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妄想も含みつつ、一般論だと信じてを書く。

鉄道書が「売れるコンテンツ」という認識が広がって何年になるだろう。いま、書店の鉄道書コーナーは有象無象がひしめき合い、あまり目の肥えていない読者はどれを手にとっていいかわからず、適当に選んだ一冊が大ハズレだった場合、きっと二度と鉄道関連本など買ってくれることはあるまい。

たとえば、ありふれた旅行記。これにはふたつのパターンがある。(1)やり手の著者が大手版元に食い込んで撒き散らすもの。(2)嗅覚の効く人たちに断られ続けたものが、効かない人に拾われる例。こちらは、たいていの場合、マイナーな版元である。

(1)の場合、著者がやり手だからしょうがない。寝技が得意な人はいるもので、ほうぼうで悪口を聞く。でも、ひっかかる人がいるのだな、大手版元にも。そして、目の肥えた読者から評判を下げる。

(2)の場合、著者は、たぶん、真っ先に鉄道雑誌の編集部に企画として持ち込んでいるはずだ。目利き揃いだからそこで断られる。次に、自分が名前を知っている(中堅以上の)版元に持ち込む。それなりの版元はバカじゃないから、そういう本は売れないものだという嗅覚がある。版元によって社風というか得意分野はあり、それぞれ嗅覚は異なるから、いくつもの版元を回ることは否定しない。それにしても…。そして、よくわからない版元に持ち込むと、よくわからない人が企画を採用して、本にしてしまう。それが、市場を荒らす。

***

「版元によって社風というか得意分野はあり…」と書いた。次のような本の版元を見ると「なるほどな」と感じてもらえるに違いない。こうした本は、版元らしさを感じるし、方向性も、内容や書き方もはっきりしている。著者が素晴らしいのはもちろんのこと、編集者が編集者らしく仕事をしていると感じる。

『鉄道技術者 白井昭』(高瀬文人著/平凡社)
『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(高橋団吉著/小学館)
『国鉄を企業にした男』(高坂盛彦著/中央公論新社)
『貨物をゆく』(イカロス出版)
『廃線跡の記録』シリーズ(三才ブックス)



続きはいずれ。




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20120227_005.JPG廃墟を、あるいは廃墟を写真に撮ることを好きな人は多い。でも、「なぜ好きなの?」という答えに、答えられる人は少ないのではな かろう か。例えば「美しさを感じる」では答えにならない。その場合、「なぜ美しいと思うのか」に対する答えが必要だからである。

本書には、その答えに至る、重大な示唆が散りばめられている。丸田さんが何に対してレンズを向けてきたのか、その理由が、作家・重松清さんとの対話で浮かび上がってくる。その流れは、そのまま読者自身が体験できる、壮大な時代感覚の共有でもある。それも、「名もない者たちの時代の感覚」、つまり他社をあざける強者の立場ではない者たちの感覚。「名もない者たち」というのは、『廃道 棄てられし道』や『棄景』シリーズでも一貫しているテーマである。


章立ては、

第一章 六〇年代から七〇年代前半 世界はとうに終わっていた
第二章 七〇年代中盤 新品時代の終焉
第三章 七〇年代後半から80年代 ゴミの上の夢の国の時代
第四章 八〇年代から九〇年代 個人攻撃の時代
第五章 九〇年代から〇〇年代 記憶を上書きする時代
未来章 二〇一一年三月一一日以降 懐かしい未来、見知らぬ過去

となっている。

***

章立てを見ると、1970年代の話題が多い。これは、1964年9月生まれの丸田さんと、1963年3月の重松さん(面識はないけれど、さんづけとさせていただく)が、もっとも多感な時を過ごしたのが1970年代だということなのだろう。私は丸田さんと7学年違いの1972年1月生まれなので、この時代のことは「記憶」として知っている(この観念は、本書を通底している)。そして、私にとっては、1980年代こそが多感な時代だった。

しかし、小学3年~高校3年という私の1980年代は、あらゆる刺激を受けはしたが、あくまでも生徒の身分であり、時代を言葉にできていない。それが、1980年代に十代後半~二十代後半という時代を過ごした丸田さんと重松さんは、確実に当時から言葉にしている。その言葉が、散りばめられており、ひとつひとつに「そうそう!」と頷きっぱなしとなる。

おそらく、読む人の青春時代が1980年代であろうと1990年代であろうと、あるいは2000年代であろうと、かならず、自分の記憶を的確な言葉で言い表しているところがあることに、そして、風景として描いた写真作品があることに気づくだろう。それが、この『問いかける風景』のすごさだ。

***

私の時代、1980年代で考えてみると、第三章がそれにあたる。「仮面時代の序章」「仮面の系譜」「『根暗』の時代」の三つの小見出しが立っている。ここで述べられているのは「笑いをとれるヤツがリーダーになる時代が来たのだ」という記憶である。

私が小学生の頃は、確実にスポーツができるヤツが集団の中心にいた。田舎の、ガラの悪い地域だったからか、頭がいいヤツは中心になれなかった。一方で、笑いをとれるヤツが台頭してきていた。それに気づいたのは小学校3年のとき。1980年だった。スポーツ音痴だった私には、それは福音であった。かなりの割合で調子に乗りすぎて失敗しながらなんとか十代を過ごして、たまにこじらせたりしながらも、「別に球技ができなくても、体力と筋力があればいいや」と登山で達観できるようになったのは、1990年頃である。

丸田さんと重松さんのおふたりの対話は、こうした、私が経験してきた精神の動きの過程が実は時代によるものでもあったということに、気づかせてくれる。おふたりが時代を見る目はとても鋭いものだが、その時代を生きてきた人たちを見る目は、とても優しい。

***

本の造り。大きさは菊判、ハードカバー。スピン(しおり紐)もついている。全体の構成については前述の通りだが、写真のページと対話のページは、紙を変えている。構成は、丸田祥三さんの作品が7点くらい、次いで重松清さんの書き下ろしコラムが1ページ、そして重松さんと丸田さんとの対話が掲載されている。これが実に効果的というか、これ以外ない、という構成だと感じる。

写真作品の印刷は、最高の品質であると信じて疑わない『廃道 棄てられし道』を…凌駕しているかもしれない。とくに後半の章で展開される、最近の作品群は、雑誌『東京人』に掲載されたものもあるが、どれもが手を触れると切れそうなほどにシャープでハード。インクが指につきそうなくらいにこってりとした色が出ており、丸田さんの作品を存分に実現している。

作品が掲載されている大きさは『廃道 棄てられし道』と同じくらいか(縦位置)、かなり大きい(見開き)のに、ハードカバーになると、なぜかコンパクトに感じる。これは、おもしろい発見だった。2冊を並べてみよう。

20120227_000.JPG.

ブックデザインおよび全体の指揮は祖父江慎さんと福島よし恵さん。『廃道 棄てられし道』と同じだ。そのため、並べて売られてもソレとわかるように、帯は同じイメージで作られている。

当初から、4月刊行予定の『眠る鉄道 SLEEPING BEAUTY』(小学館)とともに三冊をお願いすることは決まっていたから、もしかすると、最初は判型も似せて…などと祖父江さんはお考えだったかもしれない。しかし、結果として、三冊とも、判型や紙はまったく異なるものとなった。

…そう書いて、今、気がついた。 『眠る鉄道 SLEEPING BEAUTY』のカバーが、「あの作品」(ご想像にお任せします)になったら? それを、上の二冊の右に並べてみたら……? あとはご想像にお任せする。

***
 
冒頭に置いた問い。その答えを自分で持っているという自信がある人も、まだ持っていない人も、絶対に「買い」の一冊だ。あわせて『日本風景論』(丸田祥三・切通理作共著)もおすすめする。







 





20120215_003.JPG初めに断っておくと、私は「鉄道遺産」という言葉は好きではない。定義されたものではないバズワードだからで、人によっては旧型客車や個別の蒸気機関車までその範疇に入ってしまう。「産業遺産」が、イメージやその是非はともかく定義をする団体があるのとは大きく異なるのがこの点だ。

こうした内容は、書籍の単行本では難しく、写真だけでも文章だけでもだめなので、「雑誌の特集」、それも鉄道誌ではなくて一般誌の特集が、いちばんふさわしいステージだと思っていた。『東京人』がそのステージとなったのは、大変嬉しいことだ。

渾身の大特集であり、100点近くの写真~~そのほとんどは丸田祥三さん撮り下ろしである~~がこれでもか、というくらいの勢いで展開され、その合間に、川本三郎さん・原武史さん・丸田祥三さん・内田宗治さんの座談会が挿入されている。私が考えるに、このテーマではもっとも適切なステージにおいて適切な展開になったと思う。うちうちに、当初はグラビア/座談会/解説とをそれぞれ分けることを想定していたと聞いたが、そうなっていれば、きっとさらに完成度は高くなったかもしれない。



冒頭に書いたように、「鉄道遺産」という定義はない。そのため、座談会を構成する4人が選び、さらに、4人がそれぞれベスト10を挙げるという体裁をとっている。これが、この特集のミソだ(ミソ、っていう言い方は古すぎる?)。そうすることで「なぜ○○がないの?」というような、ありがちなツッコミを回避し、なおかつ選者の個性と存在感を強めることに成功している。


座談会を読むと、4者の個性が出ていて大変に面白い。

●川本三郎さん「都内で駅の立ち食いそばが登場したのは、いつぐらいからですかね?」

こんなこと、考えたこともなかった。立ち食いそばというのは、私が子どもの頃から全国の主要駅にあったし、ずっと昔からあるものだと思っていた。ところが、川本さんは続けて「わりと新しいですよね。私の学生時代(筆者注:川本さんは1944年生まれ)にはなかった。」と言う。それを受けて原さんは「品川の常磐軒がわりと早くて、昭和三十九(一九六四)年だったと思います」と答える。そうだったのか!


●原武史さん「天皇研究者として、賢所乗御車はどうしても見たい」

宮中行事に関するご神体を運ぶ車両のことである。この賢所車の設計につ いてのエピソードを『鉄道ファン』かどこかで読んだ記憶があるが、そもそもご神体を奉安してある御座所は、天皇ですらその前では立って歩くことが許されな いようなものらしい。それほどの存在を常日頃から意識すればこそ出る観点。ほかにも「聖蹟桜ヶ丘」に見る駅名の考察など、原さんの専門である皇室関係の話がポンポンと飛び出している。

原さんの著書は何冊か読んでいるが、「鉄道マニアのマニア嫌い」のような記述がそこかしこにあるのでちょっと好きではない部分があったのだが、こういう鉄道への絡み方なら大歓迎だ。


●丸田祥三さん

高尾駅構内の31番支柱に残る機銃掃射の弾痕、それと同時に襲撃された「湯の花トンネル列車銃撃事件」の牽引機関車・ED16 7を見つめる目。実際に7号機を幾度となく目にしていた丸田さんは、きっと子どもの頃から、7号機を見るたびにこの銃撃を思い出していたのだろう。また、地下鉄東西線の門前仲町駅工事の際に、埋まっていた防空壕から抱き合った母子の遺体が見つかり、最終的には6~7体の遺体が見つかったというエピソード。これなど「ネットで調べてもほとんど誰も言及していなくて、これは誰かが語らなければ歴史の闇に消えてしまうな、と感じています」。それがここで紹介されることで、多くの人の目に触れることになった。まことに意義深い特集であると言わねばなるまい。(筆者中:こちらのサイトに大人4人、子ども2人との記述あり)


●内田宗治さん

国分寺崖線、玉川上水、廃川跡、新永間市街線高架橋等、とっても内田さんらしいことが自然に展開されていて、そうか、内田さんのこうした観点を結びつけるものは「鉄道遺産」だったんだ、と思った次第。なお、内田さんは、私のかつての上司。大ヒットしたガイドブックシリーズをいくつもてがけている、尊敬すべき編集者だ(現・ライター)。



ガチでコアな鉄道ファンも、この特集は肩に力を入れずに読めるはず。そして、この4者が、スタイルは違えど鉄道を好きであることも十分によく伝わってくると思う。最後に、この「鉄道遺産」の位置づけが曖昧なのに、この特集を成功させた肝を、座談会・後編のタイトルから引用する。

記憶によって個人差がある鉄道遺産。

「記憶によって個人差がある鉄道遺産」を語り合うことで、東京の鉄道の歴史と多様性が浮き上がってくる。もそういうことを意図しての企画だったのかどうかはわからないが、私はそのように読んだ。なお、前編のタイトルは「散歩の途中で、東京の近代化や歴史を発見する喜び。」。これは『東京人』のコンセプトに添った建前的なものかもしれない。

素晴らしい特集を組んでくれた『東京人』と、座談会の皆様に心から拍手を。
 
20111229_000.JPG(堤体に見立て…るのは無理か)

例えて言えば、純文学ではなく娯楽作品である。

内容は、数多ある路線別紀行文から、ダム建設と関連がある路線だけを集めたようなもの。、鉄道好きに「ダムって面白いよ!」とすすめる内容ではないし、それなりに鉄道史に詳しい人であれば、ここに書いてあることはほとんど知っているだろう。その程度の内容だ。何を目的にこの本が作られたのか、まったくはっきりしない。だから、それを「娯楽作品」と表現した。娯楽としての鉄道紀行を読みたい人には楽しい本かもしれない。


私個人は娯楽作品ではなくて純文学を求めているので、その観点で感想を書く。


最大の不満は、「ダムと鉄道」と銘打っていながら、その関係性を俯瞰した記述が一切ないことである。「ダム建設に関わる鉄道にはこうした傾向がある」とか「電力史とダム史と鉄道史と政治史はこう関わりがある」とか「河川管理と水利権」とか、そういうことはまったくない。電力史や水利権の記述がないままに、個別に、黒部峡谷鉄道がどうした、大井川鉄道がどうした、ということばかり書いている。その内容は、wikipediaの各路線の項目を見れば十分、という程度である。

電力史をご存じない方は、戦前の五大電力会社、戦時下の日本発送電、戦後の9電力会社についてwikipediaの項目を読むと、かなり補えると思う。日本発送電の項目だけでも流し読みして欲しい。


以下、指摘したい誤り及び意見。

●P73~75 立山カルデラの土砂量

「立山カルデラ内には、いまも2億立方メートルほどの崩落土砂が残る。放っておけば富山平野全体が、高さ2メートルの土砂に埋め尽くされるほどの量だという」とある。この数値は公的なサイトを引用したものだと思うが、この数値は実は異常である。かつて、この数値について考察したことがある。こちらをご覧くただきたい。

立山カルデラの土砂の量の不思議

●P134 アプト式

1968年(昭和43年)まで信越線で用いられていたとあるが、もちろん1963年(昭和38年)の誤記。交通新聞社の本なのに…。

●P151第4章のリードに異議あり

第4章は奥只見ダム・田子倉ダムである。その章扉に「電源開発の『発電所専用鉄道』から、国鉄に移管された政治路線。」(強調磯部)というリードがある。「政治路線」とはなんだろう? 鉄道建設計画には経済的事情と政治的事情があるのだが、政治的事情のある路線がそういう書かれ方をされるならば、東海道本線よりも先に信越本線が建設されたのも、東北本線が日本鉄道により建設されたのも、日本鉄道の設立そのものも、政治的事情となろう。私はこういうレッテル貼りが大嫌いである。

●P221~225場ダムに関する記述への大きな違和感

文筆家の竹内正浩氏が「交通新聞新書『ダムと鉄道』を読了。著者は骨の髄まで新聞社の文体が染みついている人。新聞記事ならツボを押さえたいい記事なのだろう、たぶん。ところが どの章も似た構成で、しだいに文章のあざとさが鼻に付く。致命的なのは鉄道ファンにとっての情報量が少なすぎること。着眼点がいいだけに惜しい。」(文字色調整磯部))とツイートしていたが、この章はまさにそうだと感じた。

これ以外の章は、単なる鉄道紀行文なのに、なぜかここだけ八ッ場ダム建設批判になっているのだ。ダムに沈む予定のJR吾妻線の新線、第二吾妻川橋梁(新)に関する記述は、無知ゆえとはいえ、許せない記述になっている。

「両岸に4本ずつ建つ主塔の高さは41.8メートル。10階建て以上のビルに匹敵するコンクリートの塊の、周囲を圧倒するほどの存在感は、単線のローカル線用の橋の姿とは思えない。」(強調磯部)

一方、ダムに沈む旧橋に関する記述。

「『下路鋼ワーレントラス』(鋼材を斜めに、三角形が連続する形に組んだ橋げた)』という細い鉄骨の組み合わせによるシンプルな構造だ。この程度が、単線のローカル線には分相応というものだろう。」(強調磯部)

第二吾妻川橋梁(新)は、このような形式で、橋長431mに対して橋脚(主塔)はわずか2本。中央スパン167m、しかも曲線桁(そうしたことも著者は書いている)。鹿島のサイトには明確に「『PRC斜版橋』という構造形式が採用されたのは,鉄道橋には乗客の安全性と快適性の確保が求められること,吾妻川をまたぐ大スパンを実現することの二つの理由による」と書かれている。一方、旧橋は、スパンが46.8mしかない単純トラス橋である。橋長は68.41m。こうした、規模がまったくことなるものを比較して何がしたいのだろうか。「豪華な橋を作りやがって」という印象をベースに書かれた、本筋に関係ない蛇足である。私はここに、竹内氏の言う「文章のあざとさ」と、新聞記者らしい「無理筋な主張をさも当然のように書く」という書き方を見る。

もし新線が、スパン46.8mで済んだら、現代なら、間違いなくトラス橋より安上がりなプレートガーダーが架かるだろう。著者にそういう視点は、ない。あらゆる土木事業は原則的にコスト最優先で作られているのだが、著者はそれを見ないフリをしている。そもそも、「単線のローカル線には分相応」とはどういう意味だろうか。これは「新聞記者らしい感想」だな、と思う。そういうレッテルを貼りたくなる。

また、橋の構造をとってつけたように解説しているが(ここだけではなく、他の箇所にも散見される)、そんな蛇足よりも、ダムの構造やスキージャンプ式を図で解説したほうがずっといいだろう。冒頭に書いたとおり、俯瞰した記述がないので、読者には、ダムや減勢工の構造はおよそどんな種類があり、それぞれがどんなものに適しているのか、というようなことは必要だ。


●P251 三弦橋は夕張だけではない

「国内にはこの『三弦橋』しかない」とあるが、もちろん誤記。道路橋はいくつもあるし、そもそも水管橋なら全国に数え切れないほどある。「鉄道の三弦橋は」という条件が抜けているのだ。なな爺さんが起こるのではないか。



以上。

交通新聞社新書は、キャッチが「軽~く読んで、長~く本棚へ」だから、多くを望んではいけないのかもしれない。しかし、『鉄道公安官と呼ばれた男たち』(濱田研吾)という本もある。また、『「動く大地」の鉄道トンネル』(峯﨑淳)は、「トンネルとは何か」という、俯瞰した記述がきちんとあった。結局は著者によるのだろう。別の著者による良書を期待したい。
20111220_000.JPGオールカラー、416ページ、2625円。サイズは菊判に近い。

はっきり言って、安い。地方版元の刊行物は、往々にして安い。その理由はいくつかあるのだが、憶測で書くのもなんなので控える。

この写真集は、「買い」だ。刊行する意義がある本である。そして、あらゆる点で、私の編集コンセプトと大きく異なっているので、いろいろと考えるきっかけになった。



ここには、昭和60年前後の鉄道ファンの関心とその姿が色濃く掲載されている。

同じようなカットが続く。私の考える編集作業では、当然どれか1点に絞るべきところを、まったく絞っていない。なにしろ400ページ以上に1200カットだ。ホームで撮った列車の写真、写っているのは同じ形式、とくれば、自然と同じようなカットになる。それでも、その日その場所で記録されたものが発表されることには大変な意義があると考える。いや、これこそが編集方針なのだろう。私が作る場合とはコンセプトが異なるというだけのことだ。

この本は、写真集というにはあまりに製版と色が悪い。しかし、そこに掲載されている写真は、印刷とか色とかを吹き飛ばす、非常に貴重な記録である。いや、 欲を言えば、それらも完璧なものがあったらそのほうがいいのだが、この印刷や色は著者が満足しているのだろうから「好み」の問題と言うことにしておく。

いままで実際の商業印刷で試した結果から言うと、コンデジのデジタルズームを使用した画像やひと世代前の携帯電話のカメラで撮影したフルサイズの画像を使うとこんな品質になる。あるいは、2000年頃にネガプリントを家庭用のフラットベッドスキャナでスキャンし、自分でCMYKに変換して印刷原稿にして入稿すると、こんな色になった。2000年代前半の製版技術では、35mm判ポジをA4見開きにしてまったく問題ないくらいにはなっていたので、いまなぜこんな、という思いは大きい。著者の原版はもっときちんとしていて、製版・印刷に問題があったのか。著者は他の全国媒体でも仕事をしているのだから、この印刷が、その水準には達しないことは承知の上だと思うのだが…。

掲載内容は、サブタイトルの通り、北海道の廃止されたローカル線のスナップ集である。「車両をかっこよく撮った写真」ではない。たくさんの駅の、駅舎、ホーム、駅で働く人、鉄道で働く人の姿が収められている。たまに、鉄道ファンの姿も収められている。

雪景色も多い。私の郷里・新潟のかつての風景にも重なる。木造の建造物と気動車、雪景色。また、草いきれがにおってくるような夏景色。それらも、あくまでスナップだ。

本書に掲載されたようなものが、紙媒体として刊行されたことを嬉しく思う。掲載されている内容も、いつまでも、何度でも眺めていたくなるものだ。この本は、買いだ。

















 


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