JR宗谷本線豊富駅の跨線橋。なんとなく、不格好に見える。冒頭の裏側から見たものは水門のように見える。また、階段部ともに窓が大きいからだろうか。…いや、それもそうなのだが、よく見ると、階段部の窓の位置が不揃いだ。 橋脚は壁式のような形。跨線橋部分はコンクリート主桁。5主桁の上に張り出し部分を含めて床版がある。まさに「橋」。 階段内部。外観のとおり、踊り場はあるものの、天井は直線。 橋脚にあった銘板。 豊富駅こ線橋 設計 旭川鉄道管理局 施工 株式会社富田組 構造 桁 PC桁 全長 14M20 階段及び脚 鉄筋コンクリート造 きそ RC桁D=0M26 ℓ=8M0 本数40本 着手 昭和41年6月 しゅん功 昭和41年8月 豊富駅舎。昭和41年築なので、跨線橋とほぼ同時ということだろう。当時の国鉄設計の流行に従い、腰部はタイル貼り、窓および窓上は大きなガラス張り。北海道らしく、煙突が2本抜けている。 内部。無人化から30年近くたっているものの、駅事務室が喫茶店「きっさ ステーション」に改装されて人が常在しているためか、まるで有人駅のようなぬくもりがある。改札口の箱も、おそらく出札・集札を区切っていた人研ぎの仕切りも健在だ。
国道275号に面して、元給油所のサービスルームがぽつんと建っている。その隣には、整備工場の倉庫(?)。
サービスルームが水色で、ピットが白。そして、冠に給油所名。左端のガラスの向こう(室内)に、白い円盤が二つ並んでいる。これは計量器についている日石CALTEXのマークをとりはずしたもの。 独特の書体ではあるが、昭和40年代などにはいろいろなところで使われている気がする。 シチサン。 * * *
冒頭、給油所の右に移っている建物。これには「猿払運輸整備工場」とある。検索しても出てこないので、果たしていま、あるのかどうか。 正面は木製。側面もおそらく木製、その上にトタンが貼ってあるのだろう。正面にはシャッター。 周辺は片付いているので、いまもこの敷地は使われているに違いない。
中頓別のコスモ石油の向かいに、おそらくそのコスモがかつて営業していただろう「北砿石炭販売株式会社」と掲げられた燃料店がある。2階窓上には「灯油・プロパン・オガタン・石炭」、窓の左には縦で「丸善石油」、右には横書きで「三井石油ストーブ」「ヤマサ(屋号の書き方)ストーブ」「ガス器具各種」「TEL51」などなど。
正面こそモルタルで飾っているが、側面を見ると倉庫然としている。シャッターの上に躍る「石炭」の2文字。 こちらから見ると、樹木のおかげでそれほど倉庫っぽくは見えない。 * さて、向かいにあるコスモ石油は、いまの国道275号からはちょっと引っ込んだ位置にある。サインポールはかろうじて国道から見えるが、国道に面していないのはなぜか。 現在の位置を電子国土+Kashmir3Dで見ると… コスモを赤、この建物を黄緑で記した。ネット地図ではちょっとわかりづらいが、この地図でははっきりと、待ちの南から東を迂回する形の道が見える。これが旧道だろうかと思って1974~1978の空中写真を見てみると… 予想外に、鉄道だった。いや、ここに鉄道が走っていたのはもちろん知っているのだが、こういうルートを取っているとは考えなかった。 これから考えるに、燃料店は街中を向いているもので、コスモ(おそらく当時は丸善石油)も国道を見据えつつも客層としては街中を向いていたのではないだろうか。 |
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