新井で見かけたワム80000の廃車体。塗装のせいか、外板にあるリブ(ここでは凹み)が見えず、「ワラ1がとび色2号に!?」などと早合点してしまった。れっきとしたワム80000そのままである。
おそらく、運び込まれたときはワム80000本来の塗色であるとび色2号、つまり茶色だったのだろう。それを美観かなにかの点で水色に塗り直した。ところが、塗料の耐候性などの問題で水色は褪色し、塗り込めたはずのとび色2号が出てきてしまった、ということだろう。 国鉄が貨車を大量に販売したのは昭和50年代終盤であり、それから30年近く経っている。それでも全国各地で倉庫として利用されているワム80000は、とび色2号をきちんと保っているものが多い。塗装の劣化よりも、構体の鋼板が腐食するほうが早いようだ。 PR
いつの間にか、新潟駅高架化工事がかなり進んでいた。すでに、かつての6・7番線ホームは線路もろとも消えている。写真は東跨線橋から新潟駅方向を見たもの。
2011年のGoogleストリートビュー(リンクでストリートビューへ。以下同)。向かって左手の3線(左から白新線下り・信越線下り・信越線上り)が撤去され、右手1線(白新線上り)のさらに右に2線、仮線が設置されている。ちょっと記憶にないのだが、右手のマンションと線路の間の道路用地を転用したのだろうか。 これは同じ東跨線橋から越後石山方を見たもの。左から、仮線、仮線、元の白新線下り。右に空いた3線分のスペースに高架橋が来る。高架橋の下にも留置線があり、かつてはSLばんえつ物語が新潟に到着後に引き上げるためのDE10が待機していた。 2011年のストリートビューより。過渡期で、すべての線路が写っている。 * 駅の西側(越後線側)へ。天神尾踏切。 写っている線路は単線の越後線で、写真は内野方。すでに単線高架橋はかなりできていた。 これが2011年の姿。撤去された電留線2本は、高架上に設定されるようだ。 こちらは新潟方。 2011年のストリートビュー。 これは越後線の仮線工事。いま地上を走っている線路は、こちらに切り替えられる予定。 高架橋が3本ある。手前から、新幹線高架橋へのアプローチ、新幹線、越後線。 今回は「ついで」で回っただけだが、きちんと記録しておきたい。 新潟市 古信濃川と栗の木川の続き。
古信濃川の名残 その1に続いては古信濃川の東の端、栗の木川の河口付近に平行してあった部分の名残。 古信濃川の東端部を南から北に向かって歩くと、国道113号(東港線)にぶつかる。その手前、最上部のように空き地の向こうに水管橋が見える。国道川からは、上野ように見える。金網に囲まれているので近づけない。 この水管橋の下が、かつての古信濃川だ。周辺の状況から、暗渠化しているように見えるが、埋立かもしれない。わからない。 対岸…というとなくなった川の話だから混乱するな、国道を挟んだ向こう側には、橋の欄干が残る。親柱の銘板などない(ように見えた)ので、名称は不明。欄干の向こうには使われていない水管橋があったような…まずい、覚えていない。 この欄干より向こう(信濃川側)は、地理院地図では古信濃川が掘り込みのように残っていると描かれているが、実際には埋められている。googlemapsでも埋められている。
新潟市 古信濃川と栗の木川の続き。
新潟市内には、かつて「古信濃川」という流れがあった。そのすべては埋め立てまたは暗渠化(どちらか未詳)されてはいるが、ところどころに痕跡がある。そこを、2014年6月1日、路地連新潟主催のイベント信濃川右岸『つなぐ町 流作場@新潟市・沼垂町合併百周年』に参加してたどった。そこで見つけたのが、この水管橋だ。 古信濃川はすでに暗渠化し、その上に家屋まで建っている。川を跨いでいた水管橋は地中化されることもなく、そのまま地上に顔を出しているのは、埋立ではなく暗渠化の証なのだろうか。しかも、道路にでっぱるかのような位置であり、うっかりするとゴミのポイ捨てされたり子供が遊び場にしやすいような感じでもあり、だからだろうか、金網で囲われている。 位置はバツ印をしたところ。赤いラインが古信濃川で、黄色い道路は県道1号線。新潟駅南から西→北西へと流れた古信濃川は現在道路となっているが、現・県道1号線を越えたところですこしオフセットされる。このオフセットされた道は当時の川岸の道で、川跡そのものは埋め立てないし暗渠化されたのだろう。その延長上のバツ印のところに前述の水管橋があり、その先には消防水利と下所島排水機場がある。 小学生の頃、郷土の学習で「排水機場」というものを習ったが、まったく意味がわからなかった。わかるようになったのは、微地形に興味を持ち始めてからである。
国土地理院の25000分1地形図新潟北部・新潟南部(ともにM45.3.30発行)の水系を青く加工したもの+数値地図25000(H21.9.1発行)をカシミール3Dで切り出したものを重ね、GIFアニメに加工した。容量の都合で左右500ピクセルとしているが、左右1000ピクセルのものをこちらにアップしてあるので、ダウンロードして閲覧してほしい(GIFなので、プレビューではアニメにならない可能性がある。その場合はブラウザで開くことを推奨。なぜか、というか連結間違えたのでアニメーションの流れが逆…)。
信濃川の川幅が広かったのや「万代島」が島であったのはもちろんのこと、明治末の川の流れなどがいまの道路や地形に繁栄されているのがよくわかる。 興味深いのは、古信濃川が道路として残っているところと、栗の木バイパスがクニャッとしてるところ。そして、新潟駅と万代橋東詰の間の五差路、「流作場(りゅうさくば)」から南西に延びる一通の道がかつての右岸の堤防であり、だからこそ…この道路が栄えある「新潟県道1号線」になったのだろうか。 25000分1地形図新潟北部・新潟南部(ともにM45.3.30発行)に、右岸は堤防を、左岸は岸線を赤く示した。下記のものと比べて欲しい。 いまの「下(シモ)」と呼ばれる地域に張り巡らされた堀が、いまの道路線形に残っていることも見て取れよう。 数値地図25000(H21.9.1発行) |
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