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新潟市の郊外、松林の中の道で出会った、新潟交通のバスの廃車体。

 
こんな立地。バスの向こう、左を向くと畑があるが、ここは、いかにもな砂丘の防風林。


 
 
 
中には入れないので、窓からのぞき込み、カメラを差し入れた。私が新潟にいたころ(1991年3月まで)には大型の「銀太郎」に混じってそこそこ走っていた気がする。「銀太郎」はメイン路線である信濃町・浜浦町線や西小針経由内野線で、亜幹線というか、附船町線や有明経由内野線はちょっと古い、こういう型が入っていたと思う(有明経由…はドアは中央ではなく後ろばかりだったかも)。まったく詳しくないのだけれど。

twitterでご教示をいただきました。だいたいの記憶と一致しました。ありがとうございました。






懐かしい写真がたくさんのサイトです。
■懐かしい《1979年(昭和54年)8月頃の》新潟交通バスの写真 「前編」



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上興部で、国道沿いから見えたバスの廃車体。天窓があるのが珍しいと思って撮影。よく見るとヒサシがついている。


後ろの倉庫が顔に見える。

 
天窓はパノラミックウインドウ。お金がかかっている。端柱や屋根最後部のRが、ほどほどの古さを感じさせる。

 
側面には「北紋バス」。

北紋バスの滝上営業所も見たが、板で作られたと思われる「北紋」のロゴがとてもかっこよかった。しかし、用もないのに近寄って写真を撮ることはためらわれたので、写真はない。代わりにリンクを貼る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hokumon_bus_Takinoue01.JPG

私はバスはまったく不案内だが、偶然にもタイムラインに同種のバスの写真と、その車種特定のツイートが流れていった。




サイト「80s岩手県のバス」によれば、R13型前記というのが1963年から1970年とのこと。私よりも年上だった。


国道7号沿いにある勝木(がつぎ)営業所。こぢんまりした車体のバスが比較的広い敷地に散在している。事務所は定期券等を販売しているようだ。一声かけて撮影させてもらった。

 事務所塔に並んで、2車分の木造車庫がある。入口はシャッター。巻き取り部(ケース)はおそらく室内側。開口部が大きいためか、門構えにトタンだろうか、補強がしてある。トラス橋でいえば橋門構、こういう場合はなんというのか。側窓はサッシ。

車庫内には1車分のピットがある。内部は防寒のためか汚損帽子のためか、ブリキのようなものが貼ってある。ここにバスが入り、整備されているさまは、さぞ「絵になる」ことだろう。



special thanks 丸田祥三さん




子供の頃、実家の裏の松林に、バスの廃車体があった。なぜそんな場所にあったのかはわからない。いつまであったのかも定かでない。おそらく私が小学校に上がる前にはなくなってしまったのではなかろうか。その廃バスは子供たちの遊び場になっていて、運転席は取り合いだった。もちろん窓ガラスなんかはなかった。

廃バスはそこかしこで見かけるが、私はバスについての知識はない。たまたま、丸田祥三さんの撮影にお供した際にいくつか見かけたものを下記にアップする。珍しいものもあるようだ。

●千曲自動車 いすゞBA741


 
『日本の廃道』の「ご巡幸道路」の記事でヨッキれんさんが触れていたもの。タモリ倶楽部でもヨッキさんが紹介していた。バス後部窓の右内側に、鉄道用ディーゼルカーの排気管のような筒状のものがあるのだけれど、これはなんだろう?

●日産5RA

 
長野原町の国道沿いに、廃バスがたくさんある地域がある。そこで見かけたもの。丸田さんがtwitterにアップしたら、すかさずCURIOUS編集部が下記のツイートを。

日野RM100

「常盤館」とある。合宿所の送迎バスかなにかだろうか。

●不詳

やはり「常盤館」とある。前面に簡易トイレがくくりつけられている。

●いすゞBU10K

  国鉄バス。私は国鉄バス不毛地帯の新潟で育ったため、まったく馴染みがないのだが、長野原線(吾妻線)沿線は国鉄バスは多数走っていたはずだ。その名残だろうか。


(型式は丸田祥三さんのご教示によります。ありがとうございました。)

綾部橋国道27号を遡る形で東へ向かう途中に、給油所の跡があり(後述)、その隣に広大な車庫の跡があった。京都交通の綾部営業所跡だ。この「京都交通」は2004年に会社更生法を適用した会社で、一部の事業は現在、日本交通グループの「京都交通」が引き継いでいる。

広大すぎて、写真に収まらないが、上記の写真の右に切れている建物から。以下すべて敷地外(公道上)から撮影。
 
中央、空いているドアには「京都交通株式会社 綾部営業所」の文字。営業所の事務所棟だろう。その左のドアの向こう(室内)には「待」「←入」の文字が見えるので、左は待合室だったのだろうか。前の空間には残土が積まれている。敷地の管理者は(新)京都交通だ。

右の洗車機は「大型車・外車不可」とあるので、バス営業所内の給油所ながら、一般への給油もしていたのだろうか? 

次いでその左隣の建物。
営業所棟の左側につながっている整備場と事務所棟。事務所棟はこちらも入口の扉が開いている。整備場は大きなもので、10台くらいは同時に入れそうだ。チェーンブロックなどが残されている。

その左、直角の位置に、車庫。
ピットや、高台(なんと言うのだろう、ピットを持ち上げた施設)がある。

トップの写真の右にカメラを振ると、給油所がある。
 
サービスルームがあることから、一般営業もしていたように見える。

【参考】
サイト「一都物語」に、現役当時の写真が多数ある。
http://traffica.6.ql.bz/kyotokotsu/kyoko-list.htm




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