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車掌車はあこがれだった。ヨ5000やヨ8000もいいが、ワフに憧れた。合造車、狭そうな執務スペース、そんなところで一晩過ごしてみたい。子供のころ、そんなふうに思っていた。
 
本書は、90年代から鉄道車両保存に奔走している笹田昌宏氏による車掌車趣味の集大成というべき本だ。「型式解説」ある。「保存車探訪」ある。「駅舎となった車掌車」複数回探訪記録としてある。「資料」もちろんある。しかし、これらは鉄道月刊誌に掲載されても違和感がない内容…オーソドックスともいえる内容だろう。ヨ9000のレポートは、笹田氏が『鉄道ピクトリアル』に発表した記事をベースにしている。本書の素晴らしいところは、こういう基本を抑えた上で、趣味者の視線が存分に入っていることだ。

目次から抜き出す。

・台湾 車掌車&有蓋車 ぐるっと一周探訪の旅
・全米一周 形状とカラーで見せるカブース・ウォッチング
・アレゲニーの森で過ごした車掌車での一夜
・京都鉄道博物館収蔵への道のり ヨ5008の長い旅路
・オーナーは語る!「乗り鉄?撮り鉄?」いえ、「持ち鉄」です!ヨ8000形購入記
・舞台裏を明かす!車掌車ミュージアムの完成まで 甦ったヨ14188
・オーナーは語る!車掌車を喫茶店に

twitterでも、多くの方が買っていて、ある方は「車掌車は範疇ではないが、買わざるを得ない」ということを書いていた。それだけ、惹きつける内容だ。

車両保存活動に長く携わっている笹田氏ならではのものが、個人所有者や博物館保存の話だろう。車両の保存は、方法も、費用も、1両1両すべて異なる。「あれがこうだったから、これもこう」とはいかない。だからこそ読んでいて「その場合」のできごとが興味深い。具体的にかかった費用も書かれている。

また、氏の探訪の熱たるやすさまじく、アメリカのカブース探訪どころかギヤードロコの保存鉄道で宿泊施設となっているカブースにまで泊まってしまう。笹田氏とは『廃駅ミュージアム』をいっしょに作り、お話をうかがうだに、本業に、車両保存活動に、廃駅探訪に、とにかくお忙しいという印象だったが、こんな車掌車趣味まで隠して(!?)いたとは! 机上で満足してしまいがちな私は、そのほとばしるエネルギーの飛沫を煎じて飲まねばなるまい。

笹田氏が院長を務める「皮ふ科クリニックみなくち」には、氏が長年所有し、一時は放置状態にしてしまい、やがて修復中に文化財的価値に気づくことになるヨ14188が「車掌車ミュージアム」として保存されている。行かねばなるまい。
http://hifu-cl.com/

* * *

僭越ながら、私の写真が一点、掲載されている。笹田氏は、結局その車両をご自身で探訪しており、私の写真など使わなくてもよかったはずだが、奥付にクレジットまで載せていただいて光栄の限り。そして、その車両が「隠れ棒デッキ」(妻面には腰板があるが、ヨ3500の初期車は鉄の棒が格子状に組まれていた。一部の車掌は、その格子に腰板が張ってあった)だとわかり、探訪した甲斐があったとおっしゃっていた。

「クレープ屋さん」となっているが、私が探訪したとき…『廃駅ミュージアム』のための丸田祥三さんの撮影に同行させていただいた…は、カレー屋さんだった。そのときの様子はこちら。
ヨ5000のカレー店




1999年頃、どこかのキャンプ場で、ヨに泊まったことがある。どこだか忘れてしまったが、あれは幸せだった。今度は、意識してそういうところに行ってみようと思う。


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この本をご存じの方は少ないのではなかろうか。昭和45年に鉄道図書館公開から刊行された、檀上完爾『赤い腕章』と同じシリーズだ。著者は西本三郎、明治40年(1887年)余市生まれ、大正10年(1921年)国鉄に就職し、昭和36年(1961年)国鉄退職。大正13年(1924年)から昭和33年(1958年)までの間、倶知安、中湧別、興部、岩見沢、月形の保線区を振り出しに、道内の保線に携わる。そんな、当時のエピソードを交えながら、保線一般の話を語る。別名「藻岩山麓」という名前での著書もあるが、それはまたの機会に。

やはり、読んで面白いのは「当時の話」だ。プロローグは、石北本線がまだ開通していない頃に旭川から名寄、興部と通って小向に向かう。紋別から南に二つ目の駅だ。そこに単身、列車で赴任する。当時の保線という職業、そして職業人たちの様子が細かに書かれている。それを転載はしない、ぜひ入手して読んで欲しい。


さて、メインの内容はというと、書名のとおり、保線の基本である。
第1章 プロローグ
第2章 線路の話
第3章 名人(ビーター)保線から近代(マルタイ)保線へ(下写真)
第4章 天災・地災・人災
第5章 トンネル・鉄橋・踏切道
第6章 雪や寒さと闘う
第7章 競合脱線
第8章 速度と保線
第9章 都市保線の憂うつと新幹線保守
第10章 保線よもやま話


現代でも通用する、極めてまじめで、簡潔な内容である。

興味深いのは、書かれた時代性である。「第6章 雪や寒さと闘う」「第7章 競合脱線」はまさにそれで、第6章ではED16(!)が押すラッセルの写真もあれば、『北の保線』(太田幸夫)にも通じる部分もあり、そしてDD53などの機械除雪の話になる。第7章は狩勝実験線が成果を上げてきたころであり、「競合脱線」というものが解明されつつあった。それまでに多発した脱線の原因は保線に帰され、著者を含む関係者に重大な処分…ある例では線路工手長が馘首…がなされてきたが、(おそらく原因は貨車の側にあるのに)保線の個人が責任を負わされる理不尽さを嘆いている。

下記のような「黄害」についての記述、これも時代性が強く、現代では「昔話」になってしまったが、貴重な記録であろう。




* * *

二点、重要な観点を紹介したい。本書がすごいと思った点である。一つ目は、第10章保線よもやま話のなかの「<保線の神様とは--?>」という一節。NHKのテレビ小説『旅路』に「線路を自分の手足のように知悉している保線の神様」という人物が出てくる。これに対して「こういうタイプの人物は、現実にいたことはいた。が、保線の神様とは、一体どういう意味なのか、私にははっきりしない(中略)線路状態を熟知しているだけの老保線員を神様とは、このデンでゆけば、全国六万五千の保線関係者の半数以上は、保線の神様であると私は思う。神様などという表現は、そう気易く使ってもらいたくない。」

これは、マスメディアがよく使う「新幹線の安全神話が崩壊した」につながらないだろうか。当事者たちはだれも自分を神になどなぞらえていない。無関係の者が、勝手に「神」を作り出し、そこに酔い痴れてしまう。いま、メディアが「安全神話」という言葉を使うたびにSNSにはそのメディアの稚拙さを指摘する声が沸騰するが、46年前に、別の場面で、これに違和感を持った保線屋がいたのだ。これは、すごいことだと思う。これまた逆に「国鉄神話」を作りかねないが、そうした慧眼の持ち主が、一保線屋にいたのだ。

もう一つは、第8章速度と保線の「最高速度とスピード記録の違い」の一節。各国の記録について「どうか、競馬における馬と騎手のみに拍手を送ることのないようにお願いしたい」という記述。

この二点こそ、現在にも通じる内容といえよう。

* * *

関係あるというかないというか、本書の著者のお孫さん・西本有氏が、別府で、竹のカゴを編む有製咲処(タモツセイサクショ)を主宰している。西本氏が作った竹細工は「ななつ星in九州」の車内調度品に採用されている。北と南で、祖父と孫で、鉄道に関わっておられる不思議なご縁。私も竹かごバッグ(bamluxe)を購入した。




ちょっと毛色の変わった本。鉄道員の家族が語る本はいくつかあるが、たいていはありきたりなことしか書いてなく、いや、それは普通の人はありきたりな生活をしているので当たり前なのだが、どれどれと思って読んでみた。

まず最初に驚いたのは夫が「国鉄マン」といっても「JR東日本発足時の取締役」で、国鉄末期の「本車列車課長」だった人物、ということだ。検索すると、退任後は関連会社(現在社員2000名超)の社長を務めている。超エリートじゃないか。「国鉄マン」とうたっているので、機関士や車掌、駅員、保線などの現場の人の妻かと思い込んでいた。サブタイトルの「夫と転勤家族」は目に入らなかった。

…ということを知った上で、改めて、一説には300人しかいないという本社エリートの生活として読んだ。彼らごく一握りの人間が、40万職員を束ねる。そんなヒエラルキーがある職場とはどんなものなのか。大卒者のデスクワークしかないという職場に通う私には想像すらできないのだが、それは、本書冒頭、30前の夫が高松機関区長として赴任するあたりから、もうその雰囲気が色濃く出ている。

読んでいると、これが本当にエリートの暮らしなのか、と驚く。官舎が狭い、古いというのは、時代性という面も確かにある、それにしても、厳しい環境だ。当時からよく「国鉄の給料は安い」と言われていたが、このクラスの人物……高級官僚に相当する……にして、家を建てたのが(おそらく)野田線沿線というのは……。

そしてまたこれも時代性なのだが、これだけのエリート夫に対して、妻があまりに専業主婦。いまの若い世代が読んでも「ふーん???」としか感じないかもしれない。家庭を顧みないし妻に一切の…国鉄からJRの取締役に内定したことすら話さない夫、自分の原理で行動して夫を常に困らせる妻。そんなエピソードが後ろの半分以上を占めるので、本書を読破するのに時間はかからない。飼っていた鳥だとか子どもが交通事故に遭ったとかそういうことを詳細に書くのではなく、官舎がどういうものだったか、幹部職員の家族、職場のレクリエーション、そういったものをもっともっと披露して欲しかった。

それにしても、「運転」のことなどの記述は正確だ。本人は専業主婦なので、もちろんそんな知識があるわけもなく、また、付け焼き刃で書けるものでもない。文章含めて、きっちりした人がバックアップしているのを感じるが、前述のように、文章としてはきちんとしていても、趣味的には中身がない。まるで自分の親や親戚、同僚の話を雑談として聞いているような内容だ。うっかりさらっと読める本だが、気がつく人なら、途中で「あれ? なんで自分はこの本を読もうとしたんだっけ?」となるだろう。私は別に、そこらへんの人の子育てや家族の生活の話を読みたいわけではないのだ。


中央公論新社から刊行された本書は、地形で読み解く東海道本線の建設史だ。近年、急速に詳細なデータが無料で使用できるように整備されてきた標高データや地形図を使い、31見開きもの「凸凹地図」を掲載している(以下、標高を立体的に表現している地図をこう書く)。本文含めてオールカラーで160ページ、定価1400円(+税)というのは、本の制作・製造コストを知っている者からすれば、驚異的な安さだ。2000円を超えてもおかしくないはずだ。

誌面は、著者のツイートをリンクしたい。




本書が優れている点はいくつもあるが、地図に関して言えば、地形図やネット地図には載っていない、でも本文と関係している地名などが網羅されていることだろう。本文を読みつつ凸凹地図を頻繁に参照するのだが、一つとして漏れているものがない。凸凹地図では表現しきれない広範囲の地図は、別に概念図が用意される。そして、地名には読みがなが振ってある。

こうしたことが丁寧になされている本は、実は珍しい。特に鉄道書では、総じて地図がひどい。廃線跡探訪の記事でさえ、なんの説明もなく地図にない地名が出てくるし、地図内にあるべき地名すらなかったりする。本書の地図原稿の作成は多大な手間がかかっていることは、同じようなことを好んで、あるいは仕事として行う私には十分に実感を伴ってわかるが、しかし、著者は、その作業をとても楽しくこなしたに違いないことも実感する。

また、本書は「紙」に「地図」が印刷されていることが、大きな特長であり、優れた点だ。いま、地図はPCのブラウザで見るのが当たり前になっている。そういうインターフェースでは、ついどんどんスクロールしたりズームアップ・ダウンさせててしまう。地域を概観したり、周辺の情報を読み取ることにつながりにくい。紙の地図はスケールが固定され、余計な情報も多いゆえに、自分の目が近づくこと、離れることにより、さまざまなものが見えてくる。こういう本を作るとき、コスト等から「地図だけ分離してPCやスマホで閲覧できるようにしてはどうか」と考えてしまうが、いや、それではだめだ。紙に印刷されて中にあるべきだ。そして、本書は絶妙なスケールで、それがなされている。(「新聞には余計な記事が多いからこそ読む価値がある」という、一見本末転倒のような論があるが、私は的外れではないと思う)

個人的には、東海道本線沿線はあまりなじみがないエリアではあるが、それでも、改めて本書で建設史と地域史を読むと、そこに行きたくなってくる。とりわけ、つい通過してしまう浜松から大垣あたりに。

恥ずかしげもなく申し上げれば、私はこういう本を作りたかった。しかし、いい切り口が思い浮かばなかった。10年以上前に『カシミール3Dで見る・自分で描く 空から眺める鉄道ルート』(杉本智彦・松本典久著)を作り、その後、竹内さんによる、パートワークへの連載をまとめた本は出ていたが、「東海道本線」か。なるほど。それがあったか、と思った。本書を世に送り出した中央公論新社に敬意を表しつつ、続編を大いに期待したい。次は、東北本線か、信越本線か。自分で勝手に続編を書きたいくらいの気持ちだ。(こうした地図をとある場所にアップする計画があるが、それは本書刊行前から進んでいるものなので、パクリじゃないよ、といまここで念のために添えておきたい)

* * *

本書で「古い地図が見てみたい」と思う人もいるだろう。幸い、一部の地域は「今昔マップ」に収録されている。ぜひ見比べてみて欲しい。
http://ktgis.net/kjmapw/index.html


カシミール3Dの「タイルマップ機能」を使えば、この今昔マップによる古い地形図を凸凹地図にして楽しむこともできる。


私のブログ内でも、地形と鉄道などへの考察がいくつもあるので、ぜひご覧いただきたい。
地図・航空写真・分水嶺 ( 85 )





『されど鉄道文字』。本書は、私が長年独自解釈していたものに答えを与えてくれた。私は駅名標によく使われる文字としては3タイプあると思っていたのだが、それらは国鉄が定めた「すみミ丸ゴシック」を「業者が独自解釈で改変して結果的に3タイプの書体が生まれた」ものであるということを、須田寛氏やエムエスアートの佐野稔氏の貴重な証言などから本書が初めて詳らかにしている。とても貴重な本だと思う。全体としてはとてもよく取材されていて、ホーロー看板についても貴重な記録がこっそりと入っている。

しかし、その「独自解釈で改変して結果的に3タイプの書体が生まれた」ということが、読者にうまく伝わるかどうか。そこが、若干気になる。本書は物語として書かれていて、資料性はあまりない。『鉄道デザインEX06』の「鉄道文字」を書いた時点(注)では、当該記事では上記3タイプを注釈なしですべて「すみ丸ゴシック」と言っているために、私はかえって混乱し、「そうではない」と書いたのだが、やはり本書もその傾向がある。
(注)本書を読み、ブログ記事に私の誤認があったことがわかったが、誤認している部分はそのままとしている。また、文章を一部改変している。


一般に、「スミ丸ゴシック」といえば、現在「国鉄方向幕フォント」だと捉える人がほとんどだろう。また、駅名標が好きな人ならば、「国鉄方向幕フォント」タイプを含め、全国的に下記の3種類のものがよく見られたと認識しているだろう。それぞれ「か」が非常に特徴的だ。
 
「国鉄方向幕フォント」タイプ。制定された原形に近い形。方向幕だけでなく、列車名標識、駅名標、ホーム上家の柱に掲げるホーロー看板など、おそらくもっとも広く使われたもの。前記ブログでいう(C)


釣り下げ式に多いタイプ。筆が折り返す部分が長くなる。前記ブログ(D)

 
Π型の駅名標に使われていたタイプ。個人的には長野鉄道管理局下に多い印象。前記ブログ(E)。(『駅名おもしろ大辞典』より)

私は、これら3タイプの書体は、すべて別の書体として認識していた。なにしろ字形が大きく違う。本書を読むと、本来は同じ書体であったことがわかるのだが、結果的に大きく異なるこれらの3書体をすべて 「すみ丸ゴシック」と呼ぶのは、読者の混乱を招くと思う。せめて「すみ丸ゴシック エムエスアートタイプ」と表記する等、適宜、補足した方がよかったのではなかろうか。

同様に「丸ゴシック」も、だ。私は個人的に「看板文字」と通称していたのだが、国鉄が丸ゴシックを指定したことと関係なく、世の中の看板の文字には、端部を丸めた太字が非常に多く見受けられる。これをすべて丸「ゴシック」というにはいささか抵抗がある。(おそらく)地方の鉄道管理局が(おそらく)地元の業者に発注していた駅名標にも当然のごとく太い文字で端部が丸い文字が使われてきた。むしろ「すみ丸ゴシック」3兄弟よりも多かったのではないかというくらいに。それ以前は筆文字だったのは、本書でも書かれているとおりで、昭和40年代にはまだ多く残っていたようだ。

 
私がもっとも好きな「ら」を持つ、昭和50年代後半の荒浜駅の駅名標。端部を丸める処理をしているだけで、これを「丸ゴシック」というのはちょっと…。


手書きの看板文字の例。


付け足しのような記述になるが、本書の貴重な資料的側面としては、サボの注文原稿の写真がある。昭和55年に至っても、釣り下げ式サボを作っていたとは驚きだった。

* * *

さて、「3タイプあった」ことの説明だけで長くなってしまったが、以下、少し気になる点を。

●工場ごとに字形が異なる理由

「本来、図面どおりに作らないといけない。ところが(略)職人の間で『見たらどこの工場で作ったものか、わかるような形にしようやないか』という、おそらく、そんな気運が高まったのだと思います」(218ページ)

蒸気機関車のナンバープレートの文字の形が工場によって特徴があるのは、蒸気ファンにはおなじみである。それを、製造元の一つであるイクチの社長に話しを聞き、それが上の引用なのだが、読者はこれを誤読してはいけない。あくまでも「イクチ社長の憶測」である。「思います」と書かれている。実際に工場の鋳物職人から聞いた言葉ではないことに、強い注意を払う必要がある。

●モリサワ書体の採用

252ページに、大阪市交通局がモリサワ書体を採用したことを、後年、つまり現在、モリサワの書体が広く普及していることから遡って「先見の明は確かなものと言える」としている。しかし、これは結果としてそうなっただけであるのは書体に携わる者ならば常識だと思う。

かつては写研の独壇場だった書体の現場。モリサワの書体を指定しても「ありません」と言われることは多かった。しかし、現在に至るまで意図的にDTPに対応しなかったために、対応したモリサワに利便性の面で大きく引き離された。

2000年代に入るまで、DTPソフトはMacintosh版しかなかかった。Macintoshがモリサワのフォントを搭載しているので、そのまま使う分には「お金がかからない」という追い風もあった(代わりに1990年代のDTPではリュウミンや見出しミンばかりで、とても貧相である)。いまもそれを引きずっており、PCで扱うフォントといえばモリサワ(が管理しているシステム)である。

現代ならば、「いま・今後、PCで使うことを考えると、モリサワを使おう」と考えるのは妥当だが、大阪市交通局がモリサワの書体を採用した当時はそんな時代ではない。「たまたま」と考えるのが妥当だろう。先のイクチの例と合わせて、ミスリードを招きかねない部分なので、注意が必要だ。

なお、モリサワの新ゴが写研のゴナにとって変わったのは、文字の印象が似てるから、というのは説明するまでもないだろう。JR東日本発足時の駅名標の書体はゴナだった。のちに新駅開業等で修正する必要が出ると、そこだけ新ゴで作られたりした。具体的に覚えていないが、両者が混在している駅名標を見たことがある。

同じくモリサワを肯定的に捉えた文章として、274ページでは、東京メトロ発足の際に新ゴが採用された理由が書かれているが、私は当時、「今さら新ゴなのか!」と愕然としたものだった。新ゴはすでに古くさく、出版デザインの現場でも避けられていた。逆に、普通の太いゴシックや太い明朝が「かっこいい」「よみやすい」という風潮だったのだ。ならば、長年使ってきたゴシック4550から変える必要もなかったのではないか。少し話が広がるが、私は、現在の東京メトロのサインシステムは非常によくないと思っている。

* * *

繰り返すが、すみ丸ゴシックが製作所によって3タイプに分かれた、それを明かしたことが、本書の一番の価値だろう。これらのことを、もっと簡潔に系統として説明し、さらには掲示規定等を付録として掲載すれば、物語とともに資料性も併せ持つ形となり、完璧な本になったのではないかと思う。鉄道ファンに幅広く手にとってもらうには、独自の/整理された資料性は重要である。

いま、書体やフォントは多くの人が関心を寄せるものとなった。本書をきっかけに、「車両を見て『これはEF65ですね』というレベル」である「これは新ゴですね」という地点から、「書体には、そこに使われた理由がある」という観点を持つ人が増えることを願う。

なお、手書きの文字を「フォント」と言うのは「貨車を電車というくらいの間違い」なので、ぜひこれも周知されて欲しい。もちろん本書では正確に使い分けられている。

* * *

鉄道の書体に興味を持った方には、以下もおすすめする。

●『鉄道ファン』1983年12月号「機関車ナンバープレート整備の記録」(大塚孝)。

先行調査を踏まえ、小倉工場での調査記録。「キ通報」によってどうなったか、文字型の写真、それにまつわる話などが4ページ掲載されている。製造銘板の木型まで掲載されているが、これがあるということは、国鉄工場で、製造銘板を鋳直していたのだろうか。先行調査とは、
・『蒸気機関車』49号「ナンバープレートの話」(安田章)※未見
・『レールファン』302号「続番号板の記録」(森屋健一)※未見
のこと。

●同号「こんなナンバープレートを見つけた!」(奈良崎博保)
骨董品屋で見つけた230形260号のプレートにある「式(から点を取った文字)」の謎、「段のついた妙なプレート」39639の謎。やはり参考文献があるので転記する。
・『レールファン』206号「番号板の記録」(森屋健一)※未見
・『レールファン』302~308号「続番号板の記録」(森屋健一)※未見
・『鉄道ファン』157号「形式入りナンバープレートの魅力」(日高冬比古・宮田寛之)所有。6ページ。合わせて「1080号機関車”形式入りナンバープレート”裏話」(平井憲太郎)あり。
・『蒸気機関車』49~58号「ナンバープレートの話」(安田章)※未見
・『レイル』1号「機関車史のうらばなし」(寺島京一)※未見
・「機関車番号板について」(大塚孝)JRC九州支部資料 ※未見

●関連項目
『まちモジ』(小林章著)
タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社)
『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)




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