北海道で見かけた銀色のボディ。まるでつや消しのアルミのようだ。丁寧に使われているのか、錆どころか汚れもない。ワム70000または60000か、またはワラ1か、私には見分けるポイントが分からないが、そのどれかだろう。
<同日追記> So What?さんから「下のドアレール下辺が裾に揃っているのでワラ1」とのご教示をいただきました。ありがとうございます。 牧場の横に「ダルマ」の状態で置かれている。 周辺も丁寧に整えられている。オーナーの優しさがわかるようだ。 たしか、合計5両の銀色がいた。 PR
ある道路沿いで見かけたワラ1。道路の横は水路になっていて、隣接するプレハブや車庫は鉄板の橋がかけられている。このワラ1、ドアは開けて固定してあって、改めてシャッターが取り付けられているが、そこへの橋は、見たところ、ない。
それにしても、しっかりした土台に据え付けられている。逆三角形をしている端梁に形状を合わせてブロックとコンクリートで作られた土台。その上にワラ。その上に屋根。向こう側は車体に密着させて別の建屋。ここまでくると、ワラ1は天地前後左右6面のうち3面しか生きておらず、最初から建材で建てた方がいいのでは…などと思えてくる。 内部はどうなっているのだろうか。ブロック部分が1階、ワラ1部分が2階に相当するようになっていて、向こう側の建屋から入るとそうなっているのだろうか。極めて興味深い倉庫である。 ワラ14317。
ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道) 国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路 の続き。 上記のものを見る前に、D-505を見てはいるのだが、近くにあるはずの「半分埋もれた」D-507が見あたらなかった。そのまま上記の廃線跡を見て帰る途中、目を疑った。 よく見ると、台枠だ。男性が一人でガスバーナーで溶断している。作業の合間に挨拶し、写真を撮る許可を得る。 すでに解体作業を開始してから何日が過ぎており、トラックで2回、解体済みの部品を搬出したとのこと。その場に残っていたボディはこれくらいだった。ドアなどは見る影もなく、まるで捨てられた新聞紙のような薄っぺらい存在感で地面でひしゃげていた。キャブのナンバープレートと銘板は外されていた。別途保管されていることを祈りたい。 天地もこのとおりにブレーキ弁が横倒しになっていた。この「30」まで数字が刻んであるメーターはなんだろう? スピードメーターだろうか? D-505の運転台と見比べると、コンソールの水平面にひとつだけあるメーターがこれだ。 台枠にはタコメーター。 連結器を切り落とすのは、さぞかし大変だったろうと思う。また、キャブのコンソールも、「重機でひっくり返したり、まるごともぎとったりしているうちに、このような乱暴な曲がり方になったのだろう。 埋まっていた場所はこのとおり。砂の下にレールが見えている。掘り下げたところには切断したパイプ類が無造作に埋もれていた。 作業している方は地元の鉄工所の社長で、77歳だという。台枠を切るのが大変だと言っていたが、それはそうだ。「十何ミリもあって、酸素ボンベがいくつあってもたりん!」と。ボンベは1本5000円くらいだが、すでに10本以上使ったそうだ。「こんなところにH型鋼が使われているんだな。固いよ。ふつう、俺たちだとトラスを組むんだけどな」。さすが鉄工所の社長。機関車だからこその台枠の硬さだが、この国見山鉱山のさまざまな施設を手がけたらしい。いろいろな裏話もうかがった。 上の写真は、台車のピンを切り落としたくて四苦八苦している図。ピンは梁とガッチリくっついている。上から見るとH型になった台枠をもっと小さくして、軽くして、トラックに載せられる大きさにしたいのだが、ピンがとれてくれない。結局、私が見ていた1時間以上を使っても無理だった。 このピン部分を溶断するため、台枠をひっくり返す必要が生じた。そこで「弟子」スジの方を呼び、ホイールローダ-でめくってひっくり返した。また、画面右の「303」と書いてある小さなバックホウで、ピンをかじったり、横に打撃したりしたが、やはりピンはびくともしなかった。 塊感を醸し出す液体変速機。周辺には推進軸やジョイントも切断されて転がっていた。 写真はたくさん撮ったので、こちらにまとめてある。 http://www.flickr.com/ * * * 長年埋もれていたD-507がなぜ解体されたかといえば、そのあった場所の近くにある施設を作るからである。その施設も、この方が手がけているという。その施設への通路にあたる部分に、このD-507が埋まっていたので、それを撤去する必要があったそうだ。 この77歳の方からはずいぶんお話を伺った。戦時中に機銃掃射を受けた話やら、鉄工所の話やら、ご家族の話やら。どうも、なかなかの遣り手のようだ。帰途、街中で偶然、この方の鉄工所を見たのだけれど(建屋にでかでかと名前が書いてある!)、なるほどなあと思った。結局、国見山鉱山だけで5時間もいてしまった。 (すべて許可を得て撮影・アップロード) (関連事項) ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道) 横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道) 国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路 国見山鉱山の光景
日立電鉄モハ11の近くにある、クモハ352。同じく農業倉庫として使われている。
この車両を丸田祥三氏が撮影した作品が、有栖川有栖氏の『赤い月、廃駅の上に』(メディアファクトリー)のカバーに使われている。その不思議な雰囲気が見たくて、場所をGoogleMapsの衛星画像で探し、現地を訪ねた。 なんともいえない、手書きの車両番号。 貫通路側。長さ17m強、人間を詰め込めば200人は余裕で入ってしまう大きさの鉄道車両も、広大な畑の中で使われると、農業倉庫としてもとても小さなものに感じられる。農業という仕事の「大きさ」をしみじみと感じる。 クモハ11のところにも書いたが、オーナーさんとお話ができたのはとても幸運だった。 |
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