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綾部橋国道27号を遡る形で東へ向かう途中に、給油所の跡があり(後述)、その隣に広大な車庫の跡があった。京都交通の綾部営業所跡だ。この「京都交通」は2004年に会社更生法を適用した会社で、一部の事業は現在、日本交通グループの「京都交通」が引き継いでいる。

広大すぎて、写真に収まらないが、上記の写真の右に切れている建物から。以下すべて敷地外(公道上)から撮影。
 
中央、空いているドアには「京都交通株式会社 綾部営業所」の文字。営業所の事務所棟だろう。その左のドアの向こう(室内)には「待」「←入」の文字が見えるので、左は待合室だったのだろうか。前の空間には残土が積まれている。敷地の管理者は(新)京都交通だ。

右の洗車機は「大型車・外車不可」とあるので、バス営業所内の給油所ながら、一般への給油もしていたのだろうか? 

次いでその左隣の建物。
営業所棟の左側につながっている整備場と事務所棟。事務所棟はこちらも入口の扉が開いている。整備場は大きなもので、10台くらいは同時に入れそうだ。チェーンブロックなどが残されている。

その左、直角の位置に、車庫。
ピットや、高台(なんと言うのだろう、ピットを持ち上げた施設)がある。

トップの写真の右にカメラを振ると、給油所がある。
 
サービスルームがあることから、一般営業もしていたように見える。

【参考】
サイト「一都物語」に、現役当時の写真が多数ある。
http://traffica.6.ql.bz/kyotokotsu/kyoko-list.htm


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京都府の由良川河口、右岸をボケッと北上していたら行き止まりだった。河口部分に架かる橋は鉄道橋だけだった。

すごすごと引き返すと、線路脇に菱形の木製扉が見えた。来たときには気づかない方向。ブロック積みの小屋で、この正面の扉横に張り出した部分は構造ではないようだ、意匠だろうか?扉の上に梁がないこともあり、側壁が倒れないように支える意味合いがあるのだろう。ブロック塀の控え壁はよく目にするところだ。(参考:http://www.sasakiblock.com/kitei.html

線路との境界も曖昧な、こういう場所が好きだ。

(注)太字部分、市瀬克己さんからご指摘を受けて2014年11月1日改変


●関連項目
由良川橋梁(京都府/北近畿タンゴ鉄道宮津線)


戦前の「幻の」五輪も、いまから50年前の五輪も、それぞれ東京の街づくりに大きな影響を与えた…ということは、過去、いくつかの本で述べられている。竹内さんに書いていただいた『空から見える東京の道と街づくり』『空から見る戦後の東京 60年のおもかげ』(ともに実業之日本社)でも、本文の一記事として空中写真を提示しつつそれを解説されている。だが、その2冊も含めて、いずれも東京の通史からの観点だった。本書は視点をオリンピックに変え、そこから東京を見ている。

例えがわかりづらいかもしれないが、「国鉄・JR史のなかの485系」ではなく「485系から見た国鉄・JR史」といったイメージだ。


章立てがおもしろい。
第一章 二〇二〇年オリンピックで何が変わるのか
第二章 一九四〇年オリンピックと戦火
第三章 一九六四年オリンピックへの道
第四章 新幹線とオリンピック道路

よく練られた構成だと思う。ベーシックな形を時系列とするならば、本書は現在進行形のことで日々耳にするので理解しやすい話題と冒頭に起き、その後、戦前に戻ってから時系列に入る。地図や空中写真を多用しながら五輪にまつわるさまざまが書かれている。第三章などはあまり地図要素がなく、「五輪ドキュメント」のような体裁となっているが、第一章、第二章で頭が五輪に慣らされているので、一見、地図とは関係ないエピソードもスラスラ頭に入る。

私のブログをお読みいただいている方には、きっと第四章がおもしろい。東京の上水と下水道、道路の開削だけでなくその規格の意義と当時のイメージ、首都高、新幹線や東京モノレール、営団日比谷線、都営浅草線がオリンピックを目指して建設されたこと。いずれも、こうして文字だけ見れば他の本でも述べられている内容と思うかもしれないが、そこは裏切ってくれる。幹線道路の歩道橋がオリンピックと関係あるとは誰が思いついただろうか。また、今年の正月に有楽町で火災があって新幹線が運行不能となってかなり大きな影響を与えたが、あれがオリンピック当時の負の遺産の亡霊だとは誰が気づいただろうか。


ただ、もっともっと、地図が欲しかった。私は都心の地図が脳裏に浮かぶし、PCやスマホで地図を確認しながら読める環境だから理解できるのだが、そうでない人は、大人でもたくさんいるだろう。例えば第二章P61に「昭和37年7月競技場計画最終案」が掲載されているが、文字で「世田谷区用賀に…」などとするのではなく、1ページ大の地図にプロットしてあればなおよかったと思う。普通の人は、地図は絶対的な位置関係ではなく、相対的な…たとえば「環八をまっすぐいって、東名にぶつかるところが用賀」というような捉え方で覚えていると思う。同じような図版が繰り返し出てくるのは本作りからすると「もったいない」のだが、その分、読者の理解を助けてくれるものだ。

(印刷工程上はおそらく)オールカラー、192円で1000円+税というのは安い。オリンピックから見た東京史、としてとてもおもしろかった。書名からして「地図好きのための本か」と思われて敬遠されたり、書店がそういう分類をすることのないことを願う。


店を閉じて久しい給油所。裏手が旧道で、手前が新道か。少し傾斜のあるところに建っていた給油所の地面はもちろん傾斜していて、防火壁も段がついていた。そして新道に向かう部分は丸く切り取られ、おそらく見通しと意匠を兼ねていた。

敷地を方形とすると、角を含む2辺が道路に面している給油所は多々あるが、平行する2辺が面している給油所は少ない。蒸気機関車はテンダーの背面がすきな私としては、こちら側が正面であることを期待している。









周山にある農協の建物。目に付くのは屋上の「貯金は農協へ」だろう。

1階のみサッシが更新されているようだ。また、建物の外に配線の配管が這っているのも珍しい。

クローバーのマーク。これは農協貯金、いまのJAバンク。なかなか見かけない古いマークだ。


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