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三菱美唄炭鉱があった場所のほど近く、美唄川に変わった橋が架かっている。橋の名称は不明。こんな状況なので、全貌は見えない。こんなときこそドローン。

 
両岸から枝が四方八方に伸びている中、Cモード(ゆっくり)で目視で慎重に操作する。橋のシルエットは、アーチ橋を逆さまにしたように見える。ここに行くまでは、日本に3例しか現存しない逆ボーストリングトラスかと思っていたが、よく見ればトラス構造ではない。上面(水平面)をランガー補強している構造だ。

 
本来は道路橋だったが、いまは併設された水道管のための存在となっているようだが、この水道管も生きているのかは不明。この先に人家等はない。

 
国土地理院の航空写真MHO632X-C12-18より。美唄川の右岸にはかつて三菱美唄炭鉱の炭住が広がっていた。そこへの出入りに使われていた橋だと思われる。現在上面に残っている木材は、道路橋の床版として使用されていたものだろうか。なお、三菱美唄炭鉱は市街地に近い三井美唄炭鉱とはまったく別。

 
道路から見た橋。「美唄市水道部」と書かれた板が、倒れた単管パイプゲートとともに地面に落ちている。


 
 
すぐ近くの炭鉱メモリアル公園の竪坑櫓、原炭ポケット、開閉所。現役時代の写真は「炭鉄港」サイトにある。

 
その下流に架かる橋。いまではまったく無人となっているが、この橋を渡った先にも、あるいは渡る手前も、かつては多くの炭住があった。


●関連項目
我路と、中路プラットトラス
三菱美唄2号(4110同型機)のブレーキロッド












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両総用水。房総半島、利根川の右岸・佐原で取水し、広く南側に給水する。いったん高台に上げて、丘陵の上を通し、平地部分(相対的には谷)はサイフォン式にいったん高さを下げ、また丘陵の上に上げたりする。昼間部は栗山川を水路として利用し、再び揚水して配る。

その、(相対的には)谷部分にかかる水路橋が、この公平水路橋だ。水は、写真左(東)から右(西)に流れる。

 
こうした「谷」部分は、いったん地下をくぐらせるサイフォン式となることも多いが、ここは地盤がよくないので5連のランガーが架けられた。スパンは60m。当初は桁部分がそのままむき出しの水路となっていたが、改修で水管となった。

 
 
水は対岸からこちらに来る。2本の水管が見える。向かって左が内径1600mmの南部幹線、右が内径900mmの第3揚水機城(吸水槽、吐水槽)の余水吐。


サイドから見ると、ランガーらしくカクカクしたアーチ。

 
アーチと補剛桁の結合部分はヒンジになっている。


昭和32年7月完成
農水省建造
製作 株式会社横河橋梁製作所

「完成」というのは初めて見た。


立ち入ることができないように金網で覆われている。右に見える看板は案内板。

 

きちんと親柱がある。左は読めず。右は「公平水路橋」。

 
直下には「両総用水南部幹線用水路 家之子第3分水口」があった。

 
案内板。素晴らしい。

spl.thnx @roadexplorer
 
大糸線第一姫川橋梁のすぐ上流にある通橋(かようばし)。あまり多くないトラスドランガーだ。朱色が映えるが、全体像を近くで見ようとしても、そういう視点はない。


右岸側。姫川第二ダムの堤体にかぶさるように位置している。橋もダムも撮れない…。

 
橋の上流には、吊橋である旧橋の主塔がある。電柱代わりに使われている。
 
右岸から。左が姫川第二ダム堤体、右が第一姫川橋梁。

 
 
右岸側の親柱、右は「かようばし」。よみがなは、銘板では通常「はし」と濁らないのだが、これもまた珍しい。左は「昭和46年3月竣功」。


左岸側。隣接して、吊橋だった旧橋の主塔が残る。右手前方向にダムの管理事務所があり、右手前に下る坂道が地下の車庫?に通じている。

 
 
左岸の親柱、右側は「通橋」、左側は「姫川」。

* * *

 
 
姫川第二ダム。中央の一門から吐いていた。









耳川の岩屋戸ダムのダム湖で、耳川に合流する十根川のほうにかかるランガー。床版とアーチがトラスで結合されているトラスドランガーは、通常のランガーにくらべるとずっと少ないのではないだろうか。
 
 
なかなかいい角度で撮れない。この橋は2006年に架けられたもので、以前は2枚目の写真の「向こう」に見える左岸の道を下り、もう少し下流の那須橋のところにつなげていたのだが、なぜかいま、いったんこの橋で右岸に渡し、再度那須橋で左岸に戻すようになっている。

 

トラスドランガーの外観はボーストリングトラスに似ている。そのボーストリングトラスの弱点は橋門構をつけられない点だと聞いたことがあるが、その点、この橋には存在を主張しすぎるほどの橋門構がある。

橋長119m。駒井鉄工製。

国道361号 廃隧道三つ 上ヶ洞5号トンネル・日和田1号トンネル・日和田2号トンネルに対する「新道」の橋。

右が新道。長峰峠から下ってくると、近城トンネル(写真では対岸)を抜けてすぐこの高嶺大橋で益田川(5万図・20万図では「飛騨川」とある)がダム湖としてふくれあがった部分を渡る。対岸、トンネル手前を右に行くと日和田1号・2号トンネルがある。手前は野麦街道、振り返ると上ヶ洞5号トンネルがある。

写真の対岸左には左岸の橋台跡が見える。

橋の途中から、右岸の橋台跡。ここには旧・高嶺大橋が架かっていた。橋梁史年表によれば、橋梁131m、
1968年開通のトラスドランガーだったようだ。

いま、ここにはニールセンローゼの巨大なアーチ橋がかかる。

旧橋と同じ名前がつくというのは珍しい気がする。







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