コンクリートの桁橋は縦桁がメインで構成される上路桁が普通で、その場合、手すりの位置にはなにもない。しかし、この橋はまるで下路プレートガーダーのように、手すりの位置にある部材が構造を担っている(と思う)。プレート(?)の高さが低くなる端部は鉄製の手すりがある。 PR
プレートガーダーの水管橋の続き。
この橋が架かる程彼川は、益田に注ぐ高津川の支流である。ずっと遡ると 砥石隧道(津和野)に至る。 昭和41年にこの欄干、前後の未舗装路。それに対して「中央橋」。もっと古いんじゃないかとも思うが、桁裏を見てもいないしなんとも言えない。対岸の道は2万5000図にはないくらいの道。 もう少し下ると高瀬川との合流地点、その北は青原駅。そのあたりから南進したのだが、その北にすてきな給油所跡があると聞かされたのは帰宅した後であった。 ついでに、新道の「新山口橋」の親柱(秩父側/南側)。 ただし、旧橋が渡っているのは(たぶん)小島沢で、新橋は、小島沢と横瀬川を一気に渡っており、ひとまとめてに「横瀬川」と記している。
<銘板>
新山口橋 1978年3月 埼玉県 道示(1972) 一等橋 使用鋼材 SM50YA.YB.SM53B 製作 トピー工業株式会社 <塗装標記> 塗装記録表 塗装年月 1978年11月 塗装会社 下塗 森野塗装株式会社 中塗・上塗 大和建装株式会社 塗料材質 下塗 鉛丹さび止塗料 中塗・上塗 フタル酸樹脂塗料 塗料製造会社 下塗・中塗・上塗 関西ペイント株式会社 そうか、建造以降、一度も再塗装されていないのだな。 さて、旧橋。 右の山側に見えているのが西武秩父線のコンクリート桁。秩父側から小島沢橋梁(50m)、第二滝枕橋梁(138m)、第一滝枕橋梁(138m)。「中島」というべき山肌のせり出しを橋台にして、ほぼ連続で架かっている。橋梁名は『日本鉄道名所 勾配・曲線の旅 首都圏各線』(小学館)によった。検索しても出てこないので、西武秩父線の橋梁の名称が正しいかどうかは不明だが、かっこいいのは確か。長い桁でも、歩測で25m程度だった。 国道299号の秩父から飯能の間は、地図を見てもたくさんの旧道がある。いずれ原付で訪ねてみたい。 沈下橋といえば四国と連想するが、ここにあるということは錦川も相当に水量が増加することがあるのか。これは長走橋(ながばしりはし)。上り列車なら左車窓がこの橋、右車窓は錦川第二発電所である。 橋の手前右側の看板には「増水時通行止」、左の標識は14トン制限。両端に金網の扉があり、交通を遮断できるようになっている。 ●参考 錦川の沈下橋 錦川の沈下橋 北海道の日高町を日勝峠に向かって登る途中に新清見トンネルがある。長さ910メートル。その手前右側に、旧道が見える。 右側の橋は幅も狭いし、これは旧道に間違いなしだろう…? だってほら、センターラインが…。 断面を見てみると、非常にきれいだ。まるで最初から「いまの形」に作られているかのようにすべすべしている。 ノーファインダーで撮ってみた。 川の高さに降りてみる。 画像右の欠き取られた部分を見るに、本来はこれだけの幅があったのだ。橋台を崩した跡には新橋の橋台が設置されている。崩された橋台の「中身」は土砂だろうから、切断面が崩れてこないように矢板がカマしてある。 上にあがって対岸へ。 新清見橋(現道)の工事は、清見橋を欠き取らないと進行できないはずだ。では、通行量の多いこの日勝峠ルート、どうやって1車線分になった橋の交通を確保していたのだろうか? 現状から推察するに、清見橋を半分欠き取ったあと、反対側(上記画像の左側)に仮橋を設置し、2車線を確保していたのではなかろうか。 (8月28日追記) 8月28日、@Einshaltさんから上記架設を裏付ける、工事中の画像をいただいた。 これを見て思うのは、PC桁を縦に割っても、通常の道路として使用できるほどのきちんとした強度が確保されているのか、ということだ。まさかそんな使用法は想定していないのだろうが、当然、その点は確認した上でこの形態になっているのだと思う。 そして、新たな謎を@LEVEL_7Gさんが提起した。PC桁を半裁にする工事は、供用中にしたのか否か? 一般的な道路工事を見ていると、カッターで切断するのは、その外側に少しの余裕があればできそうだ。この橋でいえば、センターラインにカラーコーンを置き、それより内側で作業をするならば、片側車線だけを不通にすることで作業は継続できるのではないか、ということだ。じっさい、センターラインから切断面までは 1mはないけれど…というくらいの余裕がある。一時的に仮橋を2車線分作ったのでは…という可能性もなくはないが、現地では、「仮橋の跡」は明確に1車線分しかないこと、また、この規模の国道でも数時間の片側交互通行で対処できるものと考えるので、それはないだろうと思う。 貴重な画像をありがとうございました>Einshaltさん (8月29日追記) @3710dc205さんから、 「カットされた側の主桁を挟んで横梁の構造が変わっているようなので、残った5主桁でもともと構造として完結している気もします。旧橋を拡幅したときに2連目の桁をかけて目地でつないでいた可能性もあると思います。6主桁以上のPC桁を切って5主桁にするのはできそうですが、主桁同士がPC鋼材で横方向に連結されているのを一度解除して連結し直す必要があると思います。そうなるとそこそこ大変な工事になりそうな。もともと5主桁のPC桁だとすれば主桁に支持されて側方に張出したRCの梁・スラブを切り落とすだけなので、供用しながらでも施工できると思います 。」 というご指摘をいただいた。たしかにおっしゃるとおり。上の、桁裏の画像を見ても、橋脚はPC桁の縦桁5本の幅しかなく、その左側=カットされた部分との境は、橋脚とは別の種類・仕上がりのコンクリートになっている。 ということは、ご指摘の中でも相当譲歩のある「6主桁を5主桁に」ということは考えづらく、分離しやすい部分が(たまたま?)センターライン付近であった、と考える方が自然であろう。 貴重なご指摘をありがとうございました>3710dc205さん この橋がある場所は冒頭のとおり。現在の地形図には、この旧道は、このとおり抹消されている。 旧道を掲載しておく。 |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|