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東京モノレールの複線用橋脚。写真右手は道路で、それを一跨ぎするために、ハンチのように張り出している。支持点は4カ所、しかし脚は1本。モノレールらしい、美しくも筋肉質な橋脚だ。下部がグレーなのは耐震補強だろうか。

重くなるので地図の貼り込みはしないが、港区港南四丁目付近に連続している。

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新潟市内で見かけた道路標識。スケール感をもってよく見て欲しい。


路地なのに、この大きさ。天地・左右とも80cmくらいだろうか。


道路のはるか頭上、横断歩道などに掲げてあるならこの大きさもわかるのだが、この路地にこの大きさであると、とてもファニイ。



上越線の石打駅。ホームは2階に相当する高さの築堤上にある。駅舎の規模としては、乗降客に見合わないくらい大きい。旧六日町駅舎よりも立派だ。これは、運転関係の要員スペースがあるためだ。

きちんと活用されているのは、エアコンの室外機の数でもわかる。2階は五つの区画があるようだが、右端を除いた4区画には室外機が付いている。1階の庇上に八つ並ぶのは1階用だろう。

昭和43年築の駅舎は、学校のようにも見える。どこ…とはすぐに思いつかないが、その時代の鉄筋コンクリート駅舎の典型にも見える。もっともっと類型を集めたい。
新井で見かけたワム80000の廃車体。塗装のせいか、外板にあるリブ(ここでは凹み)が見えず、「ワラ1がとび色2号に!?」などと早合点してしまった。れっきとしたワム80000そのままである。

おそらく、運び込まれたときはワム80000本来の塗色であるとび色2号、つまり茶色だったのだろう。それを美観かなにかの点で水色に塗り直した。ところが、塗料の耐候性などの問題で水色は褪色し、塗り込めたはずのとび色2号が出てきてしまった、ということだろう。

国鉄が貨車を大量に販売したのは昭和50年代終盤であり、それから30年近く経っている。それでも全国各地で倉庫として利用されているワム80000は、とび色2号をきちんと保っているものが多い。塗装の劣化よりも、構体の鋼板が腐食するほうが早いようだ。


いつの間にか、新潟駅高架化工事がかなり進んでいた。すでに、かつての6・7番線ホームは線路もろとも消えている。写真は東跨線橋から新潟駅方向を見たもの。


2011年のGoogleストリートビュー(リンクでストリートビューへ。以下同)。向かって左手の3線(左から白新線下り・信越線下り・信越線上り)が撤去され、右手1線(白新線上り)のさらに右に2線、仮線が設置されている。ちょっと記憶にないのだが、右手のマンションと線路の間の道路用地を転用したのだろうか。

これは同じ東跨線橋から越後石山方を見たもの。左から、仮線、仮線、元の白新線下り。右に空いた3線分のスペースに高架橋が来る。高架橋の下にも留置線があり、かつてはSLばんえつ物語が新潟に到着後に引き上げるためのDE10が待機していた。

2011年のストリートビューより。過渡期で、すべての線路が写っている。



駅の西側(越後線側)へ。天神尾踏切。

写っている線路は単線の越後線で、写真は内野方。すでに単線高架橋はかなりできていた。

 これが2011年の姿。撤去された電留線2本は、高架上に設定されるようだ。

こちらは新潟方。

2011年のストリートビュー。

これは越後線の仮線工事。いま地上を走っている線路は、こちらに切り替えられる予定。

高架橋が3本ある。手前から、新幹線高架橋へのアプローチ、新幹線、越後線。

今回は「ついで」で回っただけだが、きちんと記録しておきたい。


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