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(Kasimir3D+DEM5m+地理院地図)

今回の鬼怒川の堤防が決壊した付近。下妻市。標高50cm刻みで色分けすると、古い河道が浮かび上がってくる。かつての河道は田圃となっている。


(Kashmir3D+DEM5m+数値地図25000)
ここに掲げる数値地図は石下(H13.7.1)と上郷(H19.12.1)なので、行政地名が古いものになってい入るが、お見せしたいのは「元の地図で緑色だった部分」だ。ここは、古くから人が住んでいた場所、即ち「川の近くの高台」だ。

かつての洪水の頻度は現代からは考えづらいほど多く、高台かつ固い地盤は、長年の経験の上で知られていた。

こうしたことは、以前書いた沢海に見る阿賀野川の氾濫の跡でも見ることができる。



今回の水害はまだまったく収まる気配を見せないが、これ以上の被害が広がらないことと、一日も早い復旧を祈っている。



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廃止が発表されている上白滝駅。wikipediaには「北海道でもっとも古い木造駅舎(要出典)とある。開業は1932年10月1日、以来改築はないが、下白滝駅は1929年8月12日、中越駅は1928年11月20日なので、その記述は誤りではないか。

 
この写真は『日本の駅』(1972年、鉄道ジャーナル社刊)より。この写真と比べると、屋根が葺き替えられ、正面向かって右側の窓付近が更新されている。右の木は無事に育っているが、左の木はなくなったようだ。

駅舎内部。奥が駅務室だったところだ。右に台があるが、これは荷物窓口の跡。左に切符売り場があったはずだが、埋められている。宙に浮いてるパイプは駅務室から、待合室を横切って妻側に抜ける煙突。

 さて、本題は駅舎ではなく、向かって右に並んでいる駅のトイレ、「駅便」である。

 
出入り口はアルミのドアになっているが、こんな木造の小屋にドアはおかしい。屋根を見ると、中央部が出っ張っている。これきっと、本来はこのドアはなくて開放式で、その前に衝立があったに違いない。こういう感じに、だ。


20120304_001.JPG
(水郡線下菅谷駅)

ホーム側も同じ構造だったようだが、出入り口は塞がれている。


 
ドアを開けて中に入る。真正面には、塞いだ跡。男子小用は、壁があるだけ。個室は二つ、窓が円い。右の窓に書いてある文字は剥げて見えないが、かろうじて「きれいに」だけは読める。

 
個室のドアには内張がない。補強が丸見えだ。個室の便器の前後長が短い。とてもきれいに清掃されている。もっとも、使う人は皆無かもしれない。

振り返ると「清潔清掃」。もう何十年、ここに貼ってあるのだろうか。無人化は1983年。

天井の電球は、白熱灯型蛍光灯か。碍子と、裸の電線が現役だ。屋根は雨漏りがあるようだ。

以上、トイレはとても狭いので、写真が見苦しいのはご容赦いただきたい。



このトイレもあと半年の命。取り壊されてしまうかもしれない。周辺は、この駅の両側や駅前を含めてそこそこの戸数があり、人の営みがある。子供がいて通学需要さえあれば…というところだ。










これまた美しい木造倉庫。旧白滝駅近くにある。屋根は葺き替え済みだろう、入口にかかる屋根と素材や塗装が異なる。でも、扉の前にはけっこうな高さに木が伸びていて、いまは使われていなさそうだ。せっかくの菱形が見えない、これはもったいない。

羽目板が、山型に変色している。雪がこの形に積もる跡だろうか。



常呂川の支流、仁頃川に、クトンニコロ川が合流する当たりが仁頃の集落。幹線道路からははずれてはいるが、整った町だ。そこに、郵政書体を見つけた。

浮かしてモルタルの壁に取り付けられた、金属製の尖った文字。

 
煙突は2本。エアコンの室外には見える範囲で3個。地域の重要な拠点だ。





国道から見える、旧白滝駅。この夏はとくに訪れる人が多いようで、私が訪ねたときにいた男性は「この1時間で6、7人が立ち寄っていった」とのこと。私もそんな中の一人だ。

元々は仮乗降場であり、ホームと待合室があるだけだ。

 
 
待合室内は清潔に保たれている。こういうところに来ると、一晩過ごせるかどうかなどということばかり考えてしまう。

駅の横に或踏切は「墓地踏切」。名称がすごいが、この「旧白滝」という地名からしても、周囲にもともと細かな地名がなかったためだろう。国道からこの踏切を渡っても墓地はなく、逆に、国道から踏みきりと逆方向、上の写真で言えば画面左手の丘の上が墓地だ。つまり、この道は「墓地通り」とでもいうべきものだ。



おそらくいまの国道はバイパスであり、googlemapsで見て、国道から石北本線を挟んで右側に見えるのが旧道。鳥居もあるこちらがもとの集落で、そこから墓地に向かう道だから「墓地踏切」なのだろう。もともとは、いまの国道も、もちろん旭川紋別道もなかったのだ。道は、見る人によって、入口と出口/正面と裏口が異なるものだ。

その、もとの集落「旧白滝」は、由来として「最初にここに入植したが、土地がよくないために移転した」ということだが、いまの旧白滝には畑が広がっている。






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