは、上淀川橋梁の下り内外線をば。
20110205-02.JPG訪ねたのは2010年5月中旬。このときは桁の塗装をしていた。この単線鈑桁を並列させた下り内外線は1956年開通。橋脚は鉄筋コンクリートで間隔は既設のものに揃えられている。現場で塗り替え作業をしている方が多数いるので、カメラを向けるのに少し抵抗があり、ほとんど撮影していない。

さてここで西(上の画像左方向)に目をやると、国道423号の新淀川大橋が目に入る。
20110205-01.JPG地図にマークした橋は、JRの路線では桁が短いために8~9スパンを要している新淀川を、わずか3スパンでまたぐ。上流側(地図右)から、1964年(昭和39年)開通の国道423号(現・南行き)、同時開通の地下鉄御堂筋線、1969年(昭和44年)開通の国道423号(北行き)が開通。御堂筋線のランガー桁が目を引くが、道路は鈑桁である。この中央径間は115mある。

なぜ御堂筋線だけランガー桁としたのかまでは調べきれていないが、「中央径間115m」の由来は戦前の都市計画に遡る。簡単に言うと、この中央径間に1939年(昭和14年)までに自碇式吊橋をかけるための下部工事が完成したものの、資金不足から中断され、それを活用したのがこの新淀川大橋なのだ。。


閑話休題。である。ここまでのことは、余談でしかない。上の写真をよく見ると、ランガー桁の下に、トラス橋が見える。よくみる11パネルのプラットトラスではないか。どうやら水道橋。
20110205-03.JPG美しい。スパン36.88mの8連。


11パネル…。向かって右には端柱(\)に向かって/|という部材があるから、12パネルと考えるのだろうか。そして、なぜ右だけにそれがあるのか?

20110205-05.JPG斜橋だからだ。橋台は隅石を備えた煉瓦製。この落書きにも腹が立つ。

振り返って裏側。
20110205-06.JPG2本の水管が通っている。中央は点検通路だろうか。

端部に寄ってみる。
20110205-04.JPGこの橋を渡らないように、柵がしてある。

この水道橋を、本庄水管橋という。迂闊にも銘板などを調べなかった。撮ったときは、行きがけの駄賃程度の意識だったのだ。なんという意識の低さか!

この本庄水管橋が供用されたのは1911年(明治44年)。現在は使用されていないらしい。それどころか、沈下や橋脚付近の洗掘で、トラス桁そのものが歪んでいるようだ(ソースにあたっていないが、参考文献参照)。

1911年以前の作となれば、鉄道ではアメリカ製の桁を輸入していた最後の時期。しかもピントラスだった。それに対して、この本庄水管橋はガセット結合である。メーカーはわからない。


ここを航空写真で見るとこうなっている。



新淀川の途中で、水管が川面に没しているのだ。この本庄水管橋が供用される直前、1910年(明治43年)には淀川がほぼ現在の形になっているというのだから、「かつてはトラス桁部分が水路で、そうでない部分は河川敷」というわけでもないだろう。この本庄水管橋は「大阪市の西部・中部幹線」を構成しているらしいが、配水のルートはまったくわからないし基礎知識もないので、いろいろ不明なままである。


<参考>

大阪市市政>市の主要計画、指針・施策>川・橋>橋>橋の紹介>橋名一覧新淀川大橋
・国道交通省内>近畿地方整備局>近代土木遺産のページ(こちら
本庄水管橋の構造調査と補強工事について(荒木貞行)

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