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豊浜郵便局

豊浜郵便局

郵便局舎

20120821_011.JPG豊浜トンネル(檜山)の南側に、この郵便局はある。

20120821_012.JPG真正面からは、郵便マークのサインもゆうちょのサインも見えないというのはお約束。

冷涼と思しき積丹の地でもクーラーは導入されているようで、つい、国鉄において、国鉄職員が乗る荷物車は被冷房なのに、郵政職員が乗る郵便車が冷房だったということを思い出す。もっとも、それは車内で区分をするために窓を開けられない(風で郵便物が飛散してしまう)ためでもあるのだが。

20120821_013.JPGすてきな郵政書体で「豊浜郵便局」。この書体がない局舎は撮っていない。
 
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種前トンネル旧道 国道229号

種前トンネル旧道 国道229号

隧道・廃隧道

20120827_000.JPG寿都の市街から北に向かうと、歌棄(うたすつ)、種前という集落がある。両者を結ぶ国道229号に、こんな場所がある。

手元の2万5000図では、まだ旧道しかないのだが、更新が遅いのだろう。新道が開通したのは1987年だ。旧道となった種前トンネルは、完全に閉鎖することの多い国道229号沿いの多の隧道とは異なり、まだ口を開けている。

20120827_001.JPG大型車の車庫として。すぐ手前は漁具置き場、その手前(撮影地点の左後ろ)では、鉄骨造りの建物を建設中だった。

まだ7時すぎだた、建設工事中なので、ここで引き返し、向こう側から見ることにした。

20120827_002.JPG旧道よりも新道のほうが盛られている。

20120827_003.JPG旧道の手前には、大きな街灯が転倒していた。

20120827_004.JPG旧道。閉鎖されていないのも例外なら、扁額や坑門意匠もそのままというのも例外。扁額には「種前隧道」とある。意匠は、要石までしつらえてある。

ヴォールト内部、坑口側のみ鉄骨で補強されている。これは、地山が坑門を押す力が働くことによるヴォールト入口部分のひび割れを補修したものだろう。



2tローリーもはみだすENEOS

2tローリーもはみだすENEOS

ENEOS/日本石油

20120826_005.JPG積丹半島を時計回りに回るとき、北西に反り始めるあたりに盃という集落がある。温泉もある。そこに、小さな青空給油所があった。2トンのローリーさえはみ出す大きさだ。

20120826_004.JPG背後は、海である。レギュラーの計量器が、ひとつ。右端のカバーのあるものは、灯油だろうか。その後ろには小さな小さなピット…なのか、それとも保管庫か。その計量器の上にだけ屋根がかかっているのも面白い。

通りがかったのはまだ9時前。店員さんは見あたらなかったが、周辺の商店が兼ねているのかもしれない。

回廊の柱のような廃シェッド 国道229号 兜岩トンネル旧道

回廊の柱のような廃シェッド 国道229号 兜岩トンネル旧道

隧道・廃隧道

20120826_001.JPG国道229号を北上する。島牧に入るあたり、茂津多トンネル、狩場トンネル、兜岩トンネル、白糸トンネルと千数百メートルの長大隧道をいくつも抜ける。いずれも、新道として近年開鑿された隧道で、海岸沿いには旧道が眠っている。あまりに連続しているので、写真に撮ることすらしていないが、ちゃんと旧道の隧道は坑門が塞がれている。

そのうち、狩場トンネルと兜岩トンネルの間の明かり区間で北に見えるのが、このシェッドである。

20120826_002.JPGシェッドの表面には装飾がしてある。シェッドの銘板は剥がされている。

シェッドの奥には隧道の坑口が見えるが、塞がれている。また、手前のシェッドそのものも、立ち入り禁止の柵がある。海を回れば入れないことはないが、そうする義務もないので立ち入ってはいない。

20120826_003.JPG廃道探索者に限らず、釣り人も入っていくんだろうなあ。

20120826_000.JPG振り返ると、現道との接続部分の向こうに狩場トンネルの北側坑口が見えている。


貨車を取り込んだ倉庫

貨車を取り込んだ倉庫

鉄道車両廃車体

20120824_000.JPG樹木の成長に伴って、仏像の頭を取り込んだり、自転車を取り込んだりすることがある。この倉庫は、そういうことを連想させる。

車号は消えているが、ワラ1か、同じスタイルで一回り小さいワム60000だろう。

20120824_004.JPG倉庫用として貨車の販売を大々的に始めたのが1984年2月以降。ということは、貨車の屋根のカーブに合わせて壁が作られているこの建物も、それ以後の築ということになるが、どうもそう見えない。もっと古そうに見える。

ここは道路を隔ててすぐ海、木造建築が早々に古びてしまったとも考えられなくもないが、それにしても…。

20120824_003.JPG塩害もあろう。徐々に錆が進行している。

20120824_001.JPGこれは、向かって右の「取り込まれた」ほう。

20120824_002.JPG右のものは、ちゃんと銘板も残っている。昭和38年製造ということは、仮に払い下げを昭和59年とすると、現役21年、こうして倉庫になって28年。余生のほうが長い。

貨車の廃車体はほうぼうで見かけるが、その大部分がそういう状態なのだろうと思う。


 

欠けた五稜星 大協石油跡

欠けた五稜星 大協石油跡

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

20120819_015.JPG前回の昭和シェル跡から10分ほど走ると、今度は大協石油のマークが見えた。バイクを止め、雨の中、少しだけお邪魔する。

20120819_005.JPGイエローラインのR105、周辺には普通に民家がある。サービスルームの真正面に、壊された計量器がひとつ。その横に土台だけがひとつ。サービスルーム横にひとつ。奥にひとつ。

20120819_006.JPG上桧木内給油所。残念ながら、サービスルームは荒廃している。

20120819_010.JPGもっとも、計量器の検査期限が昭和53年8月であったりするのだ。閉めてから30年以上が経過している。美しくある方が難しい。この計量器、真ん前に照明灯が立っているのだけれど、なんでこんな位置に…。

20120819_008.JPG左手の防火壁。

20120819_014.JPG大協石油のマスコットと「Hello!」の文字。

20120819_013.JPG地下タンクへの注油口。フタには大協石油の五稜星の陽刻。

20120819_011.JPGすぐ右に大協ホーム灯油の計量器。

20120819_012.JPGそして「丸銀商事」の文字。

ここで直角になり、
20120819_016.JPGこの防火壁の(かつての)扉からは、秋田内陸線が見える。ちょうど、列車が通過していった。

20120819_007.JPG右手の防火壁には、欠けた五稜星とDAIKYO OILの文字。その手前の、切断された支柱状のものともども、高さが嫌われて除去されてしまったか。

20120819_018.JPGアイランドに残された給油機。これは人為的に破壊されたものだろう。おかげで内部のポンプが前後対照になっているのがわかる。

20120819_019.JPGその外側らしきものは、サービスルーム内にあった。「ダイナミック」の文字も、大協のマークも残っていた。

 

表情の消えた給油所

表情の消えた給油所

昭和シェル石油/昭和石油/シェル石油

20120819_000.JPGひどい雨の国道105号をバイクで北上していると、松葉駅の近くで「共」「石」という文字が目に入った。共同石油…!? いや、そうすると文字数がおかしいのだが、見た瞬間からしばらくはそう思い込んでしまった。沿道には、丸善石油の跡などもあったのだが、あまりの雨にバイクを止める気にもならず、通過してしまったのに、ここには止まった。幸い、雨が少し弱まった。

20120819_001.JPGいったい、どのブランドだったのだろう。現地ではそれを連想させるものは見つからなかった。もっとも、雨なので、あまりうろつくこともしなかった。建物内を見ればわかったのかもしれない。また、いま思えば、地下タンクへの注油口を見ればブランドがわかったかもしれない。

20120819_002.JPG廃墟的な見方はまったく好きではないのだけれど、廃道と同じで、(グレーゾーンながら)好き勝手に歩き回れるのが、閉じた給油所のよさだ。営業中ならのぞき込むことができない場所も、見ることができる。

それにしても、大きな1枚ガラスだ。こういうガラスは再利用されることはないのだろうか。

20120819_004.JPG正面奥左の防火壁。なにもわからない。右端、ピットから出ている煙突は暖房用だろうか? 

20120819_003.JPG右、つまり道路と直角に位置する南向きの防火壁。「三」とある板は、おそらく店舗名としてサービスルームの屋根に掲げられていたものだろう。それ以外のものはなかったように思えた。

* * *

本当は、この日、角館からR46・R341経由で田沢湖、宝仙湖とかすめて鹿角、小坂、碇ヶ関へと向かうつもりだった。ところが、雨の中、一瞬地図の確認を怠ったところ、うっかりR105に入ってしまった。そして、こののっぺらぼうに出会った。

帰宅後、2001年版のツーリングマップルを見ると、この場所に昭和シェル石油のアイコンが記してあった。
 

しおさいトンネルと廃隧道 小谷石集落のための道

しおさいトンネルと廃隧道 小谷石集落のための道

隧道・廃隧道

20120821_000.JPG渡島半島の西側、別名松前半島の東海岸に、知内から分岐して南下する、行き止まりの道路がある。終端は小谷石という集落で、道路が通じる前は海路でアクセスする集落だった。

その道路の終端部が、ここ。防波堤と民家に挟まれたところで切れている。健康そうな子どもたちが何人か遊んでいた。

20120821_002.JPG小谷石に行く途中、狐越岬という断崖をしおさいトンネルで抜ける。その海側に、旧道が見える。

20120821_003.JPGしかし、閉鎖され、とりつく島もない。

20120821_004.JPG南側に回ると、旧道に行けそうだ。

20120821_005.JPGこのような形で見えている。すごい切り通しをしたものだ。20120821_006.JPG



このような切り通し。周辺には密漁禁止の看板が立ち、密漁監視の看板を掲げたクルマが頻繁に往復している。バイクを止めてここらへんを歩いている私は、彼らから見たら密漁者に見えるだろうから、カメラで写真を撮っていることをおおげさにアピールした。

20120821_007.JPGとはいえ、足下には、けっこうたくさんのウニの殻が落ちている。また、大きなかたつむりも多かった。

20120821_008.JPG切り通しを進む。この標柱は…?

20120821_009.JPG

日蓮宗のものだった。関係ないが、北海道では多くの天理教の施設、それも地域に根付いている建物を見かけた。

20120821_010.JPGその先には、閉鎖された覆道の坑門。その奥には隧道がある。ここで引き返した。

* * *

小谷石には、ローカルバスが3本、通じている。web上には、その乗車記もある。冒頭の小谷石の写真を撮って引き返したら、バスがやってきた。LEDによる行き先表示は「すみません、回送中です」。とっさのことで写真を撮れなかった。

小谷石は、1973年に土砂災害に見舞われている。そのレポートがここにある(PDF)。

http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/74_02_01.pdf

タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社)

タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社)

20120800_002.JPG『ピクトさんの本』『100均フリーダム』の内海慶一さんのツイートで、この本を知った。街中の、極めて私的なタイポグラフィを愛でる本。

この本が秀逸だと思うのは、読者が自ら同じことを始めてしまうという点だ。私がこの本のことを知ったのは八重洲地下街で昼食をとっていたとき。すぐに八重洲ブックセンターでこの本を買い、自分とタイポについてツイートしてしまっていた。そして、その午後には内海さんにより#街角タイポというタグが作られ、いろいろな人がツイートしはじめた。恐ろしい感染力だ。

ある特定のセンスを持った人たちがそれぞれ個人的に日常的に眺め、独り言のように脳内で鑑賞していたものが、ひとたび発表の場を提供されると、堰を切ったようにあふれ出す。溜め込んでいた写真を吐き出し、語り始める。自分とタイポグラフィを見つめ直す。その瞬間を目撃できたのは、とてもすばらしいことだ。著者の藤本健太郎さんは、きっともっと嬉しかったに違いない。


本書のもうひとつのすぐれた点は、書かれていることに対して、自分ならここに注目するだとか、これに似たのがここにあるとか、口を挟みたくなることだ。著者がただ一方的に見せるだけではない。本と会話ができるのだ。

本文に通底するのは、詠み人(著者は、市井のタイポグラファーをこう呼ぶ)の発想の自由さを、かなり遠くから読み取り、かといってそこにデザイン以上の意図を読み出さない、その姿勢だ。それをあげつらったりもしない。古いとかダサいとか見下す気持ちもない。一所懸命した仕事に対する敬意は少しだけある。内海さんの『100均フリーダム』に通じる鑑賞だと思う。もともと、詠み人の側には県章や市町村章にあるように「ここが円形なのは調和を意味している」みたいな、むりやりな意味づけがない。だから、そういう読み取り方をしなくてもいい。タイポも本文も押しつけがましくないから、読者が自分の解釈をする余白がある。そこが、すばらしい。

願わくは、本書の劣化コピーのようなチープな本がコンビニの500円本みたいな形でハゲタカ版元から刊行されませんように。


タイポさんぽ(版元公式ページ)
●私の過去ログにおける駅名標のタイポさんぽ:昭和50年代の駅名標(越後線)その1

国縫駅の跨線橋

国縫駅の跨線橋

跨線橋

20120823_001.JPG北海道ツーリング中、かつて瀬棚線が分岐していた国縫駅の前で寝た。この周辺はキャンプ場もなく、海岸線は風も強いので、駅の待合室を…と思ったら、待合室内にはそれなりに虫がいたので、駅前で寝た。駅前の民家は21時ですでにみな真っ暗だった。

一晩中、貨物列車が通る。その度に地面が揺れるというすばらしい環境。夜のうちに、跨線橋が古レールのプラットトラス+木造であることはわかっていたが、夜が明けてから撮影した。画像奥が函館豊年、左が上りホームで駅舎側、右が下りホームである。それぞれ、階段部分が改修されている。

20120823_002.JPG上りホームの階段。柱と梁も木製のままだが、色を塗っている。屋根はトタンに張り替え。

20120823_006.JPG中から入口方向。

20120823_007.JPG素敵なのは、この窓。平行四辺形の窓枠と、窓。桟は木製、はめ殺し。

20120823_000.JPGそれを外から。脚はすべて古レール。ただし、錆びがひどく、陽刻はまったくわからない。

階段部分もすべて木製。支柱などが古レールでも、階段部分はコンクリート製に置き換えられていることも多いが、ここは木製を保っているのがうれしい。一部の脚の土台はコンクリートで補強してある。

20120823_011.JPG20120823_012.JPG脚がどれだけ錆びているかというと、これくらいだ。

20120823_009.JPG跨線部分の下面。横桁は古レールだが、縦桁は木柱で、ほぞまできっちりと見える。縦桁のこの継ぎ方は「追掛大栓(おっかけだいせん)」といい、頑丈である。

20120823_003.JPG跨線部分。柱のところどころにボルトが見えるのは、プラットトラスに組まれた古レールのフレームとの接合のためだろう。

20120823_005.JPG屋根方向を見ると、やはり横桁は古レールで、そこに木材で真束を立て、鉄材でトラスを入れている。

20120823_004.JPG窓。

20120823_008.JPG下りホームへの階段。こうして見ると、階段最下部に屋根をかけて延長している。そのため、前述した上りホームの階段とは異なる形状になっている。

20120823_010.JPG脚の組み方。

画像検索すると、どうやらかつてはこの向こう、駅の外まで跨線橋が延びていたようだ。

* * *

この朝、駅前の民家2軒からそれぞれ地元の方が出てこられ、お話をうかがった。そのうちの1軒が、この駅を管理しているとのこと。見学している間に、駅舎内外とトイレの掃除をしていた。私が「虫が多かったので外で寝た」などと迂闊に言ったことが影響しているなら申し訳ないと思った。

一人が言った。「あんた、この人(駅管理人)の家に泊めてもらえばよかったのに! どうせ空き家はいっぱいあるんだよ」

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駅便(国縫駅)

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