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廃止が発表されている上白滝駅。wikipediaには「北海道でもっとも古い木造駅舎(要出典)とある。開業は1932年10月1日、以来改築はないが、下白滝駅は1929年8月12日、中越駅は1928年11月20日なので、その記述は誤りではないか。

 
この写真は『日本の駅』(1972年、鉄道ジャーナル社刊)より。この写真と比べると、屋根が葺き替えられ、正面向かって右側の窓付近が更新されている。右の木は無事に育っているが、左の木はなくなったようだ。

駅舎内部。奥が駅務室だったところだ。右に台があるが、これは荷物窓口の跡。左に切符売り場があったはずだが、埋められている。宙に浮いてるパイプは駅務室から、待合室を横切って妻側に抜ける煙突。

 さて、本題は駅舎ではなく、向かって右に並んでいる駅のトイレ、「駅便」である。

 
出入り口はアルミのドアになっているが、こんな木造の小屋にドアはおかしい。屋根を見ると、中央部が出っ張っている。これきっと、本来はこのドアはなくて開放式で、その前に衝立があったに違いない。こういう感じに、だ。


20120304_001.JPG
(水郡線下菅谷駅)

ホーム側も同じ構造だったようだが、出入り口は塞がれている。


 
ドアを開けて中に入る。真正面には、塞いだ跡。男子小用は、壁があるだけ。個室は二つ、窓が円い。右の窓に書いてある文字は剥げて見えないが、かろうじて「きれいに」だけは読める。

 
個室のドアには内張がない。補強が丸見えだ。個室の便器の前後長が短い。とてもきれいに清掃されている。もっとも、使う人は皆無かもしれない。

振り返ると「清潔清掃」。もう何十年、ここに貼ってあるのだろうか。無人化は1983年。

天井の電球は、白熱灯型蛍光灯か。碍子と、裸の電線が現役だ。屋根は雨漏りがあるようだ。

以上、トイレはとても狭いので、写真が見苦しいのはご容赦いただきたい。



このトイレもあと半年の命。取り壊されてしまうかもしれない。周辺は、この駅の両側や駅前を含めてそこそこの戸数があり、人の営みがある。子供がいて通学需要さえあれば…というところだ。









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1995年に廃止になったJR深名線の沿線には、駅舎が残っている駅がいくつもある。そのひとつ、鷹泊駅の現況。

駅舎に向かって右に、つぶれた建物がある。これは駅便だった建物だ。

1991年、北海道ワイド周遊券で初めて北海道に行ったとき、始発の深川発の列車に乗った。ところが大雨のためにこの鷹泊で運転打ち切りとなってしまった。たしか駅には30分かそれ以上、停まっていた気がする。その間、このトイレも使ったに違いない。崩れた部材を避けたりすることはしたくないので、見える部分だけ見た。

振り返れば駅前通。左の建物は車庫になっていて、地元の会社の道路パトロールカーが出入りしていた。周辺にはもちろん人も住んでいる。

さて、駅舎本体。
駅舎内部は倉庫として使われているようだ。向こうは改札口、写っているのは私…。荷物窓口の台もきちんと残っている。こんな駅舎を手に入れ、ここにバイク乗り入れられる別荘にしたい…。

窓は二重窓。内側は木桟のままで、外側のみサッシに更新されている。中には畳敷きの部屋がある。もうずいぶん使われていないようだ。


 
線路側はススキが茂っている。その向こうは蕎麦畑。差し掛け屋根が一部、崩れそうになっている。時間の問題かもしれない。




庄内交通湯野浜線の善宝寺駅は「善宝寺鉄道記念館」となっているが、閉鎖されて久しい。美しかっただろうホームは雑木に覆われ、庭には雑草が生い茂っている。その庭部分に、トイレだっただろう建物がある。外観からの推測であり、実際にトイレだったかどうかはわからない。

記念館前の広場から柵越しに撮ったもの。奥がホームだ。ホームに対し反対側=駅前広場側に入口たる衝立がある。その衝立も、落ち葉などのせいか、圧迫されつつある。

窓越しに内部の様子を推測すると、天井に蛍光灯が見えるので、こちらは男子小便器か。

天地方向のパイプは建物の基礎から飛び出しているので、きっとこちら側が個室であり、このパイプは換気扇だろう。


検索しても、現在の記念館、いや記念館跡の写真ばかり出てきて、庄内交通現役当時の写真は「電車の写真」ばかり。駅舎や周辺を撮ったものがない。RMLでも見てこようか。


spcl.thnx 丸田祥三さん



いまのJR吾妻線は戦時中に群馬鉄山からの鉄鉱石輸送のために敷設された路線だ。長野原から北へ6km弱、太子(おおし)駅まで専用線が伸びていた。戦後、旅客輸送もなされたが、1970年には休止。以後45年経ち、かつてのホームととともに「駅便」が残っている。この駅便は公衆トイレとしていまも使われている。

男子用の朝顔が三つ。しかし、旅客営業していた当時でさえ三つも必要だったのかどうか。

個室には小振りな便器。清掃が行き届いているということは、放置でもなく、誰も使っていないわけではないということ。木桟の窓が少し開いていた。


天井の電球は取り外されていた。配線は剥き出しの銅線か。


 太子駅全景。左が道路で、そのさらに左の山越しに、鉄鉱石がこのホッパーまで来ていたようだ。連れて行ってくださった丸田祥三さんによれば、このホッパーはつい去年まで半分以上は土に埋もれて木が生い茂っていたそう。それが、きれいさっぱり土砂が取り除かれている。「数十年かけて積み重ねてきたもの」を除去してしまったということだ。

いままでの「時間の積み重ね」に思いを馳せるためにここに来ていた人たちは、おそらくもう来なくなるのではないか。もっとも、土砂の除去は小ぎれいにするためなのか、あるいは別の理由…たとえば危険性の除去なのか、私には分からない。


兜沼。勇知、抜海と並んで、はるか遠くの北の大地に思いが飛んで行く駅名・地名。これが駅正面。変形マンサード屋根…というのはいささかこじつけか。入口真上のマンサード屋根の向かって左側はダミーだろう。

ホーム側から見ると、見事に左右対称…いや、右端にトイレのドア。

正面からシチサンで。真横から見てもマンサード屋根。真横から撮っておけばよかった。真上から見るとかなりおもしろい形だろう。

建物財産標。


待合所1号
昭和63年10月31日

 さて、トイレ。ホーム側から入れるようになっている。汲み取り式。きれいだ。トイレットペーパーもある。







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