地形図を辿ると、そもそもの取水口は身延線塩之沢駅近くにあり(標高170m程度)、そこから十島駅近くの日本軽金属富士川第一発電所(標高100m程度)、そして出口は蒲原の日本軽金属富士川第二発電所へとつながっている。 写真右の車道は「橋場桟道橋」といい、車道拡幅の際に桟橋状に架けられた部分のようだ。「橋場」という名称が、いかにも釜口橋のとりつきらしい。 歴史的鋼橋集覧に載っているとは思わなかった。詳細はこちら。 http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T9-106.htm PR
富原橋(静岡県)の続き。
この橋脚は、現在のカンチレバートラスがかかる前の旧橋のものだ。この上にコンクリート製の主塔が建っていた。富士市のサイト「富士市写真館」にその開通式の写真がある。 橋梁史年表によれば、1930年11月30日開通、木造補剛トラス、主塔はRC。橋長は不明だが、現在の富原橋と同等と思われ、現存する橋脚から考えるとスパンは現橋同様に70m前後ではなかろうか。ケーブルの数もすごい。 このころの周辺は、富士川の豊富な水量と木材資源をめぐって製紙会社の抗争がきなくさいようだ。 橋長200mで、碇着桁のスパン各42.7、吊り桁のスパン70.8m。その両側に16.2mのプレートガーダーがつく。 富士市のサイトに、開業時の写真がある。 ![]() 歴史的鋼橋集覧はこちら。 http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T11-025.htm 直上の写真にも見えているが、この上流に廃橋脚がある。それは次回に。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 左岸側(東側)。写真のように、下流側に歩道が後付されている。親柱には、「釜口橋」(左)、「昭和二十六年三月竣功」(右)とある。左の親柱の向こうには銘板がある。 ![]() 昭和26年(1951) 静岡県建造 内示(昭和14年)二等橋 製作 東日本重工業株式会社 横浜造船所 東日本重工業とは、三分割された三菱だ。 ![]() ![]() 長さは60m(約200フィート)。近くには教育委員会の碑もあり、「富士川で初めてかけられた橋がここにあった」と誇らしげに書いてある。 ![]() 真正面、ガン研通りに回ると「全管連会館」の文字。「全管連」とは「全国管工事業協同組合連合会」という。この円筒部分はもちろん「管」をイメージしたものだろう。なんというイメージ先行。屋上、垂直方向に切り取られている姿は「管」というよりもむしろ「竹」だ。 この円筒形部分はおそらく階段室。面白いのはその窓で、テトリスのブロックを連想するがあちらは四つの正方形の組み合わせ、こちらは三つないし一つである。写真で見るとやたらに縦に長く見えるだろう。この写真、デパースはしているが、1階のドアの縦横比などはほぼ実物通りだ。 本体ビルはいたって普通…に見えるのが惜しい。 |
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