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耳川の岩屋戸ダムのダム湖で、耳川に合流する十根川のほうにかかるランガー。床版とアーチがトラスで結合されているトラスドランガーは、通常のランガーにくらべるとずっと少ないのではないだろうか。
 
 
なかなかいい角度で撮れない。この橋は2006年に架けられたもので、以前は2枚目の写真の「向こう」に見える左岸の道を下り、もう少し下流の那須橋のところにつなげていたのだが、なぜかいま、いったんこの橋で右岸に渡し、再度那須橋で左岸に戻すようになっている。

 

トラスドランガーの外観はボーストリングトラスに似ている。そのボーストリングトラスの弱点は橋門構をつけられない点だと聞いたことがあるが、その点、この橋には存在を主張しすぎるほどの橋門構がある。

橋長119m。駒井鉄工製。

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国道361号 廃隧道三つ 上ヶ洞5号トンネル・日和田1号トンネル・日和田2号トンネルに対する「新道」の橋。

右が新道。長峰峠から下ってくると、近城トンネル(写真では対岸)を抜けてすぐこの高嶺大橋で益田川(5万図・20万図では「飛騨川」とある)がダム湖としてふくれあがった部分を渡る。対岸、トンネル手前を右に行くと日和田1号・2号トンネルがある。手前は野麦街道、振り返ると上ヶ洞5号トンネルがある。

写真の対岸左には左岸の橋台跡が見える。

橋の途中から、右岸の橋台跡。ここには旧・高嶺大橋が架かっていた。橋梁史年表によれば、橋梁131m、
1968年開通のトラスドランガーだったようだ。

いま、ここにはニールセンローゼの巨大なアーチ橋がかかる。

旧橋と同じ名前がつくというのは珍しい気がする。





方谷(ほうこく)駅そばにあるのは中井橋だが、この方谷橋は高梁市街地にある。どちらも幕末の儒家・陽明学者である山田方谷の生誕地にちなむもので、駅は生誕地、橋は方谷が使えた備中松山藩(高梁)ゆえか。

3径間の橋で、一見、中央径間だけがランガー桁であるかのように見える。現状、写真左からスパン11.5m、56m、32.4m。ランガーの桁部分と前後のプレートガーダーを見ると、プレートガーダーは側面の意匠が違い、ランガーの桁がプレートガーダーに食い込んでいる。カンチレバーである。側面の意匠が違うのは、側径間が更新されているからであり、当初よりあるのはランガー桁のみだ。

歴史的鋼橋集覧によれば、1972年に橋長の変更と側径間(吊り桁)の交換が行われている。それ以前は、図面を見る限り、側径間の側面もランガー桁の桁側面と同じくウェブが入ったもののようだ。

側径間のプレート。左は

  • 方谷橋
  • 1972年3月
  • 岡山県建造
  • 鋼示(1964)二等橋
  • 製作 住友重機械工業株式会社
  • 材質 SS41、SM50A、SM50B
右は
  • 方谷橋
  • 平成12年6月竣工
  • 高梁市
  • 仕様鋼材:SM400A・B・SS400
  • 施工:三井造船株式会社

左側、銘板に橋名まで入っているのは珍しい。

平行する歩道橋から、接合部を見る。これは西詰めの北側。通常、吊り桁は上に乗っかるだけだが、ここでは下に支えがある。ボルト等を見ると後付けであることがわかる。この耐震工事は2000年に行われたもののようだ。

東詰(国道側)。親柱左は「高梁川」、右は上が「方谷橋」、下が土木学会選奨土木遺産の銘板。


うっかり西詰の正面を撮っていないが、左の親柱のみ掲載する。「昭和12年3月架橋 昭和47年3月補修」という複合のもの。右は「ほうこくばし」。様子からするに、銘板類はすべてこの時期に同時に製作されたもののようだ。


軒下の三菱の続き。

高梁川にはすてきな橋が多いが、どれも、1934年の室戸台風による橋梁流出後に架けられた橋である。この井倉橋もその一つ。

ランガー桁とされているが、通常、ランガーは補剛桁が太くてアーチが細い。この井倉橋は補剛桁は細い。床版の下が補剛桁か…とも思うが、ランガーとはタイドアーチの一種だから、それは違うのだろう。

写真は北詰から。

親柱などはない。

スキューしているので、いささか感覚が狂う。

北詰、左側に銘板がある。位置が悪く、写真を撮りづらい。
東京
株式会社
桜田機械製作所
昭和十一年製作

南詰。やはり親柱はない。スキューしているので非常に撮りづらい。

これくらいの角度である。



住吉橋は、広島市内の本川(太田川が最下流でいくつも枝分かれしたうちのひとつ)に架かる、カンチレバーローゼ桁橋だ。ローゼ桁部分が橋脚の左右に張り出し、そこにプレートガーダーが載っている。すぐ北を国道2号の「新住吉橋」が架かっている。写真は北側・西詰から。

ローゼ桁部分をアップするとこう。橋脚から少し張り出した部分があるのがわかろう。

西詰の親柱。左は「すみよしはし」、右は「住吉橋」。どちらも橋梁名だ。親柱は石積で、なかなかの風格がある。床版の南側を歩道としている。

ランガー桁には銘板がある。

昭和28年(1953)
広島県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所

歩道から、カンチレバー橋ゆえの継ぎ目を見ようとするが、無理。写真上がランガー部分で、部材(アーチ部)の幅が広い。写真下がプレートガーダー。

北側の東詰から、全体と、プレートガーダー部。

東詰は、向かって左にしか親柱がない。道路の線形改良のために撤去されたのだろうか。左はやはり「すみよしはし」。

こちら東詰の北側に、橋の名の元になった住吉神社がある。


そして、「住吉橋記念燈」という燈籠がある。初代の木造橋を記念した燈籠で、そのいわれは写真をお読みいただきたい。

東詰の南側には「碑」と題された碑がある。

住吉橋架橋対策
委員長
故折重将一氏の遺品
は橋台の中央地下
四米のところに
とこしえに眠って
此の橋を護る

住吉橋は、おそらく原爆で木橋が焼け落ち、その後、1951年に鉄筋コンクリート桁橋として架けられたがまもなく流失、そして1954年に現在の形で開通した。日本で初めて竣工した鋼製ランガー桁、とのことだ。

非常に平衡感覚が試される撮り方(左に傾いてしまっている)。

美しい橋だ。

歴史的鋼橋集覧はこちら。
土木学会誌昭和29年12月号の該当記事はこちら(PDF)



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