新潟の街歩きに参加した際、新潟造船の沖にで奇妙な形の船を見かけた。twitterにアップしたら、たちまち情報をいただいた。
さすが。ありがたい。 船にも、鉄道に於ける機関車のように、押す役割をするもの、牽く役割をするものがある。これはALPの306 mt Bollard Pull Strikerというもののようだ。公式PDFを見ても、同型の4種の違いは後部に搭載された機器の違いであるだけのような気がする。また、この特徴的な前頭部の形状は、おそらくバランスと、台船を推進するためなのだろうが、識者のご教示をお待ちしたい。 ●同日追記
ご教示ありがとうございます。「成功前後での接触保護」というのは、その詳しい意味まではわかりませんでしたが、曳航索が船体に当たったときの対策ということなのかな…という程度のところでとどめておきます。twitterすごい。 * まったくの余談だが、対岸の新潟造船、ここは向こう側では夜に水銀灯が光り、また、港っぽさもある。小中学生の頃、この真向かいにゲーム機を置いた店があり、ときどき来ていた。近くには新潟交通入船営業所もある。 ●関連項目 大滝工務店「いわき」の起重機 中央公論新社から刊行された本書は、地形で読み解く東海道本線の建設史だ。近年、急速に詳細なデータが無料で使用できるように整備されてきた標高データや地形図を使い、31見開きもの「凸凹地図」を掲載している(以下、標高を立体的に表現している地図をこう書く)。本文含めてオールカラーで160ページ、定価1400円(+税)というのは、本の制作・製造コストを知っている者からすれば、驚異的な安さだ。2000円を超えてもおかしくないはずだ。 誌面は、著者のツイートをリンクしたい。
本書が優れている点はいくつもあるが、地図に関して言えば、地形図やネット地図には載っていない、でも本文と関係している地名などが網羅されていることだろう。本文を読みつつ凸凹地図を頻繁に参照するのだが、一つとして漏れているものがない。凸凹地図では表現しきれない広範囲の地図は、別に概念図が用意される。そして、地名には読みがなが振ってある。 こうしたことが丁寧になされている本は、実は珍しい。特に鉄道書では、総じて地図がひどい。廃線跡探訪の記事でさえ、なんの説明もなく地図にない地名が出てくるし、地図内にあるべき地名すらなかったりする。本書の地図原稿の作成は多大な手間がかかっていることは、同じようなことを好んで、あるいは仕事として行う私には十分に実感を伴ってわかるが、しかし、著者は、その作業をとても楽しくこなしたに違いないことも実感する。 また、本書は「紙」に「地図」が印刷されていることが、大きな特長であり、優れた点だ。いま、地図はPCのブラウザで見るのが当たり前になっている。そういうインターフェースでは、ついどんどんスクロールしたりズームアップ・ダウンさせててしまう。地域を概観したり、周辺の情報を読み取ることにつながりにくい。紙の地図はスケールが固定され、余計な情報も多いゆえに、自分の目が近づくこと、離れることにより、さまざまなものが見えてくる。こういう本を作るとき、コスト等から「地図だけ分離してPCやスマホで閲覧できるようにしてはどうか」と考えてしまうが、いや、それではだめだ。紙に印刷されて中にあるべきだ。そして、本書は絶妙なスケールで、それがなされている。(「新聞には余計な記事が多いからこそ読む価値がある」という、一見本末転倒のような論があるが、私は的外れではないと思う) 個人的には、東海道本線沿線はあまりなじみがないエリアではあるが、それでも、改めて本書で建設史と地域史を読むと、そこに行きたくなってくる。とりわけ、つい通過してしまう浜松から大垣あたりに。 恥ずかしげもなく申し上げれば、私はこういう本を作りたかった。しかし、いい切り口が思い浮かばなかった。10年以上前に『カシミール3Dで見る・自分で描く 空から眺める鉄道ルート』(杉本智彦・松本典久著)を作り、その後、竹内さんによる、パートワークへの連載をまとめた本は出ていたが、「東海道本線」か。なるほど。それがあったか、と思った。本書を世に送り出した中央公論新社に敬意を表しつつ、続編を大いに期待したい。次は、東北本線か、信越本線か。自分で勝手に続編を書きたいくらいの気持ちだ。(こうした地図をとある場所にアップする計画があるが、それは本書刊行前から進んでいるものなので、パクリじゃないよ、といまここで念のために添えておきたい) * * *
本書で「古い地図が見てみたい」と思う人もいるだろう。幸い、一部の地域は「今昔マップ」に収録されている。ぜひ見比べてみて欲しい。 http://ktgis.net/kjmapw/index.html カシミール3Dの「タイルマップ機能」を使えば、この今昔マップによる古い地形図を凸凹地図にして楽しむこともできる。 私のブログ内でも、地形と鉄道などへの考察がいくつもあるので、ぜひご覧いただきたい。 地図・航空写真・分水嶺 ( 85 )
ここは砂丘の上。右は自転車道路、左が公道。右の自転車道路を横切って、砂丘を駆け下る坂道があり、かつては砂浜にクルマが降りる道だった。その坂道は大きな砂利を骨材としていて、下の方はかなり崩壊していた。それでもたまにジムニーなどが上り下りしていた記憶がある。いまは砂浜に道路が通ってしまったので、その坂道は用をなさなくなった。
そのための車止めだが、自転車道路になんらかの理由でクルマが入るときにでも外されるのだろうか。だいぶきれいな赤白の門型のほか、設置年代が異なると思われる黄色い鉄柱が4本、向こうにガードレール色(白)が2本。 そのすぐ近くにある擬木の車止め。なぜクイッと曲がっているのか。潜望鏡か。奥に続く遊歩道の両脇が擬木で固められているが、これは西海岸公園「木の公園」と同時に整備されたものだ。この車止めはそのころからあったかどうか定かでないが、同じシリーズに見えるので、きっとそのころからあったのだろう。 右は漁師の小屋。かつて金網がなかったころは、ぼろぼろに錆びた2ストジムニーが、この金網のところに停まっていた。 新潟市の旧・栄小学校(新・日和山小学校)、旧・舟栄中学校(新・柳都中学校)の裏手、西海岸公園(という名称は何kmにもわたる広大なものなので、ここでは「日和山浜」とする)にある公園遊具。木をモチーフにした「基地」のようなものであり、1970年代後半に設置されたものと記憶している。40年近くもここにあり、今も子供たちが遊んでいる。いまだにしっかりしていて、公園遊具として立派に勤めを果たしている。 中央の2段構えの天守閣のようなものを中核として、橋のような枝が2本、うち1本は離れ小島につながっている。そして太い管状のものが1本。子どもが何十人も遊べる。なにしろ、小学校の卒業アルバムの集合写真は、ここで撮ったのだ。 隣接する入舟小学校の子どもには、天守閣その屋上に上がれることがステータスだったようだ。私が小学生の頃は、ここは「上がれないもの」という認識で、誰も上がっていなかった。 じっくりとご覧いただきたい。 ワクワクしませんか? この遊具を「木の公園」と言っていた。もしかしたら、他の小学校や時代によっては別の言い方があるかもしれない。木をモチーフにしているこれを「擬木」といっていいのか迷う大きさだが、そういう観点で見てみる。 管状の部分の内側、地面には木目がある。側面から天井はツルツルだ。 そこからの脱出口になる大きな孔の周囲には年輪。 天守閣の下段の内側にも木目。床はツルツルに見えるが、もしかしたら摩滅した? 離れ小島に行く橋の断面にも年輪。 全体的によく整備されているが、よく見たら、こんなふうに加工がわかる部分があった。年輪は、そういうパーツを載せているように見える。他の場所で見ると、「幹」や「枝」の内側は中空のものもある。 * * *
話は飛ぶが、『ショッピングモールから考える』(東浩紀・大山顕)に、大阪にある、これと同じ擬木遊具の写真が載っている(P213)。愕いた。これは既製品だったのか。ということは、全国に、おそらくいくつかはこれがあるはずだ。すべてのここを探訪したい。 |
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