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RMライブラリーの『国鉄DD13形ディーゼル機関車』。1冊1250円なら安い、でも3分冊だから3750円である。でも安い。6月下旬に「下巻」が出ていたものを、やっと読むことができた。
写真に同誌と写っているのは、交友社発行の部内教科書の『液体式ディーゼル機関車DD13形』。昭和36年大鉄局教習所編。
 
下巻の後半で、DD13とDD14の重連総括貨物運用の話が出て来る。大きく掲載された写真のクレジットを見ると、趣味誌で多くの写真を発表されている志水茂さんだ。
 
この組み合わせは、個人的には子供の頃から気になっていた。学研の原色科学ワイド図鑑『交通・通信』に写真があり(添付参照、クレジットはないので不明)、まるでアメリカのディーゼル機のA形+B形かのようなスマートさを感じていたのだ。

 
いつかネットの掲示板にこの話を書いたら「羽越線でそういう運用があった」と教えてくれた人がいた。そもそも興味を持つ人が少ないディーゼル機の中でもマイナーなDD13ゆえ、それ以上の情報はなかったものが、ここで大きく、その運用の由来を推測を含めて採り上げられた。
 
手元の学研のこの図鑑は1973年初版、1976年16刷。この図鑑で採り上げられている鉄道車両は「まっとう」というか、時代を考えたらこういうセレクトになるだろうなというものだが、この写真に限っては、「メジャーではない姿」を掲載しているものだった。本には、たまにそういうことがある。「図らずも」の場合もあるし、編集者の遊び心の場合もある。私は後者の仕掛けをたまに入れる。
 
 
 
 
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さまざまなものをアーカイブとして残す義務感をお持ちなのだと勝手に思っている「日本鉄道旅行地図帳編集部」による、「記録的な」記録集。本体価格2800円、B5判、ハードカバー、オールカラー160ページの中身は、ほぼすべて「記録」で埋め尽くされている。

帯の惹句「87年24万キロ」。まず、「これを数えたのか」と思った。昭和天皇が生涯で乗車した列車の、のべの距離である。それを数えて何になるのか、それを数えると何が見えてくるのか。そこに気づけるかどうかが、本書を楽しめるかどうかの分かれ目になると思う。

本書の企画・編集者、田中比呂史さんは、新潮社のブログで「昭和天皇は、おそらく『日本一記録されている男』」と書いている。記録「している」男、ではない、「されている」男だ。きっと、最初は、簡単ではないものの、ほどほどの労力で、全記録を抽出できると思ったに違いない。しかし、作業を進めるにつれ、「皇室」という文脈、ある行程に記載されている興味深い事項は他の行程で記載されていないのか、そういったことが次々に現れ、当初想定した作業量の何倍か、何十倍かの仕事になってしまったのではないか。そう感じるだけの、圧倒的なボリュームがある。

世の中に、御召列車の機関士(運転士)や、(国鉄用語としての)運転側の証言、記録は、そこそこある。御召列車の写真などは無数にある。しかし、それらを俯瞰して見るためには、こうした「全記録」が必要だ。御召列車を撮ることに執念を燃やしている人、燃やしていた人は、本書を買うのは義務だろう。


誌面がどういうものかは、本書の公式ブログ『悠々自鉄』にいくつかアップされている。これは、実に「読み応え」がある。宮脇俊三が、時刻表を「読む」ということを力説していたが、本書も、この、経路の羅列を読むことができる。

上は、私の出身地である新潟県で、昭和47年に開催された植樹祭での行程。C57 1の、出区前の姿や牽引中の姿は、数多く記録されているので、新津-村上間を往復していることは知っていた。しかし、新潟から越後線・弥彦線経由でDE10が牽引した御召列車があったことを、知らなかった。弥彦から長岡まで、どういう経路で、どの機関車が回送したのか。いろいろと、想像が膨らむではないか。もしかしたら、鉄道友の会新潟支部の会報には載っているかもしれない、そうしたものを調べたくなってくる。「読む」ことで、知らなかったこと、知りたいことが無数に出てきてしまう。



これだけの記録を集めた本書だが、鉄道趣味者の多大な関心を引く「牽引機」は、すべてが記載されているわけではない。昭和50年代でさえ抜けがある。おそらく、趣味者からは「この日の牽引機の記載がないが、これは○○である」というような指摘は多く届くだろう。場合によっては証拠写真とともに。それらは、官庁側の公式記録には残らない部分だから、集めきれなかったのかもしれない。であれば、趣味者の知見が総動員されれば、そこを補完できる。本書の目的(と断定してしまう)からすれば、WEBサイト等で追加情報として処理するというのは一つの手なのではないか。もちろん、追加情報は、数百円でPDFなどで販売してもよいだろう。

牽引機でいえば、「予備機」の記載があると、なお、趣味的にはおもしろいかもしれない。上記新潟の植樹祭でいえば、新潟の古い写真を数多く発表している渡辺健一氏のサイトによれば、予備機はDD51 27だった。普通は、同型機、ないし形式は異なっても本務機が蒸気機関車なら予備機も蒸気機関車であることが多いのだが、この時は、蒸気機関車が本務機で、ディーゼル機関車が予備機。場合によっては逆のこともある。これは、機械としての信頼性で決まるという証言があり、そういう面でも興味深い。鉄道趣味誌では、本務機・予備機とも、美しい大判折り込み写真で掲載されることも多いし、EF58 60も、やはり特別視されていた。そんな視点があると、より「御召列車」の記録として膨らみが出るだろう。

(上記サイトは、赤谷線や、鹿瀬の記録、県立自然科学館の29622の謎に迫る記事もある。新潟の古い町並みや、新潟地震の記録もある。そちら方面での検索でも何度も行き当たった。ぜひ詳しくご覧になるといいと思う)



昭和56年10月に、皇太子が第5回全国育樹祭で新潟を訪問された。その際、新潟駅に皇太子かが来られるというニュースがあったので、母と、駅まで見に行った。まったくのうろ覚えだが、急行羽越か急行あさひのキロ28に乗車されていた。子どもながらにその写真を撮ったが、散逸してしまった。



本書には、記録の合間に、多くの記事とコラムが挿入されいる。年表は昭和64年で終わっている。昭和天皇は鉄道を愛したという記事を見たことがあるが、そこに付された記事で、それを実感することができた。これだけの本を商業ベースで刊行するには、編集者の熱意なしには絶対に成立しない。ぜひ買い支えるべき本の一つだと思う。




車掌車はあこがれだった。ヨ5000やヨ8000もいいが、ワフに憧れた。合造車、狭そうな執務スペース、そんなところで一晩過ごしてみたい。子供のころ、そんなふうに思っていた。
 
本書は、90年代から鉄道車両保存に奔走している笹田昌宏氏による車掌車趣味の集大成というべき本だ。「型式解説」ある。「保存車探訪」ある。「駅舎となった車掌車」複数回探訪記録としてある。「資料」もちろんある。しかし、これらは鉄道月刊誌に掲載されても違和感がない内容…オーソドックスともいえる内容だろう。ヨ9000のレポートは、笹田氏が『鉄道ピクトリアル』に発表した記事をベースにしている。本書の素晴らしいところは、こういう基本を抑えた上で、趣味者の視線が存分に入っていることだ。

目次から抜き出す。

・台湾 車掌車&有蓋車 ぐるっと一周探訪の旅
・全米一周 形状とカラーで見せるカブース・ウォッチング
・アレゲニーの森で過ごした車掌車での一夜
・京都鉄道博物館収蔵への道のり ヨ5008の長い旅路
・オーナーは語る!「乗り鉄?撮り鉄?」いえ、「持ち鉄」です!ヨ8000形購入記
・舞台裏を明かす!車掌車ミュージアムの完成まで 甦ったヨ14188
・オーナーは語る!車掌車を喫茶店に

twitterでも、多くの方が買っていて、ある方は「車掌車は範疇ではないが、買わざるを得ない」ということを書いていた。それだけ、惹きつける内容だ。

車両保存活動に長く携わっている笹田氏ならではのものが、個人所有者や博物館保存の話だろう。車両の保存は、方法も、費用も、1両1両すべて異なる。「あれがこうだったから、これもこう」とはいかない。だからこそ読んでいて「その場合」のできごとが興味深い。具体的にかかった費用も書かれている。

また、氏の探訪の熱たるやすさまじく、アメリカのカブース探訪どころかギヤードロコの保存鉄道で宿泊施設となっているカブースにまで泊まってしまう。笹田氏とは『廃駅ミュージアム』をいっしょに作り、お話をうかがうだに、本業に、車両保存活動に、廃駅探訪に、とにかくお忙しいという印象だったが、こんな車掌車趣味まで隠して(!?)いたとは! 机上で満足してしまいがちな私は、そのほとばしるエネルギーの飛沫を煎じて飲まねばなるまい。

笹田氏が院長を務める「皮ふ科クリニックみなくち」には、氏が長年所有し、一時は放置状態にしてしまい、やがて修復中に文化財的価値に気づくことになるヨ14188が「車掌車ミュージアム」として保存されている。行かねばなるまい。
http://hifu-cl.com/

* * *

僭越ながら、私の写真が一点、掲載されている。笹田氏は、結局その車両をご自身で探訪しており、私の写真など使わなくてもよかったはずだが、奥付にクレジットまで載せていただいて光栄の限り。そして、その車両が「隠れ棒デッキ」(妻面には腰板があるが、ヨ3500の初期車は鉄の棒が格子状に組まれていた。一部の車掌は、その格子に腰板が張ってあった)だとわかり、探訪した甲斐があったとおっしゃっていた。

「クレープ屋さん」となっているが、私が探訪したとき…『廃駅ミュージアム』のための丸田祥三さんの撮影に同行させていただいた…は、カレー屋さんだった。そのときの様子はこちら。
ヨ5000のカレー店




1999年頃、どこかのキャンプ場で、ヨに泊まったことがある。どこだか忘れてしまったが、あれは幸せだった。今度は、意識してそういうところに行ってみようと思う。




この本をご存じの方は少ないのではなかろうか。昭和45年に鉄道図書館公開から刊行された、檀上完爾『赤い腕章』と同じシリーズだ。著者は西本三郎、明治40年(1887年)余市生まれ、大正10年(1921年)国鉄に就職し、昭和36年(1961年)国鉄退職。大正13年(1924年)から昭和33年(1958年)までの間、倶知安、中湧別、興部、岩見沢、月形の保線区を振り出しに、道内の保線に携わる。そんな、当時のエピソードを交えながら、保線一般の話を語る。別名「藻岩山麓」という名前での著書もあるが、それはまたの機会に。

やはり、読んで面白いのは「当時の話」だ。プロローグは、石北本線がまだ開通していない頃に旭川から名寄、興部と通って小向に向かう。紋別から南に二つ目の駅だ。そこに単身、列車で赴任する。当時の保線という職業、そして職業人たちの様子が細かに書かれている。それを転載はしない、ぜひ入手して読んで欲しい。


さて、メインの内容はというと、書名のとおり、保線の基本である。
第1章 プロローグ
第2章 線路の話
第3章 名人(ビーター)保線から近代(マルタイ)保線へ(下写真)
第4章 天災・地災・人災
第5章 トンネル・鉄橋・踏切道
第6章 雪や寒さと闘う
第7章 競合脱線
第8章 速度と保線
第9章 都市保線の憂うつと新幹線保守
第10章 保線よもやま話


現代でも通用する、極めてまじめで、簡潔な内容である。

興味深いのは、書かれた時代性である。「第6章 雪や寒さと闘う」「第7章 競合脱線」はまさにそれで、第6章ではED16(!)が押すラッセルの写真もあれば、『北の保線』(太田幸夫)にも通じる部分もあり、そしてDD53などの機械除雪の話になる。第7章は狩勝実験線が成果を上げてきたころであり、「競合脱線」というものが解明されつつあった。それまでに多発した脱線の原因は保線に帰され、著者を含む関係者に重大な処分…ある例では線路工手長が馘首…がなされてきたが、(おそらく原因は貨車の側にあるのに)保線の個人が責任を負わされる理不尽さを嘆いている。

下記のような「黄害」についての記述、これも時代性が強く、現代では「昔話」になってしまったが、貴重な記録であろう。




* * *

二点、重要な観点を紹介したい。本書がすごいと思った点である。一つ目は、第10章保線よもやま話のなかの「<保線の神様とは--?>」という一節。NHKのテレビ小説『旅路』に「線路を自分の手足のように知悉している保線の神様」という人物が出てくる。これに対して「こういうタイプの人物は、現実にいたことはいた。が、保線の神様とは、一体どういう意味なのか、私にははっきりしない(中略)線路状態を熟知しているだけの老保線員を神様とは、このデンでゆけば、全国六万五千の保線関係者の半数以上は、保線の神様であると私は思う。神様などという表現は、そう気易く使ってもらいたくない。」

これは、マスメディアがよく使う「新幹線の安全神話が崩壊した」につながらないだろうか。当事者たちはだれも自分を神になどなぞらえていない。無関係の者が、勝手に「神」を作り出し、そこに酔い痴れてしまう。いま、メディアが「安全神話」という言葉を使うたびにSNSにはそのメディアの稚拙さを指摘する声が沸騰するが、46年前に、別の場面で、これに違和感を持った保線屋がいたのだ。これは、すごいことだと思う。これまた逆に「国鉄神話」を作りかねないが、そうした慧眼の持ち主が、一保線屋にいたのだ。

もう一つは、第8章速度と保線の「最高速度とスピード記録の違い」の一節。各国の記録について「どうか、競馬における馬と騎手のみに拍手を送ることのないようにお願いしたい」という記述。

この二点こそ、現在にも通じる内容といえよう。

* * *

関係あるというかないというか、本書の著者のお孫さん・西本有氏が、別府で、竹のカゴを編む有製咲処(タモツセイサクショ)を主宰している。西本氏が作った竹細工は「ななつ星in九州」の車内調度品に採用されている。北と南で、祖父と孫で、鉄道に関わっておられる不思議なご縁。私も竹かごバッグ(bamluxe)を購入した。




ちょっと毛色の変わった本。鉄道員の家族が語る本はいくつかあるが、たいていはありきたりなことしか書いてなく、いや、それは普通の人はありきたりな生活をしているので当たり前なのだが、どれどれと思って読んでみた。

まず最初に驚いたのは夫が「国鉄マン」といっても「JR東日本発足時の取締役」で、国鉄末期の「本車列車課長」だった人物、ということだ。検索すると、退任後は関連会社(現在社員2000名超)の社長を務めている。超エリートじゃないか。「国鉄マン」とうたっているので、機関士や車掌、駅員、保線などの現場の人の妻かと思い込んでいた。サブタイトルの「夫と転勤家族」は目に入らなかった。

…ということを知った上で、改めて、一説には300人しかいないという本社エリートの生活として読んだ。彼らごく一握りの人間が、40万職員を束ねる。そんなヒエラルキーがある職場とはどんなものなのか。大卒者のデスクワークしかないという職場に通う私には想像すらできないのだが、それは、本書冒頭、30前の夫が高松機関区長として赴任するあたりから、もうその雰囲気が色濃く出ている。

読んでいると、これが本当にエリートの暮らしなのか、と驚く。官舎が狭い、古いというのは、時代性という面も確かにある、それにしても、厳しい環境だ。当時からよく「国鉄の給料は安い」と言われていたが、このクラスの人物……高級官僚に相当する……にして、家を建てたのが(おそらく)野田線沿線というのは……。

そしてまたこれも時代性なのだが、これだけのエリート夫に対して、妻があまりに専業主婦。いまの若い世代が読んでも「ふーん???」としか感じないかもしれない。家庭を顧みないし妻に一切の…国鉄からJRの取締役に内定したことすら話さない夫、自分の原理で行動して夫を常に困らせる妻。そんなエピソードが後ろの半分以上を占めるので、本書を読破するのに時間はかからない。飼っていた鳥だとか子どもが交通事故に遭ったとかそういうことを詳細に書くのではなく、官舎がどういうものだったか、幹部職員の家族、職場のレクリエーション、そういったものをもっともっと披露して欲しかった。

それにしても、「運転」のことなどの記述は正確だ。本人は専業主婦なので、もちろんそんな知識があるわけもなく、また、付け焼き刃で書けるものでもない。文章含めて、きっちりした人がバックアップしているのを感じるが、前述のように、文章としてはきちんとしていても、趣味的には中身がない。まるで自分の親や親戚、同僚の話を雑談として聞いているような内容だ。うっかりさらっと読める本だが、気がつく人なら、途中で「あれ? なんで自分はこの本を読もうとしたんだっけ?」となるだろう。私は別に、そこらへんの人の子育てや家族の生活の話を読みたいわけではないのだ。



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