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江東ドボクマッピング 新観光講座 橋編

江東ドボクマッピング 新観光講座 橋編

橋梁一般

20100912-01.JPG

深川東京モダン館
で表題のイベントが開催されたので申し込んだ。講演は八馬智氏、北海道はじめ各地の橋梁デザインに関わった方だ。講演は2時間を超え、内容は多岐にわたったが、私が感じたことをひとことでいうと「デザインというのは、さまざまな考え方との戦いなのだ」ということ。自分が確たる考え方を持っていないと、デザインはできない。これは、先から引用している『近代日本の橋梁デザイン思想』で述べられている内容とも一致する。

日本語で「デザイン」というと「見た目」と捉えられがちだが、本来の英語ではむしろ「設計」のニュアンスを強く感じる。しかし、術語としての「design」の解釈が私自身非常にあやしいので、ここらへんでとどめておく。


20100912-03.JPGたとえば、こういう例が出た。なぜ、橋台部分と擁壁がこの形になったのか。それを、ここに至るプロセスや他の案も交えて解説があった。視距や心理的負担を考えてのことだという。そのあたりを自分で煮詰めていき、「この案でなければならない」というところへ持ってきて初めて、デザインを提案できるのだと思う。狭苦しい下路トラス橋が嫌われるのもむべなるかな。

20100912-05.JPG「自分のデザイン」というものがないと、他の例について論理的にコメントすることができない。その例がこれだと思う。



この「橋は(というより、長期間、場合によっては100年間以上も使用され続ける土木構造物は、利用者に選択権を与えない/好むと好まざるとに関わらず、そこに存在する」というコメントは、八馬氏が「どこまでがデザインなのか」を明確に定義している証拠だ。

この「かえる橋」は「勘違いのデザイン」の例としてあげられている。これは何度かツーリング中に見たことがある。これを地元の人は数十年、もしかして100年以上見続けなければならないのか。そういうものなのに、こんなデザインでいいのか。そこまで重要でなくても、橋の名称が「ときめき橋」とか「ふれあい橋」でいいのか。つまりはそういうことだ。

八馬氏は「勘違いのデザイン」を、1980年から2000年の間の歴史に位置づけている。全力で納得する。実は「勘違いのデザイン」がなされたのは橋だけではない。鉄道が好きな人なら、国鉄末期に「地方色を出す」という三重目で、地方の車両工場や関係者が「勘違いデザイン」した、珍妙なカラーリングの車両たちを思い出すことができるだろう。「車両」という直方体という特性も、利用者の視点もないままに施された狂気の色。いまでも統一感をまったく欠いた、JR西日本の痛々しい地方色(順次ソリッドカラーに塗り替えられて消滅する運命にはあるが)はその例のひとつになると思う。



八馬氏は、秋田の臨海大橋のデザインも手がけた。欄干、照明、親柱も氏の手になる。特徴的なのは親柱だ。

20100912-04.JPG欄干との間に隙間があり、パイプが柵の役割を果たしている。これは、桁が伸縮する際に親柱と欄干の間隔が変化するのを、パイプが欄干側に刺さるのではなく、スイングすることで変化させないという方法をとるものだ。秋田県に行った際にはぜひチェックしてほしい。


この講演のustはこちら。


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関西本線下の川橋梁

関西本線下の川橋梁

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚


20100908-06.JPG
先に紹介した笠置橋のすぐ近くに、トレッスル橋脚を持つ橋がある。関西本線下の川橋梁である。いろいろ不思議だ。

まず、橋脚。ここは鈑桁2連で全長約35m。一またぎできる距離でもあるが、間にトレッスル橋脚を立て、その前後に12.68mの桁と22.3mの桁をかけている。これが不思議。

反対側から見る。
20100908-05.JPG

ふたつめ。どちらも魚腹型、しかも端部が斜めにカットされている。

みっつめ。トレッスル橋脚。
20100908-02.JPG川の流路を見ると、橋脚のある場所で川幅が狭くなっている。まあ、どうせすぐ木津川なので、ここを狭くしたのを原因としてなにかあっても深刻な影響など出ないだろう。




















よっつめ。対傾構の組み方。
20100908-03.JPG
どうにも目で追いきれないような組み方をしている。部材が直方体の平面上だけを行き交うのではなく、その内部を対角線上に結んでいたりする。「ねじれの位置」という単語を思い出した。




















橋台。
20100908-04.JPG
こちらは西側の橋台。隅石がこんな上まである。もしかしたら当初は下を通る道路がなく、川の水が洗っていたのかもしれない。航空写真を見たが、古いものはよく見えないし、1974年のものは未舗装路だったようだ。

この橋梁がいつ造られたのか、『歴史的鋼橋集覧』にも出ていないが、この区間の開通は1897年。規模こそ違えど、余部橋梁が開通したのは1909年。こ の橋より10年後だが、それでも橋脚用の鋼材は輸入していた。そのため、この橋の橋脚は外国製かもしれない。木津川橋梁はほぼ同時期の開通で、パテント シャフト製(イギリス)である。…などと考えるといろいろ楽しい。

今回は考察なしです。ただ見てきただけ。





インドネシアのトレリストラス+ランガー(?)+トレッスル橋脚

インドネシアのトレリストラス+ランガー(?)+トレッスル橋脚

プラットトラス

米屋浩二さんがツイッターに投稿したこの写真を拝見して、のけぞった。インドネシアの橋だという。ポニーワーレントラスにアーチ型の補強をしてランガー桁にしてしまった関西本線木津川橋梁の逆+トレッスル橋脚。しかも、元は上路プラットトラスではなく上路トレリストラス。上路プラットトラスと異なり、端柱がハの字型ではなく逆ハの字型になっている。日本でも黎明期に採用されており、『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の62ページに図面がある。

木津川橋梁は、これだ。
IMG_3762_R.JPGこの形状では、トラスの上弦に働く圧縮力と下弦に働く引張力をアーチが分担し、元々のトラスにかかる負担を軽減しているのだと思う。

しかし、このインドネシアの橋は上路だ。力学的にはどうなっているのだろう。下向きのアーチは上向きのより弱いのではなかったか。

米屋さんの写真はCikubang Bridgeのようだ。検索してみると、けっこう似た画像はあるのだが、アーチの数が違ったり、ワーレントラスだったりで、米屋さんの写真そのものはなかなか出てこなかった。いろいろあってやっと埋め込めるものを見つけた。

 Image Hostingこのサイトより転載)


しかし、橋の名称はどれもこれも微妙に違う。Cikubang BridgeだのCibisoro BridgeだのCikurutug Bridgeだの…。そうしたたくさんの写真を見てわかった。

インドネシアには、この型式の橋は、たくさんあるのだ。

トラスはトレリスもあればワーレンもある。長さも高さも全く違う。
場所を探すのは少し難儀したが、ここだ。

大きな地図で見る

この場所はインドネシアのジャワ島(地図でいうと右側のほう)の西部、バンドンとジャカルタを結ぶ路線上にある。ほかにも多数の古い橋梁があるが、ここCikubang Bridgeはとりわけ有名なようだ。上の地図を別ウインドウで表示し、線路に沿ってスクロールさせながら衛星画像を拡大すれば、トレッスル橋脚の長大な橋がいくつも見えるはずだ。ストリートビューに切り替えれば、ストリートビューこそないものの、沿線で撮影された写真が埋め込まれているのを見ることができる。

wikimediaに、アーチで補強する前の写真があった。
File:COLLECTIE TROPENMUSEUM De spoorbrug over de rivier Tjikoebang TMnr 60052239.jpgThis file is licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license.

以前は普通の上路トラス橋だったのだ。それを、補強したのだ。

「インドネシア鉄道遺産」というサイト(www.indonesianheritagerailway.com)によれば、長さ300m、高さ80m。1906年から供用されているインドネシア最長の橋(ほんとか?)。アーチ状の補強が成されたのは1953年、ディーゼル機関車の運行を開始するにあたっての補強であった。サイト右側の「construction」をクリックすると、隧道や橋梁の情報を見ることができる。廃線隧道もある。


上記の橋の名前で検索すれば、youtubeに動画もいくつかあがっている。そのようにしてリンクをたどっていくと、日本では見られない異形の橋の数々に出会える。

これもなかなかすてき

海外の橋、日本の常識では捉えきれない。

笠置橋(京都府笠置町)

笠置橋(京都府笠置町)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)


(地図、画面左側の飛び地の形状に心奪われる)

20100906-02.JPG木津川沿いを東西に走る国道163号を走っていたら視界に飛び込んできた橋。それが笠置橋だ。なんとも奇妙な色である。渡河しているのはもちろん木津川。

写真は南に渡ってカクッと折れ曲がったところで撮影。写っているのは東側である。上の地図を拡大すると2本の橋が並行して描かれているが、西側には別途歩道橋がある。航空写真では、Yahoo!、Googleともに写っていない。この歩道橋は2007年4月に供用されたものなので、やがて衛星写真が更新されれば画面に現れてくるだろう(山城地域振興計画23ページより)。

20100906-07.JPGなんだろう、この塗装に対する違和感は。緑と赤、反対色という色使いのせいか、それとも塗り方に統一感を感じないためか。

緑の部分は、トラスの外側、上横構の上面、上横桁の側面。これが全部赤または全部緑なら、ここまでの違和感は感じまい。

*souitohさんから「20年くらい前からこの色だった」との証言をいただきました。感謝。塗装標記、どうなってるんだろう…?

塗装もそうだが、こののっぺしした感じ。この橋を愛する方には申し訳ないが、惹かれない。思うに、このつるぺた感がいけないのだ。H型鋼そのままの垂直材。箱形に組んであるがリベットもボルトもなく、リブが飛び出している斜材、上弦材。のっぺりした直方体である下弦材。ひっかかりがないのだ。斜材が45度で構成されているのも、大味だと感じる。高速道路の上路トラスなども45度で、しかも垂直材が1格間おきだったりして、それと同じ味わいだ。

20100906-04.JPG吊桁との接合部。右側が定着桁、左側が吊桁。

ん? 普通は吊桁は単体では上弦が短い台形になる(端柱の外側に垂直材が加わることはある)が、この笠置橋の吊桁は逆台形。これに気づいたのはこの記事を書くために写真を眺めていたときで、現地では気づかなかった。今後は気をつけて、よく観察せねばなるまい。

20100906-05.JPG下弦のピン。これじゃよくわからん…。

20100906-03.JPG銘板。

1959年8月
京都府建造
建示(1955)一等橋
製作.株式会社 宮地鉄工所
材質 SS41

とある。

親柱。
20100906-06.JPG4ヶ所とも撮影しないとあの人に怒られそうだが、めんどくさかったのですよ…。すみません。

この笠置橋にまつわる話が、笠置町のサイトに掲載されているのでご覧いただきたい。初代の吊橋はこちらの航空写真に写ってはいるが、判別はつかない。



帰宅後、この近くにポニープラットトラスがあることを知った。笹瀬橋という。キーボードで打つと左手薬指と小指ばかり使う、打ちにくい名前だ。

場所はここ。


画像はこちら

笠置橋とほぼ同世代、1955年製ながら、プラットトラスであることの不思議。訪ねてみたい橋だ。


珊瑚橋(岩手県北上市)

珊瑚橋(岩手県北上市)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



20100905-04.JPG岩手県北上市のカンチレバートラス橋、珊瑚橋。トラスの背が低い一方、定着桁の支点、三角形部分の背が高いので、とても好ましい形をしている。これを分析すると、トラス部分は三角帽子の半分くらいの高さがいい、ということになる(あくまで自分の好みの話)。

この「好ましい」という印象は、おそらくポニートラスであることから来る。ポニータイプのカンチレバートラス。他の例を調べていないが、多くはないと思う。もともと、径間を大きくするためにカンチレバーにするわけで、一方ポニートラスは径間が短いところで使用することを目的としているからだ。。

上の写真は上流側(東側)から。対岸に桜が咲いている。そこは「北上川展勝地」と呼ばれ、撮影した日はまさに桜が満開、花見客が多かった。といってものんびりしたもので、橋を行き交う人も多くは感じたが時に途切れる程度だった。

下流右岸から見る。
20100905-01.JPG隣接して歩道橋が架けられている。支点の三角部分に一致させているので一瞬よくわからないが、斜張橋である。

主塔に寄ってみよう。
20100905-07.JPG
このとおり、鈑桁の補剛桁が、3径間連続している。これをふたつの主塔から吊っている。

20100905-08.jpg歩道橋の製造銘板。
1970年
岩手県建造
示方(1967)横断歩道橋設計指針
製作○○工業株式会社
○○SM41A、SS41

歴史的鋼橋集覧によれば、歩道橋を架設したのは1971年である。

20100905-06.JPG吊桁との支承部分。きっちりと「乗っかっているだけ」。

20100905-09.JPG歩道橋を歩けば上からのぞける。

20100905-10.JPG車道越しに見ると、載せかけてあるのがよくわかる。載せかけてある吊桁は、ポニーワーレントラスである。また、歩道の斜張橋のワイヤーも写っている。

真正面から見るとこう。
20100905-02.JPG親柱は健在。そして、左右のトラスを結ぶアーチが美しい。アーチの上にまたアーチ。

20100904-21.jpgアーチの上のアーチは装飾目的だろう。ここには上からの力はかからない。

20100904-22.jpg桁の裏側。吊り掛け部分は残念ながら川の上なのでのぞけない。

また、これを見ると、橋脚が更新されているのがわかる。歩道橋架設と同時期だろうか。


この珊瑚橋は、風景印にもなっている。ほどよく古びた形、好ましい小ささが、桜を愛でる北上展勝地と馴染んでいるのだろう。サイト『風景院gallery』掲載がある。

また、この珊瑚橋は、初期の道路橋のサンプルのひとつとして、『本邦道路橋集覧』第三輯に概要と図面が掲載されている。『歴史的鋼橋集覧』の図面もこれを転載したものだ。


大堰橋(京都府) 吊桁の謎

大堰橋(京都府) 吊桁の謎

カンチレバートラス(ゲルバートラス)

20100904-01.JPGこの美しいカンチレバートラス。まだ塗り替えたばかりでピカピカだ。カンチレバートラスはワーレントラスが多いような印象があるが、これはプラットトラスである。

この橋は京都府南丹市(旧八木町)にある大堰橋(おおいばし)。八木大橋、と書かれる場合もあるが、ここでは親柱に従い大堰橋とする。歴史的鋼橋集覧のページはこちら。ただし、「カンチレバートラス+RC単純桁」とあるが、図面はそれとは異なり10径間になっている。その図面は本邦道路橋集覧内の第4輯・突桁式鋼構橋と同じものだ。「突桁式」がカンチレバー式(ゲルバー式)、「構橋」がトラス橋を表す。現在の図面は南丹市の「広報なんたん」に通行規制のお知らせが出たときに掲載されたものがある。この図面では鈑桁は単純桁が3連、連続しているように見える。鈑桁が架け替えられたのは1996年だ。「JR八木駅かいわい」asahi.com


この大堰橋がかかるのは桂川。この下流は保津峡を刻み、京都の西側を南下し、大山崎付近で宇治川、木津川と合流し、淀川となって大阪湾に流れ出る。

上流(北)から見る。3径間のカンチレバートラスと3径間鈑桁の組み合わせである。
20100904-03.JPG下流(南)から見る。
20100904-02.JPG
手前に車道橋から独立した歩道橋がある。また、側面に電飾が取り付けられている。

西側(八木駅側、トラス側)の橋門はこう。
20100904-07.JPG親柱が向かって左にしかない。向かって右には歩道の桁が増設されたため、撤去されたようだ。往時のスタイルは古い絵葉書が残っており、サイト「まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室」さんの「古絵葉書・新設八木町大堰橋」というページに紹介されている。これを見ると、きちんと両側に親柱がある。

歩道を増設したときに、橋脚は更新されているようだ。

残された親柱にはこうある。
20100904-06.JPG「おほゐばし」。旧仮名遣いで「堰」を「ゐ」と表記するのは初めて知った。

銘板。塗装で塗りつぶされて読めないが、反対側の銘板から推測して
20100904-04.JPG昭和拾年
株式会社横川橋梁製作所
大阪工場製作

だろう。カゲロウがくっついている。

そのまま少し進む。
20100904-05.JPG
なにか、いまいち重厚な気がしない。リベット留めなのに、最近作られた橋であるかのような、のっぺりした印象がある。

そのまま東側のトラスの終端部。
20100904-10.JPG
歩道が手前に向かって拡幅されている。また、親柱は見あたらない。まあ、この後も鈑桁が続くので、ここにはないのかもしれない。

銘板。
20100904-09.JPG
西側よりははっきりと読める。左上に見えているものは電飾。

ちょっと視点を変えて。
IMG_4993.jpg

そのまま東側へ。
IMG_4997.jpg
鈑桁は3車線分あり、端部はこのようになっている。そして、親柱がある。

西側の親柱と同じ型式のものだ。当初よりあったもの(または架け替え時に存在していたもの)を、橋梁の拡幅とともに移設したのだろう。

IMG_4998.jpg「大堰橋」と書いてあるが、どうも新造したように見える。西側が青銅製(?)なのに対し、こちらは砲金(?)。材質には明るくないのでわからないが、明らかに材質は異なる。



鈑桁を見る。
IMG_4999.jpg
図面を見ると3連の桁に見えるが、写真を拡大してみれば連続桁である。

そして、橋脚に注目。冒頭の、左右全体写真と合わせてごらんいただきたいが、開通時の昭和10年のものではない。

カンチレバートラス部分は歩道が付加された分、橋脚が幅広くなっている。鈑桁部分は桁が広くなったのだから、もちろんその幅の分、橋脚が幅広くなっている。鈑桁が架け替えられた1996年に、同時に更新されたのだろうか。

この大堰橋の、カンチレバートラス部分は桂川の本流をまたぎ、鈑桁の一部も本流をまたいでいる。しかし、鈑桁部分は本来、かつて10径間だったこと=橋脚が多数あったことからわかるとおり、横溢部だった。

1974年度の航空写真(ckk-74-14_c9a_6)を見る。
ckk-74-14_c9a_6.jpg(国土画像情報ckk-74-14_c9a_6をトリミングのうえ転載)

現在はこんなだ。比較してみてほしい。


先に「のっぺりした印象」と書いたが、その理由は、部材が修復されているためだ。たとえばこうなっている。
20100904-11.JPG
道路越しの向こう側のトラスの、右端の斜材が修復されたものだ。

20100904-12.JPG手前に見えているのが、修復されたもの。リベット留めではなくボルト留めの補強板がある。

原型はこう。
IMG_5007.jpg
山形鋼(L字型)をリベット留めし、その間にレーシングブレースが挟まれている。

それに対して、修復済みはこう。
IMG_5006.jpg
山形構の下にもう1枚挟まっているように見える。また、側面も滑らかだ。

格点部分にも、修復した部分とそうでない部分の差は明らかだ。
20100904-08.JPG

.


カンチレバートラス橋としての、吊桁と定着桁との結合部分はどうなっているだろうか。実は、よくわからない。冒頭の写真でいえば、三角形の頂点から数えて2格間左側の上弦と下弦にピンがあるが、この場所にピンがあるのにどうやって吊桁と接合しているのかが見えてこない。吊桁は定着桁と剛結合しているようにも見える。

上のピン。
20100905a.jpg右が吊り桁。

下のピン。
20100905b.jpg右が吊り桁。見えている斜材は吊り桁の端柱。まったくわからない。この結合をどなたかご教示ください……





No Image

北越急行(下り)十日町駅進入と発車/くびき発車

高架橋

以前、『北越急行の地形的妙味(1)十日町』というポストをした。先日、この区間の動画を撮ってきたのでyoutubeに上げてみた。動画を撮るのもupするのも初めて。稚拙であることには堪忍。


まずは、しんざ駅を出てから高架を走り、十日町駅へ駆け上がるシーン。
延々と左カーブをしながら、高さを稼ぐと右、左と頭を振り、十日町駅へと進入。この「右→左」コンボが、まるで実物の鉄道ではないかのように感じる。


続いて十日町駅を出る。

まるで、ジェットコースター最初の「いちばん高いところから急降下」みたい。

つづいて、くびき駅発車。

この剥き出しのスラブ軌道に惚れる。


英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)和歌山県中橋

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)和歌山県中橋

ポニーワーレントラス



和歌山県和歌山市の中橋である。英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その6)和歌山県新興橋で紹介した新興橋の兄弟橋と言ってもいいもので、1953年にこの地で供用された。歴史的鋼橋集覧によれば、拡幅し、どこかからか再転用されたのではないかとしている。

20100903-02.JPG英国系ポニーワーレントラス共通の「下弦の上に、1パネルにつき2本の横桁が乗る」というものを改造して、本来あるべき場所(画像中、赤く囲った部分)の真下に横桁をリベット留めしている。なお、この赤枠内の鉄板は強度メンバーではない。こんな歪んだメンバーがあってたまるか。

20100903-08.JPGこのように、下弦の内側の部材に、横桁をリベット留めしている。こうして見ていると、この横桁は、本来の横桁を転用したのではないのか、という疑念も湧いている。いままでこの横桁と同じような長方形で、縦のリブがいくつもかましてあるものは見たことがないが、縦桁を避けるようにリブがついているので、これはこれで「リブが後付けである」ということの状況証拠であり、やはり本来の横桁を流用したのかもしれない。

20100903-10.JPG角度を変えてみると、横桁の作り方が、従来見てきた100フィートポニーワーレントラスの横桁と同じくコの字型の部材を背面合わせにリベット止めにした構造だ。そして、端部を下弦の内側の部材にリベット留めしている。

20100903-11.JPGどのように下弦にリベット留めしているかという例。

下弦は、内外2枚の溝形鋼でできているが、そのうち内側だけに横桁の荷重がかかる。内外はピンでつながれているのだが、こういう場合、バランスが崩れたりはしないのだろうか。

20100903-07.JPG反対側全景。


新興橋の記事(その6) 
と合わせてご覧いただきたい。






ポニープラットトラス/石手川橋梁(愛媛県)

ポニープラットトラス/石手川橋梁(愛媛県)

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



「石手川橋梁」という名称の鉄道橋は、JR四国予讃線のプラットトラスと、この伊予鉄道石手川公園駅のふたつがある。ここで紹介するのは後者である。流れとしては、「100フィートポニーワーレントラスの横桁考」で考察しているのと同じつもりで見に行ったのだが、こちらはそもそもプラットトラスであり、根本的に構造が異なっている。以下、見てきたままに写真だけ。

20100830-01.JPG松山市内を西へ流れる石手川に架かる103フィートの橋。写真は下流側から見たもので、いままで紹介してきた英国系ポニーワーレントラスとは形態が大きく異なることがわかる。製造は、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリーだが、標準設計の「英国系」ではない。

(アメリカ製、と書いていたのを修正。眠くて落ちながら書いたんだよ…と言い訳)


20100830-02.JPG
北西側(地図でいう左上)には踏切があり、それよりも少し駅寄りの土手から。

この橋が支えているのは、線路だけではない。プラットホームも支えている。だから、本来必要とされる幅以上の広さを持つといっていい。ただし、橋の部分にまでホームが延長されたのは後年だとどこかで読んだ気がする。開業2年後の1974年の航空写真でも、ホームはないように見える。レールは橋梁の中央部分に敷かれているので、ホームがあるからと言ってトラス側に寄ったりしているわけではない。

20100830-03.JPGプラットホームから見ると、トラス部分はこのようになっている。ホームに鎮座するトラスの部材間にはロープが張ってあり、通り抜けできないようになっている。

画面左側すなわち上流側のトラスの向こうには歩道がある。駅の出入り口は対岸側(写真右の奥)なので、かなりの頻度でここを人が歩いている。

20100830-05.JPG横桁は英国系100フィートポニーワーレントラスとは架け方も本数も異なる。かけ方は、垂直材と斜材をピン結合してあるその上に架けてある。英国系100フィートポニーワーレントラスのように1パネルの間に2本の横桁が乗る、というようなことはない。

20100830-04.JPGピン。

20100830-06.JPG横桁の形状は、直線基調である。縦桁をくわえ込んでおり、縦桁の上に横枕木とレールが載っている。その縦桁は、橋梁の中央に位置している。「英国系」は、横桁の上に縦桁が乗るので、明確に構造が異なる。

20100830-07.JPG
これは上流側から見た橋の側面だ。



この橋の製造は、歴史的鋼橋集覧によれば1893年。標準設計の「英国系」100フィートポニーワーレントラスは1876年の京都-大阪間の鉄道開通時にすでに使用されており、なぜこの石手川橋梁が、既に多数の実績のある「英国系」ではなく、プラットトラスになっているのかという疑問がある。そして、これが『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)』のリストにないのも不思議だ。

歴史的鋼橋集覧には「筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」とある。筑豊工業鉄道が若松-直方間(現在の筑豊本線)を開通させたのは1891年である。また、上記論文のリストにも、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは例がない。標準設計が当然の鉄道橋梁の歴史の中で、この石手川橋梁と、既に失われた遠賀川橋梁がどのような位置づけになるのか、とても興味深いが、いまは知る術もない。

横利根閘門(茨城県←千葉ではない)

横利根閘門(茨城県←千葉ではない)

閘門・水門・水路

8月28日、「十二橋クルーズ+鹿島工場ツアー」に参加した。主催はイカロスの大野さんだ。ルートはこう。

sawara_map.jpg【道の駅佐原→利根川→中江間閘門→中江間水路→与田浦→新左右衛門川→十二橋→加藤洲閘門(工事中で通行止め、折り返す)→与田浦→大割水路→大割閘門→常陸利根川→新横利根閘門→横利根川→横利根閘門→利根川→道の駅佐原】(上記地図はDAN杉本氏のカシミール3Dを使用して作製)

水路を行くのは初めてなので、閘門の中を行くのも初めて。ルートにはいろいろな閘門が組み込まれていたが、もっとも気になったのがこの横利根閘門だ。常陸利根川(北側)から利根川(南側)に向かって進む

20100829-01.JPGいや別に煉瓦だからとかそういうことではない。煉瓦ってずるい。煉瓦だというだけで取り扱いが変わる。ただの材料じゃないか。

いや、この閘門が気になったのは、他の閘門と異なり、

(謎1)観音扉のゲートだったこと
(謎2)通常、閘門を挟んでゲートは1組なのだが、それが2重、すなわち4つのゲートがあっていたこと
(謎3)ゲートはそれぞれ対になり、菱形をしていたこと
(謎4)それぞれのゲートの高さが異なること
(謎5)ゲート先端に木材が打ち付けてあること

というように、やたら特殊な感じがしたのだ。門扉がこちらに突き出しているのがわかるだろうか。

位置の紹介がてら、航空写真で見てみると、その意味がわかるだろう。


「2組の菱形」の存在がわかるだろうか。左上が常陸利根川方面、右下が利根川方面である。便宜上、左上常陸利根川方から「1番ゲート」「2番ゲート」…とする。

船を近づけ、1番ゲート開扉。
20100829-02.JPG1番ゲートよりも2番ゲートのほうが背が高い。

向かって右側の上にあるでかい歯車が動いている。
20100829-05.JPG
雨ざらしでこれが回っていることに感動する。注油も大変なんじゃないか。

ここが自動化されたのが何年、だとかいう記述をどこかで見たが、それまでは向かって左の歯車を手でキリキリ回していたのだろうか。

1番ゲート全開。
20100829-03.JPG
向こうに見える2番ゲートが、向こうに向かって突き出しているのがわかるだろうか。

進む。

20100829-06.JPG進行方向(利根川向き)左を振り返ってみる。1番ゲートと2番ゲートの高さの差がこれだけある。

2番ゲートの先端部(画面では右側)は木製である。これが謎だった(後述)。

また、画面右側に奥行きのある窪みはなんだろう。この下部から注排水するのではないかと思う(まったくの憶測です)。

20100829-07.JPG閘門内に入り、1番・2番ゲートを閉め、注水、3番ゲート開放へ。すべて手動。


20100829-08.JPG通過し終わるまで、ここにこれだけ興味を持つとは思っておらず、3番・4番ゲートが閉まっている状態の写真はない。これは、開放後の、利根川に向かって右側である。

ここで、4枚のゲートのうえ、2番・。3番、すなわち利根川方のゲートのほうが高さがあることに気づいた。

文字で書くとこんな感じ。

(利根川)≪>   ≪>(常陸利根川)

菱形の上に、利根川方のほうが高さがある。なぜだ。現地ではまったく疑問を解決できないまま横利根閘門を後にした。
20100829-10.JPG後ろを向き、利根川から常陸利根川方向をみている。当然だが2番ゲートは閉じられている。





さて、帰宅後、この横利根閘門について検索したが、上記疑問に答えられるものは発見できなかった。wikipediaに項目があったり、香取市などのサイトで説明しているが、いずれも「複式閘門である」という記述があるのみで、まったく使えない。「複式閘門」ってなんだよ!説明しろよ! こういうことは、間違いなく、市の教育委員会もコピペでものごとを済ませている証拠である。どこのなにを引用したか書いておいてくれ。

さて、検索結果の中に、この閘門は重要文化財ということで、文化庁のサイトにはこのような記述があった。橋長強調磯部。
(近代化遺産)
4 横利根閘門(よことねこうもん)  一構(ひとかまえ),   閘室(こうしつ),閘頭部(こうとうぶ),閘門外擁壁(こうもんがいようへき),閘門用地(こうもんようち)
茨城県稲敷郡東町西代(いなしきぐんあずままちにししろ)地先 国(建設省), 横利根閘門は,利根川と常陸利根川を結ぶ横利根川の南端,利根川との合流点近くに位置している。横利根閘門は,水位調節時の停船場となる閘室と,その両端で門扉を収容する閘頭部からなる。明治33年から昭和5年にかけて行われた,内務省直轄の利根川改修工事で建設された。工事は中川吉造(きちぞう)を中心に進められ,大正3年8月に起工,大正10年3月に竣工した。以後,横利根川や,霞ヶ浦沿岸地域の治水,及び利根川流域の舟運発達と地域経済の活性化に大きく寄与した。, 横利根閘門は,利根川改修工事における,代表的土木構造物の一つである。設計及び施工の水準が高く,我が国で最大級の規模を持つ煉瓦造,両端を内開きと外開きの二重の門扉とした複閘式(ふっこうしき)閘門である。土木技術史上,煉瓦造閘門の,一つの到達点を示す遺構として,重要である。,,,○指定基準=技術的に優秀なもの,及び歴史的価値の高いもの
ここでも解決せず。閘室、閘頭部は説明があり、閘門外擁壁閘門用地は説明がなくてもわかるのだが、「複閘式閘門」、これは「複式閘門」の別名だと思うが、この説明がない。


引き続き検索し、下記のことがわかった。

(A)観音開きのゲートは「マイターゲートmiter gate」という。その由来はYahoo!の辞書のイラストがわかりやすい。
(B)マイターゲートは、水位の高い方に突き出す形で閉じる。つまり、通常は同じ方向に突き出す。理屈はこうだ。ゲートの表裏で水位に差があると水圧にも差が生じる。水位の高いほうが水圧が高いため、それを利用して密着させるために、水位の高いほうに突き出している。アーチ構造の要石の役割を水圧が果たす(ちと違うか)。
(C)ゲート端部(つまり合わせ目)には密閉度を高くするために木材を用いることがある。
(D)「利根川が増水した時に、横利根川は霞ケ浦に逆流する」(稲敷市のサイトより。原典不明)。ということは通常は常陸利根川から利根川方向に流れる(見学時には私にはどちらの水位が高いかわからなかった)。

これらから考察するに、
・本当は、常陸利根川に向かって突き出すゲート(1番、3番)だけでいいのに、たまに利根川が逆流するから、それに対抗するような配置で利根川に向かって突き出すゲート(2番、4番)があり、結果、菱形になる。
・そのため、ゲートの高さは1番と3番、2番と4番が同じとなっている。
・利根川の逆流のほうが、常陸利根川からの通常の流れよりも大規模か、水位が高いため、2番・4番ゲートのほうが1番・3番よりも高い。

つまり、

・利根川が逆流する可能性がなければ、4組のゲートではなく、ゲート2組の通常の閘門になるはずだった

ということだ。すべてすっきりと解決した。


#のちに「閘頭部」を検索していたら、がーちゃんのサイトにあたった。昨日ご一緒してたじゃないか…おうかがいすればよかったよ。とほほ。



ついでに。

もう一度、地図を掲示する。


この横利根水門付近の県境のラインがおかしい。

これは、本来の横利根川に沿って県境が定められたのに、その後、川の淵側を短絡する形でこの横利根閘門が設置され、本来の川筋は埋め立てられてしまった。しかし、県境は動かさなかったため、、本来の県境がおかしな形で残ってしまったのだ…と推測する。





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