引き続き漫画/『カレチ』
『カレチ』第4巻(池田邦彦著/講談社) 鉄道を舞台にした漫画から「仕事」を軸にした描き方に、そして「物語」へという変化は読者の反応への対応でもあろうし、作者が書きたいことが変わっていったことでもあろう。(カバー袖の作者コメントにもそのようなことが書いてあり、私の受け止め方は間違ってはいないと思う)。その変化は、第1巻から第5巻までの、帯のキャッチを見るとよくわかる。 ・第1巻「懐かしい!泣ける!昭和テツ漫画」 ・第2巻「今この一瞬を、誇れる仕事を。」 ・第3巻「『志織ちゃん』編で、ほんわか。」 ・第4巻「読むとプロ魂が宿る。」 ・第5巻「さらば国鉄。さらば昭和の職人(プロ)達。さらば荻野カレチ。」 第3巻は傾向が違うので除外して、第2巻・第4巻と、第5巻の間には大きな違いがある。そして、第37話までと最終章とで、プロ、本書では「仕事の誇り」という言葉がよく使われるが、それが指し示すものも大きく変わった。 第37話までに描かれているのは個人の行動規範たる「プロ意識」だ。しかし、最終章は職場の行動規範たる「プロ意識」を描く。個人ではなく、共同体としての「プロ意識」。それが大切なものであり、なおかつ当時、時代とともに大きく変化している最中だったことを、見事に描ききっている。 * * *
私は、いったんこの路線から離れて、第1巻や『RailGirl』の路線をもっとたくさん読みたいと思う。初期作品のようなエンターテインメントを描けるのは、作者しかいない。期待して待っている。 PR 種村さんの本は昭和50年代後半のものはだいたい読んだ。なかでもこの『鈍行列車の旅』は珠玉の内容だと思う。内容は大きく四つに分かれていて、一つは各地方のローカル線、駅の風情がふんだんに盛り込まれている旅記事。仲間と旅する、という楽しさがほとばしっている。 資料としても優れていて、当時走っていた夜行鈍行全9系統と、国鉄全駅所在リストが載っている。当時、この住所をもとに、いくつかの駅に入場券の通販を申し込んだ。小学校4年生のころだ。これで三つ。 そして、RGGの森嶋孝司さんの「駅名標撮りつぶし体験記」だ。 2006年、『カシミールで見る・自分で描く 空から眺める鉄道ルート』を制作した際、RGGに写真をお借りしたが、森嶋さんの写真も多数お借りした。一方的にご縁があったと思っている。 * * *
もう一冊。『国鉄全線全駅 読み乗り2万キロ総ガイド』。410ページもある。記憶では、けっこうな数の駅舎や駅名標の写真が載っていたと思うのだが、全然そんなことはなかった。これは買い直さなくてもよかったかもしれない。 再び本が増え始めている。重量的にまずい。 興味深い点と、よろしくない点と、非常に評価の難しい本。 本作り、つまり「原稿を書く/入稿/校正/校了/印刷」という行程を知らないと、「つくりかた」の説明をするのは難しい。たいてい、こうした裏方作業の話は印刷工程における苦労話や極端なエピソードなので、うっかりすると「時刻表ならではの作り方」ではなく、「通常の本作りのプロセス」になってしまいがちだ。そのあたりのバランスにはかなり苦労しただろう…と思いきや、どうも全然苦労してない雰囲気も漂う。つまり、「通常の本作りのプロセス」に終始している。 「時刻表ならでは」の部分が、少なすぎると感じる。「時刻表ならでは」の部分は、全体の数分の1程度しかないのではないか。執筆は分担制なのか、専門用語が解説なしで出てきてあとから注釈が入ったり、注釈なしの専門用語が散見されるのも残念だ。 例えばP70、APRという樹脂版(いわゆる樹脂凸版)での作業について「清刷を所定の場所に配置してカメラ撮りをしてネガを作る」と書いてある。「カメラ撮り」とは、確かに印刷所の人は、そう言う。でも、普通は「カメラで撮る」という行為は「撮影」と言う。そして、これはまだ「スキャン」が一般的ではなかった時代の技術だ(現在でも大判の図版は「カメラ撮り」をする。『空から見える東京の道と街づくり』の地図の一部はカメラ撮りをした)。ここは注釈が絶対に必要だ。 樹脂版にしても、私は週刊漫画雑誌で実物を扱っていたのでよくわかるのだが、若い編集者にすら伝わらないだろうこの部分、読者にはもっと伝わらないに違いない。この部分を解決するためには、その樹脂版の写真があればいいのだが、本書の最大の欠点は「写真や図版がない」ということである。 参考:樹脂凸版(東レのトレリーフ)ー要するに、このぺらぺらが「ハンコ」の役割を果たす 同じく「活字」と「DTP」の違いについても、もっとわかりやすく書かねばなるまい。 参考:鉛活字を並べるということ(印刷博物館) 活字の時代、駅名や罫線が撚れた。それを説明するためには、実際に昭和40年代の、活字を使っていた時代の紙面と、現在のDTPによる紙面とを見比べさせないといけない。例えばこういう風に。 いや、これらはまだ古い時刻表を持っている人には直感的にわかるかもしれない。本書でもっともダメな点は、時刻表製作に欠かせないという「フンドシ」の写真がないことだ。まったくイメージがわかない。 本書は「ヨンサントオ」の通り一遍の説明などを掲載するのではなく、裏方作業を知ってもらう本に徹して、こうした部分にもきちんと解説が欲しかった。非常に残念だ。
書名はこうだが、内容は「キハ04・キハ07は、いかにひどい設計だったか。それを引きずった国鉄ディーゼル一家的中華思想が刻み続けた罪」といったものだ。
国鉄のディーゼル機関の劣等ぶりはディーゼル機関車・気動車を機械的な方面から好きな人たちには知られてはいる。しかし、いまでも、主としてイメージでしかものごとをとらえない人々がDMH17を「名エンジン」と書き連ね、鉄道趣味誌はそれを搭載した車両を「名車両」として持ち上げる。車両に対するノスタルジックな感情と、その性能の評価は分けて考えねばならない。人の性格のよさと仕事のできる/できないを分けて考えなければいけないように。 * 内容は極めてシンプル。鉄道車両としての鉄道省ガソリン動車、とりわけキハ41000、キハ42000がいかにダメなものだったかを、その機械、機構、運転面から検証していく。そして、死者192名を出した1940年1月29日の西成線(現・桜島線)安治川口駅での脱線転覆炎上事故に至るまでを説いていく。 この西成線の事故は、戦後の三大事故(桜木町・三河島・鶴見)に比べて語られることが少ない。単にキハ07が転轍機操作のミスで転倒して炎上した、くらいの知識しかない人が大半であろう。しかし、転覆した時点では、停止寸前だった…と聞いたら「低速度でゴロリと横転したとしたら、それくらいで炎上するのか?」とも思うだろう。本書は、それを丁寧に検証する。 要は、暴れた推進軸が、その横にあった燃料タンクを直撃して厚さ3mmの鋼鈑に穴を開け、そこからガソリンが流出した…というものである。それは当時の調査でも明らかになっているのだが、なぜか「定員の3倍」すなわち15~20トンほどの荷重増の状態だったにもかかわらず、枕バネが無荷重の状態で検証されてたりということも明らかになる。 これを、燃料タンクの位置がそこにあるから悪い……すなわちフェールセーフになっていない、という指摘をする。それでも車両としてシリーズで100両以上にもなってしまったことに、国鉄の硬直した組織、思考が現れていると見る。事故は、そうしたことの積み重ねで起きるべくして起きた…と見る。 * なにしろキハ07は試運転の段階で自在継ぎ手切断による推進軸破損(車内への飛び込み)ということを起こしているのである。『キハ07ものがたり(上)』(岡田誠一著/RMライブラリー)によれば、それに対して、島秀雄は「設計に間違いはない、精度が悪いからだ」といって北畠顕正(国鉄ディーゼル車史をいまあるようにしてしまった一人)の望んだ設計変更を認めず、やむなく自在継ぎ手が破損しても推進軸が地面に垂れ下がらないような枠をこっそり「振れ止め」なる名称で取り付けたほどである。「振れ止め」は後述の動画の左端の枠がそれだと思う。 こうした国鉄の硬直した思考を、最終章では陸軍統制発動機の設計・運用思想等との比較を元に、徹底的に批判する。なにしろ見出しが「歴史の歪曲を許してはならない」である。『鉄道技術発達史IV』における機械式気動車の重連運転についての記述「非常に好評を博した」という記述を唾棄すべきものと断罪している。「尊大かつ醜悪な国鉄ディーゼル一家的中華思想には…吐き気を催す」とまで書いている。そして、私はそれに首肯する。JR九州元社長・石井幸孝氏も、当初はこのあたりはおそらく自身も思うところがあったのかお茶を濁していたのだが、最近は国鉄マンセーになってしまった。残念である。 国鉄型の気動車が持つノスタルジックな魅力はわかる。しかし、その床下には、こうした黒歴史が塗り込められていることを、鉄道ファンは知っておくべきだと思う。
* 最後に。 片上鉄道保存会による貴重なキハ41000の同型車、キハ312の推進軸。製造時はGMF13+機械式だったが、現在はDMF13+液体式である。画面左の四角い枠がおそらく「振れ止め」。右が動台車。クラッチを切ってあると思うのだが、推進軸はごくわずかに回転している。 もともとは、杉崎行恭さんの『駅舎』という本をさがしていた。そこでひっかかったのが、「日本の駅」というタイトルで、竹書房刊で、全駅舎写真が載っていて…という本だった。それは見てみたいと思い、さらに検索すると、どうやら同名タイトルで、1972年に刊行された鉄道ジャーナル社版がある。ありふれたタイトルのため、中身は同じなのか違うのかわからないので、まずは竹書房版を購入した。ところが、購入した竹書房版を見たところ、どう見ても印刷が悪い。特に、わずか16ページだけある巻頭カラーのひどさといったら。何かの再録としか思えない。おかしい、と確信したのは網走駅の写真を見たときだ。旧駅舎が写っている。いや、それはそれで貴重なのだが、網走駅の駅舎は昭和52年末に改築・落成しているのだから、昭和54年刊の本書では、当然そちらが入っていて然るべきである。 そうして、鉄道ジャーナル社版を単純に再刊したのではないか…と思い始めた。とはいえその古書の中を紹介しているサイトなどはなさそうだ。なにしろ「日本の駅」というありふれたタイトルだ、検索しても本書にたどり着くわけがない。そこで、鉄道ジャーナル社版を買った。 中身はこうだ。 本書の最大の長所は、駅舎の建築年が書いてあることだろう。それを元にすれば、駅舎建築の傾向がつかめるのだ。長年気になっていた、稚内駅・柏崎駅・武生駅の相似(それ以外にもあり、平屋の駅舎を加えるともっと多い)も、時代性というか規格性というか、そういう面があることがわかる。 ・稚内駅 駅舎改築 昭和40年9月 ・柏崎駅 駅舎改築 昭和42年10月 ・武生駅 駅舎改築 昭和43年9月 である。他の駅舎の検証も、いつか進めたい。 同じ地域で同じ時期に開業した駅舎が同じ建築になるのはわかりやすい。しかし、国鉄は全国組織で完全な中央集権体制ゆえ、こうしたことが起こる。とくに戦後の建築ラッシュ、そして昭和40年代以降の改築ラッシュ時のことが興味深い。 駅舎についての内容が同じで、片や発売時の定価5000円、片や4万5000円なので、どうしても鉄道ジャーナル社版に軍配を挙げてしまうが、竹書房版の『国鉄全駅ルーツ大事典』は、当時は地名への関心もいまほど一般的ではなく非常に貴重な本だっただけに(子どもの頃、高額で買えなかった)、その再録は感慨深いものがある。 竹書房版を売ろうか、それともスキャンするためにバラすか、迷っている。 |
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