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老ノ坂隧道(京都府)

老ノ坂隧道(京都府)

隧道・廃隧道



20110304-01.JPG京都府京都市西京区と亀岡市の間にある峠が老の坂峠だ。そこを国道9号と、京都縦貫道が通っている。ここに、仲良くふたつの隧道が並んでおり、片方(上の写真の右。上の写真は京都市側坑口)は車道としての用途を終えて歩行者用となっている。が、いきさつがおもしろい。

まずは隧道を見て行く。

20110304-02.JPG歩道用隧道の坑門。労作・隧道データベースによれば、1933年(昭和8年)竣工、幅員4.7m。坑門はコンクリート製で、ピラスター様のもの(装飾かもしれない)が重量感を持って坑門を押さえている。

20110304-03.JPG「松風洞」という扁額様のものが置いてある。冒頭写真でいえば、「歩行者」標識の向こうにある。

なぜここに扁額様のものがあるのか? 現・車道の隧道にも、この歩行者用隧道にも、それぞれ扁額はある。歩行者用の隧道は、草に覆われていて撮影不能。

20110304-04.JPG扁額様の裏。きちんとここに存置してあるのが見て取れる。

20110304-05.JPG中に入る。蛍光灯がついている。元々車道だったということもあり、広々とした歩道だ。覆工はコンクリート。

20110304-06.JPG亀岡方坑口。ふたつの坑門が並ぶ。向かって左側が歩行者用、右が車道。

先に、この歩行者用が1933年竣工と書いたが、隧道データベースによれば、車道用は1965年(昭和40年)竣工とある。が…。

20110304-08.JPG歩行者用の坑門。意匠は京都市側と同じ。「老の坂隧道」という扁額があるのがわかろう。

20110304-07.JPG上写真から180度振り返る(隧道から出てまっすぐ見据えた状態)と、このようにゲートがある。冒頭のYahoo!地図ではこれでもかというくらいにゲートが地図にプロットされている。

20110304-09.JPGさて、こちら側にも扁額様のものがある。

「遠邇之利往来之便」

yoshim氏のサイトに京都国道事務所からの回答として意味が掲載されている。そのまま転載すれば、 「(この道ができたことにより)遠いところにも近いところにも利益をもたらし、往来の便がよくなった。」という意である。

しかも、この文字は北垣国道の書だという。北垣は、滋賀県の琵琶湖疎水を作り、北海道の狩勝峠を選定した田辺朔郎の岳父だ。ん? 北垣は1916年(大正5年)没…? このあたりは後述する。

そして、yoshim氏のサイトにより、先の歩行者用隧道は「和風洞」と言われていたことも判明した。

20110304-10.JPG北垣書の扁額の裏。


さて、いろいろなからくりである。答えを先に書くと、

1)1884(明治17年)頃 現・車道の隧道が開通。「松風洞」とした。
2)1933年、現・歩行者用の隧道が開通。当時は車道。こちらを「和風洞」とした。
3)1965年 「松風道」を拡幅し、車道とした。
4)****年 元「和風洞」を歩行者専用道とした。

地図を見れば速い。すべて2万5000分の1『京都西南部』、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ」( (C)谷 謙二) により作成。
20110304map-01.jpg1922年(大正11年)測図、1925年(大正14年)11月30日発行

初めて発行された地図。ひとつだけ隧道が見えている。これが「松風洞」。隧道の北東に「新峠」、南東に「(旧)峠)の記載がある。

20110304map-02.jpg1964年(昭和39年)修正、昭和40年4月30日発行

まだ「和風洞」開通前。

20110304map-03.jpg昭和45年修正、昭和47年4月30日発行

ついに隧道が2本描かれる。おそらく、この図では松風洞の拡幅は反映されているだろう。

20110304map-04.jpg1979年(昭和54年)二改、昭和56年2月28日発行

2本の老ノ坂隧道のうち、古い隧道が役割を終えつつある。

20110304map-05.jpg1986年(昭和61年)修正、1987年(昭和62年)4月30日発行

和風洞が消えた。これが現在の書かれ方に近い。


以上、少し不思議な発達史を持つ隧道と扁額について。実は写真はすべて行きがけの駄賃である。撮ったときはこれが北垣国道につながるとは思いもしなかった。面白いものだ。

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千駄木「せとうち」に行ってきた

千駄木「せとうち」に行ってきた

独言・日記

先日、千駄木の料理屋「せとうち」に行く機会を得た。『週刊東洋経済』の鉄道特集の企画者、@tetsuaniさんと、会社の同僚@kaerudoさんと新年会をしましょうといいながら早3月。3人とも「せとうち」に行きたい!と行っていたので、うまく3人の都合がついた日に予約がとれた。

20110301-02.JPG店内は国鉄時代を中心とした鉄道グッズが壁を埋めている。でも、圧迫されるほどのコレクション展示スペースということはまったくなくて、とてもきれいに並んでいる。きちんと手入れがされているのがよくわかる。

このお店は鉄道好きのなかではけっこう有名だと思う。『鉄道ピクトリアル』の新年号の特別企画の対談でこのお店が使われたり、『鉄道ファン』に掲載されたり。聞けば、亡くなったご主人が1964年(昭和39年)にはじめたもので、当時は2階建て。十数年前にビルになったため、その2階に入っている。

店を切り盛りするのは女性おふたり。料理はコースのみで、飲み物は別途注文。ぼくは酒が(おいしいと思うのに)飲めないので、料理中心のお店はとてもうれしい。そういうお店なので予約客のみに対応しており、この日の客はなんとぼくたち3人のみ。なんだか申し訳ないような気持ちだけれど、贅沢な楽しみ方をさせていただいた。

テーブルはグランドピアノのふた、椅子はグリーン車の座席と京浜東北線(ということは103系か)のロングシート部分。ぼくはうっかり(?)グリーン座席に座ったので、その座り心地のいいこと! 心から寛げる環境の中で、ぼくよりひと世代上のお二方と、旅や鉄道、雑誌や出版社の裏話などをしながら、時に店を切り盛りする奥さまたちも会話にまざりながら、楽しく3時間あまりを過ごした。


20110301-01.JPGあいにくの雨だったのと、そもそもカメラを忘れたので写真を撮っていない。これは携帯で撮ったもの。

20110301-04.JPG外には越後線の時刻表。たぶん吉田駅。まだ駅名が「大河津」であり、急行ひめかわがある。列車番号はすべて「○○○D」。非電化時代だ。注目したいのは、上りにある「新潟始発、5:42」という124D。たしかこれは新潟4時50分発で、何度か乗ったことがある。

20110301-03.JPG急須。芸大の学生さんが作ってくれたという。昔から、お客さんとの交流を大切にしていたのだというのがよくわかる。そうしたエピソードもたくさん聞かせていただいた。ぼくが訪ねたときも、「いそべさん」と話しかけてくれる。また行かなきゃ!

東京ゲートブリッジ中央径間架設見学

東京ゲートブリッジ中央径間架設見学

橋梁一般

東京港臨海大橋(東京ゲートブリッジ)桁架設見学の次の次の作業となる、最終工程・中央径間架設を見学してきた。午前5時10分頃、若洲キャンプ場の前に到着、当然まだ駐車場は開いていないが、警備員さんのはからいで5時20分頃には入れてもらえた。ありがたい。

中に行くと、すでに昨晩からいらしていた方々が数名、構えていた。

20110227-01.JPG周囲はまっくら。前日までに桁吊り上げまでは済ましているので、この状態で待機している。

20110227-02.JPG吊っている箱桁は、長さ108m、幅23.6m、重さ約1600t。海面上約20mの位置だ。



桁には合計16本のワイヤーがかけられている。1本あたり100tの荷重がかかっている計算になる。

写真をよく見ると、桁がブレている。このときにはうっすらと明るくなってきているのだが、それでもシャッタースピードは30秒にした。そのため、起重機船は静止して写っているが、風で揺れてしまう桁はブレている。


20110227-03.JPG







「犬が向き合う」と表現される状態の最後の姿。この時点で6時少し前。この直後に起重機船が前進開始。

このころから、少しずつ見学者も増えていており、ついには工事主体、東京港湾事務所も登場。ところが、私たちが撮影していた場所の真下にテントを張るという。画面にかぶられては悲しいので、やむなく場所を移動したが、動画を撮影していた人もいるのでかなり泣きたくなる展開になってしまった。

20110227-04.JPG徐々に前に進む起重機船。既に桁も少し巻き上げられている。

20110227-05.JPGこの状態で、海面上70mほどのはず。向こう側のトラス桁の道路上に、ちらほらと人が見え始めた。

20110227-06.JPG少し引くとこんな感じ。

20110227-07.JPGこの時点で6時40分頃。ここに写っている人たちの、ざっと3倍はいた。

20110227-08.JPGよくもまあ、これだけの精度で吊り下げた巨大な桁を下ろせるものだと思う。

ここでもう当分動きが亡くなるので、突堤に移動する。

20110227-09.JPGこちらからは近くで見ることができるので、迫力も増す。また、太陽に対して逆光になるので、そうした効果もある。

20110227-10.JPG中央径間の接合部。見事。

20110227-11.JPG突堤の側はこんな。

20110227-12.JPGそしてこんな。これだけの人数がいても、釣り人はほとんどいない。

20110227-13.JPGとりあえずこれで見納めとした。


少し時間を持てあました後に、いよいよ芋煮会がスタート。鍋5つを、竈またはガスコンロにて作る。
20110227-14.JPG醤油味+牛肉と…

20110227-15.JPG味噌味+豚肉。とにかくうまい。

そして、若洲キャンプ場でのくつろぎ方、これがとても楽しかった。バイクの仲間といるようだ。

そこで食べて飲んでで約6時間すごし、ふと振り向けば起重機船はとうに引いていた。
20110227-16.JPG早くこの上を歩いてみたいと思う。


お茶の水橋/聖橋を水面から

お茶の水橋/聖橋を水面から

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

暗渠クルーズと小石川橋通架道橋
神田川橋梁を水面からのつづき。

順番が前後するが、神田川橋梁を水面からの前にあたる。JR御茶ノ水駅の東にかかるのが、お茶の水橋。駅のホームから見える、幅の広い、鋼製ラーメン橋である。
20110221-01.JPG美しいπ型ラーメン。かつて、この上には都電が走っていた、1931年開通の橋である。

20110221-02.JPGこの力強い足。片側に七ツあるピン支承をじっくりと愛でたい。

図面や諸元はこちら(PDF)。


続いて普通の人(?)にも広く知られている聖橋。
20110221-03.JPGその向こうに見える神田川橋梁を考えると、桁下高さをこれだけ確保する必要はまったくない。せいぜい、その向こうに見える神田川橋梁くらいでいいのだ。両者の開通年は4年ほどしか違わない。

この聖橋はライトアップされるが、私としてはお茶の水橋のほうをライトアップしたほうが金属の質感が美しいだろ…と思っている。

神田川橋梁を水面から

神田川橋梁を水面から

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

暗渠クルーズと小石川橋通架道橋のつづき。

<関連項目>

神田川橋梁のヒンジ

写真を並べるだけです。
20110221-07.JPG聖橋から見ても同じように見えるのだが、仰角が違うのだよ…。(神田川橋梁のヒンジもほぼ同じように見えるとは違うのだよ!)

右上に少し見えている黒いのは丸ノ内線御茶ノ水橋梁。そこから見通す水色の神田川橋梁。鋼製ラーメン橋脚の踏ん張り具合がいとおしい。その左上にチラ見している緑色のブレーストリブタイドアーチは、言わずと知れた松住町架道橋。

20110221-08.JPGさらに近づくよ。うそ。ズームアップしただけ。

20110221-11.JPGもっと!

20110221-13.JPGついに桁裏! 露出がアンダーなのはスミマセン。

どうも、下横構(左右の鈑桁の下端同士をジグザグに結んでいる部材)の配置に法則性がないような気がする。


/|\/|\/|\/|\
というように垂直材(というのかな)があったり、
/\/\/\/\/\
というようにきれいにジグザグになっていたり、
/\/\/\/\/\
というようになっていたり。斜橋ゆえのものかもしれない。

20110221-12.JPGラーメン橋脚の裏!


なんとも中途半端な撮り方ばかりだが、移動している船から見上げているという大きな制約の中であるため、御容赦いただきたい。


丸ノ内線御茶ノ水橋梁を水面から

丸ノ内線御茶ノ水橋梁を水面から

鈑桁(プレートガーダー)

(タイトルを「神田川橋梁」から「御茶ノ水橋梁」に変更。詳細末尾に)

20110221-99.jpg




暗渠クルーズと小石川橋通架道橋のつづき。

飯田橋から神田川を下った。御茶ノ水から秋葉原にかけてはすてきな橋梁が連続するが、まずはこれ。東京メトロ丸ノ内線が、本郷台地を出て神田川を渡り、また本郷台地に潜っていく、あの橋だ。神田川は、江戸時代初期、秀忠の時代に本郷台地を深く開鑿して作った人口河川なので、このようなことになる。

この橋梁の名称、実は未詳。仮に神田川橋梁としておく。今回も写真をアップするのみ。

20110221-05.JPG桁裏。すさまじい斜橋っぷり。

20110221-06.JPG桁裏。奥の兄弟は右岸(JR駅側)。レール直下にある縦桁に横桁が剛結されている部分は、微妙に縦桁が位置をずらしている。これは、複線のレールを全体的に下流側に寄せて設置しているためかもしれない。冒頭の地図を「航空写真」に切り替えてご覧いただきたい。

20110221-04.JPG左岸側(本郷側)の支承。こちらがローラー。地震対策か、支承がズレないようなストッパーの形状が独特。また、支承に向けて監視カメラが設置されている。

本当は銘板も撮りたかったのだが、遠すぎた。


20110221-09.JPG支承。右岸・上流側。

20110221-10.JPG支承。右岸・下流側。

ここは下路鈑桁となっているが、今回のクルーズのように(?)船が航行することを考えると桁下高さは多ければ多い方がいいため、下路式になったのだろう。

また、橋台には段差があり、一組の支承の間だが、まるで桁の端梁を支えるかのようになっている。
ここをもっとしっかり観察しなかったのは不徳の致すところです。


当初、この記事は「神田川橋梁(仮)」としていたが、golgodenkaさんのご指摘により「御茶ノ水橋梁」ということが判明したので記事名を書き換えた。この記事を書いていたとき「なぜ塗装表記を撮らなかったのだ!」と悔やんでいたのだが、水面からは撮れない位置だったと言い訳しておこう。

golgodenkaさんの記事も合わせてご覧いただきたい。
東京メトロ丸ノ内線(淡路町~御茶ノ水)【御茶ノ水 橋梁】




暗渠クルーズと小石川橋通架道橋

暗渠クルーズと小石川橋通架道橋

橋梁(ハーコート)

ハーコート探訪:小石川橋通架道橋
ハーコート探訪:小石川橋通架道橋(2)
ハーコート探訪:小石川橋通架道橋(3)
に関連して。

2011年2月20日(日曜)、東京キャナルネットワークさんから「暗渠クルーズあるよ。水道橋経由飯田橋まで行くよ」という告知があったので、参加した。ルートはこうだ。
20110220map1.jpg(DAN杉本氏作成のカシミール3Dを使用してマッピング)
浜離宮から隅田川を少し東上し、亀島川(地図のA)で日本橋川に出る。そこで左折、そのまま水道橋まで進むと(ココ後述、B)神田川に合流するので左折。すぐに、右に暗渠の入り口が見えてくるので
20110220-01.JPG中に突入(C)。真っ暗かつ湿気の多い中、
20110220-02.JPG神田川の北に平行する暗渠を進み、飯田橋交差点の少し北に出る。

そこから折り返し、神田川を御茶ノ水へと下り、隅田川で浜離宮へと戻るというコースだった。約2時間、一瞬のように感じた、見るものすべてが新鮮な2時間だった。


さて、小石川橋通架道橋を、水面から見上げる機会となったのでここに上げる。暗渠も面白そうだったのだが、このクルーズに参加した一番の目的はこれを見るためだ。

20110220-03.JPG小石川橋通架道橋の南側。

手前の「裏側」は、車道の新三崎橋。その向こうのプレートガーダーは中央本線(急行線)、トラスがハーコート製の中央本線(緩行線)、その向こうが車道の三崎橋だ。

20110220-04.JPG近づく。橋台に見とれている時間はない(涙)。

20110220-05.JPG桁裏! 道路からは絶対に見ることができません。

17mmではまったく刃が立たず。あたりまえか。かといって15mmで撮るわけにもいかず、まあ、この写真をアップすることに意義があろう。小石川橋通架道橋の裏側。


この、小石川橋通架道橋の裏を見ることができると知ったのは、デイリーポータルZに書かれた大山顕さんの記事、『夜の都市河川クルーズはちょうすてき!』だ。3ページ目冒頭に写真がある。そして、youtubeにはmechapandaさんの動画があがっている。13分過ぎに注目して欲しい。

こうしたものを見ることができると知ることができたのも、実際に見ることができたのも、ツイッターのおかげだ。きっかけを与えてくださった方々に感謝します。


暗渠クルーズについては続く。


阪神淀川橋梁

阪神淀川橋梁

プラットトラス



20110217-05.JPG阪神なんば線、すなわち以前の西大阪線が開業以来使用している橋梁である。全40連、橋長は758mもある。うち6連が100フィートクラスの複線プラットトラスで、それ以外は単線のプレートガーダーである。トラスは100フィートクラスで第18~23連。鈑桁は50フィートクラスである。

すぐ西側を国道43号の新伝法大橋が架けられているので、撮影は容易。

トラスの6連を見る。
20110217-01.jpgリベットを使用した剛結構造で、端柱と弦材以外はアングル材をレーシングで結んでいる。銘板は写真を見る限り見あたらない。

端柱上部、橋門構との接続部分が少しだけ上弦材から突き出ており、それがこの橋をしてリズミカルに感じせしめる。

20110217-02.JPGひとつの桁のシルエット。なかなかバランスの取れた、小柄ないい形をしている。

20110217-03.JPG真横。トラスが作り出す三角形は、正三角形を少し扁平にさせたような形だ。

20110217-04.JPG支承。むしろ、その手前、ターンバックルが気になる。単に「桁下注意」という看板のために、こんなターンバックルがある。桁に直接貼ったり書いたりすればいいのに。

20110217-07.jpgプレートガーダー3連分を真横から。

この橋梁はトラス桁も鈑桁も横河橋梁大阪工場製。


以上、なにひとつ考察なし。

東海道本線上神崎川橋梁(北方貨物線)

東海道本線上神崎川橋梁(北方貨物線)

鈑桁(プレートガーダー)

東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(梅田貨物線)
の続き。


この4複線のうち、最後に架設されたのがこの北方貨物線である。それでも1941年(昭和16年)、リベット全盛の時代だ。

20110215-01.JPG画像右は梅田貨物線。左が北方貨物線だ。

この4複線区間、東から3組はトラス橋なのに、この北方貨物線はプレートガーダー橋。スパンは同じなので、簡単に言えば技術の進歩でわざわざトラス橋にしなくても経済的なプレートガーダーで済むようになった、ということだ。

銘板。
20110215-04.jpg鐵道省
昭和16年すは829-1
日本橋梁株式会社製作
-----
L.鉄 (以下読めない)

「すば829」の「すば」は後述する。「829」は、活荷重KS18、支間長29mという意味だ。支間長29mは、梅田貨物線や上り内外線のトラスの支間長に等しい。

 

20110215-02.JPG桁裏。やはり手前側に網がかけてある。

私はこれを見て「上路なのに主桁が複線の両側にあって、線路用に別に縦桁があるのか、下路式プレートガーダーの、床版をそのまま上に上げたみたいだな」と思ったのだがちょっと待て。そんなことするのは、中路式プレートガーダーではないのか?

最初、上の銘板も「でば」(っくんげた)だと思っていた。思い込んでいた。でも「中路ではないか?」と思ってよく見ると「すば」(るーんげた)だった。そうか、中路式か。

20110215-03.JPG縦桁の部分。

右端、色をとばしているのでわかりづらいが、明らかに線路よりも天方向に突き出している。中路確定。中路はあまり多くないうえ、複線桁である。そう気づいたときには嬉しかった。




東海道本線上神崎川橋梁(梅田貨物線)

東海道本線上神崎川橋梁(梅田貨物線)

ワーレントラス

東海道本線上神崎川橋梁(上り内外線)
東海道本線上神崎川橋梁(下り内外線)
の続き。

4複線のうち、東から3組目がこの梅田貨物線である。


上神崎川橋梁(上り内外線)と同じと考えていい。製造も同じ汽車会社で1923年である。よって、ここも単に見てきただけ。

20110214-04.JPG右が今回紹介する梅田貨物線用のトラス桁。複線である。右端が大阪方の第4連、奥に向かって第3、2、1連。奥が京都方。左は北方貨物線。

上の航空写真のとおり、ほとんど引けないのでこんな撮り方しかできなかった。橋台に登ればよかったかな…。

その橋台。
20110214-01.JPGと支承。このハシゴに登れば通報されかねない。

そのハシゴの後ろというか、その部分のコンクリート表面には流し込んだ際の型枠の木目がうっすらと残る。また、骨材が適当というか、周辺で採取したのか玉砂利が多く混ざっている。

支承が乗っかる橋台の表面はそのようなことがないので、強度が要求される部分はもっと「ちゃんとした」施工になっているのかもしれないが、これは考え過ぎかもしれない。

20110214-06.JPGトラス構の端柱と上弦材の接続部。似たような形の部材を切り出して、曲げて、組み合わせてリベット打って…。

20110214-05.JPG上弦と、垂直材の接続部。鳥が巣を作らないように(だと思う)、トゲが設置されている。そうした部材や架線を支える部品は塗装されていない。

20110214-02.JPG第4連の桁裏、それも大阪寄り。上り内外線と同じくネットがかけられている。

20110214-03.JPGその奥。ここで、昨日の記事を訂正せねばなるまい。赤枠の部分、前回は「ボルト留めだから後付けだよね」と書いたのだが、ここではリベット留めである。桁の製造年と製造所が同一だとすると、上り内外線のこの部材も当初からあり、しかもリベット接合だった可能性のほうが高い。

20110214-07.JPG上り内外線(右)との並列。

こうしてディテールを見比べると、兄弟橋だということがよくわかる。

北方貨物線に続く。

<参考文献>
歴史的鋼橋集覧



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