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重大インシデントとEOS Kiss Digital N の終焉

重大インシデントとEOS Kiss Digital N の終焉

独言・日記

5時間前に自宅を出て、今頃はもう新潟県でテント張って寝ているはずだったが、なぜかいまPCのある自宅にいる。上越国境の山に登るためにスーパーテネレで出たのに、あろうことか、積んでいた荷物を関越で落としてしまったのだ。

「落とした」「大変だったね」で済ませられるものではなく、落下物で後続車が事故を起こすことが一番怖い。幸い、nexco東日本まであがってきている事故はなかった。それを聞いて一安心したのだが、わかるまでの約1時間、非常に不安だった。

落としたのは、買ったばかりで初めて持ち出したカリマーのデイパックと、これまた5年くらい前に雪中撮影用に買った菅笠。気がついたのは15kmポストを過ぎたところ。nexco東日本のパトロールカーの方には、菅笠を11.6kmポスト付近で発見し、デイパックは見つからなかった言われた。事前に、貴重品が入っていないか確認されたので、入ってないと答えたため、まあいいか、となったのかもしれない。それは仕方のないことだ。落とした位置はほぼ特定できたので、デイパックは自分で回収できないかと思い、再度関越を走った。

デイパック内に貴重品はないとはいえ、高価なものは入っていた。全部同等のものを買い直せば15万円くらいになる。
・EOS Kiss Digital N(買ったときは高価)
・雨具(3万超)
・キャメルバック
・歴史的鋼橋の位置をすべてメモしたツーリングマップル
・眼鏡、洗面用具
・loweのフリース(買値は安かった)
・靴下
・頭用タオル
・明日用の食料(パン2つ、ウイダー風ゼリードリンク4つ)
・新品のカリマーのデイパック。

もし、単純に落として転がっているだけなら無事。もし、クルマに踏まれたりはじかれたりしたらアウト。ダメもとで、他のクルマに気をつけながら、追い越し車線に目を凝らした。すると、12.5kmポスト付近の、追い越し車線よりさらに外側(ガードレール付近)に、パックリ口を開けたデイパックと、カメラ、スーパーの袋などがあった。詳細は省くが、目に見えるものだけ回収した。回収中に、べとべとしているな、と思った。これは、ウイダー風ゼリーが破裂したためだ。回収していると、先に菅笠を届けてくださったのと同じnexcoのパトロールカーが停止した。


さて、回収したものである。デイパック。
IMG_5889_R.JPGこれが、新品おろしたてのデイパックだ。中身はゆるく入れておいたので、時速100kmで走行中に落としたとはいえ、ここまでボロボロになることはない。また、引きずられた訳でもなさそうだ。やはり、後続車に踏まれたか、弾かれたかして破裂したんだろう。

一部、縫合部が破れている。ファスナーはすべてもげていて、上気室も下気室も開放されていて、さらには上下の仕切りはファスナーこそ大丈夫だったが、背面側の縫合部は破けていて、1室になってしまっていた。中も外もウイダー風でべたべただった。無事だったのは正面のポケットだったが、その中にはなにも収めていなかった。


とはいえ、本当に、他車が事故に遭わなくてよかった。









問題のカメラ。グロ画像かもしれない。
IMG_5895_R.JPGこの状態で転がっていた。これもべとべと。水滴のように見えるのが、ウイダー風ゼリーの滴である。

近くに、不思議と無傷かつべとべとになっていない電池が転がっていた。

IMG_5909_R.JPG上面。


IMG_5902_R.JPG背面。CFカードの蓋はあけて撮った。


IMG_5898_R.JPG右側面、CFカード収納部分がゆがんでいる。蓋を開けるとCFカード(8Gを入れていた)は無傷のようだったが、このように歪んで入っている。
IMG_5901_R.JPG
そのため、押し出しボタンを押してもまったく反応しない。やむなく、背面を解体して取り出した。


そしてレンズ。付近にはレンズの破片が転がっていた。右側はカメラ側のマウント。
IMG_5904_R.JPG


前玉こそ残っているものの、中の8群分のレンズは行方不明。そして、前玉はべとべと。

ということは、デイパック内でウイダー風破裂→中身が外へぶちまけられる

という順序だったのだろう。


幸い、カッパは無事のようだった。入れている袋は破けたが、カッパが大丈夫でちょっと嬉しい……。
IMG_5913_R.JPG


そのほか、キャメルバックとツーリングマップルは回収した。前者は洗えば使えるが、咥える部分のパーツが紛失していた。後者は、拾ったはいいが、べとべとなので買い換えなければならない。


そんなことで2時間近くこれに費やされたこともあり、明日はなにもできない日になった。これらは菅笠を入れていたビニール袋に入れて持ち帰ったが、蟻がおそらく数十匹くっついていた。

あいにく、眼鏡等の入ったポーチは見つからなかった。見つける気力もなかった。


落としてしまった荷物は十分なパッキングをしたつもりであったが、「もしゴムがはずれてもいいように」という積み方をしようと思う。カメラバッグを積むときはそうしている。

昨日の「乗りつぶしナイト」ですごくいい気分でいたのに、いろいろ残念な気分になった。これは、明らかに「他車を事故に巻き込まなかっただろうか」という不安に起因する。とにかく、事故にならなくてよかった。
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『乗りつぶしナイト』ありがとうございました

独言・日記

昨晩の『鉄道乗りつぶしナイト』ご来場の皆さん、ustで中継をご覧になった皆さん、ありがとうございました。リハ時にかなり不安だった「つなぎ」など、そこそこうまくいったのではないかと思いました。「締め」も予定外の方向でしっかり締まってよかったと思います。

「当日券」でいらっしゃったお客様も多く、ほぼ満席になったことは大変嬉しいことでした。「連れてこられた」的な、「鉄道に乗りに行く」という楽しみ方をあまりしたことのない方にも楽しんでいただけたとも思います。

出演の栗原景さん、田中比呂之さん、カルカルのスタッフの方々に感謝いたします。
集客手段(宣伝など)があれば、また何かの企画をやってみたいです。


自分は写真1枚すら撮っていないので、レポはこちらをぜひご覧ください。

栗原景さんのブログ、ぜひご覧ください。→こちら
オオゼキタクさんのブログ、ぜひご覧ください。→こちら


東京カルチャーカルチャーのUSTREAMのアーカイブはこちら


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「乗りつぶしナイト」10名様ご招待!

独言・日記

7月17日(土曜)にお台場の東京カルチャーカルチャーで開催する「乗りつぶしナイト」に、
抽選で10名様を無料でご招待します!
すでにチケットを買ってくださった皆さん、今さらですみません…。

乗りつぶしナイト詳細は
こちら

【応募方法】
7/15(木)中までに下記のメールアドレスに、「乗りつぶしナイト観覧希望」というタイトルで、お名前(ふりがなもください)と参加希望人数(2名まで 可能)を送ってください。抽選で10名様に7/16(金)午前中までに当選メールをお送りします。
ご応募お待ちしております。

【応募先メールアドレス】
yokoyama.shinsuke@nifty.co.jp

【お問い合わせ先】
東京カルチャーカルチャー



R292足倉橋旧道(群馬県六合村)

R292足倉橋旧道(群馬県六合村)

廃道




20100710-1.jpgYahoo!地図もGoogleMapも地図は小さな縮尺のものがなく、上記Yahoo!の航空写真は肝心なところがおかしな表現になっているが、確かに この場所である。この、ポインタが置かれた部分のすぐ左(西)に、旧道がわずかに残っている。以下、説明しづらいため地図を添える。

北上で、南に行くと「道の駅六合」を経て230フィートピントラス、吾嬬橋へ。北に行くと、まもなく右に野反湖へ向かうR405が分岐する。


この部分は、崖に沿った旧道を、その谷側に大きな橋を架けることで線形を改良したものだ。私が南から北に向かって走っているときに、左側にこのぶった切られた道が見えたのだ。しかし、ここでは北から南の順で書く。









さて、写真1。
IMG_5858_R.JPGこの肌色の欄干が新道。「足倉橋」とある。その向こう、といっても画面左上に少し見ていてる赤系統のガーダーのようなものが旧道の桟橋部分で、欄干のペットボトルの右側が、旧道の路盤がぶった切られた部分だ。欄干の黄色い液体の入ったペットボトルは、もしかしてだれかのおしっこだといやなので、さわらずに撮影。

写真2。路盤に上がってみる。
IMG_5876_R.JPG倒木があるのかと思うくらいの繁茂だ。舗装面こそ残っているが、路肩はない。現役のときにはガードレールなりがないわけがないので、撤去されたと考えていいのだろうか。

写真の路肩にあるような、乱暴にセメントをカマボコ型に持ったような謎の盛り上がりが、道路面にもあった。走行の妨げになるので、現役時にはなかったものだろう。

写真3
IMG_5862_R.JPGこんな感じで桟橋が残っている。旧道は崖に貼り付くかたちで敷かれたが、それでもなお幅が確保できないこの場所では、谷側に桟橋をかけたのだろう。


写真4。南側から。
IMG_5864_R.JPG南側の、ぶった切られた断面。なんというか、痛ましい。無理矢理破壊して、露出した傷口をセメントで塗ったくった、と表現すればしっくりくる。なんなん、こののっぺり感は。橋台もろとも塗り固めてあるうえに、橋台と塗ったセメントが同化するかどうかはまったく考えられていない。

そして写真5。また路面から。
IMG_5868_R.JPGこの写真で見ると、いちばんわかりやすい。ちゃんと道路の端の白線が残っており、おそらくこの外側に柵なりがあったのだろう穴があいている。

それにしても、狭い。本当に1車線分しかない。そして、歩行者用の路肩もない。これでは抜本的に2車線に改良されてしまうわけだ。

ついでに、上の写真の画面中央部あたりにあった、足倉橋の竣功年月。
IMG_5865_R.JPG平成5年(1993年)2月完成。2月のこの地は雪で埋もれてるんじゃないの? ということはさておき、わずか17年である。17年で、ここまで藪化しますか。

写真5をもう一度ご覧いただきたいが、道路だった舗装面の半分ほどは土砂と藪に覆われ、残された谷側の舗装面の上も、剥離した岩が無数に散らばっている。それをまったく掃除してないため、その岩が雨に打たれてすぐ下の舗装面を茶色くしている。おそらく藪の繁茂も、そうした崩落で舗装面に土が積もったことが大きく影響を与えているに違いない。廃道は、そうした土や、舗装路に入った亀裂をベースに、奴らが急成長する。

そういうことに感心していてもしょうがない。別の見方をすれば、ここは落石の危険性が非常に高いところだということだ。ならば、ますます新道の開設は必須だろう。


今日は11時30分に自宅を出て、ぶらりと430kmほど走ってきた。いかにも夏らしい、地面からの照り返しの熱を久しぶりに味わい、標高を上げるにつれ涼味が増していく気分を味わい、草いきれを味わった。いろいろと懐かしい思いがした。11時30分出だったからちょっと迷ったけれど、行ってよかった。


『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)

『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)

鉄道の本

20100709.jpgジャンルに分けるとしたら、紀行文とか旅行記になる。私は、実はこのジャンルのものは読まない。他人の旅行記など読んで、おもしろいと思った験しがないからだ。もちろん宮脇俊三氏などは別格である。特にまだ氏が50代の頃の作品はすばらしい。

仕事柄、特に海外の旅行記を出版したい、というお話をよくいただく。基本的にそういうものは売れない、という厳然たる事実があるのだが、私はその人に尋ねる。「ほかの人が書いた旅行記を読んだことがありますか?」 間違いなく「ありません」という答えが返ってくる。つまりは、そういうことだ。

そんな意識を持っている私の手元に、一冊の本が送られてきた。いまから約1年前のことである。驚いた、以前の取材で意気投合した西村健太郎氏ではないか。当時の職場を離れ、本を執筆されていたとは。それが、右側の緑の表紙の『週末鉄道紀行』だった。

もともと、氏のサイトを拝見していて、こうした紀行文が掲載されているのは知っていた。そして、これはそのまま本に掲載できるのではないか、との思いも持っていた。もっとも、私はそんな媒体も持っていないし、鉄道の紀行文についてはクオリティの高さと「売れる/売れない」は関係ないとも思っている。だって、自分が乗りに行ったり、自分が興味がある路線のことを調べるほうが楽しいもの。

で、読んでみて、引き込まれた。先に書いたように、普段、紀行文は目にしても、まったく引き込まれないのだが、この本は違った。宮脇氏と同じ視点があった。自分を客観的に、かなり引いて見ている。生活感の出し方も近いと思う。ものすごく自分を抑えていて、でも本当はものすごく惚れ込んでいるのがよくわかる。そして、それが「あ、真似だ」などと感じることなく、スッと読める。秀逸なのは、30年前の時刻表を「読む」シーン。誰もが同じ経験を持っているはずだ。

これも先に書いたように、紀行文は売れない。それが、この本はすぐに重版がかかり、3刷もかかった。こういう言い方はなんだが、西村氏は過去に著作があったわけではなく、鉄道ファンに著名な人というわけではない。それでも3刷ということは、本書が鉄道紀行文のなかでは突出した仕上がりであり、それが一見さんにも伝わったということだ。


ある時、「日本の道」の松波さんとお話をしていたときに、アルファポリスの話になった。社長と同級生だという。驚いた、この『週末鉄道紀行』の会社ではないか。縁とは不思議なものだ。


そして、先月、書店に行って驚いた。青い表紙の『週末夜汽車紀行』が平積みになっていたのだ。もちろん『週末鉄道紀行』も隣に平積みになっていた。それが、左の本である。まだ2割くらいしか読んでいないが、前回より1年たち、少しだけ中年に近づいた(失礼)著者の姿を感じている。楽しみに、ゆっくりと読んでいこうと思う。


『鉄道乗りつぶしナイト!!!』開催します!

『鉄道乗りつぶしナイト!!!』開催します!

独言・日記

noritubusi2.jpgお台場の東京カルチャーカルチャーにて、7月17日夜、『鉄道のりつぶしナイト!!!』が開催されます。タイトルは「開催します」って書いたけど、されます。

これは、私は企画・編集し、大好評を博した『鉄道の旅手帖』のリニューアル版、『カラー版 鉄道の旅手帖』の刊行と、新潮社の大ベストセラー『日本鉄道旅行地図帳』の新シリーズ『日本鉄道旅行歴史地図帳』の刊行を記念して開催されるもので、編集担当である新潮社・田中氏、『カラー版鉄道の旅手帖』の西日本編の大部分の執筆を依頼した栗原景氏と「乗りつぶし」についていろいろ話題を提供します。

詳細はこちら


もともと、完乗(JRのみ、民鉄も全部、含む。いやそもそも「完乗」の定義って人によって違うよね、そういう話から始まります)した話はたくさんおうかがいしていて、さらに今回、何人かの方にお話をうかがったら変な話が出るわ出るわ。みんなほんとにすごい。

「乗りつぶし」という単語から、義務感を感じ取る方もおられると思うし、そういう反応も確かにある。でも、イベントタイトルがそうなだけで、「乗る楽しさ」とか、「全線と比較すること」で見えてくる楽しさもきっとある。そういう話題を提供していきたいと、私は思っています。



7月の3連休の初日の夜、ということで、自由気ままな鉄道趣味人たちは全国に散っているのかもしれないが、絶対に楽しい、かつ「へぇ~」となる夜になるので、ぜひお越しいただきたい。いわゆる「テツ」じゃなくても、「乗り鉄」じゃなくても楽しめるよう、いろいろ仕掛けるつもりです。

ちなみにタイトル画像は樽見鉄道のどこかだったと記憶。


泉大橋(国道24号/京都府/木津川)

泉大橋(国道24号/京都府/木津川)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



IMG_3865_R.JPG

関西本線木津駅のすぐ北、木津川を国道24号が渡る泉大橋は、カンチレバートラスである。1950年(昭和25年)製の桁がかかるが、なぜか歴史的鋼橋集覧にはない。

カンチレバートラスらしいリズミカルな9連の橋だが、右岸(北側)上流側(東側)から撮影している写真では、奥の画面左の南側2連が樹木に隠れて見えない。

この泉大橋はかっこいい。力強く見える。その理由は、夥しいリベットと、カンチレバーらしい吊り掛け部の構造にあるだろう。こうだ。
IMG_3878_R.JPG実にメカメカしい色というか、カンチレバートラスはこうしたアルミ色じゃなきゃだめだと思わせる色。それを引き立てる部材。レーシングの存在感とリベットの存在感。これらが組み合わさって無類の力強さを発揮する。この橋に1時間以上もいてしまった。

カンチレバーたる所以の吊り桁は、下記の黄色く記した部分である。なにもしていない部分は固定桁である。赤くした部分は、固定桁から吊り桁を摑んでいる部材であり、固定桁側に固定されている(後述)。
IMG_3865_R1.jpg両端部を含めた、第1、3、5、7、9連の部分。

まずは吊り掛け部を見る。
IMG_3869.JPGよく見て欲しい。吊り掛け部に、ちゃんとピン支承がある。河川敷から見上げるとこうだ。
IMG_3841_R.JPGついでに床版の裏側も見て欲しい。当たり前だが、ちゃんとここで分離している。そして、落橋防止の部材が取り付けられている。この工事の入札公告はこれだ


この泉大橋は、下流側(西側)に歩道橋が付加されているので、実は間近で見ることができる。こんな感じに。

IMG_3849_R.JPGどうだろう、この重量感。左側が吊り桁、右側が固定桁である。

歩道橋からはこのようにも見える。
IMG_3853_R.JPG






歩道橋にいても、大型車が走ると、ものすごく揺れる。わさわさと。そして、どこからかカラカラという金属音がする。どこからかというと、上部の吊り掛け部分からだった。

IMG_3846_R.JPGIMG_3846-1.jpgIMG_3856_R.JPG1枚目と2枚目は道路側から、3枚目の写真は外側から。冒頭から3枚目の写真の赤い部分のように、固定桁から吊り桁に向かって腕が延びている。吊り桁側は、このようにピン4本でその腕と接続されている。ピンなので、道路側には抜けてしまわないようにコッタを通しているだけ。固定していないので、桁が揺れるときにはピンが振動で回転し、あわせてコッタがカラカラと音を立てる。この様子では、摩耗も相当早く進むのではないかと思うが、金属の部材のしなやかさを考えると、吊り桁下部はピン支承で固定して、上部はズレないように押さえているだけ、に見えなくもない。




ちなみに、固定桁がどのように橋脚に載っかっているかというと、こうだ。固定桁の上流側(東側)のピン支承は橋脚に固定され、下流側(西側)の支承はピン支承の下にローラー支承があように見える(まさか平板ではあるまい)。
IMG_3868.JPG


橋台側はこう。
IMG_3861_R.JPG


右岸(北側)の橋門はこうだ。
IMG_3823_R.JPG
ここは大幹線・国道24号だけあって、なかなかクルマが途切れない。けっこう待った。なにしろ、1日2万4000台が通行する渋滞ポイントで、上流側にバイパスを作り、橋を架ける計画がある。(参考:京都府公共事業事前評価調書

橋門左側に銘板がある。
IMG_3817_R.JPG
昭和25年(1950)
建設省建造
内示(昭和25年)一等橋
製作 日本橋梁株式会社
××××株式会社

その下には塗装標記。
IMG_3819_R.JPG

親柱は、なぜか寝ている。

「木津川」

IMG_3814_R.JPG

IMG_3827_R.JPG泉大橋」


橋台に接する吊り桁の端梁にあった塗装標記。
IMG_3862_R.JPG


この泉大橋について、土 木学会関西支部に解説がある。それを見ると、この泉大橋は全長383.6メートル、開設は昭和26年だ。

先に親柱が寝ていると書いたが、このサイトに興味深い記述がある。
泉橋は大正6年の洪水で流されたのち新形式の橋に架け換えられた。当時の写真から判断すると、上部工には木鉄混用のポニー型のボーストリングトラスが用いられていたようである。

木鉄混用? ポニーボーストリングトラス? どこかに古写真とか転がってない? 木鉄混用、というのがとても気にかかる。そして、親柱だ。
IMG_3813.jpg画面右下端を見て欲しい。なにか、門柱のように見えないだろうか。右端で画面から書けているのが、親柱が寝ている台座である。

グーグルのストリートビューを見てみよう。

大きな地図で見る

この門柱の正体はなんなのだろう? どなたか引き継いで調べてくださらぬか。


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『近代日本の橋梁デザイン思想』(中井祐/東京大学出版会)

橋梁一般

いままでこの本の存在は知っていたが、眺めたことはなかった。近所の図書館に、区内で唯一在庫しているのだが、手に取ったこともなかったようだ。たぶんそれは書名だけで判断していたのだろう。

税込み9030円、約650ページという大著。この本を手にしたのは、アメリカン・ブリッジに在籍していたことがある増田淳を検索したら、この本が引っかかったのだ。それで手にしてみて驚いた。サブタイトルにある「三人のエンジニアの生涯と仕事」の三人とは、樺島正義、太田圓三、田中豊なのだ。この三人の名前は、目次まで出てこない。なんという検索性の悪さ! この三人の名前は書名に入れるべき。いま、本のタイトルが長くなっているうえにサブタイトルもやたら固有名詞が入っているが、それは検索でヒットさせるため。amazonなどは、書名・サブタイトルの他にキーワードを登録することができるのだが、そうでない場合、たとえば書店店頭の在庫検索でもヒットさせたい。そういうときに、長ったらしいサブタイトルが威力を発揮する。

この本は、本当に素晴らしい。何が素晴らしいかって、その姿勢だ。著名な論文、そうでない論文、私家版の日記などあらゆるものを参考資料とし、ひとつの観点でひとつのことを語っているそれぞれの文献を俯瞰し、不足している点を挙げ、考察する。

本書が、ひとつの章の中のひとつの節の中で定義・俯瞰する簡単な歴史だけで、そこらの通史並の量がある。そして、その通史の中身個々に、各節で迫 る。膨大な量である。



著者は、人物を採り上げて橋梁史を述べる理由をこう書く。
ある一人の技術者に着目してその思想の萌芽、試行錯誤、成熟の過程を追跡する試みは、橋梁分野では皆無である。言うまでもなく、技術の歴史とは単に個々の工学上・技術上の歴史的事実の積み重ねではない。技術史上の各事実の背景には、必ず主要な役割を担った技術者が存在し、したがってその技術者の思想や創造性が介在する。つまり、技術者という人間の存在は、本来技術史の根幹を成すものであり、技術の歴史とは即ち技術者の歴史であると言ってもよい。例えば、太田圓三と田中豊という技術者の介在がなければ、現在の永代橋や清洲橋は実現しえなかったはずであり、もし樺島正義が設計者であったならば、まったく異なった橋が実現したであろう。逆に考えれば、なぜ永代橋や清洲橋が実現したのかを知るためには、まず太田・田中という技術者を、彼らの創造の根拠を知らなければならない。
人々が、プロジェクトX的な話に惹かれる理由もこれだろう。視聴者は自らここまで明確に定義した言葉を持たなくとも、「その人がいたから、それができた」的な話であることはうすうす気がついているだろう。

なぜ、道路橋は意匠を凝らし、鉄道橋は標準設計になったのか。
なぜ、鉄道橋は、イギリス式からアメリカ式になったのか。
なぜ、鉄道橋では採用されなかった時代がかった古い形式の橋が、道路橋では使われたのか。

これらが明快に説明されてゆく。

ひとつだけ、いま気づいている欠点を挙げるとすれば、「クーパーE33荷重」などという言葉が、何の注釈もなく出てくることだ。何か意見や判断を書くときには事細かに注釈が入るのだが、これには入らない。読者を専門家に限っているのかもしれない。すくなくとも、小野田氏『鉄道構造物探見』、そして一連の『土木史研究』が頭に入っていないと、おそろしくつっかえると思う。

本質ではない点でふたつ。これだけの大著なのに、スピンがないのはどうだろう。3本くらいあってもいい。また、樺島や増田が在籍したアメリカン・ブリッジを「アムブリッジ橋梁会社」と書くのは勘弁してほしい。たしかに、アメリカン・ブリッジをアムブリッジとも呼称するし、その所在地も企業城下町らしく「ペンシルベニア州アムブリッジ」であるが、企業名としては、1870年の創業以来「アメリカン・ブリッジ」であり、略称は「am」ではなく「AB(C)」である。そもそも「~ブリッジ橋梁~」って重複してるじゃないか!



あああ、引きこもってこの本と首っ引きで、PCにメモったり検索したりしながら1週間くらいすごしたい。

『鉄道の世界史』(悠書館)におけるアメリカの鉄道史

『鉄道の世界史』(悠書館)におけるアメリカの鉄道史

鉄道の歴史・人物史

20100626.gif『鉄道の世界史』(小池滋/青木栄一/和久田康雄編、悠書館)について。書影は悠書館サイトより引用。本書と同体裁というか悠書館曰く「三部作」のひとつは、先に紹介した『日本の鉄道をつくった人たち』だ。

本書は752ページという大著。世界の鉄道をあまねく紹介するが、それゆえにあくまで概要にとどまる『世界の鉄道』(ぎょうせい)ではとても把握しきれない、各国の、もっと深い「鉄道がその国の歴史に果たした役割」を22地域・国に分けて開設する本。とはいえ、まだアメリカ合衆国、しか見ていない。執筆は西藤真一氏。

30ページしか割り当てられていないため、歴史としては180年、そして世界一の路線延長を誇るアメリカの鉄道がアメリカ国内史/世界史に与えた影響を網羅するのは土台無理な話だ。しかし、しかし。記述の大部分が、現在につながる部分に割かれていること、とりわけ旅客輸送にも記述を費やしていることに、個人的には残念な思いがした。州際通商委員会の設立から話が起こされている点は大変評価できるが、なぜそうなってしまったのかの記述がもっとほしい。

すべての根っ子はこれなのだ。

アメリカの鉄道は、すべて民間により、やりたい放題に建設された。

ここからさまざまな物語が派生するのだ。私が「これも盛り込んで欲しかった」という点を羅列する。絶対に外せない観点は経済、とりわけ株式市場との関わりである。

・1830年頃に、イギリスがアメリカを見ていた目。アメリカというのは、ヨーロッパ人にとっては海のものとも山のものともつかない存在だった。そんな国が、イギリスはじめヨーロッパで資金調達をし、やがて世界の金融の中心がシティ(ロンドン)からニューヨークに移った。

・19世紀中盤、アメリカは自国の東海岸と西海岸を結ぶ陸上ルートを持たず、移動するには船で現在のパナマ付近まで行き、地峡を陸路で越え、また船に乗っていた。

・ホームステッド法により西部開拓につながった。資金調達にしろ沿線住民獲得にしろ、詐欺みたいなことも多々あった。

・1800年代後半、株式の主要銘柄の大半は鉄道株だった。しかも1900年代前半までに何度も倒産・再建を繰り返している。

#奇しくもソフトバンク孫正義氏の「新30年ビジョン」で、こんな映像が流れた。画像転載元:kokumai.jp
20100626-1.jpg全世界の株式の時価総額ベスト10(といいつつ9位までしか表示されていない)すべてがアメリカの鉄道に関係している。上位4社がアメリカの鉄道会社。

1位のNWは正確にはシカゴ・アンド・ノースウェスタン鉄道で、1995年に表では3位のUPと合併。
2位のPRRはアメリカの鉄道の牽引車を自認していた鉄道で、のちNYCと合併してペン・セントラル、のち解体されてコンレールに、コンレールも解体されてノーフォーク・サザン鉄道とCSXトランスポーテーションに。
3位のUPはいまもある、アメリカにおける最大の鉄道会社。
4位のサザン・パシフィック鉄道は、1996年までにUPに買収されている。
5位のUSスチールは、8位のモルガンが「これからは鉄の時代だ」として鉄鋼会社28社を統合して作った会社。鉄の供給先は、鉄道と船舶、軍事である。
6位の
スタンダードオイルと7位のテネシー石炭は、ともに自社製品を運ぶために鉄道を持っていた。
8位のモルガンは上述のとおり鉄道の資金調達、統合と経営で財産をなした人物。いやちょっとマテ、この時期のJ.P.モルガン&Co.は従業員30人くらいの会員制金貸し業みたいなもんで、株式公開などしていなかったと思うが…どうなんだろう? 資産総額も、JPM没時にカーネギーが「これしか遺産がないのか!」みたいなことを言ったくらい、その手の人種の中では清貧(とはいえ信じられないくらい莫大)だったらしいので、それと取り違えたということもないだろうし…。
9位のシティ・バンクも似たようなもの。1900年の前後50年間くらいの間、銀行(の証券部門)と鉄道は絶対に切れない仲だった。



・日本で現代話題となる、株主を大切にする姿勢は1800年代後半のアメリカではすでに常識。配当するために設備投資をせず、事故が多発するというありさま。

・鉄道の敵対的買収はよくあった。それがもとで恐慌を何度も招いた。

・鉄道株で億万長者になった人物が多数いた。そのうちの一部は「ラバー・バロン」即ち「泥棒貴族」と呼ばれた。鉄道で金持ちになった人として有名なのは、エドワード・ヘンリー・ハリマン、ジョン・ピアポント・モルガン、バンスワリジャン(スヴェリンゲン)兄弟、その他たくさん。

・地域の交通を独占し、交通弱者からカネを取り、大口顧客には割引をした。それがやがて州際通商法による規制に結びついた。

・民間同士の競争は放置されていたので、いやがらせ目的で既存の鉄道の近くに並行して建設する鉄道もあった。建設したら、相手に買い取らせるのである。

・土木や製鉄など、産業の発展を招いた。

・南北戦争での使われ方。



もっともっとあるが、前述したように30ページでこれらを語れる訳もない。仕方がないのだが、関心を持ったら調べるきっかけとなるフックはちりばめておいてほしかった。






千葉都市モノレールの連続鋼桁

千葉都市モノレールの連続鋼桁

橋梁一般

どう分類すればいいのかわからない、モノレールの桁について書く。

6月19日(土)に千葉の三省堂カルチャーステーション千葉において『廃道の魅力を語る』に行った際行きがけの駄賃に千葉都市モノレールに乗ってきた。前週に開催された高架橋脚ファンクラブの千葉都市モノレールに乗るというイベントが非常におもしろそうだった(私は行けなかった)ので、気になっていた。モノレッT買ったし。で、1日フリーきっぷを買って、普通に動物公園前で目を見張ったりしてきた。

あまりに天気がいいので、千城台から歩いたとき、ふと、この鋼桁兼軌道(以下鋼桁)は連続なのかそうでないのか、とかが気になった。曲線もあるし、金属製であるのだからどこかで寒暖による伸縮を吸収しなければならないので、どうなっているのかと思ったのだ。結果から言えば、3径間連続を原則としているように見えた。桁の分割部はこう。
IMG_1776_R.JPGIMG_1780_R.JPG桁は両脇から抱きかかえられるようにして保持され、重力方向に支承がある。写真ではゴムであることしかわからない。その下にローラーがあるのかもしれない。

モノレールは、走行中でも「線路の継ぎ目」に相当する振動はない。桁と桁の間に隙間ができる場合は、両側の桁から三角形の板を突き合わせており、ここを車輪が通過する。
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そして、連続桁部分の中間支承はこうだ。
IMG_1789_R.JPGIMG_1785_R.JPG支承がひとつしか載らないので、その部分の鋼桁方向の長さが短い。それ以外に顕著な差異はなさそうだ。

駅のホームでは、この支承を間近で見ることができる。

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また、鋼桁は一枚板ではなく、複数の鋼板をつないである。橋脚間に、1:2:1の割合で、「:」の部分に添接板(鋼板をつなぐ板)が見えるので、支間の半分の長さのものを、添接板部分が橋脚部分にあたらないように配置している。
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その添接板部分も間近に。
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ボルトの多さに目がくらむ。拡大していくと、ずいぶん前に流行った蓮画像にも見えてくる。このボルト類も、大型の油圧トルクレンチで締めていくんだろうな。

これらの写真を見ると、鋼桁の上に手すりがあるのにお気づきだろうか。点検の人が歩くのか。でも、複線のうち片方にしかない。


IMG_1737_R.JPGこの写真を見て気づいたのだが、鋼桁には通常サイズのほかに、逆魚腹型のものがある。支間に添接板が三つあるので、スパンが長いのだろうか。魚腹型の意味(剛性を高める)を考えればそうなる。曲線部分用なのかもしれないが、通常の桁をひん曲げただけのような曲線部分用桁もあるのであまり証拠にはならない。

鋼桁および橋脚には、うるさいくらい銘板と塗装標記がついている。
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なお、橋脚の通し番号は、駅間ごとに振り直されている。


千葉都市モノレール
中央港・長洲線
1996年9月
千葉県
仕様鋼材 SM400A
製作 株式会社宮地鉄工所

活荷重なんか書いてくれてたら、ひとつ目から鱗が落ちるのに。


あとはさらっと。
IMG_1714_R.JPGIMG_1717_R.JPG



車止め。

IMG_1764_R.JPGIMG_1740_R.JPG分岐器。


というあたりで。

鋼桁については、その頃の専門誌見ればきっと書いてあるな。ちょっと深入りしてみたい。自分への課題としよう。


あ、最後に私的な視点での見所を改めて。

栄橋横断橋…アーチ橋が桁を保持する。


・JRを横断する部分。



・プレートガーダー橋に分類していいのか、京葉道路横断部分。


これらはグーグルのストリートビューで見ても楽しいです。


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