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豊平峡ダムの堤体へは、壁伝いではなく、なぜか少しだけショートカットする橋を渡る。その橋の存在感が、切り通しにしたガリバートンネルのようだ。上部が左右に開き、向こうに行くにしたがって高さを減じている。

 
サイドビューを見ても、おとなしい印象しか持たないだろうが、冒頭の写真をもう一度、その間に立っている車止めポールの高さとともに見て欲しい。このコンクリートの壁が、いかにマッス感を出しているかがわかるだろう。

これは、異世界に行くための唯一の通路、という意味合いを持たせているのだろうか。それとも、単に、橋台を設置するのが難しく、載せ架けるようにしなければならなかったのだろうか。


同日追記:
FBで「堤体にさしかけてある片持ちでは?」とご指摘があったので検索したところ、そのとおりでした。堤体は位置が変動するということもあり、堤体側には支承はありません。橋長53mの片持ちってすごいですね。国内初とのこと。フィンバックプレートが開いているのは、工法のためかもしれません。荷重は歩道橋用の群集荷重なので、比較的華奢に見えるのでしょう。下記にリンクを貼りますが、いずれも意匠については触れていないのが、「土木」らしい…。

カムイ・ニセイ橋(三井住友建設・PDF)
片持ち構造PCフィンバック橋の施工(プレストレストコンクリート技術協会 第17回シンポジウム論文集・PDF)


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トヤ沢川 鋼製セル式堰堤が作られるきっかけとなった土砂災害は、国道353号を通り越して、(山から見て)その向こうになった旧道にも及んだ。この旧豊原橋は、その旧道にかかるものだ。

路面を繰り返し盛ったからだろうか。欄干のかなり上の方に路面の高さがある。

 
左岸川の埋もれた親柱、右側には「豊(原橋、と推測する)、左側には「竣功 昭和三十三年十二月」とある。

反対側は「豊原橋」とはっきり読める。欄干横にあうのは水道管だろうか。

左側には「竣功 昭和三十三年十二月」とあり、先と同じだ。この橋の銘板は2組4枚しかないのだ。

これが現在の国道353号豊原橋。ずいぶんと両端で高さが違うものだなあ。

吉井川と吉野川が落ち合う、「落合」という場所に、この歩道橋があった。銘板に「ゆうかはし」とあるが、漢字は「飯岡」と当てる。片上鉄道の吉ヶ原駅の近く。いまは同じく柵原町となっているが、かつては飯岡はひとつの独立した自治体「飯岡村(ゆうかそん)」だった。飯岡の街から周匝の街への、徒歩ならではの短絡ルートとして使われるのだろうか。

コンクリートの桁橋は縦桁がメインで構成される上路桁が普通で、その場合、手すりの位置にはなにもない。しかし、この橋はまるで下路プレートガーダーのように、手すりの位置にある部材が構造を担っている(と思う)。プレート(?)の高さが低くなる端部は鉄製の手すりがある。

プレートガーダーの水管橋の続き。

ここに見えている橋である。その名を、壮大に「中央橋」という。

幅員は1.5車線程度。きちんと親柱を備える。

左は「昭和四十一年二月」、右は「中央橋」。

対岸から。

左は「程彼川」、右は「ちゅうおうはし」。「程彼」は「ほどがの」と読む。ホドとくれば、よくある地名である。「がの」は「ヶ野」の意だろうか。

この橋が架かる程彼川は、益田に注ぐ高津川の支流である。ずっと遡ると 砥石隧道(津和野)に至る。

昭和41年にこの欄干、前後の未舗装路。それに対して「中央橋」。もっと古いんじゃないかとも思うが、桁裏を見てもいないしなんとも言えない。対岸の道は2万5000図にはないくらいの道。

もう少し下ると高瀬川との合流地点、その北は青原駅。そのあたりから南進したのだが、その北にすてきな給油所跡があると聞かされたのは帰宅した後であった。


20130106_005.JPG西武秩父駅から、国道ではない道を横瀬駅を経て、芦ヶ久保駅に8km強、歩いた。三菱マテリアルを過ぎてちょっと行くと人家は途切れ、道路は国道299号しかなくなる。そのうち、右手(南側)に吉澤石灰工業という会社があり、その手前に旧橋があった。

20130106_003.JPG写真では全然わからないのだが(情けないことに、撮っていない)、こんなに短いのに2径間連続の緑色の鈑桁だ。欄干はコンクリート製。

ついでに、新道の「新山口橋」の親柱(秩父側/南側)。

20130106_004.JPG新山口橋の秩父側/北側の親柱。「横瀬川」。

ただし、旧橋が渡っているのは(たぶん)小島沢で、新橋は、小島沢と横瀬川を一気に渡っており、ひとまとめてに「横瀬川」と記している。

20130106_002.JPG先に新橋を。銘板と塗装標記。

<銘板>
新山口橋
1978年3月
埼玉県
道示(1972) 一等橋
使用鋼材 SM50YA.YB.SM53B
製作 トピー工業株式会社

<塗装標記>
塗装記録表
塗装年月 1978年11月
塗装会社 下塗 森野塗装株式会社
       中塗・上塗 大和建装株式会社
塗料材質 下塗 鉛丹さび止塗料
       中塗・上塗 フタル酸樹脂塗料
塗料製造会社 下塗・中塗・上塗 関西ペイント株式会社

そうか、建造以降、一度も再塗装されていないのだな。

さて、旧橋。

20130106_000.JPG旧橋の秩父側・北側は「こじまざわ」。左側、欄干の下に切り株が見える。こんなところに、こんな太さの木が生えてしまうのか。

20130106_001.JPG旧橋の秩父側・南側は「やまぐち(はし)」。カッコ内は読めない。

20130106_006.JPG旧橋を渡って飯能側・南側は「小島沢」。

20130106_007.JPG飯能側・北側は「山口橋」。写真では見えないと思うが、肉眼ではなんとか読めた。

20130106_008.JPG渡ってから、秩父方面に振り返る。

20130106_009.JPG飯能側。この先には国道299号の旧道がある。明確な通行禁止の表示はないが、簡単な柵はある。

右の山側に見えているのが西武秩父線のコンクリート桁。秩父側から小島沢橋梁(50m)、第二滝枕橋梁(138m)、第一滝枕橋梁(138m)。「中島」というべき山肌のせり出しを橋台にして、ほぼ連続で架かっている。橋梁名は『日本鉄道名所 勾配・曲線の旅 首都圏各線』(小学館)によった。検索しても出てこないので、西武秩父線の橋梁の名称が正しいかどうかは不明だが、かっこいいのは確か。長い桁でも、歩測で25m程度だった。

20130106_010.JPGそのまま歩くと、新橋が寄り添ってくる。新橋は横瀬川を2回、渡っている。写真中程右手、山側から土砂が流れ込んでいる。2箇所ほど、そういうところがあった。

20130106_011.JPGそのうちの1箇所は、このように砂防ダムのようになっていた。この旧道が現役だったころには、ここから流出する土砂はどうやって横瀬川に落としていたのだろうか?

20130106_012.JPG飯能側の合流地点近くに、ひとつだけ「落石注意」の標識があった。


国道299号の秩父から飯能の間は、地図を見てもたくさんの旧道がある。いずれ原付で訪ねてみたい。







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