1995年~1996年の年末年始 八重山への旅(1)の続き。
船内で知り合ったZZ-R1100氏、チャリダーA氏、チャリダーB氏と4人で、サザンゲートブリッジの下にテントを張る。また、年末年始のためか、波照間、与那国行きの運航日が時刻表と異なり、頭を悩ませた。西表島には行けなそうだ。「年末年始だから」ということが念頭にないあたり、自分のダメさ加減がわかる。 以後の行動はこう。 12/27(水) 12/28(木) 石垣→波照間→与那国(バイクと。フェリー) 12/29(金) 石垣→与那国(バイクと。フェリー) 12/30(土) 与那国→石垣(バイクと。フェリー) 12/31(日) 石垣→竹富島→黒島→石垣(人間だけ。高速船) 1/1(月) 無 1/2(火) 闘牛見る 1/3(水) 雨 1/4(木) バイクを無人航送に託し、ZZ-R氏のバイクで石垣空港まで送ってもらい、飛行機で帰京。
* * *
フェリー波照間。たしか200トン。ものすごく揺れる。船底をサンゴにガンガンぶつける。船内では横になっていたけれども、転がる。 この時期は3日ごとに1往復なので、島に2泊するといろいろおしてしまうということで、日帰りで往復した。2時間ばかりの滞在。当時の『ツーリングマップ九州』には波照間の地図は(たしか)なくて、会社にあったB4判の『マップル』をコピーして持っていった。2万5000図を…などとは思いつかなかったのが不思議。 こうして見ると、いちおうテントも畳んで、荷物をすべて積んでいるのだな45リットルの青いランドナー(これは2012年の北海道ツーリングでも使っている)、その上に28リットルのICIのデイパック、その間にテント。後輪手前のタウチェのデイパックは背負っていった。そしてオフロード車にはとても似合わない、タンクバッグ。 まだまだ沖縄ブームではない頃。年末のこの場所には誰もいなかった。 次に、与那国。フェリーよなぐにの写真はない。 最西端。ここはクルマでは行けないのだが、バイクを押していった。押せば自転車と同じ扱いだからな。もちろん、だれもいなかった。 事前にZZ-R氏から「比川浜というところがテント張れるよ」「ユキさんち、というカレー屋がうまいよ」と聞いていたので、そこに向かってテントを張る。ここに長期間滞在している人もいる。サトウキビのアルバイトをする「ワタリ」だ。 私のテントは写っていない。みなここに定住している。流木とドカシーで屋根を作り、完全防水にしている。しかし、私は少し「引いた」。石垣の米原もそうだが、そこに「住む」キャンパーたちは、地元の人にはどう見えるのだろうか。東京の住宅街の公園に定住している人がいたら、間違いなく追い出される。それとどう違うのだろう? この、旅をしているようでそうではないキャンパーたちに対する否定的な感情は、いまも変わっていない。バイクの仲間たちが、誰一人としてこうしたキャンパーがいず、きちんと働いていることとは対照的だ。というか、私はそういう集団を好むのだろうな。 PR |
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