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どちらも子供の頃に持っていた本。いつのまにかなくなってしまった。とくに『鈍行列車の旅』はほしかったのだけれど、古書はけっこう高い。たまたま安価のものを見つけたので手元に引き寄せた。本来あるはずのビニールカバーはなかった。もしあっても経年劣化でボロボロだろうから、まあ、なくてもいい。

種村さんの本は昭和50年代後半のものはだいたい読んだ。なかでもこの『鈍行列車の旅』は珠玉の内容だと思う。内容は大きく四つに分かれていて、一つは各地方のローカル線、駅の風情がふんだんに盛り込まれている旅記事。仲間と旅する、という楽しさがほとばしっている。

資料としても優れていて、当時走っていた夜行鈍行全9系統と、国鉄全駅所在リストが載っている。当時、この住所をもとに、いくつかの駅に入場券の通販を申し込んだ。小学校4年生のころだ。これで三つ。

そして、RGGの森嶋孝司さんの「駅名標撮りつぶし体験記」だ。
824列車が通る駅すべての「鳥居型」駅名標が掲載されている。このコレクションはすばらしい。

2006年、『カシミールで見る・自分で描く 空から眺める鉄道ルート』を制作した際、RGGに写真をお借りしたが、森嶋さんの写真も多数お借りした。一方的にご縁があったと思っている。

* * *

もう一冊。『国鉄全線全駅 読み乗り2万キロ総ガイド』。410ページもある。記憶では、けっこうな数の駅舎や駅名標の写真が載っていたと思うのだが、全然そんなことはなかった。これは買い直さなくてもよかったかもしれない。


再び本が増え始めている。重量的にまずい。


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興味深い点と、よろしくない点と、非常に評価の難しい本。

本作り、つまり「原稿を書く/入稿/校正/校了/印刷」という行程を知らないと、「つくりかた」の説明をするのは難しい。たいてい、こうした裏方作業の話は印刷工程における苦労話や極端なエピソードなので、うっかりすると「時刻表ならではの作り方」ではなく、「通常の本作りのプロセス」になってしまいがちだ。そのあたりのバランスにはかなり苦労しただろう…と思いきや、どうも全然苦労してない雰囲気も漂う。つまり、「通常の本作りのプロセス」に終始している。

「時刻表ならでは」の部分が、少なすぎると感じる。「時刻表ならでは」の部分は、全体の数分の1程度しかないのではないか。執筆は分担制なのか、専門用語が解説なしで出てきてあとから注釈が入ったり、注釈なしの専門用語が散見されるのも残念だ。

例えばP70、APRという樹脂版(いわゆる樹脂凸版)での作業について「清刷を所定の場所に配置してカメラ撮りをしてネガを作る」と書いてある。「カメラ撮り」とは、確かに印刷所の人は、そう言う。でも、普通は「カメラで撮る」という行為は「撮影」と言う。そして、これはまだ「スキャン」が一般的ではなかった時代の技術だ(現在でも大判の図版は「カメラ撮り」をする。『空から見える東京の道と街づくり』の地図の一部はカメラ撮りをした)。ここは注釈が絶対に必要だ。

樹脂版にしても、私は週刊漫画雑誌で実物を扱っていたのでよくわかるのだが、若い編集者にすら伝わらないだろうこの部分、読者にはもっと伝わらないに違いない。この部分を解決するためには、その樹脂版の写真があればいいのだが、本書の最大の欠点は「写真や図版がない」ということである。

参考:樹脂凸版(東レのトレリーフ)ー要するに、このぺらぺらが「ハンコ」の役割を果たす



同じく「活字」と「DTP」の違いについても、もっとわかりやすく書かねばなるまい。

参考:鉛活字を並べるということ(印刷博物館)

活字の時代、駅名や罫線が撚れた。それを説明するためには、実際に昭和40年代の、活字を使っていた時代の紙面と、現在のDTPによる紙面とを見比べさせないといけない。例えばこういう風に。

1980年4月のコンパス時刻表。紙面の文字に凹凸があり、見るからに活版印刷だ。みどりの窓口マーク、駅弁マーク、「急行」マーク等は、特殊な活字である。本書には写植に切り替えたのは1987年とあるので、それまでは鉛活字とその罫線を組んでいたはずである。上写真で薄く赤になった部分をご覧いただきたい。この時点では活字を一度樹脂版に置き換える方法だったとは思うが、活字の罫線は途切れるところがある。また、矢印は、矢羽根/シャフト(?)/鏃がそれぞれ別パーツなので、それぞれの間に隙間がある。

そして、右上カドの縦罫のように、ときに曲がる。これは樹脂版が歪んだのか。

縦長ピンクの線の場所、横書き文字なのにおかしな隙間がある。これも罫線、というか空白スペースのなせるワザ。上段、枕崎発山川港行きだが、時刻の「1136 1207 1313 1400」とそれぞの間にわずかなスペースがある。これが、上下の、横書き日本語にも干渉してくる。これは、活字を並べるとき、時刻を基準に、そこにスペーサーを挟み込んでいる、と思ってもらって差し支えない。


いや、これらはまだ古い時刻表を持っている人には直感的にわかるかもしれない。本書でもっともダメな点は、時刻表製作に欠かせないという「フンドシ」の写真がないことだ。まったくイメージがわかない。

本書は「ヨンサントオ」の通り一遍の説明などを掲載するのではなく、裏方作業を知ってもらう本に徹して、こうした部分にもきちんと解説が欲しかった。非常に残念だ。


書名はこうだが、内容は「キハ04・キハ07は、いかにひどい設計だったか。それを引きずった国鉄ディーゼル一家的中華思想が刻み続けた罪」といったものだ。

国鉄のディーゼル機関の劣等ぶりはディーゼル機関車・気動車を機械的な方面から好きな人たちには知られてはいる。しかし、いまでも、主としてイメージでしかものごとをとらえない人々がDMH17を「名エンジン」と書き連ね、鉄道趣味誌はそれを搭載した車両を「名車両」として持ち上げる。車両に対するノスタルジックな感情と、その性能の評価は分けて考えねばならない。人の性格のよさと仕事のできる/できないを分けて考えなければいけないように。



内容は極めてシンプル。鉄道車両としての鉄道省ガソリン動車、とりわけキハ41000、キハ42000がいかにダメなものだったかを、その機械、機構、運転面から検証していく。そして、死者192名を出した1940年1月29日の西成線(現・桜島線)安治川口駅での脱線転覆炎上事故に至るまでを説いていく。

この西成線の事故は、戦後の三大事故(桜木町・三河島・鶴見)に比べて語られることが少ない。単にキハ07が転轍機操作のミスで転倒して炎上した、くらいの知識しかない人が大半であろう。しかし、転覆した時点では、停止寸前だった…と聞いたら「低速度でゴロリと横転したとしたら、それくらいで炎上するのか?」とも思うだろう。本書は、それを丁寧に検証する。

要は、暴れた推進軸が、その横にあった燃料タンクを直撃して厚さ3mmの鋼鈑に穴を開け、そこからガソリンが流出した…というものである。それは当時の調査でも明らかになっているのだが、なぜか「定員の3倍」すなわち15~20トンほどの荷重増の状態だったにもかかわらず、枕バネが無荷重の状態で検証されてたりということも明らかになる。

これを、燃料タンクの位置がそこにあるから悪い……すなわちフェールセーフになっていない、という指摘をする。それでも車両としてシリーズで100両以上にもなってしまったことに、国鉄の硬直した組織、思考が現れていると見る。事故は、そうしたことの積み重ねで起きるべくして起きた…と見る。



なにしろキハ07は試運転の段階で自在継ぎ手切断による推進軸破損(車内への飛び込み)ということを起こしているのである。『キハ07ものがたり(上)』(岡田誠一著/RMライブラリー)によれば、それに対して、島秀雄は「設計に間違いはない、精度が悪いからだ」といって北畠顕正(国鉄ディーゼル車史をいまあるようにしてしまった一人)の望んだ設計変更を認めず、やむなく自在継ぎ手が破損しても推進軸が地面に垂れ下がらないような枠をこっそり「振れ止め」なる名称で取り付けたほどである。「振れ止め」は後述の動画の左端の枠がそれだと思う。

こうした国鉄の硬直した思考を、最終章では陸軍統制発動機の設計・運用思想等との比較を元に、徹底的に批判する。なにしろ見出しが「歴史の歪曲を許してはならない」である。『鉄道技術発達史IV』における機械式気動車の重連運転についての記述「非常に好評を博した」という記述を唾棄すべきものと断罪している。「尊大かつ醜悪な国鉄ディーゼル一家的中華思想には…吐き気を催す」とまで書いている。そして、私はそれに首肯する。JR九州元社長・石井幸孝氏も、当初はこのあたりはおそらく自身も思うところがあったのかお茶を濁していたのだが、最近は国鉄マンセーになってしまった。残念である。

国鉄型の気動車が持つノスタルジックな魅力はわかる。しかし、その床下には、こうした黒歴史が塗り込められていることを、鉄道ファンは知っておくべきだと思う。



最後に。
片上鉄道保存会による貴重なキハ41000の同型車、キハ312の推進軸。製造時はGMF13+機械式だったが、現在はDMF13+液体式である。画面左の四角い枠がおそらく「振れ止め」。右が動台車。クラッチを切ってあると思うのだが、推進軸はごくわずかに回転している。




1000ページを超す本がある。竹書房刊、『日本の駅』、1979年刊。定価4万50000円。ハードカバー、化粧箱入り、さらに段ボール箱入りだ。内容は、日本の有人駅の(おそらく全)駅舎の写真が500ページ超、ということで、4000円以上で購入した。本書は、当時の大著、村石利夫著『国鉄全駅ルーツ大事典』(竹書房刊)も再録されているので、まあ、高額でもいいかと思って買ったものだ。

もともとは、杉崎行恭さんの『駅舎』という本をさがしていた。そこでひっかかったのが、「日本の駅」というタイトルで、竹書房刊で、全駅舎写真が載っていて…という本だった。それは見てみたいと思い、さらに検索すると、どうやら同名タイトルで、1972年に刊行された鉄道ジャーナル社版がある。ありふれたタイトルのため、中身は同じなのか違うのかわからないので、まずは竹書房版を購入した。ところが、購入した竹書房版を見たところ、どう見ても印刷が悪い。特に、わずか16ページだけある巻頭カラーのひどさといったら。何かの再録としか思えない。おかしい、と確信したのは網走駅の写真を見たときだ。旧駅舎が写っている。いや、それはそれで貴重なのだが、網走駅の駅舎は昭和52年末に改築・落成しているのだから、昭和54年刊の本書では、当然そちらが入っていて然るべきである。

そうして、鉄道ジャーナル社版を単純に再刊したのではないか…と思い始めた。とはいえその古書の中を紹介しているサイトなどはなさそうだ。なにしろ「日本の駅」というありふれたタイトルだ、検索しても本書にたどり着くわけがない。そこで、鉄道ジャーナル社版を買った。

これが鉄道ジャーナル社版だ。果たして、中身は一緒だった。そして、やはり、こちらのほうが印刷がいい。

中身はこうだ。
上が鉄道ジャーナル社版、下が竹書房版。まったく同じだ。ただし、竹書房版は一部はアップデートされており、たとえば武蔵野線や三江線(鉄道ジャーナル社版では三江北線・南線)、大隅線(同古江線)などが追加されている。目次等は、写植を切り貼りして挿入した跡がうかがえる。

わかりづらいだろうが、印刷の違い。左が鉄道ジャーナル社版。白飛びが少ない。竹書房版は、1ページ全体のインクの乗りが悪いページが多々ある。とはいえ、どちらも製版時の線数が少ない(いまの新聞よりも悪いだろう)ので、鉄道ジャーナル社版の印刷がいいとはいえ、細部の見え方が違うわけではない。

本書の最大の長所は、駅舎の建築年が書いてあることだろう。それを元にすれば、駅舎建築の傾向がつかめるのだ。長年気になっていた、稚内駅・柏崎駅・武生駅の相似(それ以外にもあり、平屋の駅舎を加えるともっと多い)も、時代性というか規格性というか、そういう面があることがわかる。

上から、
・稚内駅 駅舎改築 昭和40年9月
・柏崎駅 駅舎改築 昭和42年10月
・武生駅 駅舎改築 昭和43年9月
である。他の駅舎の検証も、いつか進めたい。

同じ地域で同じ時期に開業した駅舎が同じ建築になるのはわかりやすい。しかし、国鉄は全国組織で完全な中央集権体制ゆえ、こうしたことが起こる。とくに戦後の建築ラッシュ、そして昭和40年代以降の改築ラッシュ時のことが興味深い。

鉄道ジャーナル社版には「国鉄駅舎100年のあゆみ」と題した、国鉄本社施設局建築課の手になる13ページの記事がある。あまり深いものではないが、「昭和26年に入ると駅本屋の復興も本格的となり、郡山・敦賀・尾張一の宮・浜田・宇和島・徳島などの諸駅本屋が改築された」などというさりげない記述が、おそらく同時代性を担保する。また、「利用債による地方駅の改良」という項には「小さな駅本屋としてすぐれた作品がたくさん生まれている」などと「作品」なる言葉が使われているのも、建築らしくて興味深い。さらに民衆駅一覧表(全52駅+工事中3駅)もある。郷里の新潟駅は18番目とのことだ。

駅舎についての内容が同じで、片や発売時の定価5000円、片や4万5000円なので、どうしても鉄道ジャーナル社版に軍配を挙げてしまうが、竹書房版の『国鉄全駅ルーツ大事典』は、当時は地名への関心もいまほど一般的ではなく非常に貴重な本だっただけに(子どもの頃、高額で買えなかった)、その再録は感慨深いものがある。



竹書房版を売ろうか、それともスキャンするためにバラすか、迷っている。


駅の本は数多あるけれど、本書は久々に出会った「新しい発見がある本」だった。発見といっても「知識」はもちろんのこと、「楽しみ方」を発見できる本だった。

本書で発見した……本書が教えてくれた楽しみとは、駅を見る目と、その括り方だ。サブタイトルにもなっている「股裂き駅」がその先端だろう。たしかに、いいよね、分岐駅で扇形になったホーム。この、読者が「そうだよね、言われてみれば、いいよね」と共感する感覚を持てる本は貴重だ。そして、こういうコンセプト(だと私が勝手に読み取っているだけだが)こそ、これからの本のあり方の最先端じゃないかと思っている。

残念ながら公式サイトには詳しい目次が載っていないので、せっかくだからここに書く。公式サイトには「旅エッセイ」とあるが、そうではないよ、本書は。すばらしい駅研究の本。とはいえ、紹介文にそのように書くと、うまく伝わらないからそう書かれたのかもしれない。あと、amazonには公式ほどの情報もないのは残念。

・東西両横綱の大変身
・厳選! 名駅舎
・大ドームターミナル
・脳裏に焼き付く、忘じがたき駅
・ホーム上の小宇宙
・地の果ての車止め
・鋼索・索道駅のアバンギャルド
・駅前像の威容と不思議
・股裂き駅の奇妙な空間
・おいらの駅は踏切自慢
・鄙にも希なモダン駅舎
・保存駅舎の存在感
・名駅舎墓碑銘

各章の観点はバラバラだ。駅舎だったり、ホームだったり、付帯設備だったり、情緒だったり。それらの面白さも書きたいのだが、本書の素晴らしい点を先に書くと、先の「楽しさ」の提示ともう一つ、「知識」として「日本の鉄道駅舎史」という観点が入っていることだ。これは私もいつか調べてみたいと思いつつ、とりつく島もないまま長年放置しているテーマなのだが、例えば…

この駅舎が建てられた昭和10年ごろは太平洋戦争以前の日本の国力の絶頂期で、都市の中央駅に上野駅や小樽駅のようなコンクリートの機能主義的な駅舎が次々に建てられた時代だった。(紀伊中ノ島駅)

戦災復興の建築ブームで各所に駅舎が建てられていた。そのとき、新時代の駅舎は伝統的な建築とは違ったものを目指したのだろう。(略)建築雑誌に掲載され たコルビジェやヤコブセンの作品を見てインスパイアされたと思われる駅舎が続々と誕生した。しかもこれが九州で多く見られた。(略)コンクリートが実用化 したために誕生した欧米のモダニズム建築だが、極東の九州では無邪気にも木造でやってしまったのだ。(松橋駅)

国鉄では昭和50年代から老朽駅舎の改築にあたって、北海道の風土に適した北方圏型の小駅舎を開発していた。(斜内駅)

といったように、建築史と絡めて駅舎の成り立ちに触れている。その考察は、とりわけ「鋼索・索道駅のアバンギャルド」という章でも遺憾なく発揮されている。

また、各駅の評や、そこから飛び火する文明評も秀逸。一度読んだだけではスルーしてしまうくらいにさりげないので、二度目、三度目と読むとより味わえそうだ。
開いた股間にずどんと箕面線(石橋駅)

一般に帝冠様式の建物は今の目から見ると屋根つき霊柩車のような(奈良駅)

(山中にすごい駅がある意味、無駄に建設されたという意味で←磯部要約)土合駅が建てられた昭和42年をもって国鉄の戦後復興は果たされたのではないかと思う(土合駅)

(鎌倉を世界遺産にしようという流れから、北鎌倉駅地下化の話におよび)日本の世界遺産ブームは、どこかへンだ(北鎌倉駅)

* * *

個人的には、(旧)稚内駅と、柏崎駅と、武生駅の駅舎に共通する臭いを分析したい。長い研究になるのだろうが、各駅の駅舎の供用年をexcelにまとめてみたいと思っている。また、鉄道建築は逓信建築とともに、商業出版ではまだほとんど手つかずの分野。売れる自信はないが、いつかそうした本をつくってみたいとも思う。

* * *

そうした観点とはまた別に、本書で衝撃を受けたのは新旭川駅である。内容は書かない。ぜひ読んでほしい。

写真は2007年に撮ったものだが、この駅舎にそんな物語があったとは知らなかった。

旅とか情緒が好きな人は絶対に「買い」の本。


<関連項目>
『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)
昭和50年代の駅名標(越後線)その1






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