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廃道ナイト2

廃道ナイト2

廃道

カルカルで開催された『廃道ナイト!!! 2010オブローダー総決起集会』にて売り子してきますた。

20100130-0.jpg今回は、ヨッキれん氏+nagajis氏にプラスしてゲストがミリンダ細田氏。彼の参加で一気にチケットが完売に!?

20100130-2.jpgトークはあまり突っ込みが入るような時間的余裕がないためか、畳みかけるような展開。しかし、メリハリもきき、息抜きもあり、非常にいいテンポで間延びせず、あっという間に1部が終わり、2部が終わる。

第3部。細田氏との『探索アルバム』公開。
20100130-4.jpg

次いで、『30分でわかる村田鶴』。

20100130-3.jpg私は現地を案内していただいたおかげで位置関係も系統もほどほどに把握しているつもりだが、もしかしたら、会場の人に地図を配っておくと、より理解してもらえると思った。たぶん、東京の人は、滋賀県の地理を知らない。それどころか、宮脇俊三氏が文藝春秋だっけな、編集者に「大阪から青森まで行く特急が通過する県を挙げよ」というクイズを出して、忘れ去られていた県が滋賀県だったりするから、琵琶湖と米原と大津の位置関係すらわからん人が圧倒的多数な気もする。

そしてエピローグはフラッシュ。涙腺の弱い私は画面を注視できなかった。
20100130-5.jpg


終了!
20100130-1.jpg

『廃道本』をお買い上げいただいた皆様、ありがとうございました。また、『日本の廃道』グッズのご購入もありがとうございました。

ご来場いただきました皆様ありがとうございました。これだけの方に楽しんでいただけるというのは、もちろん出演者と運営者のおかげなのですが、その末席に少しだけ噛んでいる者として、大変嬉しいイベントでした。

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コーリン鉛筆

コーリン鉛筆

記憶

自宅で仕事をしていて、ふと使っている鉛筆を見て驚いた。
コーリン鉛筆だった。

20100129.jpg

コーリンと言えば、1981年に文房具店兼駄菓子屋だった実家を建て直す際、大量の不良在庫(4Hや6Hばかり)が出てきて、投げ売りしたことで記憶がある。その際、今は亡き祖母が「いい鉛筆だったんだけど、つぶれてしまった」みたいなことを言った覚えがある。実際の倒産は1997年らしいので、祖母の真意は不明だが、それ以来、コーリンは私の脳内でひとつの確固たるブランドとして、その全盛期もその品質も知らぬままに存在してきた。カルカルで「文房具ナイト」をやった、などと聞くと、ついコーリンを思い出してしまうくらいに、自分の脳内で神格化されたブランドだった。

コーリンのトレードマークは「三角形になった横顔」のマークだ。1982年に、その向きが右向きから左向きになったとある。この鉛筆は右向き。即ち1982年以前の製造分だ。最短で28年前のもの。

なにかのノベルティだったらしく、「ムトウランドセル」とある。通販のムトウだ。浜松駅に大きな看板のあったムトウだ。昨年、「スクロール」という社名になったらしい。ムトウでいいのに。


そんなコーリン鉛筆が、いまここにあるのはなぜ? 明らかに私の所有物ではない。家の者が使っていたのか。30年近く、あるいはそれ以上前に使いかけてそのまましまい込んでおき、いまここにそれがあるのか。たぶん、永遠に謎である。そのコーリンを使って、仕事を続ける。ちびてちびて1cmくらいになって、いよいよとなっても捨てはしない。5mmくらいになってしまった過去の仲間とともに、引き出しの中に転がしておこうと思う。

横河橋梁/東武野田線江戸川橋梁

横河橋梁/東武野田線江戸川橋梁

ワーレントラス



20100128-1.jpg東武野田線が千葉・埼玉県境を渡る、江戸川橋である。跨いでいるのはもちろん江戸川。


画面右から第1連(プレートガーダー)、第2連(トラス)・・・となるが、第1連と第4連が、製造時期が異なる。3つ並ぶトラスのうち、左端(第4連)の上弦を見ると、それがわかる。第2・第3連は2格間ごとに直線状に結んでいるが、第4連は各格間ごとに結んでいる。

もうちょっと寄ってみる。

20100128-2.jpg橋の手前の歩み板の手すりに段がついている。よく見ると、縦桁の高さも異なる。その一方で、斜材も橋門構も同じように見えるのはなぜだ。両者には製造に30年の隔たりがあり、さらには製造所も異なるのだ。1930年の開通時から使用されている桁である第2・3連は横河橋梁、第4連は東京鉄骨である。



『歴史的鋼橋集覧』にはこう書いてある。

第2,3連と第5-10連の桁が1930年総武鉄道開通当時からのもので、1955年2月新設橋脚上に移設。他は1955年2月河川改修に伴い新設。(強調筆者)

1947年の航空写真を見ても粗いので、橋梁の移設があったのがどうかはよく読み取れないが、Yahoo!地図の衛星写真を見ると、北側に廃線跡に見えないこともない痕跡がある。しかし、それでは根拠に乏しい。というところで、上の写真をよく見て欲しい。明確な痕跡がある。第3連・第4連の間の橋脚(おそらく第3橋脚)の奥(画面右)に、古い橋脚の土台が見える。

こちらの写真のほうがいいか。第2橋脚である。

20100128-3.jpg

河川改修前は、川幅も狭かったのかもしれない。でなければ、
200フィートトラス2連だったものを、わざわざ3連に改修することはあるまい。当時の写真でもあればいいのだが。


この上流、江戸川と利根川の分流地点にある「関宿城博物館」には、わずか5パネルになったタイニーなイギリス系のポニーワーレンが保存されているという。この野田線の前身である総武鉄道が、現在の総武本線に架けていた橋だそうである。知ってれば立ち寄っていたものを。

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日本博士全伝

アーカイブ/資料/自分用メモ


飯田線の愛知・静岡県境

飯田線の愛知・静岡県境

地図・航空写真・分水嶺



20100126map.jpg
静岡県側が天竜川水系で、愛知県側が豊川水系だと思い込んでいた。東栄駅の東側にはもっともらしくトンネルもある。しかし、よく見ると、ここは両川の分水嶺ではないのであった。分水嶺は池場駅のすぐ西である。集落が連続していてもおかしくなさそうな、ゆるやかな鞍部のようだ。衛星写真を見ると、峠の東側には集落と田畑があり、峠に向かってじわじわと拡大しつつあるようにも見える。峠が敷居になっているようには見えない。飯田線こそここをトンネルで抜けているが、国道151号は、とくになんにも気にせずにそこを貫いている。

なぜこのラインが県境になったのだろうか。こうした疑問をよく思いつくが、とくに調べたりもしない。そのうちこのエリアに詳しい人に出会って、そのときに聞けばいいや。それくらいの関心でしかないのかもしれない。

(地図はカシミール3Dを使用して作製した)


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ぉう゛ぇpぁy

音楽

YoutubeにあるLove Playの動画は、なぜか最後のもっとも盛り上がるラストの3連の部分が欠落したものばかりだ。なぜだ。「そこ」が聴きたいのに。

パテントシャフト&アクスルトゥリー/小貝橋(真岡鉄道)(2)

パテントシャフト&アクスルトゥリー/小貝橋(真岡鉄道)(2)

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

ディティールつけたし。

20100125-1.jpg横桁が魚腹型であることは前日述べたが、この角度で見ると、フランジも中央に向かってふくらんでいる。

20100125-2.jpgつづく鈑桁はポーナル桁。内部は対岸だったので見ていないが、後述する五行川橋梁では対傾構がロの字形であることを確認している。この区間の開通時期は1913年。スティッフナーがJ字形をした最後の形式である(と思う)作37年式が制定されたのは明治37年=1904年。であれば、その形式で造られ、開業当初からここにあったと考えても不自然ではなかろう。

(2月4日追記)
スティッフナーは、J字形のものと直線状のものが交互に取り付けられている。後述する五行川とも異なる。理由の推測がまったくできないが、ある程度の事情は五行川に記した。
(追記ここまで)

橋脚の上部がコンクリートになっているのは、初代桁に理由があるのではないか。


ネットで検索すると、昨日書いた「開通年と、桁の設計年の違い」に気づかず、「1913年に架橋された」的な記述が散見される。訂正の術はない。歴史的鋼橋集覧の備考欄に、その旨が書かれていればよかったものを。残念なり。


パテントシャフト&アクスルトゥリー/小貝橋(真岡鉄道)

パテントシャフト&アクスルトゥリー/小貝橋(真岡鉄道)

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

真岡鉄道には古い転用ポニートラスがふたつある。そのうちのひとつが小貝川橋梁である。


20100124-1.jpg見てのとおり英国系の100フィートピントラスで、弦材と端柱でガッシリと台形の枠組を作り上げているスタイルが力強い。

画像は南側から撮影、左側は下館方面、右側が茂木方面となる。左側の鈑桁は12.6mである。

20100124-2.jpgさてこの小貝川橋梁、『歴史的鋼橋集覧』(以下「集覧」)惑わされてはいけない。というのは、そこでは「1894年製/1913年開通」となっているが、ここに陥穽がある。

『明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状 第2報 英国系トラスその2』(西野保行/小西純一/淵上龍雄)
(以下「論文」)によれば、1894年製の100フィート単線ポニートラスは総武鉄道(のちの総武本線)が小岩-市川間の下り線として3連架けたものがあるのみである。その橋は「1926年撤去」とある。1894年製で1913年までに撤去された桁はない。

しかし、『歴史的鋼橋集覧』をよく見ると「設計:1947年」とある。つまり、どこにも断言されたものはないが、1913年に開通した際には別の桁が架けられており、それが1947年以降に現在の桁に架け替えられたと考えていいであろう。そうすれば、上記総武鉄道の桁が転用されたと考えるのも自然である。

以上、あくまで推測である。真岡鉄道(当時は国鉄真岡軽便線)開業時の小貝川橋梁の写真でもあれば、この推測の状況証拠となる。



さて、ディティールを見よう。
20100124-3.jpg横桁が魚腹型としている。荷重がかかる部分が太くなっている。本橋は、主構間、つまり幅が通常より広くなっているのも特徴である。

20100124-5.jpg桁は川に対して垂直ではなく斜めに入っているが、桁はそのまま使われている。後述する五行川橋梁のように、スキューさせてはいない。

20100124-4.jpg上弦材と端柱を結ぶ部分。ピンこそあるが、両者が一体化している。

20100124-6.jpg上弦材と斜材のピン結合部分。斜材に補強が入るのは、圧縮がかかる部材である。

20100124-7.jpg下弦材と斜材のピン結合部分。


この小貝川は、一級河川である。利根川の支流の中でも長さは2番目なのだが、ここではこれだけの幅しかない。下流へ行くに従い川幅を増し、取手市の南東部、利根町・我孫子市との境界で利根川に合流する。


A&Pロバーツ探訪/向野跨線道路橋(愛知県)つづき

A&Pロバーツ探訪/向野跨線道路橋(愛知県)つづき

橋梁(A&Pロバーツ)

向野橋(こうやばし)が跨ぐのは、かつての国鉄名古屋機関区である。その名古屋機関区を煌々と照らす水銀灯が、かつては南側から4番目(北からなら5番目)のパネルの上に屹立していた。下記写真の黄色い丸(?)内である。

20100123ccb-82-2_c14b_8.jpg国土が増感ランシステム国土画像観覧システムをトリミング。昭和57年度、1万分の1)

私が閲覧した古いものでは、1950年撮影の写真にその姿はあった(鉄道ピクトリアルの今月号=2010年3月号に掲載されている)。その後、画像をググると2002年あたりまでは残っていたようである。

googlemaps、Yahoo!地図どちらの衛星写真も、ヤード灯は写っていない。


大きな地図で見る

『歴史的鋼橋集覧』に掲載されている写真は、なんとも中途半端である。お前は橋さえ写っていればいいのか、と問い詰めたくなるような撮り方である。その点、構技研の写真はさすがである。しかし、左記リンクは画像だけを表示したものであって、構技研の「一覧」ではサムネイルしか表示されない、これもどうしたもんかなあ、と思わないでもない。

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鹿島臨海鉄道が常磐線をオーバークロスする部分

橋梁一般

ちと興味深い。




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