![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2006年以前の地形図を見れば、この謎は解決するのだが…。 【同日追記】 市瀬克己さんより「プレキャストカルバートではないか。橋を架けるには橋脚下の杭を支える支持層が重要だが、それをしていないということから地盤の問題かもしれない」というご教示をいただいた。土かぶりの浅さは私も気づいてはいたが、関連語句で検索すると下記のことがわかった。 ・かつてはここに在来工法の隧道があった ・中越地震で覆工に亀裂、急ぎ改築 ・迂回路を設定できないので、改築することに。 ・工事は通行止めを減らすために、従前の隧道を開削し、そこにプレキャスト材で躯体を作る ・埋め戻す という手順のようだ。詳細はこちらのPDFにある。 ![]() ![]() ![]() ![]() これだけの棚田があるのは、水の確保ができるからだ。とはいえこの付近には水源は望めないようで、そのためにこうして水路隧道があるのだろう。では、この水路隧道はどこから引かれているのだろうか。 ![]() 周辺を航空写真で見てみよう。国土地理院が2013年に撮影したCCB20135-C26-3に加筆し、トリミングした。こう見ても、北側の尾根の向こうに坑口が…どころか、この水路隧道すら判別できない。また、画面ほぼ中央に「高台」があり、そこに「水田A」がある(後述)。 ![]() 拡大しないと文字が読めないが、これがその周辺地図。右下が中山トンネル。上記水路隧道の位置をマークしてあるが、こうして見ると、尾根の向こうにはここより標高が高いところがある。こういうことは、水路隧道を彫る前から経験的に知っているものなのだろうか。やはり、ヨッキさんならば反対側も行くだろうな。 先述した「高台」へ。 ![]() ![]() ![]() * * *
こんな場所、案内看板や導きがなければまず訪れない。偶然、周辺案内の看板を見たから来たのだが、予想外に素晴らしいものを見せてもらった。今回、棚田と水の関係をがよくわかった。先人たちがここまで切り拓いていて、しかも現役であることにも感激した。 なお、同行した友人に聞いたのだが、水は上から下へ流れるので、「上の田圃」でできる米のほうが上質とされるそうだ。 |
カレンダー
最新記事
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|