忍者ブログ
1995年~1996年の年末年始 八重山への旅(2)の続き。

大晦日は竹富島と黒島に、バイクを持ち込まずに行った。竹富島では原付を、黒島では自転車を借りた。

石垣に戻り、市場でグルクンやシャコガイの刺身などを2000円分も買った。そして、夜。

20121229_001.jpgサザンゲートブリッジの下で宴会をしていたら、地元のオジイが三線と「八重泉」を手にやってきた。大城さんといって、船をもっていた。ラジオで紅白を聞きながら、オジイの話を聞いた。「1月4日に乗せてやる」と言ってくれた。

20121229_004.jpg三線に聴き入った。沖縄に惚れると三線を買ってしまう人は多い。でも、オジイの三線は、石垣に暮らす者としてのたしなみであるかのように、自然だった。アメリカ統治下の話などもしてくれた。「あのころはよかったなあ」という言葉に、世間知らずな二十代前半のぼくらは声も出ない。

刺身はとても食べきれない量だったので、翌日、寄ってきた猫にあげた。

* * *

翌2日は、闘牛を見て過ごした。1時間近く、角を突き合わせたまま動かないこともあり、いささか退屈なときもあったが、全部見た。

20121229_000.jpgそして、ついに1月4日。こんな格好で飛行機に乗った。写真はZZ-R氏からいただいたもの。

バイクはその日の朝、大半の荷物はくくりつけたまま、有村のターミナルに預けた。自分のために買い込んだ大量の缶詰…TULIPのポーク340g缶1ケース、ルートビア1ケース、キャンベルスープ1ケースなどは、小包で1月7日(日)着指定で送った。

飛行機には、デイパックとタンクバッグだけで乗り込んだ。まさかこんなことになると思っていなかったので、靴も持っていないから、オフロードバイクのブーツだ。上着はバイク用の、肩パッドの入ったゴアのジャケットだ。頭は…三が日は銭湯が休業だったので、4泊、風呂に入っていないことをなんとかバンダナで隠している。荷物にくくりつけてあるのはトレーナーだ。

12時45分、石垣発。那覇で乗り継ぎ、17時5分、羽田着。行きは77時間かかったが、帰りは4時間20分。なんというあっけなさだ。東京の家に戻ったら、留守電に、現地でずっといっしょに過ごした3人から「おかえりなさーい」と入っていた。約2週間、バイクの走行距離はわずか300kmだった。後日、3人から受け取った手紙には、私を空港に送った後、約束通り大城さんは船に乗せてくれたという。その写真も送ってくれた。

翌週、1月8日(月)午前中は半休を取り、有明でバイクを受け取ってそのまま鮫洲の運転免許試験場に向かった。そこで受けた限定解除の試験で合格した。

* * *

20121229_014.JPG切符類。波照間のフェリーは、こんな領収証を手書きしていた。要求したわけではない。

20121229_009.jpgサザンゲートブリッジ。元旦、初日の出は橋の上から見た。日の出は7時30分。さすがの西側だ。髪が赤く見えるのは褪色補正の結果。

20121229_003.jpg銭湯、濱の湯。「日本最西端の銭湯」。230円。トイレはなかなか…な汲み取り。お湯は熱い。シャワーはない。八重山毎日新聞のサイトによると、1998年頃に廃業したという。いまは石垣島に、こうした銭湯はない。



こうした旅が、17年前にはあった。大城さんが飛び入りしてくれた大晦日があった。ただ、懐かしい。

 
PR
1995年~1996年の年末年始 八重山への旅(1)の続き。

船内で知り合ったZZ-R1100氏、チャリダーA氏、チャリダーB氏と4人で、サザンゲートブリッジの下にテントを張る。また、年末年始のためか、波照間、与那国行きの運航日が時刻表と異なり、頭を悩ませた。西表島には行けなそうだ。「年末年始だから」ということが念頭にないあたり、自分のダメさ加減がわかる。

以後の行動はこう。

12/27(水)
12/28(木) 石垣→波照間→与那国(バイクと。フェリー)
12/29(金) 石垣→与那国(バイクと。フェリー)
12/30(土) 与那国→石垣(バイクと。フェリー)
12/31(日) 石垣→竹富島→黒島→石垣(人間だけ。高速船)
1/1(月) 無
1/2(火) 闘牛見る
1/3(水) 雨
1/4(木) バイクを無人航送に託し、ZZ-R氏のバイクで石垣空港まで送ってもらい、飛行機で帰京。

* * *

20121229_010.jpgフェリー波照間。たしか200トン。ものすごく揺れる。船底をサンゴにガンガンぶつける。船内では横になっていたけれども、転がる。

この時期は3日ごとに1往復なので、島に2泊するといろいろおしてしまうということで、日帰りで往復した。2時間ばかりの滞在。当時の『ツーリングマップ九州』には波照間の地図は(たしか)なくて、会社にあったB4判の『マップル』をコピーして持っていった。2万5000図を…などとは思いつかなかったのが不思議。

20121229_005.jpgこうして見ると、いちおうテントも畳んで、荷物をすべて積んでいるのだな45リットルの青いランドナー(これは2012年の北海道ツーリングでも使っている)、その上に28リットルのICIのデイパック、その間にテント。後輪手前のタウチェのデイパックは背負っていった。そしてオフロード車にはとても似合わない、タンクバッグ。

まだまだ沖縄ブームではない頃。年末のこの場所には誰もいなかった。

次に、与那国。フェリーよなぐにの写真はない。

20121229_006.jpg最西端。ここはクルマでは行けないのだが、バイクを押していった。押せば自転車と同じ扱いだからな。もちろん、だれもいなかった。

事前にZZ-R氏から「比川浜というところがテント張れるよ」「ユキさんち、というカレー屋がうまいよ」と聞いていたので、そこに向かってテントを張る。ここに長期間滞在している人もいる。サトウキビのアルバイトをする「ワタリ」だ。


20121229_007.jpg私のテントは写っていない。みなここに定住している。流木とドカシーで屋根を作り、完全防水にしている。しかし、私は少し「引いた」。石垣の米原もそうだが、そこに「住む」キャンパーたちは、地元の人にはどう見えるのだろうか。東京の住宅街の公園に定住している人がいたら、間違いなく追い出される。それとどう違うのだろう? この、旅をしているようでそうではないキャンパーたちに対する否定的な感情は、いまも変わっていない。バイクの仲間たちが、誰一人としてこうしたキャンパーがいず、きちんと働いていることとは対照的だ。というか、私はそういう集団を好むのだろうな。




 
会社に入って1年目の年末は、週刊漫画サンデーの編集部にいた。週刊誌なので、年末年始は「繰り上げ+1号休み」となり、都合2週間、まるまるあく。それを利用して、八重山に行った。バイクはTT250R、有明埠頭からフェリーに乗って那覇へ行き、那覇から石垣へ。基本的に石垣島に滞在し、周辺の島にも行こうと思っていた。当時は情報がほとんどなく、キャンプ場などがあるのかないのかすらわからなかったが、港でもどこでも野宿できるだろう、という感覚で出かけた。

旅程はこうである。

12/23(土) 20時有明発(琉球海運)
12/24(日) (船中)
12/25(月) 21時30分那覇着。2時間遅れ。石垣行きフェリーに乗り継げず。

49時間30分の船旅では、初めて吐くほどの船酔いをした。その間、コンビニで買ったおにぎりしか食べなられなかった。

さて、石垣に行けなくなった。那覇~石垣のフェリーは3日に1便くらいしかない。ところが、乗る予定だったフェリーとは別の、石垣経由台湾行き『飛龍3』が20時に那覇を出港していたにもかかわらず、犯罪者が乗っていてそれを送還するというトラブルがあり、那覇に戻ってきていた。おかげで、それに乗れた。

2時乗船、5時30分出港。16時頃、宮古島着。3時間ほど停泊するので、下りていいという。

20121229_008.jpg船内で知り合ったライダーとともに散策する。九州本土から遠く離れた宮古島にも、本土と同じ形式で普通に国道があり、県道があることが奇異に見えた。

いや、同じ形ではない。手書き看板のようだ。

初めての沖縄そば(宮古島版)を食べ、18時40分、船に戻る。19時ジャスト、出港。


12月27日(水)0時50分、石垣港接岸。そのまま米原キャンプ場まで走るが、どうもイマイチなので、サザンゲートブリッジの下を住処とすることにした。

事前の情報収集が悪く、帰りはフェリーで帰れないことがわかったので、旅行代理店へ行き、帰りのバイク無人航送の手配を氏、自分が飛行機で帰るためのチケットを取った。飛行機代は、4万9610円もした。

(続く)
塩那林道の続き。

20121218_003.jpgその夜、寝場所が定まらず、1区間だけ高速道路に乗って東北道のどこかのPAで寝た。場所は覚えていない。ほぼ無人のPAの歩道のスミに銀マットを敷き、めんどくさいから風呂も入っていないのだが、モトパンのままシュラフへ。野宿は大好きだ。

翌朝、国道13号で米沢方向に向かう。

20121218_006.jpg写真には「板谷ベークライト付近」とある。ちょっといま検索してもわからない。林道を走りつないでいたつもりが、なぜかこういう道に出た。

20121218_007.jpgそして、こんな道に。いまならなんてことなく越えるだろうし、もしいったん溝に落としても、簡単にリカバーできるだろう。でも当時はこんな溝に出くわしたこともなく、どうやって越えるか悩み、溝にバイクをゆっくりと落とした。そして、どうやっても路面に復帰できなくなってしまった。

経験不足過ぎて、バイクをどう持てば持ち上げられるのかもわからない。結局はなんとか脱出できたが、人が来るまで待とうかとも思ったほどだった。

でも、道がこうなっていたらクルマも来ないよなあ。

20121218_005.jpgその後、どこをどう行ったのかは覚えていないけれど、米沢市内に足を記して、また板谷峠に戻った。1995年の峠駅は、こんなようすだった。


この前週は、いまに至るまでのつきあいとなる友人たちと出会った五十里湖キャンプ、この翌週は天竜スーパー林道、1週おいて奥志賀スーパー林道から秋山郷で抜けた。
 
20121218_004.jpg「伝説の」と言っていい未舗装路がある。塩那林道。毎年のように崩れ、常に工事中で通行止め、といった塩梅だった道で、いまでは正式に「廃道化工事」が行われている。この道を、一度だけバイクで走ったことがある。1995年9月30日のことだ。

土日で、安ヶ森林道・塩那林道・大川林道から福島、米沢へと抜け、周辺の林道を走ろうと思った。会社に入った年、金などないのでもちろん全部下道だ。テントを積むのもめんどくさいので、キャリアにはシュラフと工具を入れたICI石井スポーツの28リットルデイパックひとつ。このデイパックは、確か1987年頃に登場した「夢の」大容量安価デイパックだったがその話はいずれ。

20121218_000.jpgたしかこの年の『月刊ガルル』に、激しくガレている、でもスカイラインダートだ、というような記述で塩那林道の紹介が出ていたと思う。たしかに、スカイランだ。尾根を走る道なんて、なかなかない。しかも未舗装路だなんて。

通行止めが多いとは聞いていたし、当日は安ヶ森林道も路面を全面的に掘り返す工事で通行止め、引き返していただけにダメもとで行ってみると、ゲートは開いていた。とくに通行止めとは書いていなかったと思う。

20121218_001.jpg意外にも路面は普通。新しく砂利を入れているようで、当時初心者といってよかった私には運転しづらい道ではあったが、まあ普通に走れた。クルマでも大丈夫な感じだった。いまでもここが未舗装で開放されていたら、どれだけ多くのライダーや四駆が入ってくることだろう。でも、維持できなかった道なのだ。

20121218_002.jpg橋はこれだけの幅があった。2車線だ。

塩那林道を走ったのはこの時限り。友人の話では、1990年代末までは、ゲートが開いていて走れることもあったらしい。

バイクはTT250R。もともとオフロードバイクに乗りたかったのだが、1993年にこのTT-Rが登場し、そのスタイルに惚れ、やっと免許を取る決心をしたものだ。購入は1993年12月。以後、宗谷岬、納沙布岬、波照間島、与那国島までこいつで足を記した。しかし、1997年2月に自宅駐輪場で盗まれてしまった。いままた所有できるなら所有したいバイクだ。

写真はすべてコンパクトカメラとネガ。当時は「いちばん安いフィルム」を探して使っていた。だからとても色が悪い。一眼レフとフジのリアラを使うようになったのはもうちょっと後の話だ。
 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2017/02 03
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析