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猪苗代湖唯一の水の出口、日橋川(にっぱしがわ)。猪苗代湖は阿賀野川水系であり、日本海に注ぐ。かつて水力発電のための堰の役割を担っており、現在は猪苗代湖の水位調節の役割のみとなったすぐ下流にある十六橋水門の上が橋の機能を果たしていたが、1914年に分離され、さらに1928年に改築されていまの姿となった。

 
I桁を組み合わせた単純な鉄橋で(材質について言及がない)、橋脚も鉄管。「煉瓦積み橋脚」としている資料もあるが、十六橋水門が橋を兼ねていた時代の姿のことで、誤り。


左岸。重量制限2.5t。

 
 
親柱、右は「十六けう」、左は無地。親柱の下部が埋もれているのは、床版をRCとした(嵩上げした)ためと思われる。車止めには無数の衝突痕がある。

 
親柱個別の写真を撮り忘れた。右は「十六橋」、左は「大正貳年十一月竣成」。






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四日市駅の南側、阿瀬知川を渡る橋梁(左が四日市駅)。阿瀬知川とは市街を貫流する三滝川からひっぱった水路で、雨水幹線のひとつ。あるサイトには「阿瀬知雨水2号幹線として昭和40年供用開始」とあるが、終戦直後の航空写真にもこの川はあるので、もしかしたら「その用途としては」昭和40年供用開始なのかもしれない。

ともかく、三線ある、2スパンの橋である。

これは上り線。2連の槽状桁。しっかりと落橋防止策がなされているのはさすがだ。

拡大して見る。桁はリベット留めなのだが、左右の槽状桁を結ぶ部材には一部ボルトが見える。これは後年の補強だろう。

塗装表記はこうだ。(見える範囲で)
橋りょう名 阿瀬知川橋りょう
位置 四日市~南四日市 37K697
支間 6M18
塗装年月 2008年11月
塗装回数 2回塗
(以下略)

6m18というのは20フィート(6.096m)だろうか。

海側から。まったく近寄れないので桁裏がわからない。桁から横(川筋方向)に、何本かレールが飛び出しているのは、刎橋のようにレールを持ち送りして、点検用通路を支えているように見えた。

三線の間はコンクリートの板で覆われているので、のべ六つの桁は同じだろうと思っていたのだが、いま写真を見ると、海側の桁は少し違うようだ。その場では気づかずともすべての写真を撮っておけばよかった。いつもこうやって公開し、再訪するハメになる。

この部分の踏切は「阿瀬知川踏切」という。四日市駅構内の入れ替え、また末広橋梁に行く列車が通るときなどは、列車の方向が指示されるのではなくこの「入換中」が点灯する。






20110507-02.JPG
近くには有名な野尻森林鉄道木曽川橋梁があるが、そこを目指して野尻駅から道を下ると左手にこのプレートガーダーが目に入る。場所はここ。


小さな架道橋である。いまは築堤に電柱が立ち、放置されている。道路から見えるくらいなので、近づくのは容易だ。

20110507-01.JPGこんな感じで電柱が立ち、それを支えるというかテンションをかけている索が2本。街中の道路にあるように、下部をトラ塗りのプラスチックカバーで律儀に覆っている。こんな場所をクルマで走る人はいるまいが、決まりなのだろう。

20110507-05.JPG角度を変えるとこんな。

20110507-03.JPGIビーム桁。2本のIビームを上面と下面に梁を渡して接合している。スパンは3mくらいか。

20110507-04.JPGきちんと銘板がついているのが嬉しかった。

大正十年四月
日本橋梁株式会社
製作
大阪

この銘板は形状がおもしろい。車名を囲む枠の底面が下に膨らんでいる。その台座は、上底が上に膨らみ、下底が上に向かって凹んでいる。ざっと検索すると、大正十三年製の銘板にはこの形状を確認できた。大正十四年製のものは長方形になっていた。この時代だけのものなのかもしれない。

サイズは小さい。Iビームの側面についているものなので、横幅20cmくらいのものか。よくぞ盗まれずにあったものだ。この銘板を撮影するには橋台ギリギリから体を乗り出さねばならない。高さは4~5mはありそうなので、ちょっと怖かった。

20101212-08.JPG先のポスト、身延線芦川橋梁の続編。すぐ南西にある架道橋。写真は南から。場所はここ。


この場所に、わずか支間4m15cmの架道橋がある。支間がコレということは、道の幅はそれよりもずっと短い(狭い)。測ってくればよかった。

北側に回ってみる。
20101212-10.JPG太陽の位置の都合で飛んでしまっているのがお恥ずかしいが、南側とほぼ同じように見える。コンクリート製の橋台、練り石積みの翼壁。一瞬、橋台はコンクリート製に改築されたのかとも思ったけれど、開通したのが1928年(昭和3年)なので当初からのものだろう。

上の写真でもわかるが、こんな小さな桁にもきちんと銘板と塗装標記がある。
20101212-06.JPG分厚い塗膜ゆえに文字が判別しづらいが、芦川橋梁などと同じく

東京
株式会社
桜田機械製造所
昭和二年製作

と書いてあるように読める(すべて右書き)。塗装標記はこうだ。

橋りょう名 第三上手河原架道橋
位置 市川本町~芦川間 71K001M60
支間 4M15
塗装年月 2003年8月
塗装回数 3回塗
塗装種別 下塗 シアナミド鉛さび止ペイント
及塗料名 中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料メーカー 大日本塗料K.K
施工 佐野塗装K.K

銘板類は北側についている。


北側から少し裏側を。
20101212-07.JPG桁の手前(画面の点方向、北側)に1本アングル材があり、枕木を貫通しているレール固定器具を固定する鉄の棒が、そのアングル材を握っている。南側にはその部材はない。

また、このようなIビーム桁だが、時代の要請でリベットが打ってある。溶接ではない。

桁の裏側を見てみる。
20101212-09.JPGどうも、レールは桁に対して北側(画像の天方向)に1本分ほどずれているように見える。レール面を見たわけではないので、もしかしたら補助レールがあるのかもしれない。とにかく、桁の真上にレールがあるわけではない。


Googleマップの衛星写真を見ていると、身延線の橋梁の写真をアップしている方がいる。殆どが鈑桁だが、すべてを網羅してみるとなにか見えてくるかもしれない。


今回も、芦川橋梁と同時に廃道探索ついでに丸田祥三さんに立ち寄っていただいた。タイムスタンプを見ると、芦川橋梁とここで15分もお待たせしてしまった。すみませんでした…。なお笛吹川橋梁は、それだけで20分も…。重ね重ねスミマセン!



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