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国道40号。旭川鷹栖と比布とを分ける尾根をショートカットする比布トンネルの旭川側坑口(上写真右)。その北側(上写真左)に旧隧道がある。写真左に写る建物は「ドライブイン路傍」。すでに国道の路傍ではなくなったが、営業している。写真に写る道路はかつての国道40号だ。

少し手前にはこのような看板が残っている。

もう少し進むと、きれいな制限標識と警戒標識があった。ここより向こうから、いきなり路面が荒れる。

高さ制限が3.8m。比布隧道が放棄された理由は、もしかしたらこれかもしれない。

比布隧道の旧道は閉鎖されていた。断面は尖頭アーチのようにも見える。高さ制限3.8mの上にこれではいろいろと厳しかろう。

「比布隧道」の扁額は残されていた。トンネル内は閉鎖されてい入るが、中央部は開口している。路面の中央線は白線。

入口から振り返る。切り通しの向こうに見える空間は旭川鷹栖の空。

反対側(比布側)。左が現道。右に見えるのが旧道…と思いきや、これはこんな形をした変電設備であり、背後の山とは接していない。

これが旧道。こちらの中央線は黄色だ。

坑口。東側ということで旭川側よりも木が繁茂する条件がいいのか、あるいは切り通しの法面との関係か、こちらのほうが廃道感がある。塞ぎ板も、ヴォールト内ではなく坑口とほぼツライチだ。扁額は旭川側に同じ。

振り返ると、道路は断絶している。その向こうには比布川。もちろん、かつては橋がかかっていたが、いまは跡形もなくなっている。







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  車掌車を改装して駅舎とした駅は多いが、この勇知駅の駅舎はとてもきれいな形に改装されている。前面をアルミ材で覆い、内装もデコラを貼っている。駅周辺はそれなりの規模がある集落で、人が住んでいる=利用者がいる、ということが、こうした改装を実現した理由かもしれない。

清潔に保たれた内部。窓は種車のとおり二重窓。奥左は用具入れ、右がトイレ。かつてのデッキをつぶし、車室とつなげている。

トイレ。ユニット…ではなく、現物あわせで作ったものだろう。このような駅でトイレットペーパーが備えられている。また、利用者がいるというのも失礼ながら驚きだ。

入口側を見る。

勇知駅のかつての姿はwikipediaに掲載されている。周辺の鉢植えと合わせ、生まれ変わったと言っていい。
(Mr-haruka GFDL)


初めて買ったオフロードバイク用ブーツはガエルネの401だったが、1996年頃からはずっと、AXOのモトクロスブーツを愛用してきた。仕事でもお借りしていたのでたぶん七代にわたって使ってきた。2003年モデルを、ここしばらくは年に1回だけなんだけど、約10年使ってきて、ついにバックルが複数箇所壊れてしまい、補修もできなくなった。家の倉庫を片付けていたら、その前に1年間履いていたブーツが出てきて状態もよさそうだったので「これはいい」と南会津に持っていった。で、こういうことをしていた。

このブーツはモトクロスブーツなので、至る所にプラのプロテクションパーツがついている。ところが、これが思わぬ落とし穴となった。プラが経年劣化して、割れてしまうのだ。

走っているうちに足の甲が割れ、くるぶしが割れ、バックルが割れ…。

まあ、10年も放置しておけば、プラはそうなるのかもしれない。


以下、あくまで「10年放置していたブーツ」のその後、である。プラが硬化しないよう適切な手入れをし、ときどき使用していれば、こんなことは起きないと思うので、そこだけはお間違いなきよう。

左足外側。爪先から踵へのプラがすべて破損。最下部のバックルが引きちぎられた。下から2番目のバックルをはずそうとしたら、ブーツ側の留め金の台座のほうがもげた。

左足内側。爪先から踵へのプラがすべて破損。くるぶしのヒートガードももげた。縫い目については後述。

右脚外側。左足外側と同じく、爪先から踵へのプラがすべて破損。最下部のバックルも同じく引きちぎられた。

右脚内側。左足内側にすべて同じ。

こうして見ると最初から白いブーツのようだが、足の甲の大半は黒いプラで覆われていた。

縫い目について。思わぬところでブーツの革の接合を見た。縫製はしっかりしていて、ブーツ本体の革にも糸にも劣化はない。あくまでもプラ部分が劣化したため、左上の√型は、縫い込まれた糸があるプラパーツのステッチ部分の溝だけが残り、他がもげている。そのすぐ右下のジグザグは、プラパーツの下で革を留めていた部分なので、ほぼ変化なし。ソールに近い山型は、プラパーツを固定していた糸。

ソールとの接合部の劣化は、靴では常識ではあるが、10年くらいではげてほしくはないものだ。



さて、ブーツを買わねばなるまい。(ポチった)
北海道。オロロンラインに稚咲内という場所がある。行政では豊富町になる。子供の頃、なにかの本で「わっかさかない」とルビが振ってあり、ずっとそう読むのだと思っていた。しかし、現地の道路標識はすべて「わかさかない」であり、促音は入らない。

とはいえ、誤りとも限らない。地名は現代においてなお変化するものであるし、地域に住んでいる人たちでさえ違う読み方・表記をすることもある。地図帳の類が誤記をしてしまうとそれが広がっていく。「わっかさかない」「わかさかない」双方の例を挙げる。中央官庁の文書等では、たまたま参照したものに左右されているようだ。

●わっかさかない
国土地理院

●わかさかない
郵便局 

上の写真は「Wassakinaiわっさきない」であり、誤字であろう。ほかの同種の標識はすべて「Wakasakanaiわかさかない」だった。

宗谷本線抜海駅。正面および玄関付近の外板が更新されている。牛山隆信さんのサイト『秘境駅へ行こう!』での2002年のレポートではまだ板張りだ。

しかし、『日本の駅』(鉄道ジャーナル社刊、1972年)ではこのような形で掲載されている。中央部分を凹ませたのか、向かって左を出っ張らせたのか。屋根も外板も更新されているので、羽目板の数を数えても意味がない。遠近感の印象からすると、向かって左を出っ張らせているように見える。

更新された部分の窓。二重窓で、内側は木の桟の三段窓。ということは、ここが当時のままか。

対して、向かって左の出っ張り部分の窓。木枠ではあるが、本来はここも上と同じ木桟の三段窓だったはず。ということは、やはりここを増築したものか。

* * *

入口の雪切り室入って右に木の戸がある。ここが便所だ。左の赤い戸は待合室への入口。

冒頭の駅舎の姿の比較でもわかるとおり、ここに便所を配置したのは増築時だろう。増築は1972年以降ではあると思うのだが、その作りは民家のようだ。公共施設の建築らしくない。

ガラガラと戸を開けると、そこには朝顔と個室。もちろん清潔。個室の便器の前には「もっと前」。現代の感覚からすると、便器にまたがるときの前後が狭すぎる…。

* * *

待合室への戸はなぜか赤。周辺の壁の腰板は水色。

待合室内部。右が入口で、両開き戸。足ふきの位置…とでもいおうか、そういう雰囲気の床の位置が戸とずれている。左はホームへの戸。

反対向きに。右、ホームへの戸は引き違い戸。

奥左はかつてのきっぷ売り場、右は荷物用窓口。


 
線路を渡って駅舎背面。差し掛け屋根の下は雪切り室。左側の窓枠は木桟のまま、右の2連のみ更新済み。

  上は駅舎側(下り線)の駅名標、下が対向するホーム(上り線)の駅名標。上は新ゴ、下はゴナ。つまり下のはJR化時に架け替えられたもの、上はその後更新されている。

出版業界では2005年ころはまだゴナのような写植書体も使われていたが、DTPの普及とともに急速に新ゴで代用されるようになった。こうしたころから更新の時期もなんとなく類推できる。









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