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キハE120のトイレ。車椅子対応でとても広い、現在の標準的なトイレなのだが、いろいろと使い勝手がひどい。前提として、トイレのドアはボタン式の自動ドアである。

まず、入ったあと、どこでドアを閉めて飯野かわからない。普通は把手を探すのではないか。ところが、入って左側面の壁に、こんな表示がある。

「あける」
「しめる」
「ロック」

それぞれボタンの横に説明ステッカーが貼ってある。いくつも疑問がわき起こる。

・なぜロックボタンとパイロットランプが同じ形なのか
・なぜ開ける・閉めるボタンがエレベーターのドアと同じようなボタンなのか
・なぜ「閉める」と「ロック」を一体化しないのか
・なぜ「あける」「しめる」だけテプラなのか
・なぜボタンの台座がステンレスで、ステッカーは白で、壁はベージュなのか
・なぜステッカーの色使いや仕様が異なるのか
・なぜ自動扉の矢印方向が、実物と逆なのか(ドアは室内から見て左に収納される)

ショッピングモールなどの多目的トイレにはこんなひどい表示はない。「開」「閉」と刻印された直径10cmくらいのボタンがついているのみだ。ロックはもちろん手動、目に見える形で「鍵」がある。至ってシンプル、子供でも外国人でも「これが鍵だ」とわかりやすい。

次いで、便器右側のボタン類を見る。スマホで斜めに撮ったものを補正したので写真が台形なのはご容赦いただきたい。

ここでは、もっとも大事な「流す」ボタンがわからない。「流す」ボタンには「押す」と書いてある。「黄色いボタン=流す」というコンセンサスなど世の中にはないと思う。

その上にはロックし忘れて便座に座ってしまった人のためにロックボタンがあるが、これがまた「流す」と迷わせる。座ったまま流そうとして間違ってロック解除しちゃったらどうなるのか。


そして、手洗いのボール。そのすぐ上に手すりがある。手すりは大切だが、ならば手洗いのボールはこの位置に配置すべきではない。

私の手を差し入れると、ギリギリ。水の下で手をこすり合わせることなどできないし、洗った後、手を振って水分を落とすこともできない。結果、トイレの床は手を洗った後の水がボタボタと落ちるので、汚らしく水が這っている。

* * *

昨今の公共交通機関は「ユニバーサルデザイン」と称していろいろな統一を進めている。ドアの端部と出入り口を黄色くしたり、優先座席付近をオレンジにしたり。しかし、こと「告知」に関しては恐ろしくひどい状態にある。

セブンイレブンの「セブンカフェ」のコーヒーマシンのデザインがひどいと一時期話題になった。佐藤可士和という一流のはずのデザイナーがシンプルを追い求めた結果、「これじゃわかんねーよ」とばかりに各店舗が一斉に張り紙を始めた。見るに見かねたか、いまでは本部が統一された補足用のシールを頒布している。

このトイレのデザインは、それよりはるかに低い次元で使えない。発注者たる鉄道会社はこれでいいと思っているのだろうか。

#セブンカフェの様子 が各店舗の工夫いっぱいで面白い
おや、全国のセブンカフェのようすが・・・


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ランツァ、こんなタイヤだったけれど300kmくらいで日帰りでひとっ走りしてきて、タイヤを変えた。スーパーテネレがNGとなったので、2013年4月に改めてロングツーリングにもランツァ(所有者は妻)使おうと思って、もうほぼ100%舗装路だから(だけど?)、D605にした。

以降1年半ほどの間に北海道2回のほか、ちょこちょこ日帰りや1泊したので1万kmくらいか。90年代、毎週のように林道に行っていた頃はD603などは3000kmしかもたなかったけれど、舗装路だけだと1万kmももつことを知った。

いや、ここまでの摩耗を許容すればD603だって5000kmはもったかもしれない。以後エンデューロタイヤ等ばかり履くようになったので、さらに寿命は短くなった。











タイヤ交換、早い人は1組10分くらいでやってしまうんだけれど、私は30分というところか。で、そのうち10分くらいは、チューブのバルブをリムに通す行程に費やす。かつてはバルブを引っ張り出すワイヤーを持っていたんだけれど、いつのまにか紛失してしまったようだ。

こうしてタイヤ交換などしていると、バイクが愛おしくなるよねえ。


(画像は新潟日報事業社のサイトにリンクしている)

鉄道史というのは非常に難しい。一路線の歴史であれば記述は比較的簡単なのだが、鉄道とは地域の開発と経済を背負いながら他の鉄道と関連して運営されるものなので、一路線だけを見ても仕方ないからだ。だから、各路線の歴史を踏まえた上で、さらに「地域の経済史・交通史」として把握する必要がある。これは、いわゆる日本史、世界史も同じではある。

本書は「鉄道と新潟」と銘打ってはいるが、「新潟市編」であり、また帯に「新潟市発展の…」となっているとおり、鉄道と現・新潟市域の関連を述べた内容だ。「新潟市編」であるが、鉄道にかなり造詣の深い執筆陣のようで、まったく感覚を外していないのは素晴らしい。

あまり鉄道史の本では触れられないこととして、下記のことは特によくわかる内容となっている。

・信濃川の河川交通との比較
・新潟対東京のルートの変遷
・各路線・各鉄道敷設の経緯と発展の歴史



それとは別に、新しい知見をいくつか得た。一つ目は1936年(昭和11年)の新潟鉄道局開局時の立地だ。路地連新潟の方々と新潟市内を歩いているときに、確かそれが八千代橋南詰めにあったと聞いたことがあり、また、昭和50年代には、いまのNST本社やライズ万代のある場所には「新鉄局スポーツセンター」(柔剣道場)とグラウンドがあったという記憶がある。なぜ、駅からちょっと離れたここに国鉄の施設があったのが不思議だったのだが、その答えがここに書いてあった。即ち、

「鉄道局の開局に当たり、新潟市は誘致の条件としていた庁舎・官舎の敷地約一万七〇〇〇坪(約五・六ヘクタール)を寄付するために、萬代橋上流の信濃川右岸埋立地を県から購入した。埋立地には、鉄道局の庁舎(現、中央区八千代一丁目。新潟市総合福祉会館の地)の外…

そういう経緯で用地を提供していたのか。旧新潟駅から旧万代島貨物駅への支線の「内側」に国鉄関連施設が広がっていたことになる。1980年頃の住宅地図を入手したいところだ。



もう一つは、現・新潟駅の駅舎についてだ。この駅舎が当初は2階建てだったのは知られているが、「ダークグリーンの駅舎は」という記述がある。そんな色だったとは! 


なんとか、当時の地図等を見たいものだ。


本書の章立てはこうだ。

第1章 鉄道操觚者・木下立安
第2章 伝説の特ダネ記者・青木槐三
第3章 忠犬ハチ公を巡る鉄道記者たち 
 細井吉造、林謙一、渡邊紳一郎
第4章 『国鉄物語』の門田勲
第5章 レイルウェイ・ライター 種村直樹

タイトルを見て、鉄道記者たちが、いかに現場に入り込み、どのように国鉄幹部と親しくなり、あるいは取材し、どのような記事になり、それが社会的にどういう影響を及ぼしたかが書いてあると、勝手に思っていた。ところがまったく違っていた。章立てにある記者らの人となりは、本書からはまったくわからない。稀に見る駄本だった。どのようにひどいかを上げるとほぼ全部を転載して突っ込まねばならないほどだ。

著者は毎日新聞のOBである。本書は、著者の先輩、後輩が何年生まれで、何大学で、入社後はどんな記者で、趣味が何で、誰を尊敬していて、その誰は何年生まれで、何大学で…といった内容が延々続くと思っていい。



例えば、門田勲の章。彼は『国鉄物語』という連載を書いたのだが、その取材方法などは一切出てこない。この章では門田の鉄道記者に関連するとかろうじて言えるのは、わずか6行、「国鉄組織は大きいと思った」というような感想だけである。

詳細に書こう。門田の章はP172からP212だ。

P172-173 著者の入社当時の上司やその息子の話。
P174-185 『国鉄物語』の記事引用。新幹線無人運転の項では柳田邦夫を引用。
P186-189 門田に憧れた本田という読売記者が三河島事故の記事を書いた話。
P190-191 三河島事故の乗客が著者の先輩であり、彼のスポーツ趣味と著書の紹介。
P192 JR東日本の「事故の歴史展示館」における三河島事故の扱いの話。
P193-196 「本田に戻って」(←門田に戻れよ!)本田の東京オリンピック記事
P197-205 門田の訃報と、門田の警視庁詰め時代の話
P205-212 朝毎読が有楽町にあった時代の話

さて、どこに門田の「鉄道記者」の記述があるだろうか?



同じように、慶應義塾の成り立ちが延々10ページ書かれていたり、時事新報の話が10ページ続いたり、明治5年の鉄道開業時の話が8ページあったり、「余談ながら」と記者の先輩や後輩の人となりの話が2ページ、3ページとつづいたり、といった塩梅だ。

また、事実誤認というか、本書内での矛盾も散見される。「つばめ」の試運転に同乗した青木のレポートはP235では走行中の窓から沼津や静岡で落としたと書いているのにP120青木の項では「停車する駅で…受け取って」と書いている。

私の感覚では、「鉄道記者」という書名に期待する内容は、ほとんどない。あってもまとめれば10ページもない。交通新聞社新書はデキにムラがあるのは過去にも書いたが、いくらなんでも、これは編集者が間に入ってできた本だとは思えない。なんらかの事情があって、受け取った原稿に手を入れることができず、そのまま本にせざるを得なかった。そんな穿った見方をしてしまうほど、本題とも章題ともかけ離れた内容だった。

もし私がこの原稿を受け取ったら…修正不可能なので、すべて書き直してもらう。少なくとも章題と関係ない先輩後輩ネタはすべてカットする。拒否されたら出版中止する。


●関連項目
『人物国鉄百年』青木槐三(中央宣興)

(カバー画像は講談社公式サイトより)
B5判、カラー16P+モノクロ144P、定価2800円+税。

「はじめに」に「本書はあくまでも鉄道趣味者的観点から捉えたものであって」とある。だから、とても親しみやすい。得てしてこういうタイプの本は資料たるべきという観念が面白さを削いでしまうのだが、貴重な写真、「すごい」写真をふんだんに掲載している。

書名のとおり「情景」が移し込まれた写真が多い。そのため、雰囲気がよくわかる。オフロードバイクで北海道から九州、屋久島、沖縄まで林道に入り込んだが、林道の雰囲気と基本的には同じだ。そして、その頃はまったく考えもしなかった林道本来の役割が、本書には詰まっている。車両研究の本ではないので、車両の形式写真はないし、解説もない。本書はそれでいい。鉄道模型のジオラマのモチーフにしたくてたまらない情景が詰まっている。私にはそんな知識も技術もないけれど。


本書には本来の目的ではないけれど私が面白い、貴重だと思うことが三つある。

一つ目は、木製橋梁が多く掲載されていること。ハウトラスの実物はなかなかないし、森林鉄道でもトラスを架けるほどの規模だと鉄橋に架け替えられたものも多いが、斜材に木材、垂直材に鉄の棒を使ったハウトラスの写真がいくつかある。美深(仁宇布)森林鉄道では、吊橋の補剛桁をハウトラスにしているものが載っている。

二つ目は、木製扉の菱形・バツ型等  がたくさん掲載されていること。森林鉄道の車庫の扉などは当然木製で、それが全国的に分布していることがわかる。

三つ目は、地図記号との関係。これはコラムとして掲載されているのだが、国土地理院の地形図において、同じ地図記号(特殊鉄道)に対して添えられている文字としては次の名称があるそうだ。
・森林鉄道
・森林軌道
・森林用軌道
・山林軌道
・林用軌道
・林用鉄道
・林用馬車軌道
・林用機関軌道
・林用ガソリン軌道
・林用手押軌道
・林用台車軌道
・林業用馬車軌道
・牛車軌道
本書には、どの図幅にこの名称が使われているかも記載されている。

手元にある5万分の1十石峠(昭和41年3月30日発行)は「林用軌道」だった。

国土地理院のサイトにある凡例では、立山砂防軌道が採り上げられ、そこには「砂防工事専用(軌道)」の文字が見える。

* * *

西さんには、『カシミール3Dで見る・自分で作る 空から眺める鉄道ルート』(松本典久・杉本智彦著)という本を作ったときに、安房森林軌道の写真をお借りしたことがある。それと同じ写真が、巻頭カラーで掲載されている。ネガで撮られた、柔らかい色調の写真だ。

ただ、本書のつくりについては、講談社の子会社が編集したとは思えないような、いささか稚拙な面がある。まず、校正漏れが散見される。また、「はじめに」が1ページあるのに「おわりに」ではなく「あとがき」、しかも奥付に小さく載っている。そして帯の表4側、掲載路線が羅列されているが、「載せればいいというものではない」というほどに見づらい。これらはすべて編集の責任であり、著者の責任ではない。もう少し丁寧に作って欲しいと思う。

1万部、2万部売れるものではなく、多くはない一定の数の読者に行き渡って終わり、という本だと思うが、琴線に触れる人すべてに行き渡ってほしい本だ。


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